2010/12/29
■@GAKUTOMO NO.210
発表会が終わり、クリスマス会が終わり、大掃除が終わり、迎える仕事納めの日。学習協の大なべ会がありました。しみじみと連帯を肌に感じながら、1年間を振り返り、新たな1年に向かっていく志を確認する、私にとって貴重な場になっています。
8年ほど前に初めて参加した時、涙が出てきたことを覚えています。この場に自分がいることが、嬉しくて、なんだかすごい奇跡のような気がして。そう思えば、きっと私はそれまで「連帯」を感じたことがなかったのだと思います。その時すでに“人間性の回復”は始まっていたんだ!と。
それから8年たった、今。2010年代を労働組合強化の時代に!≠ニ活動を進めていますが、その最初の1年が終わろうとしています。この1年、どんな変化が作りだせただろうか・・・と考えました。そして、次の1年は、どんな変化を作りだすのか・・・。日々の闘いの中で、また、大きく時代を捉えようとする中で、「革命論」が指針となり、生きてくるのだと思います。
マルクスのナマの活動を捉える「革命論研究」。充分に学び取れていない自分を感じています。きちんと努力すれば、もう一歩深まる気がしています。年末年始のこの休暇をチャンスに深め、2011年のスタートに備えたいと思います。2010年代全体を視野にいれて。(蓮)2010/12/28
2010/12/28
■@GAKUTOMO NO.209
学習会館の年末恒例の“大掃除”をやりました!一年間、いろんな仲間が集った学習会館が、労働学校の受講生、運営委員、学習協の事務局…みんなの手で掃除され、新たな年を迎える準備がすすんでいます。
この“大掃除”にここ10年くらい携わっていますが、自分の家も含めてここまで徹底的に“大掃除”をした経験はあまりありません。というのも……まず、学習会館の1階にある荷物を外に出します。2階、3階の教室の机やイスは、できるかぎり重ねられ、教室の前か後ろの半分に寄せます。そして、1階から3階、そして階段にいたるまで、床のワックスを剥離剤と水ではがしながら、10人以上の手作業で汚れをこすりおとし、なおかつすぐに雑巾で水分を全部ふきとっていきます。その時、剥離剤やワックスなどで、学習会館の床はまるでスケートリンクのようにツルツルになっています。
そして、きれいになった床にワックスをモップで塗っていくのですが、一度塗り、乾かし、二度塗り、乾かし、三度塗って、乾かして完成です。2階、3階の教室は、机などがあるので、半分ずつしかできないので、移動しながらになります。これを10人以上の手作業でやって、朝から夕方まで徹底的にやりきります!
これが、学習会館の良き“伝統”です。
自分たちが日常的に、管理、利用している会館を、自分たちの手で“大掃除”をする。とても大事なことだと思います。この“大掃除”に携わった者ならば、日常的に利用する時に、会館を大切にあつかう意識が生まれてくると思います。
「誰かがやってくれるだろう…」という意識では、誰もやらないのが、“普通”です。
この学習会館が建てられたのが、1987年。建てられた時も、私たちのたくさんの先輩たちが、お金を出しあって、自分たちの資金で建てられたというものです。そして、それから23年、先輩たちから引き継がれ、今、私たちが管理し、利用しています。そして、今後、未来の仲間たちへと引き継がれていくものです。
こうした自分たちのものを自分たちが管理し運営していく…“自治”の意識がこうした体験を通じてつちかわれていくとも思います。しかも私たちは科学的社会主義を学び、それを実践していこうという立場で、この社会を変革していこうのですから、まず自分たちの身のまわりの“自治”がきちんとできるかどうか。そしてそれがどんどん大きな範囲になり、大きな数の集団になり、地方、国をも動かす力となるか…社会を担う労働者にとって、とても大切な“意識”をつちかうものだと思います。
“自分たちのもの”といういい方をしていますが、それはまた“社会的に所有”するものと、いいかれられるかもしれません。労働学校では、受講生の仲間に学習会館を利用するにあたって…ゴミの扱いについて、“山登り”の思想で、自分たちで持ち込んだゴミは、自分たちで持ち帰る…そういう理解をしてもらっています。“自分たちのもの”は、“みんなのもの”であるということです。
ぜひ一度、この“大掃除”を体験してみて下さい。といいつつ…すでに、普段使わない筋肉をつかったせいか、早くも筋肉痛がはじまっております…これは若い証拠です…。(吉)10/12/26
■@GAKUTOMO NO.208
民青同盟『職場』班の再建から1年が立ちました。自治体職場として、労働組合の強化と、民主的な自治体建設をつくっていくことを目標にかかげて取り組んできましたが、民青同盟で、職場のなかでの学習運動の実践として取り組んだ「マルかじり(マルクスの世界観をかじりつくす)学習集会」は継続して開催することができず1年が経ってしまいました。
今年の1月に出版された革命論研究は、1年をかけて読み深めてきました。マルクスの戦略・戦術を学び、革命論の立場でどう実践することができるかが問われていると感じます。マルクス、エンゲルスの執筆活動や労働者運動の展開は1年1年が激動で、ざっと革命論で紹介されている年号だけをならべてもおどろきます。
先日、不破さんの科学的社会主義の連続教室を学習しました。「賃金・価格・および利潤」は、経済学の本ではなく、当時の労働組合有害論を、労働者運動の立場から批判を展開した本だということを強調されていました。「労働組合の経済闘争と政治闘争に確信を持ってほしい」とマルクスは言っているのだと。マルクス自身がこの論文の名前をつけるなら、もっと違う角度からつけていただろうと言われていたのが印象的です。経済学の「教科書的」な読み物ではなく、その執筆の経過に革命論そのものを感じます。
自分の職場での活動になにがかけているか。革命論の立場での戦略・戦術はもとより、1年を“過ごす”のではなく、しっかりと1年を“積み上げて”いかなければならないと2010年を振り返りました。(光)10/12/27
2010/12/27
■@GAKUTOMO NO.207
クリスマスイブでもある12月24日は137期京都中央労働学校総合コースの最終講義日でした。たくさんあると思っていた18回の講義はあっという間で、開校からもう2ヶ月も経ったのかと驚くほどです。
総合コースの修了式では、修了証書授与のあと、その場にいる受講生1人1人に2ヶ月間の労働学校の感想を教壇に立って話してもらいます。どの感想もとても素敵で、労働学校の魅力があふれていました。
複数の人が言っていたのが、「これからもっと学んでいかないと!」、「学んだことを周りの人に話していきたい」、「仲間がいたから2ヶ月学べた」という感想。私自身が受講生だったときも同じように話したことを思い出しました。
「社会のことを考えるようになった」、「友達にも少しでも知ってほしいと思って話すようになった」、「こういう場をもっと青年に知ってほしいと思うようになった」と自分の変化を話す受講生もたくさん。運営委員として、その変化を近くで見ていたので、とても嬉しい感想です。
私がとても印象に残った感想は2つ。1つは、「労働学校には知識を深めようと思って来た。でも自分だけが知ってても意味がない!自分が動かないと!と感じた」という感想。「知識として持っているだけでは何の役にも立たない」とも話してくれました。なぜ学ぶのか、という問いの答えにつながる感想でした。もう1つは「リアルが大嫌い、人と話すのも大嫌いだったけれど、ここに来てリアルも悪くないなって思えた」というネットを通じて知り合った友達から紹介されて来た受講生の感想。労働学校にもっと多くの青年に来てほしい、と強く感じた感想でした。
講義を受けて学び、分散会で色々な意見を聞き、自分も話し、そして仲間と交流して関係を作ってきた2ヶ月。そんな2ヶ月を過ごすと、こんなにワクワクする感想をもつ。労働学校ってなんて素敵なところなんだろう!まず、こんな場所があるって知ってほしい。2ヶ月学んで交流したらこんな感想を持つんだよって話したい。そして労働学校へ来てみてほしい。思いはどんどん膨らみます。
それを作り出せるかどうかは、自分との闘い。精一杯ぶつかりたいです。(蛍)10/12/25
2010/12/25
■@GAKUTOMO NO.206
寒い・・・とうとうこの寒さが今年もやってきました。指先がジンジンしてバイクに乗っていられないほどです。靴下を何重にもはき、スパッツ、オーバーズボンを履いていてもなお寒いのが京都の冬です。近くのコンビニに行くだけでも走らずにはいられません。
そんな寒い年の瀬に思い出すのは路上で暮らす人のこと。夏、鴨川に散歩に行くと高架下にブルーシートやダンボールで風雨をしのぐだけの壁を作り暮らす人をよく見かけました。この寒さの中で生きていけているのだろうか・・・。
路上で暮らす人たちの年齢は2年前と比べて11歳も若くなっていると新聞で報道されていました。路上生活を余儀なくされた理由の7割が仕事関係している(派遣切り、倒産、退職など)とも。次に働く意欲があってもそこへつなげるだけの期間生きていくことができない状況。それが当たり前の社会。
「どんな社会でも、衣・食・住など人間の生活に必要なサービスを生産する活動を抜きにしては、社会の生活も個人の生活も成り立ちません。マルクスは、これまで社会観、歴史観で、無視されるか、あるいは片隅でしか扱われてこなかったこの問題に光を当てたのです。そして、社会が必要な物資やサービスの生産をどのようにしておこない、そのなかで人間がたがいにどのような関係をもつのか、そこに歴史的発展のそもそもの土台、社会の発展を左右する根源的な力があることを明らかにしました。」(「マルクスは生きている」平凡社新書p.53)
いまの社会で物資やサービスの生産はどのようにおこなわれているか・・・日航の首切りで顕著に現れている“働く人間を使い捨てる”いまの社会のあり方。労働力も「商品」として成り立っていく社会。その仕組みがこの極寒の路上で生きなければならない人間をつくりだしている。個人の問題ではない。
寒さが一段と厳しくなる年の瀬、私たちができることはそういう社会は変えられるということを未来をつくる青年に伝え、変革の担い手を増やしていくこと。社会の中に「発展を左右する根源的な力もある」と。遠回りなようで、それしか道はない。寒さに負けずバイクを走らせよう。(麦)10/12/24
2010/12/24
ピンボケです。
■@GAKUTOMO NO.205
春セミの話をしていると、「もう労働組合は当てにできないし」という声を聞きました。その人は医療現場(診療所)で受付事務をする労働者。
「とりあえず組合費払ってるし、自分の職場の執行委員に職場の意見は出してるけど、忙しさも何にも変わらないし」と半ばあきらめ発言。それでも「自分の診療所の待合室は、毎日のように高齢者の“何でも相談会”状態。年金の申請漏れについてどうしたらいいのかとか、エコポイントってどうやったら付くのかを聞きに来たおじいちゃんもいたな・・・。診察なんてついでで、とにかく何でも聞きに来るし、小さなことでも話しに来たいみたい。そういう場所ってこれからますます必要になってくるんやろうな。高齢者が頼れる場所、話したいときに話を聞いてくれる人がいる環境が。そういう場所が各地域にないとあかん。そういう意味で僕の診療所は地域で重要な位置にあると思う。」と自分の仕事に誇りと責任とやりがいを持っていることを話してくれました。
そこまでその仕事の重要性を感じているなら!!春セミを受ける意義は大きい!!
自分の仕事のしんどい状況と、相手にしている患者さんや高齢者の置かれている状況は同じ。利潤第一主義むき出しの資本主義。儲けにつながらない仕事はどんどん縮小、公的責任はないがしろにされてく流れが強まっている。ますます高齢者が安心して通い、ゆっくり話をする環境はせばめられてくことは目に見えているし、そこで働く労働者がゆっくりかかわりたくてもかかわれない状況も起こってくる。そのしわ寄せは結局そこを利用する高齢者にいくやろ。
子どもも同じだからよくわかる。
保育していて保育士がしんどくなって最終的に、より良い保育が受けられずに成長する瞬間を逃してしまい、困るのは子ども。医療も介護も保育も置かれてる状況は同じ。そこを変えていくには何をしないとあかんか。そこで労働組合の出番やん。労働組合でしっかり情勢学んでどこに問題があるのかを見てそこを変える運動を広げないと目の前の自分が対象にしている高齢者や子どもは守れないよーー。だから受けよう!!」と熱く語ると・・・次の日仲間を誘って受講するとの返事でした。
いろんな職場で話せば話すほどいま学ぶこと、そして運動を広げることの重要性を感じます。話が噛み合えば、どの職場のどんな問題でも行き着くのはそこだなと感じます。(麦)10/12/22
2010/12/22
■@GAKUTOMO NO.204
「156が158になる。そうするとポイントが上がる。経営者的発想でいくと、そうなるんですよね」・・・2ヶ月ほど前に園長が言っていた言葉です。数字は在園児の数。京都市保育プール制の改悪で、ポイント制が導入されました。1ポイント=1万円(仮)、詰め込み保育でポイントUP↑、そうしないと人件費が足りなくなるよ、という仕組みです。ベテラン職員が多い園ほど、ポイントを“稼ぐ”ことが求められます。
昨年度は、この問題をめぐって対市交渉を重ねてきました。その中で「子どもを“商品”にするようだ」という怒りの声も出ていました。△歳児を○○人入れたら××ポイント=××万円、アレルギー児△△人対応したら◇◇ポイント=◇◇万円。そんなポイント制です。
他の園でも、懸念していたことが実際に現場の声として出てきています。「☆☆保育園はポイント獲得2位!」「うちは△△園より少ない!負けてるやん。って思ってしまう」「長く働き続けることが、保育(予算)をキュウキュウさせるから、申し訳ないっていう思いがある」「ボーナスカット、昇給据え置き・・・」などなど・・・。
園長も一生懸命頑張ってる、だから正規職員2人辞めても、1人は正規、もう1人は非正規で採用するのも仕方ない、よう要求しぃひんなぁ・・・なんていう声も出てきて、ちょっとちょっと!!!という感じです。職場内だけを見ていると、そこへ陥ってしまうのでしょう。
今後、各園の状況はバラバラになっていく・・・だからこそ、産別で!同一労働同一賃金!!の要求をしていくことが必要やと思うということも話しましたが、なかなかピンと来ない様子です。自身の力不足を痛く感じます。保育観、保育理念をしっかりと軸に据えて闘っていく、そういう論議が必要なんじゃないかと思いました。反省。(蓮)2010/12/17
2010/12/21
■@GAKUTOMO NO.203
司馬遼太郎の「坂の上の雲」のドラマ化第二部が話題をよんでいます。確かに俳優の演技や演出がワクワクさせます。しかし、とんでもない戦争観、歴史観が中身で、閉塞社会といわれるいまに、視聴者に、日本の戦争を肯定的に捉えさせ、戦争というかたちで解放感(2010/12/8「しんぶん赤旗」潮流≠学んでください……む)を与えるようなものにも思い、恐ろしいと感じます。
先日、閉塞社会を表すショッキングな事件がありました。取手バス襲撃事件。犯人は自分と同じ年の27歳の青年でした。青年は、職につけず引きこもりの生活をしていたといいます。「人生を終わりにしたかった」と。学習協の事務局長が「一生懸命生きてきたその青年が、科学的社会主義に触れていたら、違う結果になったかもしれない」と言われました。ドキッとしました。
自分にも社会から孤立し、閉塞感に陥った時期がありました。「社会で何の役にも立たない」「存在する価値もない」“誰にもわかるはずない”感覚。そんな時2001年の9.11事件がありました。「戦争になるんじゃないか」でも人ごとのような。何かもやもや感が晴れるような感覚を覚えています。その翌年、当時から労働学校に行っていた兄に言われるがまま、労働学校を受講することになりました。しかし、価値観がそこで変わりました。自分には家族がいて、意見を言ってくれる人がいたことがいて…環境に恵まれていたこともあります。
閉塞社会だからこそ!確かなもののみかた、考え方が必要だと、身につまされる思いです。(光)10/12/20
2010/12/20
■@GAKUTOMO NO.202
137期総合コースの講義もあと2回になりました。2ヶ月があっという間に感じるのは、それだけ日々が充実しているということなのだと思います。
19日(日)の第2回交流会では、まず、平安女学院の学生さんたちによる手作りのイルミネーションを見に行きました。ペットボトルで作られたツリーに「世界平和」、「みんなが笑顔で暮らせる社会に」など平和の願いが書かれていたのですが、「全員就職」などの言葉もあり、考えさせられました。
イルミネーションのあとは、冷えた体を温めるため、うどんを囲みました。市販の粉末出汁とゆでうどんで作った簡単なものでしたが、持ち寄った薬味をのせて、みんなで食べるととても美味しく、みんなの距離も縮まった気がしました。
そして最後は、今までの講義を振り返って印象に残ったところや感想をそれぞれ話してもらいました。それぞれに印象に残った講義が違ったことが、総合コースの特徴を表していました。
「講義を聞く中でなるほどと思うところと、ここはどうなんだろう?と思うところがあった。専門コースで学べばそこを知ることができるのかな。」「全部知らなかったことだったから、全ての講義が印象に残っている。」「学ぶということに抵抗があり、思うがままに進んできたが、ここで学んだことを生かしていきたいと思う。」と、嬉しい感想がたくさん。
そして、「世界観が変わった。」「本屋さんで雑誌ぐらいしか見なかったのに、“資本主義とは”というような本を開いていたことに自分でびっくりした。」「受講するようになって周りの人はこんなこと知らないんやろうなぁ、自分が知ったことをこの人も知ってほしいって思うようになった。」「バイト先で話しかけられたら話し返すぐらいだったのが、街宣などを経験する中で自分から話しかけられるようになった。」と労働学校へ来てここが変化した!という感想もたくさんありました。
これらがそのまま労働学校の魅力であり、自分の周りの青年に広げる意義です。あの場に労働学校のことを全然知らない人がいたら、労働学校に行きたくなるだろうなぁ。労働学校の魅力を伝えることはいくらでもできますが、それではその人に変化は起こりません。労働学校に来て、自分から学んで、人と関わったから、感想にあったように“変わった”と言えるのです。やっぱり多くの青年に労働学校へ来てもらわないと!
137期も最終週。大切な講義が続きます。最後まで全員で学び、深めていきましょう。「労働学校は学んだことを実践する場がある。1人じゃできないけれど、一緒に挑戦してくれる仲間がいる。」という感想もありました。学んだだけでは単なる知識になってしまいます。広げること、話すこと、実践にもみんなで挑戦しましょう。(蛍)10/12/20
■@GAKUTOMO NO.201
ある職場で“仕事のやりがい”について話になりました。その人は「私自身は、やりたい仕事に就けないのは当たり前と思ってる。その中で、せめていまの仕事でやりがいを見いだそうと思ってるけど、仕事でやらなあかんことに追われてそれさえ見いだせない。もうだれもが“やりがいのある仕事”より“他より少しでも給料の良い仕事を・・・”という選択肢で仕事を探しているような感じですよね。」とうつむいて話されました。新聞記事にも「働きがい『低い』が『高い』の2倍に」という記事が載っていたのを思い出します。(その人は17セミを申し込まれたのですが当日に仕事が入りやむを得ず欠席。資料は届けたのですがタイムリーに聞いてほしかった。)
話の前提に「やりたい仕事に就けない」ということは今日的に“当たり前のこと”と思い込まされていることがとても印象的で、その人に次はぜひ労働学校に来てもらいたいと思いました。「本来の労働の意味」や「労働が人間をつくってきた」ということ、「資本主義社会だからそこが逆転して“生きるために働く”というふうになってしまっていること、そういう社会を変えることで労働者一人ひとりが「やりたい仕事」がしながら活き活きと生きていけるという状況をつくり出すことができる!・・・まさに労働学校で学べば展望が見えてくると思いました。仕事を切り開いて受講してもらえるように押してみます!(麦)10/12/17
2010/12/18
@GAKUTOMOが200号です。すごいことです。毎日の生活の中で「科学の目」を意識する。これは「自覚的に生きる」ということではないでしょうか。
■@GAKUTOMO NO.200
研修で、中島光一さんの歌を聴きました。あの「おおきなうた」を作った方です。長年、障碍者施設で働いて来られたそうで、今回も障碍者の方と一緒にミュージックベルの合奏をされていました。それぞれが一生懸命、息を合わせて奏でる音楽は感動的!
一つひとつの曲に、エピソードがあります。誰もが使う“ショッピングバッグ”を作る作業所でできた歌、複数の障碍を持ち合わせた子をめぐる社会の“格差”に憤りを感じて作られた歌、阪神淡路大震災の時のボランティアの経験から作られた歌、童心に返った気持ちを語る歌・・・。
ラストには、「保育情勢が厳しい中だけど、子どもたちに対して『こんな風に生きてきた』と胸を張って言えるような保育士さんであってほしい」と言って、「おおきなうた」を歌って終わりました。
5番の「おおきなちからだよ はたらくちからは あしたをうごかす おおきなちからだよ」と7番の「おおきなおれたちさ あめがぜふこうと おそれはしない おおきなおれたちさ」という歌詞がお気に入り。
10月24日付けの「しんぶん赤旗日曜版」で、長富彩さんというピアニストが取り上げられていましたが、彼女はこう語っています。「好きだからこそ、ピアノだけに没頭しない。表現する材料は、生きている中で得たものです」と。
音楽だけで音楽はあり得ない!感動は生まれ得ない!と思いました。保育も同じ。保育だけで保育は成り立ちません。生きている中にこそ、保育は存在します。子どもが、親が、自分自身が、どう生きるのか・・・人間が、どんな風に生きている社会なのか。「おおきなちからだ」と胸を張って言いたい!励まされました。(蓮)2010/12/15
2010/12/17
■@GAKUTOMO NO.199
運営委員のKさんが、総合コースの受講生のHくんと電話をしています。137期ではじめて労働学校に参加したHくんは、毎朝、新聞配達をして大学に通っています。労働学校のある京都学習会館にも、「総合コースは週2回ですが、私は毎日来てますよ」って言って、新聞を届けてくれています。
ところがその電話で、Hくんの自転車が壊れたとのこと。明日の朝の配達もどうしようか、労働学校にもどうしていこうか…と悩んでいます。
明日の配達は、新聞の“販売所”の人(この人はDくんで137期経済学コースの受講生です)に自転車をその時だけでも借りるとのこと。労働学校にいく夕方に自転車が借りられない時は、私が車で迎えにいくことになりました。
ということがあって、その出来事を忘れていた帰り道、遅い夜ご飯を食べようと、とある飲食店にはいって注文すると、その自転車を貸してくれるDくんが、お店に入ってきました…ビックリ!!
話をきくと、DくんがHくんに自転車を貸すために夜中に届けた帰り道で、私がお店に入るのを見て、Dくんも入ってきてくれました。それにしても、明日のHくんに関わる二人が、真夜中の飲食店で出会うとは…しかもDくんとは、仕事がいそがしいらしく、しばらく連絡がとれていなかったので、会えたこと自身もビックリ!!
そして、Dくんが私の自宅に新聞を配達してくれたことがあることもわかりました。
Hくんの日々の奮闘、そしてそれを支えるDくんのお仕事…並大抵のことではありません…その話をきいていたら、毎日、朝起きたら新聞が入っていて、なんかそれが“当たり前”かのように思っていた面もあることが、恥ずかしくなってきました。
彼らが配達に携わる新聞は、科学的社会主義の立場で貫かれていて、連日発行される唯一の新聞である“しんぶん赤旗”!
記事を書く人、新聞を製作する人、運ぶ人、配達する人、そしてそれを読む人、さらに活用する人…いろんな“人”と“人”がつながっている。
自宅に帰ってきて、改めて“しんぶん赤旗”を手にとりました(今の出来事です)。“大切に”読んでいきたいと思います。そして、たくさんの“新しい人”に読んでもらいたい!(吉)10/12/16
2010/12/16
■@GAKUTOMO NO.198
2011年度の春闘に向けて「国民春闘白書」を各職場に普及しています。中身をじっくり読むと、労働者が疎外されている状況がありありと数字で、グラフで書かれています。これまでなかなか職場で押し出したり、自分自身も活用できていなかったのですが、労働組合を強めるための各セミナーを学ぶ中で、労働者が置かれている状況をありのままにとらえる(科学的にとらえる)ことが労働組合運動とくに春闘や団交での要求実現には不可欠だということを学び改めて職場で話をしました。
そんななかで、ある職場で話をするとこれまでにない反応がありました。「矛盾を深める成果主義賃金」をじっくり見ながら教育現場の労働者が「これはおもしろいな。こういう“成果主義”を教育現場にも導入しようとしてるんや。目の前の子どもに対してどうやって“成果”を計るや!って怒っているねん。個人的にも活用したいし一部買うわ。」と今年初めて注文をしてくれました。
形だけの春闘でなく、本当に一致した要求を見つけ出し、それをたたかいの要にしていくために活用しようとしてくれる仲間の姿に嬉しくなりました。届いたのですぐに職場へ渡しに行こうと思います。(麦)10/12/15
2010/12/16
■@GAKUTOMO NO.197
労働学校・総合コースの受講生の感想がUPされていますが、読んでいるだけでワクワクしてきます。
12月3日(金)の「日本の画期をなす“ものすごい闘い”の歴史」を学んで、「今日の講義はとても勇気の湧く講義だった。私達看護師が人間らしく生きることができなければよい看護はできない。疲れはてている中で患者さんの安全は守れないし、死や病気に対する不安など、思いを聞くこともできない。職場のみんなはそうできないことに苦しみ、自分のせいにしていることも多い状況で私自身もどうしたら今よりもよくなるか日々考える。今は大変だが、それにめげず周りの思いを一緒にできる人と闘いをやめないことが大切だと強く思った。」と書いている仲間がいます。
私の担当している医療職場の人に伝えたい!
もちろん、この講義だけでこれだけのコトを考えたわけではないでしょう。その人の生活があり、育ってきた環境がある。その中で様々な経験や知識が積み重なり、これまでの講義も積み重なり、そこで持った問題意識でもって、この講義を聞いた。その結果、表された感想だと思います。
「日本の闘いの歴史」を学んだことをきっかけに、看護の現状を考え、「今は大変だが・・・(仲間と一緒に)闘いをやめないことが大切だと強く思った」と、前進しようとしているのが、すごいな〜と思います。
実践の中で得た問題意識があるからこそ、学びも深まるのだろうと思います。その交流ともなると、ますます深まります。だから、すべての働く仲間に来て欲しい!職場へ出かけて話をしたいと思います。(蓮)2010/12/13
2010/12/14
■@GAKUTOMO NO.196
今回のHORIMARUセミナーで、改めて、仲間ともに学び、そして考え話し合うことの大切さを痛感しました。しかも、資本主義社会におけるさまざまな問題の根源にある“搾取”ということをテーマだということも…。
@GAKUTOMOにも既にUPされていますが、講義を受けた仲間たちがまず感想を記入し、それをもとに5人くらいのグループで話し合います。初めて顔をあわす仲間たちが、自己紹介から始まる40分という短い時間での話し合いの後、全体会で各グループがまとめを発表するんですが、『知らなかった!…まず知らないと!』そして『もっと知らせていかないと!』ということや、『一人ではできないことも、みんなで力を合わせれば、私たちは大きなことができるんだ!』といったことが共通してだされ、そうした発言に講師の先生も「“希望”を感じる」とまとめられていたのが、今回とても印象的でした。
また、職場の後輩を137期の労働学校に誘い、自分も20年くらい前に受講していたことがある方が、その後輩と一緒に参加され、「もっと沢山の職場の若者を誘いたいと思います。」と感想を述べられていたことに、みんなの力でつくりだしているこのHORIMARUセミナーが、中身の面で成功しているって確信を強めることができました。
もしこの方が、後輩を労働学校に誘っていなかったり、もしくは自分がこの場にきていなかったら、“沢山の職場の若者を誘いたい!”ってなかなか思われなかったのかもしれない…この場に来てもらって、実際にみんなで考え語り合ったことがこの感想の言葉になっていると思うし、職場の後輩を誘ったように、よりまわりの方をこうした場へ連れてこられるんではないか、実際に動きだされると、私は思います。このことも今回印象的でした。
HORIMARUセミナーは、中身の面で成功してきている、と思います。ですが、今回でも全員で30名、初めて来られた方が7名と、目標にしていた50名はまだまだですし、たくさんの“新しい仲間”を“組織”するということには、まだまだ成功していないと思います。
いつも思うのが、“こんないいセミナーになるなら、もっと強く呼んでおいたらよかった”“無理矢理にでも来てもらったらよかった”…なんて、“あとのまつり”です。
「マルクスは生きている」(平凡社新書・p146)で、不破さんが『共産主義社会では、「社会的理性」はことが起きる前に働く』とマルクスの言葉を引用されていますが、その言葉が身に染みます。「社会的理性」を“ことが起きる前に”働かせる、それが私にとっても大きな課題です!
セミナーの次の日、経済学コースの講義の時、セミナーに参加していた経済学コースの仲間の一人が「昨日、あれから友だちとの飲み会だったんですが、労働学校のこと“アツク”語ってきました!」と、また別の一人は「今日、昼、友人にあったんで、労働学校、“1・12集会”のことを話したら、どちらも来たいって言ってました」と。
HORIMARUセミナーを受講した仲間がすぐに実践についています!自分は昨日、今日で“新しい仲間”に声をかけれてないぞ…!(吉)10/12/13
■@GAKUTOMO NO.195
第5回HORIMARUセミナーが開催されました。労働学校で学ぶ仲間たちで運営されるこのセミナーは、新たな学習の場であり、労働学校で学んだことを実践する場でもあります。
今回のHORIMARUセミナーで印象的だったのは、講師の先生の講義のあとのグループ討論で、「こういうことをもっと多くの人に知ってほしい」、「学んだことを周りへ知らせていかないと」といった意見がどの班でも出ていたことです。知っただけ、学んだだけで終わりではなく、そこがスタートになるのだということを参加した人たちみんなが実感できたのだと思います。
だからこそ、もっとたくさんの人に来てもらいたかった!と参加したみんなが思いました。自分が労働学校へ来て知ったことや学んだことを周りの人に広げるということは、簡単なことではありません。勇気もいるし、緊張もします。うまくいかないことだってあります。HORIMARUセミナーを広げよう!と受講生と話す中でも、「普段友達とはそんな話はしないから話せるような雰囲気じゃない」、「そういうことに興味がある人はいないから話せない」というような話を聞きました。私も同じように思っていました。
でも、どうして話せるような雰囲気ではないのでしょう。どうして興味がある人はいないのでしょう。今の社会の中で、社会のしくみについて考えないようにされてきているのではないでしょうか。仕方がないとあきらめている人が多いのではないでしょうか。そこをみんなで考えることがとても大切だと思います。
また、挑戦してみることも大切です。今日の講義を聞いて改めて思いました。みんな資本主義社会で生きているのだから、矛盾を実感していることも多いはず。そこを知る大切さを押し出していきたいと。「話してみたら興味を持ってくれた」、「初めて友達と社会について話してみることができた」という声もHORIMARUセミナーで“挑戦”した受講生から聞こえています。やってみないと始まらないですね。
1・12春集会まであと1ヶ月。HORIMARUセミナーでの経験を活かし、より大きなものとなるよう、みんなで“挑戦”です!(蛍)10/12/13
2010/12/13
◎Twitter・・・情けないが、UPする@GAKUTOMOがありません。こんなんで21世紀の活動家として成長できるのでしょうか? 社会変革ができるのでしょうか。20世紀の活動家と変わらないけど……。条件は十分あるのに活用できない、20世紀にはなかったのだ。あぁ〜なさけない。
137期
京都中央労働学校HORIMARUセミナーVOL.5
2010年12月12日(日)
あなたも搾取≠ウれている
《かんそう》
■資本主義という言葉自体は知っていたが、中身については全く知らなかった。今の状況が続いていくと、負の連鎖でどんどん悪い状況が続いていくのが目に見えている。また、現在は「個」という意識が強く、「団結」するということが避けられがちなのも気になる。■資本主義における労働者とは、どれいと同じなのではないだろうかということ。資本主義は新たな社会の形かと思いきや、今までの社会の支配者が資本家にかわっただけのような気がした。今の社会の形をみんながあたりまえと思ってあきらめているのがよくない。いろいろな人に知らせることが大切だと思う。■人間らしい生活を、と言われるけども、正直使い捨てられることに慣れすぎて、それ(人間らしい生活を)を望むことがバカなんじゃないかと思ってしまう。「お前何言ってんだ」と鼻で笑われそう、という気持ち。周りや両親に話してみても理解を得られないし、考え続け、違和感を持ち続けること自体にすごくつかれる。私は闘うべきだと思うけれどもその方法を知らないし、やり方よくわからんし、そういう風に教育されてきたと思うし、いろいろつながってるなぁと思った。■資本主義の目的は、お金もうけで、そのためには、できるだけ安い賃金で長く働かせ、労働者の生みだした価値をためこんでいく。そういう搾取のしくみがかくされていることに驚きました。■資本主義と言うだけあって、資本家に都合のいい世の中になっている。■資本主義社会において労働者というのは資本の増殖のための道具にすぎない所まで堕としめられているのだな、と実感。労働者の協同、ということが目指されるべきですが、労働者間での対立(断絶?)をまず解消していく必要があるな、と思った。■やはり今日でも、多くの労働者は自分たちが団結したときの強さを知らないのだと思う。よりよい社会が実現していくためには、労働者が声を上げていくことも必要だし、一方でそれは一人でできるようなことではないから、多くの人々が団結する強さを持てるようになってほしいと思った。■資本主義の自滅指向には失笑を禁じえません。しかしまあ、それこそが資本主義のもつ特徴でもあり、そこから生まれる矛盾が社会を発展させているわけで、これから先の資本主義社会がどう変化してゆくのか、見ものだと思います。◎講義以外 ●最近はあきらめなどが広がっていて、団結しようとしてもできない雰囲気がでている。●HORIMARUセミナーの街宣の時に数人の人にしか声をかけられなかったんですが、その中に会社が倒産した人がいて、すごく講義のことをリアルに感じれてよかったです。●・資本主義社会をパチンコ台になぞらえたポスターがすごく印象的でした。今の社会を分かり易く表現しているなぁと思いました。まさに芸術的!!・社会全体の賃上げが必要なのかなと思いました。●若い人達と話し合いが出来てよかったです。もっと沢山の職場の若者を誘いたいと思います。●常勤、非常勤というかく差があるなか、常勤は非常勤に気をつかい、非常勤は「常勤もっとがんばれや」と怒りを常勤に向けるという場面を見たりする。悪いのはもっと違う所やのに…と悲しくなります。●このような労働学校というのがあることを始めて知りました。◎その他●来てよかった!!●今日の講義はわかりやすくおもしろかった。でも先週の日曜日の講義もむずかしくておもしろかった。●知らせるべきっていうけど、「知りたくない」とか言われて、話ができない。●HORIMARUセミナーは、みなさんがいろんなこと考えておられて発表も濃い発表で良かったと思います。●むずかしい話でした。●街宣は人が多い方がやりやすい!!楽しくできました。●搾取についてもっと詳しく深く知りたいなと思いました。今日改めて思ったこと、知れたこともあるので来て良かったと思いました。●今の労働者、青年の状況、そして働くとはどういうことで、その中の搾取がわかり、でもそれだけでは終わらず、みんなで学習。●今回のHORIMARUセミナーの準備(街頭)は1度も参加出来ませんでした。前日、出る予定が雨天のためなくなったのでだめでした。土日は、いろいろ予定があり、参加しずらいですが、出来る限り参加したいです。●「搾取」というより「資本主義とは」って感じでした。搾取のしくみについて、くわしく聞きたかった…。●中身のある内容で、短く感じた。次回も是非参加できればと思う。●外宣するのですが中々うまくしゃべれない事がある。搾取をしらないとしゃべれないし、知っても実感しないとしゃべれないなと思いました。●多くの人が団結することの大切さを主張していて、先生がおっしゃっていたように自分たちには希望があると思った。
2010/12/11
■@GAKUTOMO NO.194
初めて労働学校に行き、講義を聴いたとき、知らなかったことがあまりに多いことに気付き、怖くなったことを覚えています。講義で色々なことを知り、初めて会った人たちとそのことについてドキドキしながら話し、学びを深めていた頃から1年が経ちました。運営委員になったのも去年の今頃です。
この1年間は私にとってとても大きな意味を持つ期間でした。これから自分がどんな風に生きていくか、深く考えるようになりました。学ぶ中で、社会・周りの人・子どもたちを見る目も変化しました。たくさんの人たちと出会い、仲間が増え、その仲間たちと色々なことを話し、仲間たちからも様々なことを学びました。
労働学校は学ぶことだけが目的の場所ではありません。学んだことを実践することに挑戦できるところです。自分だけが知っているだけでは何も変わらない。1年前の自分のように科学的社会主義を知らない人に、知ってもらいたい。改めて、今そう感じています。
初めて友達に労働学校の話をしたとき、どんな風に思われるのかな?、興味を持ってもらえるかな?と、とても緊張したことを今でも覚えています。すぐには興味を持ってもらえないかもしれないけれど、労働学校について、今の資本主義社会についてまず知ってもらうということが大切です。自分の周りの人に話せるのは自分しかいない。だから、身近な人に話すことが大切なのだと感じます。身近な人ほど知ってほしい、一緒に話したいと思います。でも、身近な人ほど話してみるのに勇気がいります。そこに挑戦することで、自分も変化する。そして相手も変化する!ということに確信を持ち、丁寧に働きかけていきたいと思います。
HORIMARUセミナー、1・12春集会、138期をきっかけに、実践を積み重ね、私ももっと成長したいと思います。(蛍)10/12/10
2010/12/10
■@GAKUTOMO NO.193
今日は、137期の第2回自治会役員交流会が開かれました。役員さん一人ひとりの発言にドキドキし、そして受講生のみんなが学びの主人公になって137期の労働学校がつくりだされてきていることに、強く“感動”です!
総合コース1〜3班、そして世界観、経済学コースの役員さんが集まりました。この集まりのテーマは、『後半・最終講義を“みんな”で“成功”させよう』です。まず“みんな”って何か?からはじめ、“成功”って?どういうことかを、みんなで考えました。
“みんな”は当然、137期に学ぶすべての仲間です。開校直後は出席していたけど、最近はぜんぜんこれなくなった仲間…そんな仲間もいます。が、出席している仲間だけでつくりだすのが労働学校ではありません。「学ぼう!」その思いを持って申込書を書いた137期のすべての仲間が、最後まで“みんな”です。総合コースのある班では、申し込みをしたけれど、仕事が忙しかったり、体調がすぐれないことから、全然出席できていない仲間に、みんなで寄せ書きを書いたとのこと。ぜひ、今からでも出席してほしいし、班の交流会からでも来てほしいと、“みんなで学ぼう!”という思いが伝わってきました。違う班でも、ほとんど講義に来れていなかったけど、講義後に学習会館に駆けつけていた仲間が、他の仲間との交流や激励の中から、通常ある予定をなんとか切り開き、“労働学校は今だけ!”と講義からこれるように努力されているとの報告もありました。
次に、“成功”って?…講義日にみんなが集まる!…労働学校での“成功”にとってとても重要なことです。一日の仕事が終わり、そのまま家に帰るのではなく、自分の自由時間をつかって学習をする。しかも仲間と一緒に学習をする。労働者にとってとても大切なことです。
そして労働学校は“2ヶ月でおしまい”ということではなく、労働学校が終わる時、それが“スタート”だということです。その“スタート”ができることも“成功”の一つです。学んできたこと、交流してきたこと、一人ひとりが、これから何ができるかを考えて、“次のステージ”へ一歩進むということです。“次のステージ”には、いろんなことがあることも論議しました。総合コースの仲間が、専門コースで学ぶこと、労働学校を知らない仲間に知らせてみよう、労働組合でもっと意識的に活動しよう、まわりの仲間ともっといろんな話をしてみよう…などなど。
“次のステージ”の一つとして、“1・12新春青年学習集会”を100名を集めて成功させよう!ということも確認されました。
そして、班・コースを代表して役員さんが、班・コースの状況や、HORIMARUセミナーをみんなで準備していることについての報告などがなされましたが、この一人ひとりの発言が、私にはワクワクする内容ばかりでした(会議を、自治会担当の運営委員がすすめてくれたこともあり、少し違った角度からみんなの意見を聞けました)。
総合コースの分散会討論の状況を報告した仲間は、「最初のうちは、みんなぎこちなくなかなか発言も少なかったが、今では、一つの意見にいろんな人が重ねて自分の意見を素直に出し合える関係がつくりだされてきています。緊張もほぐれてきました。」と。違う仲間も、「自分では考えもしなかったことを、感想をだしあうなかで、他の人の意見から新たな発見をすることも!」「学べば学ぶほど、わからないことも増えてくる」「学ぶと、団結、行動が大事ってことにつながってくる、そこが興味深い!」といった意見も。
講義学習に全体についても、「今まで知らなかったことにふれる機会になった。新鮮。」「みんな不満に感じているけど、声がだせていないのでは?」「ひどい歴史、現実などマイナス面なことを学ぶ一方で、これからどうしていくべきかといった展望が学べるということがいい!」「安保条約など今まで学校で習ってはいたけど、その内容を深く知らなかった。知らなかったことが多すぎる」という発言も。
総合コース2班では、総合コースの交流会の前に集まって、今までの講義で一番印象に残っているところをそれぞれ出し合った時に、「“搾取”で衝撃を受けた!」という声も。「知らないうちにされている」「もっと他の人にも知ってほしいという気持ちになった!」と。
HORIMARUセミナーを準備する中での経験交流では…「班のみんなで、それぞれみんなができる行動をしてみよう!ということで、自分なりのやり方で一人ひとりが動いています」「自分を労働学校に誘ってくれた人に言ってみたら、来てくれることに。」
『「率直に友だちを誘いづらい。ふだん“まじめな話”をしていないので、何て言っていいか難しい。くいつきがよくないし…。」って班で意見もでていたけど、みんなでそのことについても考えてみました』と。「余裕がないのかな?」「でもそういう人こそ来てほしいけど、言えなかった…」「誘いたい思いはあるけど、なかなか乗り越えることが難しい…」「なんで普段“まじめな話”ができないんだろう…」などなど、いろんなみんなの経験がだされたことは大切だと思います。しかも、実際に動くなかで、“壁”にもぶつかりながらも、それを乗り越えていこうとする仲間たちの姿に、ドキドキしています。
街宣の経験交流でも、「1回目はビラを配るだけ、でも2回目には自分から話せた!知らない人に声をかけられた!」といったことや、「街宣は緊張して、なかなか話ができないけど、班の仲間で横断幕をつくりました」など、搾取について“知ってほしい”“新しい仲間と一緒に学びたい”という思いが強く感じられる報告でした。
そして、それぞれの班・コースで10名を必ず集め、当日全体で50名のHORIMARUセミナーにしようという目標で準備をすすめています。現在、すべての班・コースで7名の申し込み、全体で35名の確認です。すべての班・コースでそれぞれがあと3名ずつ必ず集めて50名にしよう、みんなで準備しよう!ということも確認しあいました。
世界観コース、経済学コースでも、学習推進委員さんを中心にして、科学的社会主義の古典である「フォイエルバッハ論」「資本論」といった文献をいかにみんなで“深める”ことができるか(本そのものを理解するということだけでなく、そこから“今”私たち自身の問題と重ねて“深められるか”ということだと思います。)に挑戦していることが報告されました。
(改めた書きますが)本当に、受講生のみんなが学びの主人公になって137期の労働学校がつくりだされてきていることに、強く“感動”です!
そして、今、より私たちに求められているのは、“行動”することです。もっともっとみんなで動いて、その中で新たな教訓、そして新たな仲間が増える、それが、科学的社会主義を学ぶ意味だと思います。10/12/8(吉)
2010/12/9
■@GAKUTOMO NO.192
先日、友人が交通事故にあいました。ちょうど倒れているところに通りかかった私。その友人が京都に身内がいないことを知っていたので、運ばれた病院先に一緒に向かいました。
救急の待合室で治療を終えるのを待っていると、次々に救急患者が診察を受けに来ます。どうも急性アルコール中毒の患者が多いようです。ストレス社会で荒れた飲み方をしているのでしょうか?ハラスメントやいじめのたぐいもあるのでしょうか?とにかく複数人いるようでした。
別の患者で、腹痛らしき症状を訴えながら、手が麻痺して動かないと訴える女性がいました。「もう無理!先生呼んできて!」と母親らしき人に先生を呼びに行かせていました。
しかし、当直事務の人が「次の番ですので、待っていてください。」と一言いって去っていくだけでした。
しばらく、息づかいを荒めて、低いうめくような声を出しながら待ってはりましたが、次の波がきたのか、「もう無理!」と再び叫びだされました。
叫び声を聞き、ドクターらしき青年が診察室から顔を出し、「次ですので部屋に入ってください。」と言いました。
女性は動けないと訴えています。ドクターは「とにかく入ってください。」と言います。
女性は何とか立ち上がり、ゆっくりと診察室に入って行きました。
驚いたことは2つです。1つは、看護師が1人も、一度も顔を出さなかったということです。いないのか、忙しいのか、理解し難い状況でした。
もう1つは、動けないと訴えている患者に車椅子1つ持ってこず、手を貸すこともなく診察室に誘導したドクターです。私の常識ではこれまた理解し難いことでした。
医療の危機、看護の危機をよく聞きますが、現実はもっと深刻な状況が広がっているのではないでしょうか。そこで働く人々も犠牲になっているに違いありません。もっと事態を顕在化していく必要があると思いました。
追申、幸いに、友人は何ともないようでした。みなさんもバイクの運転には気を付けましょう。(書)11/12/8
2010/12/08
■@GAKUTOMO NO.191
職場へ行って話をすると、そして仕事(保育)をしているときも、自分がいかに「正解」を言おう、「正解」と言われるようにしようとしているかに気づきます。しかし社会のさまざまな現象をありのままに捉えての「正解」なんてそんな形のあるものではないのでは、とふといまさらながら思いました。
例えば・・・実際の職場で起こっている問題は職場ごとで、職種ごとで全く違う。長時間過密労働の労働者や非正規雇用の労働者ばかりで組合への組織が難しい職場もあれば、組合がユニオンショップでどのように労働者階級という意識をすべての労働者に自覚させることができるかで悩んでいる職場もあります。医療現場、福祉現場、製造現場、教育現場いろいろ・・・。問題は現場でいろいろな形で現れて労働者を苦しめている。そんななかで教科書的に「この講座はこうで、ここが重要で・・・」なんて話していても重要性、魅力は全く伝わらない。人間が働く現場では「正論」をいくら並べても相手の心には響いていきません。相手の実情をいかに把握してそこから問題意識と噛み合った押し出しができるか・・・「正解」の形なんてないんです。
子どもへも同じことが言えます。実際の子どもの姿を捉えずに「この年齢だからこのことができるはず」ということから考えて保育すると必ずつまらないものになってしまいます。そんなことで子どもは成長しないし楽しい1日は送れません。型にはめたらダメなんですね。
子どもが一列に並べたら安心、折り紙が折れたら安心・・・。本当に、科学的社会主義を学び実践してみると資本主義社会のなかでいかに「正解」することにがんじがらめになっていたかを実感します。成果主義が形を変えて私の思想も支配していたということでしょうか・・・労働者として、また保育士という仕事をしているうえでそのことに早く気付けて良かったし、もっと気付く仲間を増やさないとと焦ります。(麦)10/12/06
2010/12/07
■@GAKUTOMO NO.190
第17回集中セミナー「『疎外された労働』を読む」で、学習協で初めて学んだという仲間と休憩時間に少し話をしました。担当職場へ案内を届け、組合で議題にあげてくれたところ、「聞いてみたい」と受講した仲間です。
マルクスの文章にも初めて触れる仲間。この「疎外された労働」を学んで、何をどんな風に感じるのか聞いてみたい!とドキドキしながら話かけました。
「面白いです。」真っ直ぐ顔を向けて応えてくれました。「難しい・・・けど、面白いです。」と。私のドキドキは、一瞬にしてワクワクに変わりました。
正直、科学的社会主義を学んだことのない人が、「疎外された労働」なんて聞き慣れない言葉だけを聞いて、「聞いてみたい」なんて思わないだろう・・・と思う節があったので、なんで受けようと思ったのか、聞きました。
彼女は、映画などを観て“貧困”という問題に関心を持ったそうです。「社会のことを知ることはとても大事だと思う。でも、これまできちんと学ぶ機会がなかった」と言います。
労働学校に来て欲しい〜!!!と思いました。
「社会のことを知ることは大事だと思う。でも、知っても変わらないんじゃないか・・・って思ってしまう」とも言っていました。
労働学校に来て来て〜!!!と思いました。
社会は変わるし、変えられる。自分がその一人なんや!と、私自身、労働学校で学んで初めて自覚しました。「疎外された労働」の中でも、「人間は・・・意識している生命活動をもっている。」(岩波文庫「経済学・哲学草稿」95頁)と、“生き方”を意識的に考えることができるのが人間であり、人間はただ生きているんじゃなく、意識的に“生きている”ということを学びました。
「疎外された労働」の克服・・・人間らしさの回復・・・科学的社会主義を深く学ぶ仲間を増やしたい。そう強く思うセミナーでした。(蓮)2010/12/6
2010/12/06
■@GAKUTOMO NO.189
@GAKUTOMO NO.183を、運営委員の仲間と改めて読んで、さらにまた考えています。以前に@GAKUTOMO NO.153で書いたこととも重なってもくるんですが、その“瞬間”その“機
会”に学ぶってことの中で、今、自分が大切にしている学習姿勢(これが徹底して貫けていないところが弱点でもありますが…)を改めて考えてみました。
それは、学ぶってことが、当然、自分自身のために学ぶってことではあるんですが、自分が成長したら、それがまわりの仲間にも影響を与えるって思って学ぶことって大切だと思います。
今、自分が成長したら、自分の職場や身のまわりの人、組合の仲間、活動しているところの仲間たち、特に後輩たちには大きな意味で影響を与えるでしょう。当然、仲間からも影響を与えられることもあります。
そう思っていろんな課題に取り組めば、「あぁ〜もうここでいいわ…」って自分で限界を決めていたところも、一歩、たとえ半歩でも頑張って取り組めることってこともあったりします。
自分が成長するってどういうことかを考えていると、“自分”と“社会”の関係がまたみえてくるようで、ワクワクするところです。
という思いを込めて、@GAKUTOMOに挑戦しています。
って思いながらも、コツコツと徹底して積み上げていくことが、なかなかできない…まだまだ、まだまだ…です。(吉)10/12/2
◎まだまだ……を言い訳にしないで、どんどん理論書を読み倒して、周りの仲間への援助を高めよう。マルクスの愛≠ノついてのように。(む)
学習通信 20090623
2010/12/4
■@GAKUTOMO NO.188
少し前ですが、「しんぶん赤旗」(10/25)の学問文化欄に印象深い記事がありました。
昭和初期から戦後にかけて描く小説。その当時の風俗描写のために、史料分析など研究をしている作家さん。「古い新聞や雑誌、記録を調べて、人びとの喜びや悲しみを感じ取っていく作業が好きです。顔のない群集ではなく、一人ひとりの肉声を聞き取って理解したい。時代は一色ではないし、物事には多面性があり、人の数だけ物語がある・・・」と話されています。
不破さんがパンフ「マルクスは生きている」で言っていた「プロセス(諸過程)の複合体として、世界をとらえる」(15頁)ということに通じるなぁ〜と思いました。
当時の史料から見えてきた、人びとの暮らしを「戦争の足音が聞こえる中でも、花々を楽しみ、心の豊かさを求めて美術や音楽にあこがれ、とぼしい食料を工夫して食卓を飾り、ひたすらに子を思う親心も、言葉にはできない恋もありました」と語っています。「こんな人びとの暮らしが、じわじわと戦争に巻き込まれ」ていった・・・3年ほど前、山田洋次監督の「母べえ」を見た時の感覚を思い出しました。
その時代、その場所に存在する人々の、それぞれの生活はそれぞれで、色々な形がある。色々な感情がある。それぞれの生活の背景には、共通する社会の「流れ」。それが具体的な姿で現れるのは、人々の生活の中です。
今、青年の中に具体的に現れている「社会」の姿はどんな姿でしょうか。青年が集まり、社会のことを学ぶ意義は大きい。右の総合コースの感想を見る度に、確信は深まります。(蓮)2010/12/3
■@GAKUTOMO NO.187
労働学校に誘った保育士仲間と帰りがけに話しました。仲間の方から「ぼくは非正規雇用でいわゆる“年収200万円以下のワーキングプア”なんですね。こういう状況で子どもを保育していることはおかしいことなんですよね。何とかしないといけないと思うけど、目先のこと、自分の人生を考えてみると実際これから先も非正規だったら保育士続けられるかわかりませんね。」これまでになく話をしてくれました。中身も資本主義のなかで自分の置かれている状況への矛盾と不安の混ざった「本音」です。「目先のことの不安も確かにある。でもそれが何でそうなってくるかを見ることが人間を育てる保育士である私たちには必要やなぁ。」と言うと「そうなんですよねえ〜〜!!」と深くうなづく姿もこれまでの彼とは何だか違います。
職場の先輩に押されて学びに来た仲間。話しかけてもあまり反応が返って来なかった当初と比べて変わってきています。自分の仕事が子どもの成長に大きな影響を与える重要な仕事であるということ、その仕事をいまの社会は一部を非正規雇用にしてなるべくお金をかけないようにしようとしている現状、そして自分のあまりにも低い賃金がどこで決まっているかなどなど・・・社会と自分の状況を引き合わせて考えています。少し話を切り出すといろいろな角度から話がふくらんでいき話がつきません。学べば学ぶほど話したいことがでてくる、そんな学習による仲間の変化に嬉しくなりました。(麦)10/12/03
2010/12/3
■@GAKUTOMO NO.186
「ひどい状況の中にいると、希望なんてないと思いがち。でもそうじゃない。その状況の中にも、現実をのりこえる力があるということを、彼女の作品は伝えてくれます」・・・ケーテ・コルヴィッツの人生を舞台で描いた女性が、紹介されている記事がありました(「赤旗」10/11/27)。「載ってるよ」と教えてもらったのですが、またケーテに出会えた!という感じです。ケーテを知らなければ見過ごしていたであろう小さな小さな記事です。
その写真にもある、「種を粉に挽いてはならない」と題された絵・・・母親らしき女性の強い眼差し、頼もしい腕、子どもたちのすべてを全身でつつみこみ、「この人間の可能性(未来)を犠牲にさせるものか」とでもいうような「愛」が感じられます。その目線は外へ向いています。
ケーテの描いた底辺に生きる人びとの姿、様々な形で迫ってくる“死”に対する母親の姿、貧困の中の子どもの姿・・・どれを見ても、ケーテの「愛」が胸を打ちます。ひどい状況を乗り越えようとして懸命に生きる、人間の姿を描いています。戦争の時代は大変だったんだな〜というものではなく、今、わたしたちの目の前にもあるはずの、人間の姿を描いているから、胸をうつのだと思います。
今、私たちもケーテのように、職場や青年の中にある「ひどい状況」を、その中にある「現実を乗り越える力」への確信=「愛」をもって、その姿を捉えることが求められているんだなぁと思いました。職場や青年の中にこそ、その力はある。そこへの確信ですね。(蓮)2010/12/1
◎ケーテの愛=c…愛ではなく、愛でも、強さ、人間としてのいたたまれない、しかし、人間への愛しさゆえの激しさ、かみしめられた悲しみと怒り、そこからわきおこる強さ=A生きる日常の底に飼うことの出来る強靱=A裏切りをこえる連帯=A愛≠ナはなく強さ=Bそれを愛≠ニいうのかもしれない。(む)
ケーテ・コルヴィッツの画業
■@GAKUTOMO NO.185
職場の宿直アルバイトの学生と話をしました。まずは、彼がどのような生活を過ごしているのかを聞きいてみようと思いました。彼は言います。「最近は、何もしていないので資格を取ろうかと思っています。何かいい資格ないですか?」
「何になりたいの?」と聞いたのを皮切りに、そこからどんどん話が展開していきます。
「わかんないっす。けど、資格もないとやばいでしょ。いま、職ないっすよ。就職決まってるの40%でしょ。俺らクズです。社会のゴミです。俺ら『ゆとり』世代ですから。もうやばいですよ。この先30年は職ないでしょ。もう俺ら終わってる。クズですよ。クズ。社会のゴミだ。『ゆとりちゃん』って呼ばれるんですよ。民主党も自民党と同じでしょ。もう日本は終わってる。もう革命しかない。誰か革命起こしてくれ〜。」
彼は、まだ一回生です。一回生から就職のことを考えないといけないし、社会は変わらないと思っている、自己肯定感も持てないでいる、戦争待望論的な面も伺えました。こんなに教科書的な青年論が聞けるとは思いませんでした。いま、このような思いで大学生活を送っている青年がほとんどといってもよいと思います。
そして、これだけの思いの丈をはいてくれた青年に光り≠感じずにはおれません。これだけ悶々とした思いを抱いている青年が、日本が特別の異常であると知ったら、社会的病理の根源に何があるのかを知ったら、社会は変わるし、変わってきたと知ったら…。
きちんとアドバイスをしておきました。「むやみに資格を取るより、労働学校に来たほうがいいよ。」と。(書)10/12/1
2010/12/2
■@GAKUTOMO NO.184
総合コースの講義もあと7回となりました。どんどん受講生の学習が深まってきていることを感じる毎日です。
11月最後の講義は「知のESSCENCEV 科学とヒューマニズム」でした。終わったあとに感想用紙を集めてビックリ!いつになくたくさんの感想が書かれていました。
多かったのは、「講義を聞くまでは科学とヒューマニズムが一致するものだなんて思えなかった。」、「科学技術が発展しすぎたせいで色々な問題が起こっているのだと思っていた」。講義で、そもそも科学が何のために生まれ、発展してきたか、という歴史的事実を学ぶ中で、「科学技術の使い方に問題があった」のだと気付きます。
そのことが先週学んだ「知のESSCENCEU 真理とは」と重なったという受講生もいました。“認識内容が客観的実在と一致する”のを今日の講義で実感したということでしょう。そんな風に積み上がって深まっていきます。
各班での分散会が、班からの報告をすることによって全体会でみんなのものとなり、さらに深まります。全体会では「根本的責任は企業だが、それを許してきた国民にも責任があるなぁ」という意見に、みんながうなづきました。前回、日米安保条約の講義のときにも同じような感想が出ていました。私たちにも責任がある。評論家ではいけないのだと。だからこそ周りに知らせ、変えていかなければならない。HORIMARUセミナーに取り組む意義は大きい!全部つながっています。(蛍)2010/11/30
2010/12/01
■@GAKUTOMO NO.183
帰り道、立ち寄った本屋で考えこみました。つい1週間程前に来た時にあれほど“買いたい!”と思った本があったのに、タイトルやジャンルすら忘れてしまってました。その時の自分の関心事と重なっていたことは確かで、その関心事をより深めるものだったはずなのに…。
その“瞬間”、その“機会”を逃すと、せっかく“深められたり”“成長できたり”するチャンスを逃すこって、多々あります。“チャンス”ととらえることもできないこともありますが…。
“瞬間”、“機会”を大事にする!それができるか、できないかで、未来が大きく違ってくるのかもしれません。
運営委員の仲間が、ある本の注文をしました。私も持っている科学的社会主義を学習する上で基本となる本です。その仲間にとっても今までに読む“機会”はあったはずでしょうが、買うこともしてなかったようです。今、その仲間が読もうとしているので、この“機会”にその本を改めて読んでみると、いっぱい発見があるんです!この“機会”に感謝しています。
第17回集中セミナー“疎外された労働”が、12月5日に開催されます。京都学習協の集中セミナーで取り扱われるテーマは、毎年繰り返し開催されるものではなく、本当にその日に集中して学ぶ、その日限りのセミナーです。今、137期労働学校で学ぶ仲間にとって、労働学校で学習をしながら、このセミナーでより深めることができる“機会”だということを、本当に押し出さないと…運営委員をしている私の資質が問われています。
今、私は経済学コースを担当して、資本論を学習していますが、本当、この“機会”にしっかり学習できるかどうかは、私自身の問題です。
受講生であっても、運営委員であっても、労働学校に携わっている期間って、人生で本当に短い“瞬間”だと思います。その“瞬間”“機会”をどういかすかで、一人ひとりの未来が違ってくると思います…それを逃してきたものとして、コメントさせていただきました。(吉)10/11/29
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◎チャンスを生かす。
「課題はその解決の手段と同時に生じる」(マルクス『資本論』新書版@ p151)、眼前の課題に全力を尽くせいないのでは、チャンスは生きてこない。大概は、自分の過去の尺度でしか、チャンス、課題を理解できないのだ。だから「女神は……」。現在の生き方が問われている。おこがましいが、マルクスもエンゲルスも、そして不破さんも……私たちも、そうなのだ。
「……そのことを「幸せの時代」と呼ぶかどうかは、腹の据え方、考え方の問題(当事者の世界観 ─む)です」不破哲三「マルクスは生きている」パンフ p84 (む)
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私たちは世界観的確信を持とうということをよく言いますが、綱領路線という革命論の面で、世界観的な確信を持つためにも、マルクス、エンゲルスの革命論を深くつかむことはたいへん大事です。
ですから、こういう講座を開くことについて、以前から考えてはいたのですが、これをやるには、マルクス、エンゲルスの理論と活動についての、広範囲にわたる歴史的な研究が必要になりますから、なかなか手がつけられないできました。
そういうなかで、二〇〇六年五月から『月刊学習』で「古典への招待」という連載をはじめたのです(二〇〇九年三月に完結。単行本も全三巻で翌四月に完結)。マルクス、エンゲルスの代表的な文献を、時間的な順序で、二人の理論と活動の歴史をたどりながら解説する、という仕事です。私自身、マルクス、エンゲルスの諸文献を彼らの全生涯にわたって歴史的な順序で読む、という読み方をするのは、はじめてのことで、やってみるとなかなかたいへんな仕事になりました。しかし、この仕事に取り組むなかで、革命論の流れについても、自分自身があらためて俯(ふ)に落ちる思いをする箇所がずいぶんありました。それらの収穫もあって、今回のこの講座を準備する気持ちになったのでした。
(不破哲三著「マルクス・エンゲルス 革命論研究 上」新日本出版社 p18)
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「ルールある経済社会」とマルクス
次に、中国側が「社会的市場経済の発展モデル」と特徴づけたヨーロッパの問題です。
私たちは、ヨーロッパ経済の現状を「ルールある経済社会」という角度からとらえています。実は、中国との今回の理論交流にのぞむ前に、この経済社会の形成の歴史を研究する機会が二度ありました。
一つは、新日本婦人の会の高田公子さんたちに頼まれて、昨年(二〇〇八年)九月に、日本共産党新婦入内後援会の主催で、「社会進歩と女性」という講演をおこなったことです。その時、戦後の世界での男女差別撤廃の運動の前進、さらに男女平等が国際条約によって世界共通の社会的ルールになっていった過程を研究しました。そして、ヨーロッパが特別の先進的地位を占めていることに注目しました。その形成の歴史をさかのぼってゆくと、一九三〇年代の人民戦線の運動からロシア十月革命の影響に行き着きますし、さらにより根本的には『資本論』でのマルクスの資本主義分析にぶつかるのです。これは、私にとって、「ルールある経済社会」についての認識を深める大事な機会になりました。
もう一つは、その後、平凡社からの依頼で、『マルクスは生きている』という新書を執筆したことです(刊行は○九年五月)。今度は、歴史をさかのぼるのではなく、「ルールある経済社会」がどう形成されてきたかを、マルクスから出発してもう一度研究しなおしました。
こうしてヨーロッパの経済杜会を二度にわたって研究したところで中国との理論会談が開かれたのですから、ヨーロッパの問題も、かなり見通しよく見えるようになっていました。
ヨーロッパの現状を見るときには、『資本論』で展開しているマルクスの「労働日」論が非常に重要なのです。資本主義的搾取の横暴さ、残酷さがいちばん最初に出てくるのが、労働日(1日の労働時間)の延長でした。労働時間を増やせば、それ以上の倍率で剰余価値が増えるわけですから、資本は時間延長に熱中したのです。
イギリスの労働者たちは、この非人間的な資本の攻撃にたいし「半世紀にわたる」闘争をやりぬいて、一八四八〜五〇年についに十時間労働法を勝ち取りました、マルクスは、『資本論』のなかで、この闘争の経過とその意義を詳しく解明しました。そこに実は、今日の「ルールある経済社会」を分析する大事なカギがかくされているのです。
マルクスの「労働日」論には、分析の重要な角度がいくつも提供されています。
(不破哲三「激動の世界はどこに向かうのか」新日本出版社 p93-95)