学習通信090609
◎保育の仕事は人間を育てる仕事……

■━━━━

保育実践家
斎藤 公子さん
4月16日死去、88歳

「人間の土台」作る子育て法

 多くの保育者が共鳴する保育法は、長年の現場経験から生まれた。子育ての要点は木登り、ぞうきん掛け、そして両生類のように体をくねらせて進むハイハイ。すべて足の親指でける運動だ。

 足の親指や背骨を刺激する「リズム運動」を考案して発育を促し、子どもが描いた絵を見て発達の状態を見極めてきた。

 「生物が魚類、両生類を経て哺乳(ほにゅう)類に進化したように、個々の人間も一生のうちにこの過程を繰り返すのではないか」。実践の中で到達したのは、生物学者も提唱する一つの理論だった。

 健常児も障害児も隔てなく受け入れる保育法は「斎藤保育」と呼ばれ、1990年代に全国約90の保育園に広まった。

 保育者として脂の乗った40代から60代。地元埼玉県深谷市にあるさくら・さくらんぼ保育園の園長となり、朝から晩まで園児に寄り添った。事務室に自分の机を置かないことが自慢だった。

 晩年、助手を務めた山村周さん(37)は「子どもの心をすっとつかんでしまう不思議な力を持っていた」と振り返る。半面、理想の保育を追求し、自分にも他の保育者にも妥協を許さなかった。

 リズム運動は園児の動きに合わせるため、テープではなくピアノを使った伴奏にこだわった。紙おむつの使用は禁じ、手間がかかってもおしめを替えさせた。保護者の理解を得るため、何度でも話し合うことを求めた。

 手間と費用のかかる保育手法のため、脱落していく保育園もあったが、まいた種は日本の保育界に着実に根付いている。

 強く異を唱えてきたのは、昨今の乳幼児に対する早期教育ブームだ。「どんなに早く文字や知識を身に付けさせても、生きる意欲や情熱は育たない。私は人間の土台を作りたい」。信念は最後までぶれなかった。
(「京都」20090606)

■━━━━

 ルソーが打ちこんでくれた
 五〇歳のくさび

 筆者は、ルソーの『エミール』にこだわって三〇年、その間、ルソーの生き方に学び、筆者自身のその時々に、彼がくさびを打ちこんでくれたように思えてなりません。

 それほどに、筆者にとって、ルソーは、あの人のように生きていきたいと思える人なのです。ルソーが「子どもは偉大なる模倣者である」と説いたことからすれば筆者は、ルソーにとって子どもの位置にあるといえましょう。

 折しも、今年(一九九一年)は、筆者、五〇歳、その歳、ルソーは『エミール』を刊行し、弾圧をうけた歳であります。感概深いことしきりです。

 ルソーのように生きていきたいと思ったわが青春は、いまや白秋。

 身体のしんどさを目にしつづけている自分に、ルソーは問いかけてくれました。それでいいのかと。

 後述しますように、ルソーが亡くなった歳、六六歳、その時、彼は、その前年から書き始めた『孤独な散歩者の夢想』の冒頭で「こうしてわたしは地上でたったひとりになってしまった」と記しましたが、その後二〇〇年、いまや、真理、真実に生きる者、それは孤独なる存在ではありません。

 多くの仲間がおり、労働運動、つまり、労働者階級がわが未来を自らの手できり拓こうとする力が育ってきています。その運動の輪のなかに筆者は生きているのですから、しんどさ≠語ることは赦されないでしょう。

 センチメンタルな気持ちでルソーに惚れることは、ルソー自身がいまを生きていたら責めるでありましょう。団結しつつ、未来をきり拓く科学を創造しようとする人々の輪のなかにあって、私たちは生きていきたいものです。

 私ごとを語らせていただくことを赦してください。

 私の宝物
『エミール』に魅せられて、いや、ルソーに魅せられて、多くの人たちとともに、ルソーの文献を読みつづけてきました。その仲間は私の宝物のひとつです。

 大阪で『エミール』の読書会をつづけて今年二〇年目、一九九一年七月、二一四回の例会を迎えます。『エミール』を八年以上かけて読み終え、その後、『告白』を読み、『山からの手紙』を読み、いま、『孤独な散歩者の夢想』を読んでいます。

 もうひとつのグループがあります。それはいまから八年前に生まれた会で、一九九〇年一二月に『エミール』を読み終え、いま『告白』を読みすすんでいる会です。

 その会員の一人、田能さんは、よろこびて歌ふ≠ニいう歌を寄せてくれました。

よろこびて歌ふ
   田能 干世子

八年かけてルソーのエミールを読み了へぬ
この師 この友 おろそかならず

友の声にこころ澄みゆくおもしろさ
月に一度を待ち兼ており

ジュネーブに生れしルソーとふ稀れ人の
二百年後の我らを照らす

 彼女の年齢を知るよしもありませんが、恐らく、孫をもつ年齢であるように思います。

 老境にして、ルソーに魅せられ、読みつづける人たちがいること、そのこと自身は、真実に魅せられた人たちだと、私は確信いたします。

 ルソーの生涯は、近代の夜明けを告げた足跡でした。いま、筆者たちがルソーを忘れることができなくなっている事実は、彼のその後の足跡をうけ継ぐ人々たちが多くいるという事実に他なりません。筆者はこのことをよろこび、そのことこそが前述したように私の宝物なのです。
(秋葉英則著「子どもの発見 教育の誕生」清風堂書店 p17-20)

■━━━━

学習通信040515 ◎乗り越える力に自信を……。

■━━━━

○未来喪失の低年齢化

 ところで、「非行」は、いま、どんどん低年齢化していますね。これはなにを意味しているでしょうか。これまで述べてきたこととのつながりでいえば、それは、人生のきわめて早い時期から「未来喪失」ということがおきるようになっている、ということにほかならない、と思います。

 しばらく前、私は「自殺する子の増加」ということにふれて、つぎのように書きました──「自殺する子≠フ増加ということは、なにを物語っているか。現代社会は、もっともたっぷり未来をもっているはずの子どもからさえも、その未来をうばっているのだ」と(『新人生論ノート』新日本出版社)

 さらに、つぎのようにも。──「逆にいって、未来が見えすぎるといってもいい。墓石の下によこたわるまでの自分の全未来が、幼いころからありありと見えてしまう。それはそのために現在をがんばろうという気をおこさせるような、そんな未来なんかではない」

 ここでまた、山科さんのことばを引きましょう。

 「ホームルームが成立しない、討論のしかたがわからない、ものを決める──たとえば運動会の種目について──のに、昔はカンカンガクガクだったのに、いまは早く決めてよ≠ニいう。一人か二人の意見で討論なしにすぐ結論で、余った時間はあそびたいというわけです。与えられたものにこたえはするけれども、やらされ人間≠ノなっているのです。集団的思考、討論の能力が身についていない」

 「では、ぜんぜん要求はないのかというと決してそうではない。自分らしさを認めてほしいという要求は一面ではあります。ですから、非行≠フ子どもも、つきつめていくと私のいいとこはなんでしょうか≠ニいいます。そういう葛藤、自分を表現したいという葛藤があるわけです。それがゆがんだ形で出てくるんです。そこからは未来への展望は出てこない。自分は偏差値はいくら?∞進学高校はどのへんだ、その先は大体どういう大学へ入れる、そして就職してどのようになる≠ニいうように考える、そういう与えられたコースの計算はできます。そのコースの信憑性は疑問だとしても、です。しかし、自分で自分の道をきりひらく力はできてこない──」

 こういう状態がどんどん低年齢化していっている、ということだと思うのです。

○子どもたちの未来のために

 いま引いた山科さんのことばは、保育の仕事のなかで私たちが、幼児たちにたいしてなにを心がけなければならないかということについての、いろんなヒントをたくさんふくんでいると思います。どんなヒントを、どれだけそこからくみとってくるかはみなさんにまかせるとして、ここでは、さしあたり第4話で述べたこととの関連で、ただひとつのことだけを強調しておきたいと思います。それは、私たち保育者は、子どものもっとも身近にいる「人間仲間代表」であり、「内なる仲間」として子どものなかにとりこまれ、子どもの「心」そのものをかたちづくっていく役わりをはたす存在だ、ということに関するものです。

 もっとハッキリいってしまえば──子どもに未来を見失わせないためには、私たち自身が未来を見失ってはならない、ということ、精神的その日ぐらしにおちいっていてはならない、ということです。

 私たちが自分の未来を見失い、そのために人間としてダメになる──それが、自分だけですむことだったら、あるいはそれでもいいかもしれません。いや、ちっともよくはないんだけれども、さしあたり、それは自分だけの問題ですから。でも、それではすまないんですね。それは、子どもから未来をうばうことにつながってしまうのですから。それは、ひいては人類から、その未来をうばってしまうことにさえなる。──もちろん、ここで「私たち」といっているのは、たんに保母さん、保父さんたちだけのことではありません。子どもにとっての「保育者」とは、けっしてたんに保母さん、保父さんだけではなく、その両親だけでさえもなく、子どもをとりまく社会的文化的環境全体──その構成員としてのおたがい一人ひとりを意味するのですから。自分の子どものあるなしにかかわらず、子どもをとりまく人間仲間先輩は、自覚していようといまいと、すべて子どもの「内なる仲間」としてとりこまれていく「保育者」としての役わりをになっているわけなのですから。

○現代は「未来なき時代」か? 

 でも、現代という時代は──とくにここ数年はますます──見つめたくともなかなか未来が見えてこない、きにくい、という特徴があるみたいです。「不確実性の時代」なんてコトバもはやりましたね。視界ゼロ。そんな感じがたしかにあるみたいです。ただ灰色の荒野がひろがっているだけみたいな、そんな感じをもって生きている人も少なくないと思います。

 では、ほんとうに現代は「未来なき時代」なんだろうか、と考えるとき、私の心のなかにあざやかによみがえってくるのは、もう四十年もまえのある記憶です。

 四十年まえというと、まだ戦時中、私は中学生でしたけれども、中学校の国語の教科書(たしか岩波書店出版の教科書でした)で出あったひとつの文章。筆者は日本と関係の深いある外人。この話、私は別の場所(『新人生論ノート』)にも書いたことがあるんですが多分ラフカジオ・ハーンの文章だったと思って、しらべてみたんですが見あたらないのでもしかしたらチェンバレンだったかもしれない、と書いたところ、それを読んだ中学時代の友人からたよりがあって、あの文章、自分も印象深くおぼえているが、多分ラフカジオ・ハーンだった、といってきました。そこで私の本の後の版ではそのように改めたのですが、その後ハーンの著作集が並んでいるところにいきあわせて、片端からくってみたところ、やはり見あたらない。どなたか教えてくださる方があれば幸せですけれど。

 とにかく、その外人がはじめて日本にやってきて、はじめて富士山を見たときのことを書いた文章でした。なんでも、汽船に乗って夜明け方、駿河湾の沖にさしかかるんですね。そして、たしかこっちに富士山が見えるはずだと、船客一同、デッキに出てしきりに目をこらすんですが、なにも見えない。見えるのは、灰色のモヤだけ。すると、そのようすを見てた船員が叫ぶんです──「ああ、お客さん、そんなとこじゃない、もっとずっと上の方を見て!」と。そこで、ずっと上の方に目をあげて見るんだけれど、やはりなにも見えない。見えるのはあいもかわらぬ灰色のモヤだけ。すると、また船員が叫ぶんです──「ああ、お客さん、そんなとこでもない、もっと高く、もっと高く目をあげて!」と。そこで思いっきり高く、首の骨がガキッというほど高くふり仰いで見ると、思いもかけぬ高さのところに富士の頂が、そこだけはもう朝日の光をいっぱいあびて、雲の上にそびえたっているのが見える──。

 この「もっと高く、もっと高く目をあげて!」というところがじつに強烈な印象で、なにしろもう四十年も前の話、その後一度も読みかえしたことがありませんから、じつはいまお話したこと、かなりあやしい点がまじっているかもしれず、その後の私の問題意識でもって脚色しすぎていはしないかという不安がないわけではないんですけれども、そこのところだけはじつにあざやかにおぼえています。

 現代はともすればどうにも未来が見えてこない時代、ただ灰色の荒野がひろがっているだけの時代というふうに感じられてくる、そんな特徴をもってるみたいだけれど、もしかしたら、と私は思うのです──もしかしたら、それは、私たちの目があまりにも低く地べたにはいすぎているせいではないか。首うなだれていすぎるためではないのか、と。

 思いっきり高く頭をもたげて見れば、思いもかけぬ高さのところに富士の頂が──私たもの目がまだ黒いうち、私たちの胸からたしかな心臓の鼓動が消え去らぬうちに、私たちのたしかな足をその頂にきざむことのできる高い富士の頂が、もうそこだけは朝日の光を満身にあびて雲の上にそびえたっているのが見える──そして、気がついて見れば、それまで前途によこたわっているのはただはてしない荒野だけ、と見えていたのは、じつはその富士の裾野であった、ということがわかってくる──これが、私たちが生きている現代という時代の真の姿であるのではないか、と。

○保育者の任務と課題

 学習というのは、ともすれば地べたにはいがちになる私たちの目を、うなだれがちになる私たちの頭を、高くもたげさせて、その富土の頂を見せてくれるものだ、と私は思います。現在のなかに育ちつつある未来を見てとる力を与えるもの、それが学習だ、といってもいいでしょう。

 いまの時代は、子どもまでがいちはやく未来を見失ってしまいかねない、そんな傾向がますます強まっています。そんなとき、子どものもっとも身近な人間仲間代表としての私たちが未来喪失におちいっていたら、どうなるでしょう。重ねていえば、それは、子どもたちから未来をうばう手助けをすることになってしまう。これは、人類の未来をうばう仕事に加担する、ということでもあるわけです。

 だから、私たちは断じて未来を見失ってはならない──私たち自身のためにも、子どもたちのためにも。くりかえしそう思うんです。子どもたちが未来を見失いそうになったとき、子どもの心にとりこまれた内なる仲間としての私たちが、「もっと高く、もっと高く目をあげて!」というあの船員の叫びをあげることができなければいけない。子どもの左半球にも右半球にも、そういう船員の叫びを内なる仲間としておくりとどけられるようなそんな人間仲間代表であることが私たちに求められている、と思うんです。

 そのためには、勉強しなければなりませんね。社会について、生き方について、その他あらゆることについての勉強を。たんに知識を左半球につめこむというだけでなく、しっかりとした知性にうらづけられた真に人間らしい生き方を私たち自身のものにすることが──そのなかで人間的なハラの虫をやしなうことが、必要です。保育についての専門的・技術的知識を身につけ、そつなくそれをこなすというだけでは、保育者としての任務をはたすことにならない、と思うんです。なにしろ、保育の仕事は人間を育てる仕事なんですから。
(高田求著「未来をきりひらく保育観」ささらカルチャーブックス p152-159)

〓〓〓〓〓〓〓〓
◎「私たち保育者は、子どものもっとも身近にいる「人間仲間代表」であり、「内なる仲間」として子どものなかにとりこまれ、子どもの「心」そのものをかたちづくっていく役わりをはたす存在だ、ということに関するもの……もっとハッキリいってしまえば──子どもに未来を見失わせないためには、私たち自身が未来を見失ってはならない、ということ、精神的その日ぐらしにおちいっていてはならない、ということ」と。