学習通信090601
◎「友愛」は幻……

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《潮流》

「一人ひとりに居場所があり、愛ときずなのある社会」「他人の幸せを自分の幸せと思える社会」……

▼民主党の鳩山代表は、こんな「友愛社会」をきずくといいます。「友愛」。フランスを思い出す人も多いでしょう。たとえば、「フランス共和国は、自由・平等および友愛を原理とする」

▼いまから百六十一年前の、一八四八年憲法の前文です。「市民は、友愛の念をもって相互に援助する」とうたいます。さらに、国が貧困な市民の働き場所を設け、働けない人々を救う、と定めました

▼しかし、マルクスは手きびしい。「近代国家で、……なにかの形で窮民の扶助をしていない国家があるだろうか?」(『フランスにおける階級闘争』)。一八四八年憲法は、現代なら当たり前の労働者自身の権利をまだ認めていません。「友愛」の言葉に、十九世紀の残り香がつきまといます

▼「友愛」は、同じ年の二月革命の合言葉でした。資本家の勢力と労働者の共同で、共和制をつくった二月革命。その和解のしるしが「友愛」です。しかし資本家たちは、労働者の力をおそれ、彼らを権力からしめだし血の弾圧を加えます。「友愛」は幻でした

▼ところで鳩山民主党は、衆院の比例代表の定数を削りたい考えです。自民・民主以外の党を、国会からしめだします。しめだすのは、政党だけではありません。国民の過半数を占める、「消費税の増税は困る」「憲法九条をまもる」などの民意も、です。異論との対話さえ断ち切り、どこが「友愛」なのでしょう。
(「赤旗」20090531)

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 労働者は、ブルジョアジーと共同して、二月革命をおこなった。

彼らは、ブルジョアジーとならんで自分の利益を貫徹しようとした。

──ちょうど臨時政府そのもののうちにブルジョア的多数派と肩をならべて、一人の労働者〔アルベール〕を入閣させたと同じように。

労働を組織せよ!と。

けれども、賃労働、これこそ現にあるブルジョア的な労働の組織なのだ。

これがなければ、資本も、ブルジョアジーも、ブルジョア社会もない。

独立の労働省!と。

けれども、大蔵、商務、公共事業の諸省こそブルジョア的な労働省ではないか? そこで、それらのものとならんで存在するプロレタリア的な労働省というならば、それは無力の省、かなわぬ願いの省、つまり、リュクサンブール委員会となるほかはなかったのだ。

労働者は、ブルジョアジーとならんで自分を解放できると思っていたように、他のブルジョア諸国民とならんでフランス国家の壁のなかで、プロレタリア革命を完遂しうると考えていた。

だが、フランスの生産関係は、フランスの対外貿易によって、世界市場におけるフランスの地位と世界市場の法則によって、制約されている。

この生産関係を、フランスは、世界市場の専制君主であるイギリスにはねかえって打撃を与える全ヨーロッパ的な革命戦争をしないで、どうして打ち破れるだろうか?


 社会の革命的諸利益をその一身に集中している階級は、ひとたび立ち上がるや、直接自分自身の地位のうちに、自分の革命的活動の内容と材料を見いだす。

すなわち、敵を打ち倒し、闘争の必要によって命じられる処置をとる。

彼らの活動の帰結が彼らをさらにさきへと駆りたてる。彼らは自分自身の任務について理前的な探究などは試みない。フランスの労働者階級は、こういう立場にはなかった。彼らはまだ彼ら自身の革命を遂行する能力を欠いていた。

 産業プロレタリアートの発達は、一般に産業ブルジョアジーの発達によって制約されている。

産業ブルジョアジーの支配のもとで産業プロレタリアートは、はじめて、自己の革命を国民的革命へとたかめることのできる広大な国民的存在となり、はじめてみずから近代的生産手段をつくりだすが、この生産手段はそのままそれだけの数の彼らの革命的解放の手段となるのだ。

産業ブルジョアジーの支配がはじめて、封建社会の物質的な根をひきぬき、それのうえでのみプロレタリア革命をおこなうことのできる基盤をならすのである。フランスの工業は、大陸のその他の国々の工業よりも発達しており、フランスのブルジョアジーは、その他の国々のブルジョアジーよりも、より革命的に発達している。

ところが二月革命を見れば、それは直接には金融貴族に攻撃をむけたものではなかったか? この事実は、産業ブルジョアジーがフランスを支配していなかったことを証明したものである。

産業ブルジョアジーは、近代工業がすべての所有関係を自分自身に適合させて形成するところでのみ、支配することができ、そして工業は、それが世界市場を征服したところでのみ、このような力を得ることができる。

そのわけは、国境は工業の発展にとって不十分だからである。

ところが、フランスの工業は大部分、その国内市場をさえ、多かれ少なかれ修正された禁止的関税制度のおかげで、ようやく維持しえているにすぎない。

だからフランスのプロレタリアートは、革命の瞬間に、パリでは事実上の権力と影響力をもち、そのために彼らのもつ手段以上の行動に駆りたてられるにしても、フランスのその他の地方では、プロレタリアートは個々の分散する工業中心地に寄せ集められ、圧倒的多数の農民や小ブルジョアジーのあいだにまじって、ほとんどかげを没している。

その発達した近代的形態での、その跳躍点での対資本闘争、つまり産業ブルジョアジーにたいする産業賃金労働者の闘争は、フランスでは局部的な事実であって、それは二月事件のあとでは、次のようなわけで、いよいよもって革命の国民的内容となることはできなかった。

すなわち、金融貴族にたいする一般的蜂起のうちにはまだ、資本の付随的な搾取方法にたいする闘争、高利と抵当にたいする農民の闘争、卸売商人や銀行家や工場主にたいする小ブルジョアの闘争、一言でいえば破産にたいする闘争が、つつまれていたのだから。

パリのプロレタリアートが、自己の利益を、社会そのものの革命的利益として貫徹しようとしないで、それをブルジョア的利益とならんで貫徹しようとつとめたこと、彼らが三色旗にゆずって赤旗をひきおろしたことほど、もっともなことはない。

革命の進行によって、プロレタリアートとブルジョアジーの中間にいる国民大衆、つまり農民と小ブルジョアが、ブルジョア秩序に反対し、資本の支配に反対して立ち上がり、彼らが、その前術闘士であるプロレタリアに味方せざるをえなくなるまでは、フランスの労働者は一歩も前進することはできず、ブルジョア秩序を髪の毛一本ほどもそこなうことはできなかったのである。

六月の大敗北によってのみ労働者は、こうした勝利をあがなうことができた。

 リュクサンブール委員会という、パリの労働者のこの創造物には、一九世紀の革命の秘密を、すなわちプロレタリアートの解放ということを、ヨーロッパの演壇のうえから、もらし知らせたという功績がある。

『モニトゥール』は、これまで社会主義者のにせ経典的な著作のうちにうずもれていて、ただときどき遠い世界の、なかば恐ろしく、なかばこっけいな伝説としてブルジョアジーの耳をうっていたにすぎない「とりとめない空想」を公式に宣伝しなければならなくなったとき、赤面した。

ヨーロッパは不意をうたれて、そのブルジョア的なまどろみから飛びおきた。

すなわち、当時は、金融貴族とブルジョアジー一般とを混同していたプロレタリアの考えのなかでも、階級の存在そのものを否認するか、もしくはせいぜいそれは立憲君主制の結果であると考えていた共和主義的律義者の空想のなかでも、そしてまた、これまで支配権から除外されていたブルジョア分派の偽善的な常套文句のなかでも、ブルジョアジーの支配は共和制の実施と同時に廃止されたものと考えられていた。

当時、すべての王党派は共和派に変わり、パリのすべての百万長者は労働者に変わった。この空想上の階級関係の廃止に相応していた常套文句が友愛、つまり全般的な親睦と博愛であった。

階級対立のこのように気持のよい捨象、矛盾する階級利害のこうしたセンチメンタルな和解、階級闘争からのこうした夢想的な超越、すなわち友愛、これが二月革命の本来の合言葉であった。

階級は、たんなる誤解によって分裂したにすぎなかった。ラマルティーヌも。

二月二四日、臨時政府を、「異なった諸階級間に存在する、この恐ろしい誤解をなくす政府」と名づけた。パリのプロレタリアートは、こうした寛大な友愛の陶酔にふけっていたのである。
(マルクス「フランスにおける階級闘争」ME8巻選集第2巻 大月書店 p227-229)

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 六月事件以前に起草された最初の憲法草案は、プロレタリアートの革命的要求をまとめた最初の無器用な公式、労働の権利がまだあった。

これが、公けの扶助をうける権利に換えられてしまった。

だが近代国家で、なんらかの形で窮民を扶養しない国家があるだろうか? 労働の権利は、ブルジョア的な意味では一つの背理であり、みじめな、かなわぬ願いである。

しかし、この労働の権利のうしろには、資本にたいする強力があり、資本にたいする強力のうしろには、生産手段の取得、結合した労働者階級の支配下に生産手段をおくこと、すなわち賃労働と資本、およびこの両者の相互関係の廃止がある。

「労働の権利」のうしろには六月反乱があった。

憲法制定議会は、革命的プロレタリアートを、事実上法律の保護外においたのであるが、この議会は彼らの〔革命的プロレタリアートの〕公式を、原則上、法律中の法律である憲法から締め出さればならなかった。

つまり「労働の権利」に破門を宣告しなければならなかった。

だが議会はそれだけにとどまらなかった。プラトンがその共和国から詩人を追放したように、議会はその共和国から永久に──累進税を追放した。

ところで累進税は、大なり小なりの程度で、現存の生産諸関係の内部で実行できる、一つのブルジョア的措置であるばかりではない。それは、ブルジョア社会の中間層を「律義な」共和制にむすびつけ、国債を減らし、ブルジョアジーの反共和主義的多数派を抑制する唯一の手段であった。
(マルクス「フランスにおける階級闘争」ME8巻撰集第2巻 大月書店 p249-250)

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◎「異論との対話さえ断ち切り、どこが「友愛」なの」と。