学習通信090420
◎悪あがきは、人を輝かせる……

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《潮流》

日本の自然環境は箱庭的だという表現をどこかで読んだことがあります。国土は狭くても多様性に満ちているという意味です

▼その多様性の現在はどうなのか。動植物の絶滅危ぐ種が集中する地域を「絶滅のホットスポット」というそうです。国際NGOが数年前に熱帯を中心に三十四ヵ所を発表しました。意外にも日本列島全土がそれに含まれています

▼国立科学博物館(東京・上野公園)で興味深い展示をしています(「琉球の植物」展、五月十七日まで)。絶滅の恐れが高い国内の植物が集中する地域を立体的に表す日本列島の模型がありました。模型は、絶滅の危機にひんした二千種余の植物の分布密度を山の高さで表現したもの

▼山が高い場所が絶滅のホットスポットというわけです。国内の最高峰は小笠原諸島父島で、模型の山が際立って高い。針のようです。二十四平方`の島に八十種の絶滅危ぐ種がひしめき合っているからだといいます。琉球列島も同じように高い。一目で保全が優先的に必要な地域がわかる仕掛けです

▼同展で琉球列島の絶滅の危機にひんした、生きた植物も見ることができます。シソ科のヤエヤマスズコウジュは赤紫色の花がかれん。道路建設で数が減っていると解説にあります。他の植物もダム建設や海岸の開発による影響、園芸用の採取が多いと

▼自然の多様性は私たちの情緒にも関係があるでしょう。四十億年にわたる生命進化による生物の多様性と生物を保全する大切さを足元から見つめさせてくれます。
(「赤旗」20090414)
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外国人お断り

 雑誌を読んでいたら「差別国家ニッポン」というドキッとするようなタイトルが、目に入った。副タイトルには、こうあった。「『外国人お断り』国際化があぶり出す排外意識」「排外意識」って聞き慣れないことばだよね。私も知らなかった。「排外」を辞書で引いてみると、こういう説明がある。「外国人または外国の文物・思想を排斥すること」。これもなんだかむずかしくてわかりにくいけれど、要するに「外国の人やモノは、私たちの住むところから出て行って!」という気持ちのことだろう。

 え、おかしいじゃない、だって私たちはフランスのブランドものとかアメリカのロックバンドとか大好きじゃない。排外意識どころか、外国人や外国文化、大歓迎!っていう人のほうが多いんじゃないの。そう思う人もいるだろう。

 ところが、フランスやアメリカなどいわゆる欧米人やその国の文化には寛大な日本人も南米やロシア、アジアの人たちにはそうじゃない。私が住んでいたこともある北海道の小樽市では、大きな温泉浴場が「外国人お断り」の張り紙を出した。温泉側は、「漁船や貨物船でやってくるロシア人乗組員の入浴マナーがあまりにも悪くて、ほかのお客さんから苦情が続出したために仕方なくやった。外国人を差別する気はなかった」と言う。しかしマナーの悪い人ばかりではなく、家族で入浴に来たアメリカやドイツ出身の男性も「入場できません」と言われ、ついに裁判にまでなってしまった。そして札幌地方裁判所が温泉側の対応は「人種差別」だと認める判決を下し、賠償を命じたのだ(その後、札幌高裁で確定)。そのほかにも、外国から来ている人たちが、ガイジンだからアパートを貸しません、学校には入学させません、といった扱いを受ける例は、いくらでもあるそうだ。

 そういえば私の知人の外国人も、電車に乗るととなりの席があいていてもだれも座らない、と苦笑いしていた。「あそこの席、あいてるよ、どうする?」「ガイジンのとなりはイヤよ」と日本語で会話してるのが、日本語ペラペラの彼女にはぜんぶ、聞こえることもあるそうだ。

 きっとみんなみたいな若い人たちは、違うことばを話し、違う文化や考え方を持っている外国人が同じクラスや町にいたらいいだろうなあ、と思うだろう。違うからこそ楽しい。それは、とても自然な考えだ。ところが残念な話だけれど、日本の中にも「違うことはコワイ」「違うことはキケン」と思っている人がまだまだたくさんいるのだ。

 小樽では、外国人差別の裁判をきっかけに、ホテルや温泉では逆に「外国人、歓迎します」と日本語以外のパンフレットを置いたり、外国人の従業員を入れたりするようになった。もちろん、それでトラブルが起きたという話は聞いていない。違う人がたくさんいるから、楽しくておもしろい。みんなが早くそう思えるようになればいいな。

□外国人に会うと、話しにくい、気まずい、と思いますか
□海外旅行に行ったとしても、日本人どうしでいたほうが気楽だと思いますか
□あなたが外国で「この店は日本人お断りです」と言われたら、どう感じるでしょう
(香山リカ著「10代のうちの考えておくこと」岩波ジュニア新書 p122-124)

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 そして二六歳のとき、会社を設立。
 会社を作って最初の難関は、事務所の確保だった。朝鮮人で独身の女に事務所を貸してくれるところを探すのは、絶望的なことだった。かならず日本人の保証人を求められ、やっとのことで事務所を構えても、バブル期には契約更新をしてもらえないこともあった。やむなく顧問弁護士に保証人になってもらったら、「朝鮮人と弁護士のセットはもっとお断り」と門前払い。「ヤクザと朝鮮人は問題を起こすからねえ」と、面と向かって言われたこともあった。

 そんなこんなで、私が回った不動産屋の名刺を積み上げると、何センチにもなった。

 これは、もちろん、日本社会に一貫して流れている外国人差別、とくにアジア人に対する差別の現われ以外の何ものでもない。そしてこれは、許し難いことに、今でも大差はない。

 だから私は、いつかかならず銀座の一等地に事務所を構えようと決めた。朝鮮人で独身女でも銀座に事務所が持てるという実績を作りたかったのだ。そして、会社設立から一三年目にして、ついに念願の銀座に事務所を構えることができた。

 一〇年目を過ぎたころから、不動産屋の担当者の中に、「ぼく、以前にもあなたの依頼を受けましたよ」という人が何人も出てくるようになった。

 「あのとき、目の前で大家さんに断られているお客さまを見て、ああ、こんな理不尽なことが日本にもあるんだ、と思いました」

 そう言って、今度は必死になって探してくれる人もいた。

 悪あがきは、ふだんは無意識なごくふつうの人びとにも、不正義の存在を気づかせるのだ。

悪あがきは、周りの人たちを教育する

 この教訓を信じているからこそ、私は希望を捨てずに悪あがきを続けられるのだと思う。

 日本人ではないという理由で差別されたのは、もちろん事務所探しだけではなかった。事務機器などのリースも組めず、スーパーのお買い物カードも作れず、銀行からの融資も受けられない。現金が枯渇したら、会社は終わりだ。

 だから、日銭を稼ぐためにはなんでもした。DJ、司会、ナレーション、ウィンドウディスプレイ、引越しの手伝い、台本書き、ヘアメイク……。正月には、パソコン好きの子どもたち相手に、パソコンを神棚にいれて仮設された「パソコン神社」の神主になって、子どもたちのお願い事を聞くアルバイトなんてのもあった。

 とにかく、できることならなんでもして食いつないだ。

 零細企業の自社名では通らなかった提案が、大手教育会社の名前を借りたらあっさり通って、絶賛までされた。しかし、そうして受注できても、マージンを四〇%も支払わなくてはならず、赤字覚悟で仕事をこなした。

 ある大手通信会社の社長は、約束の時間に二時間も遅れて来たうえ、私が朝鮮人だと知ったとたん、目の前で私の名刺を投げ捨てた。

 看板もなく、学閥にも入れず、コネもネットワークもない。そんな不利な条件で日本社会で信頼を勝ち得るには、日本人の二倍、男の二倍、計四倍の努力をしなければ、競争のスタートラインにたどりつくことさえできない。

 それでも私は、日本社会の中に出ていこう、と思った。そうしなければ、いつまでたっても弱者を排除する抑圧システムから抜け出せないからだ。

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 そういえば、こんなこともあった。

 研修企画のコンペで、企画書は日本名で出してほしいという先方の要望を断ったら、コンペから外された。何日も徹夜をして仕上げた企画書が紙くずになった。

 朝鮮人の会社であるがために、あらゆることに他よりも高いハードルが設定される。そのしわ寄せは当然、社員にも行く。

 あるスタッフは、「どうして日本名で仕事をすることができないのか、なぜそんなことにこだわるのか」と、私の経営者としての資質を問うてきた。

 結局、その社員は去って行った。このスタッフが言いたいことは、痛いほどわかっていた。社員思いの社長でありたいとも思った。しかし、社員思いであろうとすれば、正義はとりあえず棚上げにしなくてはならない。私は、これこそ「内向きの善」の典型だと考えていた。だから私は、このスタッフが辞めていくのを、心を鬼にして見送った。

 その代わり私は、クライアントが「朝鮮人でもコンペに乗せなくては」と思わざるをえないような、質の高い仕事をしようと心がけた。

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 会社を設立して三年目のこと。ある博覧会で、企業パビリオンの運営を任された。金なし、人なし、時間なしの、あまりにもひどい条件なので、他に引き受けるところがなかったのだ。

 コンパニオンの面接試験では、クライアント企業の男性上司たちが自分の好みの女性にばかり丸をつけたのに対して、私は、仕事に取り組む意志があるかどうか、の一点のみを採点基準とすることに徹した。

 これまで他の仕事をうまくやってきたかどうかは、どうだっていい。あらゆることに失敗は付き物だからだ。技術的なことはいくらでも教えられる。やる気があるかどうかが、イベント成功の鍵だと考えたのだ。

 面接の結果、私が決めた採用メンバーを報告すると、すぐに呼び出されて、「お前、あんなにたくさんいたのに、どうしてこんな、チビ、デブ、ブスばかり採るんだ」と怒鳴られた。

 そこで私は、「お言葉ですが、チビというのは、何センチ以下のことですか? 背が高い低いは相対的なことでしょう? お客様の身長はみんな一緒なのですか? 仕事をする上で太っていることが問題ですか? ブスとはどこからどこまでを指していうのですか? あなたは自分の顔を見たことがありますか?」と言い返した。

 博覧会への出展というのは、企業にとって莫大な費用をかけた広報活動であるとともに営業活動でもある。企業イメージのアップと売り上げにつながらなくてはならない。本気で同業他社との競争に勝ち抜こうとするなら、博覧会という短期間勝負の場で、お客さんに好印象をもってもらうには、どのような人材を採用すればよいか、その答えは簡単に出るはずなのだ。

 私の人選で採用されたコンパニオンたちは、抜群にユニークだった。年齢は一八歳から七二歳まで。学歴も中卒から大学院卒まで。未婚に既婚に子どもあり。これ以上ないほど多種多様になった。身長も一五〇センチから一七二センチまでと、体格もいろいろ。スタイリストが飛んできて、「なにを着せればいいのですか?」と慌てていた。

 結局、予算の都合でお揃いのユニフォームは一着しか作れず、残った生地は各自に支給した。これをそれぞれが思い思いのスタイルに加工して、個性あふれるユニフォームにした。正確に言うと「統一された様式」(ユニフォーム)ではないのだが、とにかく、そのユニフォームで会場を沸かすファッションショーをこなした。

 語学を学ばせるような時間も予算もないため、研修期間中、各国語の放送を流し続けた音で何語かが判断できるようになれば、あとはパフォーマンスを教え、想定されるQ&Aのマンガを持たせるだけ。外国からのお客さんへの対応は、これでほぼ問題なかった。

 さらに、コンパニオンが一方的に説明をするのではなく、お客さんから話を聞く、一緒に話すという形をとり、スタンバイポーズもやめさせた。

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 子どものいるコンパニオンは、子連れのお客さんにとくに人気が高かった。多様な人材が多様な客層と見事に一致して、博覧会の全入場者の三〇%以上が来館してくれた。他のパビリオンより給料は安く、仕事は倍だったにもかかわらず、期間中だれ一人として辞めることもなかった。しかも一円もかけずに一〇〇本以上のイベントをこなした。マスコミの取材率もトップだった。

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 スタッフをとことんまで信頼して、「何でもやってみよう、お金はないけれど」を口癖に、やる気さえあれば何とか形になる、という思いだけを伝え続けた。彼女たちはそれに応えて、嬉々として取り組んでくれた。

 金がないなら、知恵を使う。体を使う。そして無から有を生んでみせる。

 パビリオン入場時の混雑で長い行列ができたときなど、他のパビリオンのように、「ここから先は〇〇分待ち」というプラカードを持って並ばせるだけのようなことはしなかった。彼女たちは列の中に飛び込み、「あんたぁどっからきとぉ? あんたはぁ?」と聞きながら、そこに並んでいる人同士で会話ができる空間を作ったり、パビリオン会場にある植物に水をあげるときにうっすらと虹ができることを知ると、傘を持って虹を見るイベントにしてしまったり、お客さんと一緒にバンブーダンスを踊ったり……。

 彼女たちにとって、すべてがわくわくする体験の連続だったのだ。

 「ブスばかり採用して」とぶつぶつ言っていた上司は、閉会時には「どこにこんなきれいな子がいたんだ? 最初からいたか?」と目をぱちくりさせていた。自分の意志で動く人が美しいのは当たり前だ。

 あるコンパニオンは、「一人じゃない。自分があきらめたら悲しむ人(同僚)がいるんだと思ったら、やめられなかった。そして、やってみたらが形になって、お客さんが喜んでくれて、やればできるんだと思った」と語った。

 ないないづくしの中でも、あきらめてじっとするのではなく、とにかくなんでもやってみる、あがいてみる。そうしているうちに、小さなことではあっても、一つひとつ形になる。そして、気がついたら、ものすごい結果が残される。その事実は、彼女たちの生き方や人との関わり方を大きく変えることになった。

 これを機に、私の会社も、男女雇用機会均等法をベースに生産性を上げた研修屋として業界で認知されるようになった。

 根拠のない、なれ合いだけの慣例を優先せずに、本来の目的に照らして真っ当だと思えることに集中し、それをしつこく果敢に実行する。「開かれた道理」のための悪あがきとは、平たく言うと、こういうことだ。そうすれば、その人の個性がいかんなく発揮される。

悪あがきは、人を輝かせる

(辛淑玉著「悪あがきのすすめ」岩波新書 p30-39)

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 きっとみんなみたいな若い人たちは、違うことばを話し、違う文化や考え方を持っている外国人が同じクラスや町にいたらいいだろうなあ、と思うだろう。違うからこそ楽しい。それは、とても自然な考えだ。ところが残念な話だけれど、日本の中にも「違うことはコワイ」「違うことはキケン」と思っている人がまだまだたくさんいるのだ。