学習通信090226
◎循環小数……
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《潮流》
青年劇場が、「博士の愛した数式」を東京で上演中です。公演後、みた人や俳優さんが、居酒屋で数式談議をくりひろげました
▼「博土の愛した数式」は、小説、映画でも人気が高い。母子家庭の母が、事故のせいで八十分しか記憶がもたない数学者の博土の家で、家政婦として働き出す。小学生の息子もすっかり博土の友だちに
▼博土の義姉である未亡人は、突然、母を解雇する。息子が遊びに来るのも許さない。博土は未亡人に、そっと紙切れを渡す。そこに「eπi十1=O」。オイラーの等式だ。さっと態度を改める未亡人
▼さて、なぜ一変したのかをめぐり、わいわいがやがや。たとえば、「宝石のように美しい等式だ≠ニいっていたけど、eやπ集集まり単純なOに。いろんな間がともに生きる美しさになるの?」
▼残念ながら、式そのものを解説できる人いませんでした。息子を演た蒔田祐子さんは、学校公での体験を。「ある生徒がうには、″い(e)つぱい(宣)愛(I)があるんだね」。ところで、小林多喜二は、「『下女』と『循環小数』」という短い文を残しています
▼「四を三で割ると、一、三三三…」。この循環小数をせっせと続ける根気のある人は、社会改造家になり得るし、きっと「下女」を侮蔑しないだろう。毎日同じ仕事をくり返す彼女のことを理解しているから……数字をヒントに、社会変革の事業に求められるねばり強さを思い、庶民にやさしいまなざしを向けた多喜二。きょう命日です。
(「赤旗」20090220)
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「下女」と「循環小数」
「世界意識」という神聖な病気がある。
彼はあるカフェーでビフテキーを食うとする。その瞬間、然し彼は寒空に飢えている人を思う。だから彼はそのビフテキーをソッ卜側の塵箱に投げなければならない。彼は笑うと思う。然し笑えない多くの人の存在が、彼の顔を引きゆがめてしまう。彼は日向を歩いてゆく……しかし日の光を一日も見ず土の底にうごめいている多くのものを考える。彼は日陰を歩まなければならない。
──若しも人達がこの彼の態度を笑うか?
ビフテキを塵箱に捨てるのをよして彼が食べたら、その佳美な味を味うた「幸福者」が世界に一人だけ殖えた筈だ。彼が若し笑ったら、世の中に心から笑えた人が一人だけ多くなったわけだ。そして彼が日の光の中を朗かに闊歩したら、それだけ世界が明るくされてあった筈だ。(これこそ彼が望んでいた事であったのだのに!)──そこで彼は嘲笑われるのか?
然し彼がこんな事を皆んな知っていたとしたら?(知っているのだ)
四を三で割ると一、三三三……となる。この循環小数を人はいくら迄続けてゆく根気があるであろう。これを一生涯せっせとつゞけ得るものがあったら、その人こそ社会改造家であり得る人である。そしてその人はキット下女を侮蔑しないであろう。何故なら下女は、今朝すっかり家の中を掃除しても、又次の朝掃除しなければならない事を知って居り、恐らく一生涯その事を「平気」で続けることをも理解しているからである。(自分はこのことをシーリヤスな気持で云うのだ)。
「資本主義的社会は一つの歴史過程である。だからこれが円熟すれば、それ自身が崩壊することに依って次の過程に入って行く」とマルクスが云った。そしてこれは人間の「意志」では如何ともすることが出来ない、と唯物史観の原理を押したてた。然し我可愛いマルクスは「共産党宣言」の最後でこう云った──「万国の労働者よ団結せよ!」だから可愛い。
彼等にして光栄の日を信じ得る者は幸福である。而して光栄の日を信じ得ないものは利口である。「下女」「循環小数」……。
腹が減った時にある事を感じる、腹が一杯の時にその同じことに対して或る事を感じる、この二つの感じの内容は同じものだろうか? 寝不足の朝のときの感ずる気持、寝足りた後で感ずる気持、これはどうだろう。──然し、と云ってプロレタリアが待ち望んでいた革命が来、社会組織の変改が行われると、彼等もブルジョワらしい気持に変って行くのではないか、と云う意味ではない──。然し考えて見たらどうだろう、第四階級の解放は何も彼等をブルジョワのレヴェルにまで高めるためのものでない、と云っている人達もいる事だから!
然し人が幸福になるにはどうすればいゝんだろう、この事が考えられる。これだけが!
(小林多喜二全集 第九巻 p25-26)
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オイラーの公式
数学、特に複素解析におけるオイラーの公式(オイラーのこうしき、Euler's formula、オイラーの恒等式とも)とは、指数関数と三角関数の間に成り立つ等式
オイラーの公式の幾何的な表示をいう。ここに、θ は幾何学的には弧度法に従う角と見なされる実変数である。三角関数を複素変数に関する解析的関数と考えることで、この等式は θ を複素変数と見ても成立している。レオンハルト・オイラーに帰せられるためこの名がある。この公式ははじめ、ロジャー・コーツ によって1714年に提出されたが、その証明は曖昧なものだった。その後オイラーによって1748年に再発見され、有名になった。
この公式は複素解析をはじめとする純粋数学の様々な分野や、電気工学・物理学などであらわれる微分方程式の解析において重要な役割を演じる。物理学者のリチャード・ファインマンはこの公式を評して「宝石」かつ「数学においてもっとも特筆すべき公式」[1]だと述べている。
また、θ = π のとき、オイラーの等式と呼ばれる
eiπ + 1 = 0
が導かれる。この式は、全く起源の異なる重要な定数である円周率 π と自然対数の底 e が、極めて基本的な数、0(加法の単位元), 1(乗法の単位元) および虚数単位 i によって結びついているという意味で特異なものである。
eiπ = ? 1
の形でのべられる場合もある。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
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◎「社会変革の事業に求められるねばり強さ」と。