学習通信090202
◎農業が自然破壊……
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ところでなぜ田畑は肥料を必要とするのだろうか。
植物はごくふつうには、放っておいても四季の移ろいの通り、花を咲かせたり草を繁茂させたりする。これは、草木が枯れて死ぬと自らの体が土に還り養分になるからである。そしてまた次の種がその養分を吸収して育つ。その繰り返しはつまり差し引きゼロで、何も失われることはない。しかしここからその植物を取り去り、持っていってしまってもう戻さないとどうなるか。戻るべきものが戻らないなら、土から何がしかが奪われることになる。その取り去る量が大量であれば、土は非常に多くの成分を失い、力を失くしてゆき、ついに植物は土から養分を吸って育つことができなくなる。
この、「大量に持ち去る行為」が農業なのだ。農業が自然破壊の最初のものだと言われる理由はここにある。
しかも人間は、その同じ土でさらに植物を育てようとする。育てるためには、必須成分である窒素、リン、カリウム、カルシウム、マグネシウム、硫黄、鉄、マンガン、亜鉛、ホウ素、銅、モリブデン、塩素を補充しなければならない。植物は死ぬと自分の体を土に分解する。しかしそこから持ち出してしまえば、分解されるはずの植物の屍は残らない。必要な養分を補って少しでももと通りにするには、刈り取って外から持ってきた植物を補充すればよい、ということになる。それが苅敷である。しかしそれさえもなくなれば、別のものを持ってきてバランスを保たなければならない。それが、植物を一度体内に入れて排泄した屎尿であり、干鰯やニシンなどの魚や、油かすなのである。
(田中優子著「カムイ伝講義」小学館 p98-99)
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月曜インタビュー
植物遺伝学者
イネの起源を求めて25年
フィールドワークの楽しみ
コメの栽培はいつ、どこで、どう広まったか−植物遺伝学が専門の佐藤洋一郎さん(総合地球環境学研究所教授)のテーマです。近著『イネの歴史』(京都大学学術出版会)では、日本のイネの発生地はどこか、その起源を求めた二十五年近くの調査と思考の旅を、一般向けにまとめました。
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「生物としてのイネの側面を全体としてまとめました。異なる祖先をもつと推定されるジャポニカとインディカの誕生と伝播(でんぱ)の追跡、イネはいつ日本列島に渡ったか、品種改良は、などについて書きました。インド・中国・東南アジアに原生する野生種と栽培種とを比較するために現地を踏査する楽しみ、考古学者との共同研究のことも取り入れ、あまり固くならないようにしています」
イネの渡来は
繩文中・後期
本書では、畦(あぜ)や潅漑(かんがい)水路を伴う水田がないから、「縄文時代の稲作はなかった」という論考にたいし、「誤解がある」と批判し、改めて、縄文時代中期ないし後期にイネが日本列島に来たことの根拠を示しています。
「縄文時代の遺跡から出土するプラントオパール(イネの葉に固まったケイ酸の塊)の存在、それは縄文土器の胎土(たいど)からも検出されています。熊本県の縄文遺跡出土の土器胎土からコクゾウムシと思われる昆虫遺体が発見されている。こうしたデータ、研究成果を見ないで『稲作は弥生時代から』というのでは説得できない」
弥生時代のイメージとして、「稲作がいっぺんに全体に広がり『全面が水田風景』だったというのは疑問です。中世末ころまでは稲作文化以外、多様な土地利用があった。焼き畑耕作がおこなわれ、休耕田もあちこちにあったのではないか」と佐藤さんはいいます。
中国長江中・
下流が起源説
佐藤さんらが、イネの「アッサム・雲南説」を否定し、日本のイネ(ジャポニカ)の発生地を、中国の長江の中流・下流地方だという説を発表したのは十八年前。遺跡の発掘、炭化米の分析という考古学と遺伝子学の成果の上でした。
「その後の研究でも長江説はより有力になっていると考えます。近年に、インドネシア起源説が『ネイチャー』誌に出たので、遺跡の年代から考えて違うと反論を書きました。スマトラとボルネオの間の浅い海がある一帯に古い農耕起源があった可能性はありますが、イネではなくサトイモではないか。もう一つ、ペルシャ湾岸(いわゆる「エデンの園」)にもう一つの農耕の起源があった可能性もあります。農耕起源、イネの拡大の道をたどるのは楽しい研究でしょうね」
農耕が環境を
破壊する歴史
静岡大学農学部から移籍した佐藤さんが所属する大学共同利用機関法人「総合地球環境学研究所」(京都市)。二〇〇一年の創設以来、全体が研究プロジェクトで構成されています。佐藤プロジェクトのテーマは、「農耕が地球環境を破壊するとき」。農耕がときとして環境を破壊することを、遺伝的な多様性をキーワードにして、ユーラシアの三つの地域で検証し「一万年の関係史」を描くことです。
「農耕という人間の行為が周辺環境・風土をどう変えてきたか、いまの砂漠地帯にも三千年前には緑豊かな農業がありました。ムギ圈、モンスーン圏の考察もしています。人間と自然のあるべき関係はどうあるべきか、バランスのとれた農業のあり方にも今後発言していきたい」
著書では、現地を訪ねて確認するフィールドワークのやり方が、いまや「絶滅危惧種」と表現しています。
「中国、東南アジアなどの環境、イネの自生地、焼畑耕作などが急速に失われている。若い研究者の一部には、現地での考察をあまりせずに短い論文を量産する傾向があってその危険さを指摘したことがあります。十一、十二月のイネの収穫時の光景が素晴らしい。時間を見つけて今も海外に行っています」(澤田勝雄)
(「赤旗」20090202)
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ドナウ諸侯国のレグルマン・オルガニクが剰余労働にたいする渇望の積極的表現であり、その各条項がそれを合法化したものであるとすれば、イギリスの工場諸法は同じ渇望の消極的表現である。これらの法律は、国家の名によって──しかも資本家と地主との支配する国家の側から──労働日を強制的に制限することにより、労働力を無制限にしぼり取ろうとする資本家の熱望を取り締まる。
日々ますます威嚇的にふくれ上がる労働運動を度外視すれば、この工場労働の制限は、イギリスの畑地にグアノ(※)を注ぎ込んだのと同じ必然性によって余儀なく行なわれたのである。
この同じ盲目的な略奪欲が、一方の場合に土地を疲弊させ、他方の場合には国民の生命力の根源をすでに襲っていた。ここでは、周期的な流行病が、ドイツおよびフランスにおける兵士の身長低下(46)と同じように、そのことを明瞭に語ったのである。
(46)「一般的には、有機体がその種の平均的大きさを超えることは、ある一定の限界内では、その有機体の繁栄を証明する。〔……〕人間については、自然的事情によるにせよ社会的事情によるにせよ、その繁栄がさまたげられるときは、その身長が低下する。〔……〕徴兵制がしかれているすべてのヨーロッパ諸国では、その実施以来、成年男子たちの平均身長が、また全体的に見て彼らの兵役適格性が低下した。
革命(一七八九年)以前には、フランスでの歩兵の合格最低限は一六五センチメートルであった。一八一八年には(三月一〇日の法律では)一五七センチメートル、一八三二年三月二一日の法律によれば一五六センチメートルであった。
フランスでは、平均して、半数以上が身長の不足および身体的欠陥のために不合格となった。
ザクセンでは徴兵の合格身長は一七八〇年には一七八センチメートルであったが、いまでは一五五センチメートルである。
プロイセンでは、それは一五七センチメートルである。一八六二年五月九日付の『バイエルン新聞』におけるマイアー博士の報告によれば、九年間の平均で、プロイセンでは一〇〇〇人の徴募兵のうち七一六人が兵役に不適格──三一七人は身長不足のため、三九九人は身体的欠陥のため──であることが判明した……ベルリンは、一八五八年に補充兵の応召兵員を提供することができず、一五六人が不足であった」(J・V・リービヒ『化学の農業および生理学への応用』、一八六二年、第七版、第一巻、一一七、一一八ページ)。
*〔南米西海岸、とくにペルー沿岸の島に産する海鳥の化石糞で、一八四〇年以後、とくに五〇年代以後、肥料として大量にヨーロッパに輸入された〕
(マルクス著「資本論A」新日本新書 p406-407)
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グアノ guano
鳥糞(ちょうふん)石ともいう。おもに海中の島に生息する海鳥の排泄(はいせつ)物の堆積(たいせき)固化によって生成されたもの。主としてカルシウム、マグネシウム、ナトリウム、カリウムなどの含水リン酸塩鉱物を主とし、石灰質の堆積物からなる島の場合によく発達し、堆積した排泄物の基盤の岩質によっては、アルミニウムや鉄が加わることもある。構成鉱物の多くは弱酸に可溶で、水にも少量は溶解するため、リン酸肥料として用いられることが多い。
グアノは、鉱床として開発される規模のものは海鳥の排泄物に由来するが、洞窟(どうくつ)内堆積物としてコウモリの排泄物や遺骸(いがい)などから導かれる、バットグアノbat guanoもある。前者の産地としては、ペルー、南アフリカ共和国などが有名であり、後者の例としてはオーストラリア西部のものが詳しく研究されている。グアノの語源は、インカのケチュア人のことばクアヌkuanu(糞、肥料)に由来する。〈加藤 昭〉
肥料
(1)窒素質グアノと(2)リン酸質グアノの2種類がある。
(1)は降雨量の少ない乾燥地でできたもので、古くからペルー・グアノの名で親しまれてきた有機質肥料であるが、近年ペルー産の入手は困難である。窒素13〜16%、リン酸8〜11%、カリ1.6〜2.5%を含み、施用にあたっては土壌と混和させる。
(2)は降雨量の多い高温地帯でできたもので、窒素は大部分雨で流出し、リン酸も難溶性のため販売肥料としては認められていない。〈小山雄生〉
(C)小学館
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◎「威嚇的にふくれ上がる労働運動を度外視すれば、この工場労働の制限は、イギリスの畑地にグアノ(※)を注ぎ込んだのと同じ必然性によって余儀なく行なわれたのである」と。