学習通信081024
◎どこかのみじめな手工業者だ……

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労働組合専従職員はどんな傾向に陥りやすいか

 最近一五年間の、とくに一八九五年から一九○○年にかけての経済的好況期のドイツにおける労働組合運動のたくましい成長の結果、多くの労働組合がおのずから独立し、組合の闘争方法や指導方式が専門化したほか、正規の労働組合専役職員層が出現するにいたった。

これらすべての現象は、労働組合の一五年間の成長からみて、無理のない、きわめて当然の結果であり、ドイツにおける経済の繁栄と政治の停滞から生じた結果であった。

これら──なかでもとくに労働組合専従職員層の出現──は、もちろん歴史的な必要悪にちがいない。

しかしながら、発展の弁証法によれば、労働組合の成長に必要なこの促進手段も、やがって組織が一定の大きさに達し、諸条件が一定の成熟段階に達すると、その後の成長を阻害するような正反対のものに、変質してしまうのである。

 労働組合職員は、組合幹部としての活動が専門職業化し、平穏な時代の分散した経済闘争のなかで、当然、視野も狭くなり、官僚主義におちいりやすく融通のきかない考え方をしがちである。

そして、ここから労働組合運動そのものの将来にとって、きわめて重大な意味をもつ一連の傾向が生じてくる。

なかでも組織の過大評価という傾向を見逃すことはできない。

組織は、がんらい目的のための手段であったにもかかわらず、しだいに自己目的化して、ついには闘争の利害をもそれに従属させてしまうような至高の存在と化すのである。

この点から考えれば、大規模な大衆行動は、労働組合の存続に大きな危険があるとか、自言がもてないとか言って、すぐに尻込みしてしまう、いわゆることなかれ主義が公然と承認され、さらに労働組合の現在の闘争方法とその見通しや成果が過大に評価されていることも、容易に説明がつく。

労働組合幹部は、賃金値上げであれ労働時問短縮であれ、どんなにわずかな成果でも高い価値のあることを、労働者大衆に納得させる義務があり、たえず経済的局地戦に神経をすりへらしているうちに、かれら白身、しだいに全休の大きな連関と全状勢についての展望をうしなうことになるのである。

たとえばドイツの労働組合指導者が、いかにも満足そうに、最近一五年間の成果として、総計数百マルクにのぼる賃金値上げに成功したことをひきあいに出しながら、同じメダルの裏面については一言も触れようとしないのも、このためとしか考えられない。

メダルの裏面とは、パンの暴利とか、税金ならびに関税諸政策、あるいは地価の暴騰──これは、家賃を法外な値につりあげた──などのために、この同じ時期にプロレタリアートの生活内容がおそろしく低下している、という事実である。

要するに、こうしたブルジヨア政治の趨勢を客観的にとらえるならば、一五年間の労働組合闘争の成果など、大部分は泡沫(ほうまつ)に帰してしまうだろう。

社会民主主義は、真実の全休をとらえるものであって当面の活動とその絶対的必要性を強調すると同時に、この活動の批判と限界をも重要視しなければならない。

ところが、労働組合は、この真実の半分しか見ようとせず、全体のなかから日常活動の積極面だけをとりあげて、のこりは適当に切り捨ててしまうのである。

労働組合闘争のまえに厳然にひかれているブルジア社会秩序の限界の、こうした黙殺は、結局、この限界を労働運動の最終目標と関連させてはっきり指摘するすべての理論的批判にたいする直接の敵対関係に変わってゆく。

そして、無条件の追従と底抜けのオプティミズム(楽天主義)が「労働組合運動の側に立つ」すべての人間の義務になるのである。

社会民主主義の立場としては、しかし、無批判な組合主義的オプティミズムにたいしては、無批判な議会主義的オプティミズムにたいすると同様、徹底的に抗争するほかはない。

ところがこうなると、いよい社会民主主義理論そのものを敵とする戦線が結成され組合職員たちは、かれらの要求とかれらの見解にぴったり適合するような「あたらしい理論」つまり、社会民主主義の教理に対抗して資本主義の制度に根をおろしたかれらの労働組合闘争に、経済的向上の無際限な展望をひらいてくれるような理論を手さぐりで求めはじめるのである。

この種の理論は、かなり以前からすでに存在している。ドイツの労働組合と社会民主党のあいだに楔を打ちこみ、労働組合をブルジョアジーの側にひきよせようとする明白な意図をもって立てられた、ゾンバルト教授の理論がそうである。

 労働組合指導者の大衆にたいする関係の急激な変化──これもゾンバルト理論にしたがったものといえよう──は、指導者の一部に見られる理論転換ときわめて密接に関連している。

これまで純粋な理想主義から労働組合のなかで党地方委員会自体によっておこなわれていた仲間同志の無償のアジテーションにかわって、たいていは外部から送りこまれてきた組合職員による、規則一点ばりの事務的な指導がはじまった。

運動の糸が専従職員の手に集められることによって、組合内の諸問題について判断をくだす能力は、専門職業化されてしまう。

組合員大衆は、判断能力のない大衆としての地位におとされ、主として「規律」の精神すなわち受動的な服従精神だけを義務的に押しつけられるようになるのである。

社会民主党のばあいは「べーベル」独裁などという、でたらめな作りばなしとは関係なく、実際は、選挙や同志的な事務分担によって最大限の民主主義がおこなわれ、党執行部も事実上の管理機構にすぎないか、労働組合のばあいは、これとちがって、上級機関と下部の大衆というような上下の関係がはるかにつよく存在している。

この関係を露骨にあらわしている傑作のひとつに、大衆が組合にたいして抱いている敬虔な気もちにひびがはいるからといって、労働組合の実践の展望と可能性にかんする理論的批判をすべて禁止しようという議論がある。

これは労働者大衆を組織に獲得したり、つなぎとめておいたりするには、労働組合闘争が神聖だという、一途の無邪気な信仰が大衆にはどうしてもなければならぬ、といった大衆蔑視の考えからきているのである。

大衆には、しかし、現在の体制の矛盾とその発展の複雑な性格を完全に見破る力もあれば、自分たちの階級闘争のあらゆる契機とあらゆる段階をみずから批判するだけの力もある。

社会民主党のばあいは、あくまでもこの点に党の影響力の基礎を置いているが、労働組合のばあいは、これとは反対に、例の逆立ちした理諭にもとづいて、大衆には批判力も判断力もないという前提のうえに、組合の権威と影響力をほこっている。

 「民衆には信仰をあてがっておかねばならぬ」──これがかれらの原則であり、この原則にもとづいて、多くの労働組合職員は、労働組合運動の客観的欠陥を指摘する一切の批判に、これは運動自体にたいする裏切り行為だ、と刻印を押すのである。

最後にまた、社会民主党にたいする労働組合の大幅な独立と「中立性」ということも、この労働組合職員の専門化と官僚主義に結果にほかならない。

労働組合組織の外面的な独立性は、組合が大きくなるにつれて生じてきたが、これは、あくまで政治的闘争形態と組合主義的闘争形態のあいだの技術的な分業から起こった事態であり、組合の成長の自然な条件であった。

これにたいして、ドイツ労働組合のいわゆる「中立性」のほうは、反動的な組合立法の直接の産物であり、プロイセン・ドイツ警察国家が生み出したものである。

両方とも、しかし、時代とともにその性格を変えてきた。

警察が労働組合にむりやりに押しつけた、いわば強制的な政治的「中立性」のなかから、のちには、この中立ということが労働組合闘争の本質そのものに根ざしだ必然的なものであるという、いわゆる自発的中立の理論が出てきた。

労働組合の技術的独立のほうも、元来は社会民主主義に統一された階級闘争の内部での実践上の分業にもとづいていたものが、やがて労働組合を社会民主主義の思想と社会民主党の指導からひきはなす契機となり、いわゆる社会民主党にたいする「同権」に変質したのである。

ローザ・ルクセンブルク著
「大衆ストライキ・党及び労働組合」(一九〇六)
(労働者教育協会編集「学習運動 1970 11」学習の友社 p21-22)

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 そうなのだ、この意識は信じられないほどぼんやりしてしまっているのだ。

組織の面でのわれわれの基本的な罪は、われわれが、自分の手工業性によってルーシ〔ロシアの古名〕の革命家の威信を失墜させたことである。

理論上の問題ではだらけてふらふらしており、視界は狭く、大衆の自然発生性を引き合いにだしては自分の無気力を弁明し、人民の護民官に似るよりも労働組合の書記に似ており、敵にさえ尊敬をいだかせるような大胆な計画を提出する能力がなく、自分の職業的技術──政治警察との闘争──にかけては未経験で不器用で、──おやおや! これは革命家などではなく、どこかのみじめな手工業者だ。

 どうか実践家のひとりでも、私がこういう辛辣なことばを吐いたことで、気をわるくすることのないように願いたい。

なぜなら、こと訓練不足にかんするかぎり、私は以上のことばをまっさきに自分自身にくわえているのだからである。

私はあるサークルで働いていたことがあるが、このサークルははなはだ広範な、包括的な任務をとりあげていた。

──ところで、このサークルの成員であったわれわれはみな、有名な格言を言いかえて、われわれに革命家の組織をあたえよ、しからばわれわれはロシアをくつがえすであろう! とも言えるようなこの歴史的時機に、自分たちが手工業者でしかないことを自覚して、胸がいたいほど苦しみ、悩まなければならなかった。

そして、それ以来、私は、当時自分の感じたあの焼きつくような恥ずかしさを思いだすおりがますます頻繁になるにつれて、その説教によって「革命家の聖職をはずかしめ」、われわれの任務が、革命家を手工業者に低めるのを弁護することではなくて、手工業者を革命家に引き上げることであるのを理解しないにせ社会民主主義者たちを、いよいよにがにがしく思うようになったのである。
(レーニン著「なにをなすべきか」レーニン一〇巻選集 大月書店 p124-125)

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◎「われわれの任務が、革命家を手工業者に低めるのを弁護することではなくて、手工業者を革命家に引き上げることである」と。