学習通信080929
◎とほうもなく苦しい労働や、無権利状態……
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ロシアの労働者の経済闘争が広範にひろまり、また強まっていったのにともなって、経済的暴露(工場内や職業内の状態の暴露)「文書」がつくりだされたことは、だれでも知っている。
いろいろな「リーフレット」の主要な内容は、工場内の状態の暴露であった。そして、まもなく労働者のあいだに、暴露をやろうという真の熱情が燃えあがった。
労働者たちは、自分たちの乞食のような生活や、とほうもなく苦しい労働や、無権利状態について、あますところなく真実を語る新しい種類のリーフレットを、社会民主主義者のサークルが自分たちに提供したがっており、また提供できるということを見てとると、たちまち工場からいわば通信の雨を降らせはじめた。
こういう「暴露文書」は、そのリーフレットによって自分のところの状態を糾弾された当の工場だけでなく、暴露された事実のことをなにやかや聞きつたえたすべての工場に、大きなセンセーションを呼びおこした。
そして、いろいろな経営、いろいろな職業の労働者の窮乏や困苦には共通するところが多かったから、「労働者の生活の実情」はすべての人々の心をうごかした。
最も遅れた労働者のあいだにさえ、「活字にしたい」という真の熱情が──すなわち、略奪と抑圧のうえにきずかれた現代の全社会体制との戦争の、この萌芽的な形態への高貴な熱情が、起こってきた。
そして、「リーフレット」は、大多数の場合に、実際に宣戦の布告であった。
というのは、その暴露は、激しい刺激作用をおよぼして、最もはなはだしい不法状態を取りのぞけという一般的な要求と、ストライキによってこれらの要求を支持する覚悟とを、労働者のあいだに呼びおこしたからである。
ついには工場主たち自身も、これらのリーフレットの宣戦布告としての意義を大いに認めざるをえなくなったので、ほんとうに戦争が起こるまで待とうとしないことも、きわめて頻繁であった。
いつもながら、暴露文書は、それが出たというだけで、すでに作用をおよぼし、強い精神的圧力としての意義をもつようになった。
リーフレットが出ただけで、要求の全部または一部を貫徹させるのに十分だったことも、再三あった。
一言でいえば、経済的暴露(工場内の状態の暴露)は経済闘争の重要なてこであったし、いまでもそうである。
そして、労働者の自己防衛を必然的に生みだす資本主義が存在しているかぎり、それはひきつづいてこの意義をたもつであろう。
片田舎のあれこれの「営業」や、だれからも忘れられた家内労働のあれこれの部門におこなわれている不法状態の暴露が、階級意識のめざめの出発点、労働組合闘争や社会主義の普及が始まる出発点となる場合は、ヨーロッパの最も先進的な国々でさえ、いまでも見ることができる。
注
誤解を避けるために言っておくが、以下の叙述においてわれわれが経済闘争と言うときには、いつでも(われわれのあいだで慣用となっている語法にしたがって)、エンゲルスがまえにあげた引用文のなかで「資本家にたいする反抗」とよび、また自由な国々では労働組合(サンディカあるいはトレードユニオン)闘争とよんでいる、あの実際的経済闘争をさしているのである。
(レーニン著「なにをなすべきか」レーニン一〇巻選集 A 大月書店 p57-59)
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派遣労働とキヤノン調査――1999年の法改悪に反対をつらぬいた決定的意義
第一は、貧困打開と国民生活を守るたたかいについてです。
この間、自公政権によって進められてきた弱肉強食の「構造改革」――「新自由主義」の暴走がもたらした害悪が、暮らしのあらゆる分野で噴き出しました。そのもとで、この間違った道に正面から対決してきた日本共産党の立場が、広い国民の気持ちと一致しつつあります。
たとえば派遣労働の問題です。
労働者とわが党の共同のたたかいによって、派遣労働の規制緩和から規制強化への「潮目の変化」ともいうべき前向きの変化が起こりました。
一つの象徴的出来事として、キヤノンで起こっていることを報告しておきたいと思います。私は二月の国会質問でキヤノンが大規模に派遣労働を導入し、巨額のもうけを吸い上げている実態を明らかにし、その是正を求めました。その後、実態はどうなったのか。私は、六月三十日に、小池晃(政策委員長)さん、吉井英勝(衆院議員)さんとともに、滋賀県・長浜の工場に調査に入りました。
まずあらためて強い憤りをもったのは、派遣労働者のおかれているあまりに非人間的実態であります。私たちは、前日の二十九日、若い労働者から話を聞きました。「ひどい二重の搾取がおこなわれている」という告発が寄せられました。つまり派遣会社にマージンをピンハネされているだけではないのです。派遣社員は、寮に住まわされて、寮費、電気代、水道代、テレビ代、布団代、冷蔵庫代など、ありとあらゆる費用をひかれ、必死に働いても手元には月十万円以下しか残りません。
それでは寮とはどのようなものか。現場に行きました。まわりは田んぼという場所です。そこに、八棟、約三百人が住む建物が建っている。建物の中はどうなっているか。話を聞きますと、一つの部屋をぺらぺらの薄い壁で三つに仕切って、一人分は三畳ほどの部屋に、小さな窓がついているだけです。まるで独房です。トイレと台所と風呂は共同です。「ロボットのように働かされ、毎日汗びっしょりになっているのに、洗濯物を干す場所すらない。とてもまともに人間が住むことができる場所じゃない」と訴えられました。
さらに行ってみますと寮のまわりにはまともに商店がないのです。寮の入り口にはコンビニがあるのですが、これは派遣会社が経営しているコンビニなのです(どよめき)。ここの商品がまた高い(大きなどよめき)、トイレットペーパーなどが高くて、ここでも搾りあげられていると訴えられました。
生きた人間の生活をまるごと搾れるだけ搾って、あとはモノのように使い捨てにする。こんな働かせ方は放置するわけには絶対にいかないということをいいたいと思います。(「そうだ」の声、大きな拍手)
翌日、六月三十日に、キヤノン長浜工場を訪問し、キヤノン側からは本社の諸江昭彦専務取締役が応対しました。私はまず、「偽装請負などキヤノンがおかしてきた数々の違法行為をどう考えているのですか」と聞きました。するとキヤノン側は、「大いに反省しています」、「相当懲りています」と繰り返しました。キヤノンはこれまで偽装請負だけでも違法行為を八回も摘発されています。しかし、これまでそれを一度も公表したこともないし、謝ったこともなかった。ですから公式の場で「反省」を口にしたのはこれが初めてであります(拍手)。やっと謝ったかと思って聞きましたが、謝るなら、違法・無権利の状態で働かせた労働者に謝ってほしい(「そうだ」の声、大きな拍手)。ただ、ともかくも労働者のたたかいが、キヤノンの言葉を借りれば、「相当懲らしめた」というところに追い込んだということがいえると思います。
私たちが「派遣労働はどうなっているのか」と聞きますと、キヤノン側は「製造派遣は年内中に解消する」と表明しました。「長浜工場については、六月三十日をもって派遣労働はゼロにいたしました」との答えでした。六月三十日とは私たちが視察した日であります。その同じ日に「派遣労働をゼロにした」とは偶然なのかどうか(笑い)。しかしともかくも「製造派遣の解消」を表明せざるをえなくなるところに追い込んだのは、労働者のたたかいの一歩前進といえると思います。(拍手)
同時にみなさん、たたかいはこれからです。派遣労働に代わって増やしている期間社員、期間工は、直接雇用ではありますが、雇用契約の期間が、「最初は五カ月、その後六カ月ごとに更新され、最長でも二年十一カ月」、こうなっているのです。キヤノン側は、「二年十一カ月たったら辞めてもらうということです」と冷酷に言い放ちました。新しい形での使い捨て労働を許すわけにはいきません。「派遣解消」にまで追い込んだ力に確信をもって、期間社員や請負への置き換えではなくて、正社員への太い道を切り開くために、ひきつづきがんばりたいと決意しております。(大きな拍手)
この問題での「決定的な場面」は、一九九九年の派遣法大改悪でした。この改悪は、それまで派遣労働を専門業務に限定していたものを、原則自由化するという百八十度の大転換をやってのけたものでした。自民、公明、民主、社民など、他のすべての党が「多様な選択肢を確保し、雇用の安定を図る」とこれに賛成するなかで、この大改悪に正面から反対をつらぬいたのは日本共産党だけでありました。(拍手)
当時の国会議事録を見ますと、わが党は、この法改悪によって、正規労働者を派遣労働者に置き換えるリストラがすすむことになる、大量の無権利・低賃金の使い捨ての労働者をつくり出すと批判をしています。この批判は、恐ろしいまでに現実のものとなっているではありませんか。
わが党は職場の仲間とともに、偽装請負を告発し、派遣労働の非人間的実態を告発し、その是正を求め続けてきました。それがついに政治を動かし、巨大企業を動かすところまできました。他の野党はもとより、政府・与党まで、派遣法の改正を言わざるをえなくなってきた。ここまできたからには、中途半端な見直しで終わらせるわけにいきません。一九九九年の大改悪の前に戻す抜本的な派遣法改正をはかり、人間らしい労働のルールを打ち立てるために、頑張ろうじゃありませんか。(歓声、大きな拍手)
(「赤旗」20080725 日本共産党創立86周年記念講演会 志位和夫委員長の講演から)
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「略奪と抑圧のうえにきずかれた現代の全社会体制との戦争の、この萌芽的な形態への高貴な熱情が、起こってきた。」
「経済的暴露(工場内の状態の暴露)は経済闘争の重要なてこであったし、いまでもそうである。」