学習通信080922
◎新しい政治的プロセスが始まった……
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しかし、『ラボーチェエ・デーロ』は「経済主義者」を「擁護した」だけでなく、自分もたえず彼らの基本的な謬見に迷いこんでいった。こういうふうに迷いこんでいった根源は、『ラボーチェエ・デーロ』の綱領のなかの次の命題が二とおりの意味に理解されることにあった。
それはこうである。
「われわれの考えで、ロシアの生活のなかで最も重要な現象であり、同盟の文筆活動の任務と性格を主として規定するであろうものは、近年発生した大衆的労働運動である。」大衆運動が最も重要な現象であるということには、なんの異論もあるはずがない。だが、全間題は、この大衆運動が「任務を規定する」ということをどう理解するかである。
これは二とおりの意味に理解することができる。
すなわち、この運動の自然発生性の前に拝脆するという意味、つまり、社会民主党の役割を、あるがままの労働運動へのたんなる奉仕に帰着させるという意味(これが『ラボー・チャヤ・ムィスリ』、「自己解放団」その他の「経済主義者」の理解である)にも、
また、この大衆運動が発生する以前の時期にはそれで足りていた任務にくらべて、はるかに複雑な、新しい理論上、政治上、組織上の諸任務を、大衆運動がわれわれに提起するという意味にも、どちらにも解することができる。
『ラボーチェエ・デーロ』は、まさにこの第一の理解に傾いていたし、いまでも傾いている。なぜなら、同誌は、どのような新しい任務についてもなにひとつはっきりしたことは言わなかったし、また、まるでこの「大衆運動」が、この運動によって提起される諸任務を明瞭に意識し解決する必要をわれわれに免除してくれるかのような調子で、つねに論じてきたからである。
『ラボーチエ・デーロ』が、大衆的労働運動にたいして専制の打倒を第一の任務として提起することはできないと考えて、この任務を(大衆運動の名において)最も身近な政治的要求のための闘争という任務に低めたことをあげれば、十分である。
『ラボーチェエ・デーロ』第七号所載の同誌編集局員ぺ・クリチェフスキーの論文──『ロシアの運動における経済闘争と政治闘争』──も、これと同じ誤りを繰りかえしている論文(注)であるが、この論文はすどおりして、すぐさま『ラボーチェエ・デーロ』第一〇号に移ろう。もちろん、われわれは、ベークリチェフスキーとマルトィノフが『ザリャー』と『イスクラ』にたいしておこなった個々の反論の検討に立ちいろうとするものではない。ここでわれわれが関心をもつのは、『ラボーチェエ・デーロ』が、その第一〇号でとった原則的立場だけである。たとえば、『ラボーチェエ・デーロ』が、
「社会民主党はなにか一つのあらかじめ考案された政治闘争の計画や方法によって自分の手をしばったり、自分の活動をせばめたりはしない。──社会民主党は、党の 現存の力量に相応するものでさえあれば、あらゆる闘争手段を認める」うんぬん(『イスクラ」第一号)
という命題と、
「もしどんな情勢のもとで、またどんな時期にも政治闘争をおこなえるほどに練達した、強固な組織がないなら、それのみが戦術の名に値する、あの堅固な原則に照らしだされ一貫して実行される系統的な活動計画などは、問題にさえなりえない」(『イスクラ』第四号)という命題とのあいだに「まったくあいいれない矛盾」を見てとったという、珍妙な事柄の検討は、われわれはおこなわないであろう。
(注)
たとえば、この論文では、政治闘争における「段階論」、つまり「おずおずとジグザグ踏んで」の理論は、次のように言いあらわされている。「政治的要求は、その性質上全ロシアに共通であるが、しかし、はじめは」(これは一九〇〇年八月に書かれたものなのだ!)「当該の労働者層(原文のまま!)が経済闘争から引きだした経験に合致するものでなければならない。
この経験にもとづいてのみ(!)、政治的扇動に着手することができるし、また着手しなければならない」うんぬん。四ページでは、筆者は、経済主義的異端という、彼の考えではまったく無根の非難に反抗して悲痛な叫びをあげて言う。「マルクスとエンゲルスの学説によれば、個々の階級の経済的利益が歴史上決定的な役割を演じるのであり、したがって、とくに自己の経済的利益のためのブロレタリアートの闘争が、プロレタリアートの階級的発展と解放闘争とにとって第一義的な意義をもたなければならないということを、いやしくも社会民主主義者で知らない者があろうか?」と。
この「したがって」はまったく場ちがいである。経済的利益が決定的な役割を演じるからといって、したがって経済闘争(=労働組合闘争)が第一義的な意義をもつという結論には、けっしてならない。
なぜなら、諸階級の最も本質的で「決定的な」利益は、一般に根本的な政治的改革によってはじめて満足させることができるし、とくにプロレタリアートの基本的な経済的利益は、ブルジョアジーの独裁をプロレタリアートの独裁とおきかえる政治革命によって、はじめて満足させることができるからである。
ペークリチェフスキーは、「ロシア社会民主党のヴェ・ヴェたち」の議論(政治は経済のあとに従う、等々)や、ドイツ社会民主党のベルンシュタイン主義者たちの議論(たとえば、ヴォルトマンは、まさにこういう議論を用いて、労働者は政治革命のことを考えるまえに、まずもって「経済的勢力」を獲得しなければならない、ということを証明しようとした)を繰りかえしているのである。
(レーニン著「なにをなすべきか」レーニン10巻選集A 大月書店 p49-51)
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参議院選挙の結果について
二〇〇七年七月三十日
日本共産党中央委員会常任幹部会
一、二十九日に投・開票がおこなわれた参議院議員選挙で、日本共産党は、比例代表選挙で三議席を獲得しました。これは、一議席減の結果ですが、得票数では、前回および前々回の得票を上回る四百四十万票(7・48%)という地歩を維持することができました。選挙区選挙では、議席を獲得することはできませんでしたが、東京、大阪、京都などで得票を増やしました。
日本共産党に支持をお寄せいただいた有権者のみなさん、風雨や炎天のもと昼夜を分かたず奮闘された後援会員・支持者のみなさん、党員のみなさんに、心から感謝します。
一、参院選の結果全体をみると、自民党が改選議席を二十七減らし、「常勝」を誇ってきた公明党が四人の現職議員を落選させるなど、安倍内閣、自民・公明与党にきわめてきびしい審判が下されたことがきわだった特徴です。
これは、有権者が、自民・公明の枠組みでは日本の前途はない、と判断した結果といえます。首相や閣僚の個々の失敗や不祥事、年金対応ミスにとどまらず、安倍内閣の十カ月が、内政では貧困と格差の拡大、外交では過去の侵略戦争の正当化をはじめとする自分たちの一方的主張の外交的おしつけなど、悪政を加速させてきたことにたいする審判にほかなりません。憲法改定を第一の争点に掲げた安倍内閣の挫折は、「戦後レジームからの脱却」をめざす「靖国」派の反動的な野望への痛打となりました。
日本共産党は、自民・公明政治にたいするこの国民的審判のうえで、自公政治に正面から対決する「たしかな野党」として、とくに政治論戦で一定の役割をはたしえたことを確信しています。年金・福祉、住民税と消費税、貧困とその不安、「政治とカネ」、憲法改定など、すべての問題にわたって、鋭い暴露と追及という点でも、道理ある対案の提示という点でも、日本共産党の論戦は、悪政を追いつめる少なからぬ役割を果たしました。
一、今回の選挙での自公政治にたいする国民の審判は、それにかわる新しい政治の方向と中身を探求する新しい時代、新しい政治的プロセスが始まったことを意味するものです。この選挙の結果は、自民・公明の政治にかわる新しい政治はなにか、という問題について、国民の選択が明らかになった、ということではありません。国会論戦でも、国政選挙でも、国民の声にこたえる新しい政治とはなにかという問題が、ますますその比重を大きくしてゆくだろうことは、疑いありません。
新たに迎える政治的激動の時期において、日本共産党の役割はいよいよ重要なものになるでしょう。そうした自覚のもと、日本共産党は、この選挙で掲げた党の公約を実現するために、国会の内外で力をつくします。また、激動する政治に主導的に対応できるよう、政治と理論のうえでも、また組織のうえでも、より強く大きな党をつくるために全力をあげて努力するものです。
そして、新たな国政選挙を迎える次の機会には、政治の本当の改革者の党、新しい政治の建設者の党として、かならず前進・躍進を期す決意です。
(「赤旗」20070731)
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◎「以前の時期にはそれで足りていた任務にくらべて、はるかに複雑な、新しい理論上、政治上、組織上の諸任務を、大衆運動がわれわれに提起する」と。