学習通信080909
◎「女性は美しくないと軽んじられる」……

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化粧

 一時期、「素顔の美しさ」や「ナチュラルメイク」がさかんに推奨されていたことがあった。この背景にはフェミニズム運動の高まりや女性の社会進出などもあったのだろうが、とにかく八十年代には、「仕事のできるオンナは、化粧などにこだわらず自然体で生きるべし」というメッセージが巷にあふれていた。

 ところが、今はどうだろう。デパートの化粧品売り場にはおびただしい数のメーカーが並び、競い合うように新商品を売り出している。キラキラ輝くラメ入りのアイシャドー、ぬらぬらと濡れたようなツヤを出す口紅など、ナチュラルとはかけ離れた人工的なメイクアップ用品がとくに売れているという。インターネットなどでは、コスメ・フリークと呼ばれる化粧マニアたちがホームページを開き、日夜、熱く基礎化粧品やメイクアップ用品の談義に花を咲かせている。その職業も、主婦やOL、学校の先生に学者、と実にさまざま。

 さらには化粧の低年齢化も進み、小学生を対象にした雑誌にもメイクアップ技術の記事が載っている。彼女たちが言うには、「中学になると校則でお化粧も茶髪も禁止だから、小学生のうちに思い切っておしゃれするんだ」。

 つまり、今や年齢や立場を問わず、女性であれば(いや、最近は男性がちょっとした化粧をして街に出てもだれも驚かなくなった)だれもが過剰なまでの化粧を楽しむようになった、というわけだ。

 これは主に女性たちにとって、「よいこと」だと言えるのだろうか。冒頭に述べたように、八十年代までの「女たちよ、化粧をやめて社会に出よう!」というメッセージには、長い間、男社会の中で「女はきれいにして家にいればいいんだ」と抑圧されてきた女性たちの反発、という意味があった。あるいは、女性たちの間でも化粧に熱中する女性に対して、「結局、男性の目を引きたいのではないか」と冷たい視線が送られたのも事実だろう。

 ところが、八十年代の半ば頃から社会での男女平等がだんだん実現するに従って、「女性の化粧」から「男たちのために美しくなること」という意味が急速に消えて行ったのだ。そこで、「男の目」から解放され、「自分が美しくなりたいからするのだ」と、女性たちが自由に化粧を楽しめる空気が次第に広まった。また、そうやって自分のために化粧をする女性に、「何か目的があるんでしょう」と疑惑の目を向ける女性たちもいなくなった。それは、とてもよい傾向だ。

 しかし、一方で少し気になることもある。「女たちもおしゃれや化粧にこだわらずに、実力で勝負しよう!」とフェミニズム論者に励まされながらがんばってきた女性たちの中には、九十年代になって不況が訪れると同時に、リストラされたり起業に失敗したりと憂き目に会っている人も少なくない。そういう中で、「女はやっぱり外見なのよ」「美しい女が結局、勝つってこと」という声が、若い女性たちの中から亡霊のように復活してきているのだ。

 そういう若い女性たちは、化粧やファッションだけではなく、プチ整形≠ニ呼ばれる手軽な美容整形手術にも迷わず手を出し、自分の容姿をできるだけ磨いてチャンスをつかもうとする。そのチャンスとは、収入の高い男性と結婚することから会社の中で一目置かれること、モデルやタレントになることまでさまざまだが、とにかく「中身で勝負してもしかたない、最後はルックスだ」という身も蓋もない価値観が、不気味に若者の間に広まりつつあるわけだ。実力で勝負した男女雇用機会均等法第一世代の先輩たちは、あまり幸せになっていないじゃない、というのが若い女性たちの偽らざる実感だ。

 商品の情報を集め、あれこれと工夫して自分を少しでも魅力的に見せようと化粧に夢中になる今の若い人たちに、「人間、見た目じゃないよ」などと言っても、「きれいごと言わないで」と軽蔑されるだけだろう。ただ、「外見もすてきだが、あなたの良さはそれだけじゃない。あなた自身であるということが最大の魅力だし、それをわかってくれている人はたくさんいるはずだ」と言ってほしい、と思っている若者は意外に多いということは、つけ加えておこう。
(香山リカ著「若者の法則」岩波新書 p68-71)

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髪の手入れ、お化粧の基本

 「女性は美しくないと軽んじられる」と旧前田侯爵家に生まれた酒井美意子さんが母上の教えとしてお書きになっていました。それを読んだ頃の私は「外見より中身が重要」と信じていたので、ショックを受けた記憶があります。私は美人ではないから、中味を磨くのだと思っていたからです。美しく身じまいするのは、女性の武装という意味のことも書いておられました。

何度も言うとおり人間は外見で判断されています。女性は美しければ周囲から好感をもたれるだけでなく、大事にされ、注目もされるので、堂々として行動し、品格も備わってくるのです。しかし人生をふりかえってみると、女性も軽んじられないためには絶世の美女である必要はなく、誰にでも好感をもたれているという程度の自信をもつだけでいいのです。

 別の例で言えば、今はスチュワーデスと言わず、フライトアテンダントと言うようですが、この職業にあこがれる苦い女性はたくさんいます。彼女たちはサービス業のプロとして、言葉遣い、お茶や食事のサービスの仕方、苦情への受け答えと並んで、お化粧や髪型まで厳しい訓練を受けます。その結果、万人一人はそれほど美人ではなくても(ゴメンナサイ)、若い女性たちからあこがれられる職業人として磨かれていくのです。

 注意して観察すると分かりますが、彼女たちの髪型はセミロングかショート。長い髪はひっつめにしてまとめてあります。長い髪は女性的で魅力的ですが、職場ではふさわしくないと考えられているのです。今は濃い色で染めている人はいるようですが、あかるい茶色やブロンドなどは見かけません。髪形は自分で思う以上にその人の印象に大きく影響しますので、その職業、その場にふさわしいものにしなければならないということです。

 どのおしゃれでも清潔な髪や肌が基本の基本です。それも過ぎたるは及ばざるが如しで、日本人が清潔を重視して洗いすぎるので、常在菌をなくし肌荒れや薄毛をもたらしているそうですから注意しましょう。

 肌の手人れやメーキャップについても同様です。日本の化粧品やトイレタリーの水準は世界でも一番高いそうです(余談ですが、外国へのお土産で一番喜ばれるものの一つが、日本のシャンプー、それも家庭でよく使う大型のポンプ式のものです)。肌の手入れの基本は清潔にして保温を心がけるのが基本です。品格ある女性のお化粧は、よく手入れされた肌に薄化粧というのが定番です。

ただ昔はアイメーキャップや艶出し口紅は下品と思われていたのが、最近は次第にアイメーキャップは身だしなみの一つとなってきたように、時代によって受け入れられる基準は変わっていきます。

 ニューヨークで女性エグゼクティブの会議と、NGOの女性の集まりに続けて出席した際には、その両グループの服装、お化粧の差がはっきりわかりました。女性エグゼクティブは仕立てのよいスーツ、パンプス、ショートのパーマ。NGOの人たちは、長髪でエスニック風の木綿の服やスニーカーでした。職場や生き方により服装にも大きな差があります。

 一九八〇年頃は『ドレス・フォア・サクセス』という本がベストセラーになり、女性エグゼクティブはテーラードスーツに絹のブラウス、パールのネックレスとイヤリングが定番といわれました。今はもう少し自由ですが、やはり職業にふさわしい服装はあります。普段はあまり時間をかけず、薄化粧で過ごしていて、パーティーでは変身するというように、ここでもTPOをわきまえる知性が必要です。

 また批判されることの多い電車のなかのお化粧はやめましょう。会う前に化粧室で化粧直しができるくらいの時間の余裕をもって行動したいものです。どうしても口紅をぬりなおすようなときは、ひっそりこっそり直しましょう。
(板東眞理子著「女性の品格」PHP新書 p86-89)

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我けしょうせず

 外国の女性がよく研究室にやってくる。ことばと女性について数年前に書いた私の本が縁となって、いろいろの国からの訪問である。アメリカ、イタリア、イギリス。私はどこへも出かけたことはないが、はっきりとさわやかな女の人生をひっさげ、すばらしい人たちがそれぞれのお国がらの香りもつけてきりりとたのしい物語をしてくれる。

 その人たちに出会っての共通の印象がある。それは、おけしょうをしていないということである。アメリカのある大学の歴史の教授という人にたずねてみた。美しい顔立ちの人であるが、マニキュアもない、口紅もない。洗いざらしのチェックのブラウスに、モスグリーンの質素なスカート。泊っている宿が、京都での高級日本旅館であることを聞いていなかったら、むしろ貧しげな様子にさえ見える。

 アメリカの人たちはとてもマニキュアが好きだという先入観を私は持っていた。戦後まもなく我が家を訪れたレッドクロス(赤十字)の女性の爪の赤の鮮やかさは今でもなお私の記憶に残っている。私自身はある見解があって、マニキュアは全くしないが、長い間マニキュア好きのアメリカ人に会いつづけたあと、その女性のノーマニキュア、そして顔を洗ってそのまま出てきたという風情はとても新鮮だった。

 「あなたはいつもノーメイクなのか」という私の質問に、その人は大きくうなずき、最近のアメリカでは、知的な婦人たちはおけしょうをしないのが普通ですと言った。これだけきれいな人だったら、何もしなくて十分大丈夫だ、ごまかさなくても生地がいいものと私は心中ひそかに思ったが、しかし日本人だったらそばかすを気にしてちょっとはぬりつけるだろうにとも考えた。

 私も全然しないではないが、ほとんど技巧は加えないやり方である。ぬりあげ、こしらえあげたのが女の美しさという時代はすぎたのだなとしみじみその人たちに出会って思ったことである。
(寿岳章子著「はんなり ほっこり」新日本出版社 p32-33)

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◎「「……あなた自身であるということが最大の魅力だし、それをわかってくれている人はたくさんいるはずだ」と言ってほしい、と思っている若者は意外に多い」と。