学習通信080827
◎結集の力……

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日本の経済不安がマルクス主義小説の販売を促している
[ロイター 2008年8月12日]
クボタ・ヨウコ

 東京(ロイター)1929年に書かれたマルクス主義小説が、世界第2位の経済大国での雇用不安と所得格差の拡大を反映して、日本のベストセラー上位に上がっている。

 「人々は、経済が減速し始めて、万事もっと難しくなると強く感じている」と、最近この本を読んだマーケティング・コンサルタントのフルヤ・ソウタ(27歳)は言う。

 フルヤは、最近数カ月にベストセラーに上がっている『蟹工船』を買った多くの読者の一人である。同書は、このジャンルの本にはほとんど縁のなかったいくつかの主要ベストセラーで上位となっている。

 『蟹工船』は、サディスティックな船長のもと、過酷な条件で働くカニ加工船乗組員の物語である。それは、1933年、29歳で警察によって拷問され殺された共産党員・小林多喜二によって書かれた。

 小説の大半は、乗組員たちの闘争が統一されてストライキに立ち上がってゆく姿を描いている。そして、彼らの資本主義経営者の打倒を誓うところで終わっている。

 同書は、長く、マルクス主義文学の研究者のものだったが、「ワーキングプア」と結びつけた宣伝のあと大きな関心を獲得した。文庫版を出版する新潮社のササキ・ツトムはそう言った。同書がベストセラーにのぼってきたのは、5月頃以降だ。

 専門家は、同小説の人気は、雇用不安や賃金格差の拡大、パートタイム、派遣労働者など増大する低所得層がこうむっている苦難を反映していると指摘する。

 「共感と類似性がキーワードになっていると思う」と早稲田大学教授・十重田裕一は言う。

 「若者はいま、この小説のなかに、自分たち自身といまの状況を見いだして、共感しているのだ」

労働者の状態

 しかし、ストーリーが共感されているといっても、この小説が、現在の日本の労働者たちに実践的な意味をもつことはほとんどない。なぜなら、日本では、労働組合員は何十年も減り続け、左翼政党への投票はわずかしかないからだ。

 「共感はたままた起こったものもので、私は、それが組織された運動を引き起こすとは思わない」と十重田は言う。「読者もバラバラだ」。

 日本は、かつては終身雇用制で知られていたが、1990年代の不況いらい、日雇いや短期契約で雇用される労働者が年を追って増加している。彼らは、しばしば医療保険や年金からも排除されている。

 批判者は、小泉純一郎首相が2001〜2006年に主導した経済改革がこの傾向を助長したと指摘する。非正規雇用の労働者の数は年間平均1730万人になった(2007年3月31日発表の政府統計)。それは、5年前より19%、10年前より50%以上も増加している。

 そのような非正規労働者の実態は、6月になって、新聞の主要見出しを独り占めするようになった。それは、25歳の派遣労働者が、インターネット上に自分の仕事と孤独についてのメッセージを投稿したあと、東京の有名なショッピング街で数名の死傷事件を起こしてからのことだ。

 この何十年か、日本人の大部分は、自分たちを中流階級だとみなしてきた。しかし、雇用条件が変わって、経済的な不平等が拡大している――そうはいっても、富裕層と貧困層の格差はいまでもアメリカよりもとても小さいのだが。

 多くの日本人はまた、急速な高齢化で年金のコストが増えると、自分たちの将来の年金について不安に思っている。今世紀半ばには、65歳以上が人口の5分の2を占めるだろう。

 若者の間に広がる経済的な苦悩は、『蟹工船』の読まれ方にも反映している。新潮社のササキが言うには、読者のおよそ30%が20代であり、30%が30代、40代であり、残り3分の1が50代と60代である。かつては、この種の古典のファンはほとんど学生か退職者たちだった。

 「いまは、高度経済成長時代の雇用条件とはすっかり違っている」と、早稲田大学の十重田は言う。「終身雇用はすでに過去のものであり、人々が自分の年金を受け取れるかどうかは不確実になっている」。

 「このような不安が人々をこの小説に向かわせるのだと思う」

 そうはいうものの、読者たちも、自分たちが、資本家雇い主に対抗して街頭に出たりはしない、ということでは一致している。

 「この小説は夢のようだ。みんなが団結して闘い、いっしょに勝利するなんて」と24歳のブルーカラー労働者のサカイ・トオルはいう。「しかし、僕たちがいまそんな行動をとるとは思わない」

 マーケティング・コンサルタントのフルヤも同じ意見だ。

 彼は、「いまの社会は非常に多様化しているので、人々が連帯できるようなことは1つもない」という。「いまの世の中は、この小説の世界ほど単純ではない」

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結 集

 これまで私たちは云いたいことを云えなかったし、聞きたい話もきかれなかった。この頃になって、ぽつりぽつりと印象の深い話が耳に入るようになって来た。東京の郊外に武蔵野の雑木林にかこまれた、一つの女子専門学校がある。英語を専門に教える学校である。

 戦争がはじまって暫くすると、そこへ軍隊が駐屯して来た。静かな欅の梢の間に、ラッパの音が響き、銃剣が閃くようになった。学校の女生徒たちは、学徒動員で働きに出て行かなければならないが、寄宿舎はやはり営まれていて、皆がそこに暮していた。

 ところが駐屯して来た軍隊は、その学校の表門にかけてある看板が、生意気だ、今頃美学塾というような敵性語を教える看板を麗々しくかけておくのは国賊だと、その看板をはずして前の溝川へ投げ込んでしまった。そしてそのあとへ何々部隊と、番号の長い板をかけた。

 女生徒たちは、自分達の教室や校庭を、軍隊に荒らされることは辛く思いながら辛捧していたのに、乱暴にも学生にとって誇りと愛とのしるしである校標を溝へ投げこまれたことについて深い憤りを感じた。みんなの心がそのことを腹立たしく思う気持で結ばれた。ふと気がついて、軍隊はおどろいた。自分たちが学校の看板をとって投げすてたその溝川へ、あろうことかA部隊と大書した板が投げこまれているではないか。娘ども、と思っていた女生徒たち以外にそんなことを敢えてする者は、その雑木林の町にはいない。問題となって、そこの女生徒全部を軍法会議にまわすと云って脅かした。学校当局はあわてて生徒たちに謝らせようとした。

 けれども、生徒たちは、皆で軍法会議にまわされるならば、それは仕方がない。軍法会議の席で、初めに乱暴をしたのは誰であるかということを明かにして、裁判して貰う意見にまとまった。そして、その意見を守って、譲らなかった。大分いろいろと揉めて、女生徒たちはあれこれと脅かされたが、遂に譲らないので、さすがに軍法会議へまわすことも出来ず決着がついた。

 そういう短い話を、間接にきいた。細かいことはもしかしたら事実と違っているかもしれない。けれどもあの戦争中学者だの大臣だのがみな軍部の力に圧されて、こびることしかしなかったとき、また一般の人々が軍隊のすることは何でも無理を通していた時代に、若い女学生たちが、真直なこころで正しくないと思ったことを、どこまでも正しくないこととして、こわくなくはない軍隊の力に抵抗したということは私の心に深く残った。今まで決して外部に向って話されたこともないような、いろいろの小さいがその価値は決して低くない正義心からの行動が、あの時代に、あちこちの学校や工場などの中にあったのではなかろうか。

 平手うちを一つ受けても倒れるようなかよわい少女たちが、武力と脅威に向って、正しいと思うところを主張しとおしたのも、彼女たちが一人でなかったからであった。一人でない力の強さを、おのずからはっきり知って行動したからであった。

 ある季節になると、朝鮮海峡をわたって、美しい数万の蝶々が移動するときの話をきいた。翅(はね)の薄い、体の軟い弱い蝶々は幾万とかたまって空を覆って飛び、疲れると波の上にみんなで浮いて休み、また飛び立って旅をつづけ、よく統制がとれて殆ど落伍するものなく移動を成就するのだそうである。歴史の一こまを前進させるという人類の最も高貴な事業が、人間の勇気と理智との大結集なしに成就したことは、ただの一度もなかったのである。[一九四六年四月]
(宮本百合子著「愛と知性」新日本出版社 p69−72)

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マルクス「労働組合−その過去・現在・未来」について

 一八四八年はヨーロッパ的規模で労働者階級が歴史上、はじめて革命闘争に立ち上がった年であるばかりでなく、マルクスとかれを助けたエンゲルスが二人で力をあわせて、世界で最初の科学的社会主義の文献である「共産党宣言」を発表し、労働者階級の革命闘争をはげまし、未来への確固たる展望をさししめした年でもあります。

 マルクスとエンゲルスは、ともに知識人の出身でしたが、労働者階級の立場に立ち、ともにたたかいつつ、しかも、これまでの人類が残した文化遺産のすべてを総括するなかから、弁証法的唯物論および史的唯物論、剰余価値学説を基礎とする科学的経済学、社会変革のための戦略・戦術論としての社会主義と階級闘争論を三つの構成部分とし、しかも、それら全体を「整然と一体化した内容」としての科学的社会主義の理論・思想を確立したのです。

 マルクスとエンゲルスが確立した科学的社会主義の理論・思想の中心点は、@資本主義の生成・発展・消滅の法則性を明らかにし、資本主義から社会主義・共産主義への世界史の移行は歴史的必然であること、Aこうした歴史的必然を実現する担い手は、資本主義の発展とともにつくりだされ、組織され、結集され、教育され、啓蒙され、きたえられていく労働者階級であること、を明らかにしたことにあります。そして、「共産党宣言」は、そのための最初の文献であり、マルクスとエンゲルスは、それ以後一九世紀の終わりの時期までの約五〇年間にわたって「資本論」をはじめ、数多くの文献をあいついで発表しています。そして、当然ながら、その文献のうちの一つとして、労働組合の基本性格や任務を明らかにしたものが存在します。それがマルクス「労働組合──その過去・現在・未来」なのです。

 この短い文章は、一八六六年に開かれた、第一インターナショナル(一八六四年創立、国際労働者協会)のジュネーブ大会(第一回大会)にマルクスは所用があって出席できなかったために、それに出席する代議員に託した「個々の問題についての指針」の一節にあたるものです。

 この文章は、直接には当時のイギリスの労働組合運動にたいする批判を念頭において書かれています。

 一八四八年の革命運動の敗北以後、労働組合運動がふたたび息をふきかえすのは、やはり、一八五〇年代に入って以後のイギリスにおいてです。当時、イギリスは「世界の工場」としての地位をしめ、諸外国から原材料を輸入し、それをイギリス国内で加工して製品にしあげ、それを諸外国に大量に輸出していました。このためにイギリスの資本家階級は大もうけし、資本を蓄積し、大工場があいついでつくられていきました。そのために労働者階級はその数を急速に増大させ、そこから必然的に労働組合をふたたび組織し、賃金や労働条件の改善を要求してたたかうようになってきました。

 これにたいして、イギリスの資本家階級とその政府はどうしたかといえば、かつてのような弾圧一本槍ではなくて、これを黙認し、その代わりに労働組合を経済闘争だけを行なう組織として、せまいワクのなかにとじこめ、労資協調型の労働組合として育成した方が得策と考え、そのように対応したのです。

 当時のイギリスの労働組合は、今日のわが国のような企業ごとの労働組合ではなくて、労働者一人ひとりが企業のワクをこえて地域的に結集していました。しかし、またその組織は職業別労働組合として、同じ職業の、しかも、主として熟練工が中心となった組織で、加入条件もきびしく、そして、自分たちの賃金や労働条件の改善だけを目的として運動するという弱さをもっていました。

 この文章は、直接にはこうしたイギリスの労働組合運動の弱点を克服することをめざしてかかれたものですが、同時に、その内容は、労働組合運動の過去の諸経験を理論的に総括するとともに、当時の到達段階を明らかにし、さらにそのうえに立って、未来への展望をさししめした古典中の古典として、今日にいたるまで光を放つ内容となっています。

 マルクス「労働組合──その過去・現在・未来」という文章の全文は、巻末に掲載されていますので読んでいただくことにして、ここでは、その要点を、わかりやすく解説しておくことにしましょう。

@「労働組合──その過去」

──ここでは、次のようなことがのべられています。
 資本家階級は、社会的生産のなかでつくり出されてきた生産手段を私的に所有している階級であり、かれらは支配階級として社会的な力をもっています。それにたいして労働者は一人ひとりでは個人的な労働力だけしかもっていません。だから、資本家階級の力の方がつよく、労資のあいだの労働契約が公正に結ばれることはありえないのです。

 労働者がもっている唯一の社会的な力は多数であるということです。しかし、その多数の力は不団結のために、力を発揮することがさまたげられています。労働者の不団結は、たとえば、職種、熟練度、性別、年齢、身分、国籍、雇用形態などのちがいから必然的に生じてくる目先の利害のちがい、という労働者自身のあいだのさけられない競争によって生みだされ、長く維持されます。しかも資本家はそれを利用して、意識的に労働者どうしを競争させるためにさまざまな労務管理をおしすすめるのです。

 ところで、労働組合というのは、こうした労働者相互の競争をなくすか、少しでも制限しあい、それによって、せめてたんなる奴隷よりは多少とも、ましな契約条件をたたかいとろうという、労働者の自然発生的な試みのなかから生まれてきたのです。労働者は労働組合に結集し、相互の不一致点はさておいて、一致する要求をみつけ出し、それにもとづいて団結し、要求実現のためのたたかいに立ち上がるなかで、仲間どうしの競争をなくしたり、制限したりする努力をたえず、つよめていかねばなりません。

 さて、労働組合は、以上のように、当初は、日常の必要をみたすこと、資本のたえまない侵害を防止する手段となること、つまり、賃金、労働時間、労働条件の改善など経済闘争をたたかう組織として生み出されてきたということです。そして、こうした経済闘争は今後とも、資本主義がつづくかぎり必要なたたかいであり、それなしには労働者は自らの生活や労働条件を維持・改善することができないのです。

 しかし、そればかりではありません。他方で、労働組合は、これまではそのことを自分で自覚してこなかったけれども、それは労働者階級を階級的に結集し、組織化するための中心的な役割を果たしてきたことをみおとしてはならないのです。そして、労働組合は、当面の経済闘争のために必要な組織であるばかりでなくて、資本主義の搾取制度をなくし、社会変革を行ない、社会主義を実現していくための労働者階級のたたかいにとって、労働者政党とともに、きわめて重要な役割を果たす組織なのです。

A「労働組合──その現在」

──ここでのべられているのは次のようなことです。
 ここではマルクスは、当時のイギリスの労働組合運動を批判し、労働組合は、資本にたいする局地的な、当面の闘争にあまりにも没頭しきっていて、賃金奴隷制そのものに反対して行動する自分の力をまだ十分に理解していない。このため、労働組合は、一般的な社会運動や政治運動からあまりにも遠ざかっていた、とのべています。だが、最近になって、労働組合は、自分の偉大な歴史的使命にいくらか目ざめつつあるようにみえるのは喜ばしいかぎりだとして、イギリスの労働組合が近年、選挙法改正運動などの政治運動に参加するようになってきていることや、アメリカの労働組合が奴隷解放の闘争を支持したこと、さらには一八六六年にイギリス・シェフィールドでひらかれた連合王国労働組合代表者会議が国際労働者協会(第一インター)の活動を評価し、各労働組合に加盟勧告を行なったこと、などを例にあげています。

B「労働組合──その未来」

──大変短い文章ですが、この項が全体の結論として、もっとも重要なところです。ここでマルクスがのべているのは次のようなことです。
 今日の労働組合、そして、これからの労働組合は、その当初の目的である経済闘争ばかりでなくて、それ以外の目的、つまり、労働者階級の完全な解放=資本主義の搾取制度の廃止、という広大な目的のために、目的意識的に労働者階級をひろく組織化し行動することを学ばなければならないということです。そして、労働組合は社会変革の方向をめざすあらゆる社会運動と政治運動を支援しなければならないのです。

 これからの労働組合は、労働者階級全体の戦士であり、代表者であることを自覚し行動することが必要となっています。そして、こうした労働組合は、未組織労働者の組織化をかたときも怠ってはならないのです。また、農村労働者、その他多くの不安定雇用労働者の差別的低賃金、長時間労働に関心をむけ、その克服のためにいっかんして努力をすすめなければならないのです。そして、こうした努力を通して、労働組合は、組織労働者だけの狭い、利己的な利益だけを追求する組織ではなくて、ふみにじられた幾百万の大衆の解放を目標とするものであることを、労働組合以外の人びとに示し、納得してもらわなければならないのです。

 以上が「労働組合──その過去・現在・未来」の解説ですが、この文章で誤解されやすい点は、マルクスは、ここではあたかも労働組合は経済闘争ばかりでなく、政治闘争、とくに社会変革闘争の指導的役割を果たす組織でなければならないかのようにのべているのではないか、ということですが、けっしてそうではありません。労働組合が政治闘争をすすめるにあたっては労働者政党との協力共同がどうしても必要であり、それ抜きにおしすすめることはできません。

 マルクスは、この文章のなかでもそのことを意識して、労働組合の役割をのべています。「その未来」のところで、労働組合は「この方向をめざすあらゆる社会運動と政治運動を支援しなければならない」とのべ、けっして指導しなければならないとはのべていないのです。つまり、マルクスは労働組合にたいしては政治闘争の「指導組織」の役割をもとめているのではなくて、あくまで「行動部隊」としての役割をもとめているということです。一八六六年当時、労働者政党は世界中のどこにもつくられていませんでした。しかし、マルクスはすでに、そのことの必要性を認識し、それを労働組合とは別個に組織することを念頭においていたのです。そして、政党は政治闘争の指導組織であり、労働組合は、それとは区別された労働者階級の基本的な大衆組織として、政治闘争のうえでは行動組織としての任務をもつことを明らかにしているのです。

 こうして、マルクスは労働者政党と労働組合を明確に区別したうえで、政治運動、社会運動での両者の協力共同の必要と、そのなかでの労働組合の役割をのべているのです。事実、現実の歴史のうえで、労働者政党が結成されたのは、それからわずかに三年後の一八六九年のドイツ社会民主党であったわけです。
(辻岡・諫早・猿橋共著「労働組合とはなにか」学習の友社 p28−36)

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カール・マルクス
「労働組合−その過去・現在・未来」

@その過去
 資本は集積された社会的力であるのに、労働者が処理できるのは、自分の労働力だけである。したがって資本と労働力のあいだの契約は、けっして公正な条件にもとづいて結ばれることはありえない。それは、一方の側に物質的生活手段と労働手段の所有があり、反対の側に生きた生産力がある一社会の立場からみてさえ、公正ではありえない。労働者のもつ唯一の社会的な力は、その人数である。しかし、人数の力は不団結によって挫かれる。労働者の不団結は、労働者自身のあいだの避けられない競争によって生みだされ、長く維持される。

 最初、労働組合は、この競争をなくすかすくなくとも制限して、せめてたんなる奴隷よりはましな状態に労働者を引き上げるような契約条件をたたかいとろうという労働者の自然発生的な試みから生まれた。だから、労働組合の当面の目的は、日常の必要をみたすこと、資本のたえまない侵害を防止する手段となることに、限られていた。一言でいえば、賃金と労働時間の問題に限られていた。労働組合のこのような活動は正当であるばかりか、必要でもある。現在の生産制度がつづくかぎり、この活動なしにすますことはできない。反対に、この活動は、あらゆる国に労働組合を結成し、それを結合することによって普遍化されなければならない。

 他方では、労働組合は、みずからそれを自覚せずに、労働者階級の組織化の中心となってきた。それはちょうど中世の都市やコミューンが中間階級〔プルジョアジー〕の組織化の中心となったのと同じである。労働組合は、資本と労働のあいだのゲリラ戦にとって必要であるとすれば、賃労働と資本支配との制度そのものを廃止するための組織された道具としては、さらにいっそう重要である。

Aその現在
 労働組合は、資本にたいする局地的な、当面の闘争にあまりにも没頭しきっていて、賃金奴隷制そのものに反対して行動する自分の力をまだ十分に理解していない。このため、労働組合は、一般的な社会運動や政治運動からあまりにも遠ざかっていた。だが、最近になって、労働組合は、自分の偉大な歴史的使命にいくらか目ざめつつあるようにみえる。それは、たとえばイギリスの労働組合が近年の政治運動に参加していること、合衆国の労働組合が自分の役割についていっそうひろい見解をいだいていること、さらに最近シェフィールドでひらかれた巨大な労働組合代表者会議が次のような決議をおこなったことからみて、明らかである。

 「本会議は、すべて国の労働者を一つの共通の兄弟のきずなで結びつけようとする国際協会の努力を十分に評価し、全労働者の進歩と福祉にとって協会が必要欠くべからざるものであることを確信して、本会議に代表を送った各組合に、国際協カヘの加盟を心から勧告する。」

Bその未来
 いまや労働組合は、その当初の目的以外に、労働者階級の完全な解放という広大な目的のために、労働者階級の組織化の中心として意識的に行動することを学ばなければならない。労働組合は、この方向をめざすあらゆる社会運動と政治運動を支援しなければならない。みずから全労働者階級の戦士、代表者をもって自認し、そうしたものとして行動している労働組合は、非組合員を組合に参加させることを怠ることはできない。労働組合は、異常に不利な環境のために無力化されている農業労働者のような、賃金のもっとも低い業種の労働者の利益を細心にはからなければならない。労働組合の努力は狭い、利己的なものではけっしてなく、ふみにじられた幾百万の大衆の解放を目標とするものだということを、一般の世人に納得させなければならない。(一八六六年)
(『マルクス・エングルス全集、第16巻』大月書店 p195)

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◎「歴史の一こまを前進させるという人類の最も高貴な事業が、人間の勇気と理智との大結集なしに成就したことは、ただの一度もなかった」と。