学習通信080811
◎「文化」は常にラストバッター……

■━━━━━

《潮流》

「家計でもだんなのパチンコを奥さんは無駄だという。奥さんが通信販売で高い化粧品を買ってもだんなは無駄だと……」。自民の与謝野馨氏(党税制調査会小委員長)の話です

▼与謝野氏は、次のように唱えます。ことほどさように、なにが無駄なのかは「人の価値観による」ので、予算の無駄をゼロにするなどといわない方がいい──。しかし、与党の政治家の言葉にはご用心

▼人の「価値観」の自由を重んじるような口ぶりですが、下心がみてとれます。日ごろ増税派≠フ考えを隠さない与謝野氏です。同じ財政再建でも、予算のどこを削るか論争するひまがあるなら消費税の増税を急げ≠ェ本音でしょう。実は、福祉や医療はさんざん削ってきたのですが

▼与謝野氏のたとえを借りると、大阪の橋下知事は一つの「価値観」にこり固まったらしい。予算をきりつめる「大阪維新」案をうちだしましたが、削るのは福祉・医療や教育で、温存するのは大型開発です。はっきりしています

▼かりに妻か夫か、どちらかが重病にかかったとしましょう。夫はパチンコ好きだからと、妻は化粧品がほしいからと、連れあいの医療費を削るでしょうか。同様に、福祉や医療は住民の命綱です。しかし橋下知事は、いちだんと「価値観」をみがきます。府はもっぱら産業政策をうけもち、住民サービスは市町村へ、と

▼なんのことはない、府はまるで経済産業省や国土交通省の下請けのようです。政治家や大企業の利権と癒着がはびこる、無駄な行政の。
(「赤旗」20080711)

■━━━━━

大坂府知事の
オーケストラ
補助金カットと文化行政
 日下部 吉彦

府民が育てた楽団の
歴史を断ち切るもの

 この国(日本)では、「文化」は常にラストバッターだった。あの戦争が終わったあと、戦後の復興は、まず「食べること」から始まり、次に「衣」「住」と推移した。国家の財政計画は、その順で進んだのである。

 戦後の国民生活の苦しさからみて、これは、ある意味で当然の順といえるかもしれない。そしてバブル期を迎えたあとは、道路建設、空港整備に「狂奔」することになる。

ウィーン国立
歌劇場の場合

 日本と同じくらいに深刻な戦災を受けたオーストリアが、やっと独立を果たした一九五五年(昭和三十年)に、まっ先に目指しだのは、ウィーン国立歌劇場の復興だった。苦しい財政をやりくりし、さらには世界銀行からの融資を受けて、立派に復活させたのが、現在のウィーン国立歌劇場だ。

 オペラが、市民生活の一部にまでなっているオーストリア国民と、日本とを同一に考えるわけにはいかないが、それにしても、この差は、あまりに大きい。巷説(こうせつ)によると、この世界銀行からの融資の名目も、実は「オペラハウス建設」ではなく、「ダム建設」だったらしい。戦後の復興で、ダムを造るという名目で受けた融資を、オペラハウス建設に使ったのだ。

歴代の総理が
軽視した文化

 ともかく日本の歴代総理が、新年に行う「施政方針演説」のなかで、「文化・芸術」の文字が使われたことはほとんどなく、軽視されてきた。なにしろ「新国立劇場」が建ったのは、戦後五十年以上もたってからなのだ。学校や道路、ダム建設などが、ひとわたり終わり、テーマがなくなったところで、やっと「文化」が登場した。

 ところが、ラストバッターが、ようやく五、六番まで上がってきたかなと思ったとたん、地方財政の破たんとやらで、まっ先に二軍落ちにされたのが、再び「文化」だ。今回の橋下大阪府知事による補助金カット旋風は、ほかに例を見ないもので、そこには「文化行政」もポリシーもあったものじゃない。一律に一刀両断という暴論である。

 この強風を全身に受けて、「風前の灯」になっているのが大阪センチュリー交響楽団だが、二十年前に、大阪府自身の手で設立され、実績を績んで、トップクラスのオーケストラにまで育ててきた歴史を、どう考えているのだろうか。

 「文化は、民衆の手で育てるもの」という橋下知事の「お説」を聴くまでもなく、すでに市民からの支援の動きが始まっている。だからといって「行政が手を貸すべきものではない」という理屈は、まったく成り立たない。

 オーケストラが、運営費のすべてを事業収入でまかなうということは、まずあり得ない。楽員五十一人の給料はすでに〇二年に10%カットされたまま昇給も停止。彼らの特殊技能を評価するなら、一般のサラリーマンより、はるかに低い給与といえる。

いまこそ必要
自治体の支援

 大阪にあるもうひとつのオーケストラ、大阪フィル(楽員七十九人)の場合は、さらに深刻といえるだろう。大阪府からの助成額は、センチュリーほど多くはないが、大編成オケだけに、台所事情は苦しい。このほか、関西フィル、大阪シンフォニカー交響楽団や、各地にある自治体支援のオーケストラは、程度の差こそあれ、どことも嵐≠フまっただなかにある。いま必要なのは、自治体の支援が第一。そして、それをバックアップする市民の理解と応援だろう。(くさかべ・よしひこ 音楽評論家)
(「赤旗」20080811)

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎「与謝野氏のたとえを借りると、大阪の橋下知事は一つの「価値観」にこり固まった」と。