学習通信080630
◎「蟹工船ブーム」密(ひそ)やかな結託が……
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【土・日曜日に書く】
編集委員・福島敏雄
いま、なぜ「蟹工船」なのか
◆ほかにも名著はある
小説は作家の意図や目的、さらには書かれた時代状況を抜きにしては「読解」することはできない。夏目漱石の小説でも、漱石の意図や明治から大正にかけての時代状況を抜きにして、「おもしろかった」で済ませてしまったら、本当に読んだことにはならない。
小林多喜二の『蟹(かに)工船』の文庫本が突然、爆発的に売れ出した。ワーキングプアと呼ばれる若者たちが、「置かれている状況がそっくりだ」という理由で読んでいるのだという。小林の意図や目的、昭和初期の時代状況を抜きにして「そっくりだ」と単純に比較するのは、ちょっと乱暴である。
明治期には横山源之助の『日本の下層社会』、大正期には細井和喜蔵の『女工哀史』、近年では鎌田慧の『自動車絶望工場』など、貧困にあえぐ人々や、絶望的な状況で働かされている労働者の姿を描いたノンフィクションは多くある。いずれも事実の記録だからリアリティーもあり、名著だから文庫本化もされている。
それなのになぜ、フィクションにすぎない『蟹工船』だけが取りあげられるのだろうか。書店に大量に平積みされているのを眺めていると、資本の論理によって嗅覚(きゅうかく)鋭く動く出版社と、かつてのスター作家の復権によって共産主義をPRしたいとする勢力との間で、密(ひそ)やかな結託が図られたのではないか、と勘ぐりたくもなる。
◆蔵原理論に基づく作品
『蟹工船』はプロレタリア文学の作品である。つまりプロレタリア文学運動のイデオロギーに沿ったかたちで書かれている。ではプロレタリア文学運動とは何か。
『蟹工船』は新潮文庫版と岩波文庫版があるが、どちらも解説は蔵原惟人である。蔵原は小林の才能を最初に見抜いた文芸評論家である。と同時に、昭和3年に結成された全日本無産者芸術連盟(ナップ)の理論的指導者でもある。
同年に書かれた代表的論文「プロレタリア・レアリズムへの道」によると、レアリズムにはブルジョワ・レアリズムと小ブルジョワ・レアリズムとプロレタリア・レアリズムの3種類があるとされる。そのうえで、「プロレタリア作家は何よりもまず明確なる階級的観点を獲得しなければならない。明確なる階級的観点を獲得することは畢竟(ひっきょう)戦闘的プロレタリアートの立場に立つことである」と説いている。
芸術的価値より政治的価値を先行させる蔵原理論は、一般的にはすでに破産を宣告されている。文学には政治的な価値などというものはなく、芸術として自立している。その証拠に、蔵原が指摘するモーパッサンなどのブルジョア作家、あるいはドストエフスキーなどの小ブルジョア作家は今も読み継がれているが、プロレタリア作家などは文学史の一コマに追いやられている。
『蟹工船』は蔵原論文に触発されるかたちで、執筆された。当然、「明確なる階級的観点」に立ち、プロレタリアートの姿を「戦闘的」に描いた。後に書かれる『党生活者』など共産党賛歌だけの読むに堪えない作品群に比べれば、確かに読み応えもある。だが行間から流れてくるのは、すでに破産してしまった理論によるアジテーションである。
たとえば「カムサツカの岸」に漂着した漁夫が、中国人(原文は「支那人」と表記)の通訳を通して、ロシア人と会話するシーンなどは、ほとんど笑止である。
「働かないで、お金儲(もう)ける人いる。プロレタリア、いつでも、これ。(首をしめられる恰好、)−−これ、駄目! プロレタリア、貴方々、一人、二人、三人……百人、千人、五万人、十万人、みんな、みんな、これ(子供のお手々つないで、の真似をしてみせる。)」
この場合のロシアは、すでにボリシェビキによる暴力革命を成功させたソ連のことである。そのロシアを美化することで、日本の置かれた状況を徹底して批判、あるいはちゃかしてみせる。
◆非正規雇用をアピール
まさか非正規雇用の若者たちは『蟹工船』を読んで、共産主義に目覚め、革命を目ざそうとしているわけではないだろう。そういう意味では、小林が書いたイデオロギー的な意図はまったく「読解」されていない。
派遣会社からはピンハネに近い搾取を受け、派遣先でも差別的な待遇を受けるなど、かれらが深刻な状況に置かれているのは事実である。大規模労組もようやく待遇改善に向けた運動に取り組みはじめ、政府も日雇い派遣を原則禁止にする方針を示すなど、法律改正に向けて動き出した。『蟹工船』ブームは、非正規の若者たちの存在をアピールしたという意味での功績だけは残した。(ふくしま としお)
(「産経」20080628)
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「蟹工船」ブームの背景
若い不安定労働層が共鳴 危機感を問われる社会
昭和初期に書かれたプロレタリア文学の「蟹工船」が、若いワーキングプア層の共感を得て爆発的に売れている。背景にあるのは、希望の見えない労働環境に置かれた若者たちの閉塞感だ。
「蟹工船」は小林多喜二(1903−33)の代表作。北洋で過酷なカニ漁に従事する貧しい労働者たちが、団結して立ち上がろうとする姿を描いた。
新潮文庫版は、今年3月から6月までに35万7000部を増刷した。例年は年間5000部ほどというから驚くべき数字だ。28年ぶりに同文庫の「夏の百冊」にも復活する。新潮社によると20代と30−40代の読者が3割ずつ占める。
多喜二生誕100年の2003年以降、シンポジウム開催や漫画「蟹工船」刊行などで見直しの機運があったが、火が付いたのは今年初めから。ワーキングプア層の実態になぞらえた都内の書店の手書き広告で売れ始め、一気に広がった。
若い世代の「連帯」を求めて5月に創刊した雑誌「ロスジェネ」編集長の作家浅尾大輔さん(38)は「派遣労働者の低賃金と身分の不安定さ、過酷さは、『斡旋屋』を介してピンハネされて蟹工船に送り込まれる労働者と同じ。現代の若い不安定労働層が、自らの働き方を重ねて読める唯一の小説だと思う」と語る。
派遣やアルバイトで一生食べて行かざるを得ないと覚悟する若者が、どれほど深い絶望感を抱いているのか。秋葉原の無差別殺傷事件でも、その一端があらためて浮き彫りにされた。問われるべきは、社会の側が「蟹工船」ブームをどれだけ危機感をもって受け止められるかにあるだろう。
浅尾さんは最近、年配の人たちから「青年たちの実情が知りたい」と講演を依頼されることが増えてきたという。若者らの貧困問題を「自己責任」で片付けられる段階は、とうに過ぎている。世代を超えた当事者意識が必要だ。
(「東京 夕刊」20080628)
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ニュースが気になる
蟹工船 止まらぬブーム
格差社会の動かぬ証拠
プロレタリア文学の代表作、小林多喜二(1903〜1933)の「蟹工船」ブームが止まらない。新潮文庫版の増刷部数は今年これまでに35万7000部に上り、例年のざっと70倍のペース。この2か月間だけで、30万部以上を売り上げた。今なぜ、「蟹工船」なのか──。
「これ、今売れてるんだよね」。三省堂書店神保町本店では、平積みにされた「蟹工船」を、2人連れの若者が手にとっていた。同店は1、2階の数か所に新潮文庫版だけでなく岩波文庫版や映画DVD、漫画版も並べる特設コーナーを設置。昨年まではどの書店でも文庫の棚に1冊ある程度だったが、今や新刊のベストセラー並みの待遇≠受けている。
「蟹工船」は、過酷な労働を強いられた労働者が団結して立ち上がるまでを描き、1929年に発表された作品。新潮社によると、購読層は10〜20代が30%、30〜40代が45%と、若者や働き盛り世代が7割以上を占める。
ネット上のブックレビューでは、「船内に労働者が閉じこめられた描写は満員電車の通勤風景を想起させ、死ぬ寸前までの酷使は過重な残業を思い起こさせる。古さを全く感じなかった」などと、現代と重ね合わせた感想が目立つ。「多彩な人物、セリフを多用した臨場感。小説的面白さをくみ取れる」といった文学作品としての面白さを訴える声も多い。
「蟹工船」をめぐる動きは若者だけにとどまらない。購読者の約25%は、50歳以上の中高年層だ。「文芸春秋」7月号では、評論家の吉本隆明さんが、「『蟹工船』と新貧困社会」をテーマに寄稿。「『戦後』が終わって『第二の敗戦期』が訪れた現代社会における現実のしんどさと前途への不安」が、ブームの背景にあると分析している。
海外メディアからも注目を集めている。新潮文庫編集部には今月、APやロイターなどからの取材が相次いだ。いずれも「蟹工船ブームは日本の格差社会の動かぬ証拠」との視点で、取材に訪れているという。
貧困に陥った人々の支援活動に携わり、「反貧困」(岩波新書)の著書もある湯浅誠さん(39)は、「我々のところへ相談に来る人たちはどん底まで行った人たち。物理的にも精神的にも何かを考えたり行動したりするパワーすらない状態だが、『蟹工船』を読んで自殺でも自傷でもない団結というやり方もあることを知っていく可能性はあると思う」と話している。(文化部金巻有美)
(「読売」20080627)
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「蟹工船」まさに現実
ピンハネ、過酷労働、使い捨て……
戦後、禁止された「周旋屋」
派遣法でよみがえる
若者の間で小林多喜二の小説、『蟹工船(かにこうせん)』がブームです。蟹工船で奴隷労働をさせるために労働者を各地から集めていたのが、戦前の周旋屋でした。今でいえば人材派遣会社。戦後、禁じられた周旋屋が、なぜまた復活≠ナきたのでしょうか。岡清彦記者
「学生は十七、八人来ていた。六十円を前借りすることに決めて、汽車賃、宿料、毛布、布団、それに周旋料を取られて、結局船へ来たときには、一人七、八円の借金(!)になっていた」
『蟹工船』が描く周旋屋の実態です。労働者、農民、学生らを集めてピンハネし、工場や土木・建設現場などに売り飛ばしていました。労働者が住む劣悪な住居は、タコ部屋と呼ばれました。
北海道小樽市に住んでいた多喜二は1927年、『蟹工船』の取材のために新聞などの資料を収集し、蟹工船の母港、函館港に通いました。
当時の「北海タイムス」や「小樽新聞」が、蟹工船内で繰り返される虐待を報じています。
病気で休養を求めた労働者にお灸(きゅう)をすえるとして、アルコールを浸した綿に火をつけてやけどさせたり、蟹缶製造室に監禁したり……。
フリー夕ーの体験がある作家の雨宮処置さんは昨年12月、初めて『蟹工船』を読みました。
「現在の労働現場とあまりにも重なるところがあるのでびっくりしました。蟹工船に連れてこられるときにすでに借金しているんですね。これもいまと似ています。労働者が立ちあがっていく場面では、泣きました」多喜二と宮本百合子を研究している「多喜二・百合子研究会」の大田努副代表(66)が語ります。
「多喜二は、小樽の家の裏手に立ち並ぶタコ部屋の現実を見て育ちました。その体験や取材を通じて、周旋屋と奴隷労働の実態、立ちあがる労働者を共感をこめて描くことができたのです」
中間搾取
戦後の47年、「職業安定法」が制定されました。44条は「労働者供給事業の禁止」をうたっています。人身売買を禁止するものです。違反者は1年以下の懲役、100万円以下の罰金です。
労働省職業安定局の斎藤邦吉局長が序文を書いた「職業安定法解説」(48年発行)は、「職業安定法は、憲法の精神に即応し、その精神を実現するために制定されたもの」と強調しています。
その上で、「労働者供給事業は、中間搾取を行い、労働者に不当な圧迫を加える例が少なくないのにかんがみ、労働の民主化の精神から全面的にこれを禁止しようというもの」とのべています。
職業安定法が施行されると、違反者が相次いで告発、起訴されました。
職安法と同じ年に制定された労働基準法の6条には、「中間搾取の排除」が明記されています。
労働者は立ち上がる。もう一度!
新憲法のもとで生まれた職安法に風穴をあけたのが、自民党などが成立させた労働者派遣法です(85年)。財界の要求にもとづくものでした。
当初はソフトウェア開発など専門13業務に限定されていたものの、規制緩和で次々と改悪され、99年には日本共産党をのぞく政党の賛成で原則自由化になりました。04年3月からは、製造業も解禁になりました。
その結果、偽装請負や「日雇い派遣」が激増し、派遣職場は違法・無法地帯に。今では青年の2人に1人が、派遣などの非正規労働者です。時給は数百円から千円前後、年収が200万円以下のワーキングプア(働く貧困層)が急増しました。
プラズマテレビを生産している松下プラズマディスプレイ(大阪府茨木市)で、人材派遣会社の請負労働者として働いてきた吉岡力さん(33)もその一人です。
鉛を扱う工程があり、松下の社員には健康診断が実施されていました。しかし、請負労働者には実施されませんでした。
松下に配属された請負労働者がずらりと並ばされました。松下の班長が、いいました。「オレ、この子をもらっていくわ」まるで奴隷の競り市のようでした。「請負」は名ばかりで、仕事の指揮・命令をしていたのは、松下の正社員でした。典型的な偽装請負です。
吉岡さんが、偽装請負を告発(05年5月)すると、松下は吉岡さんを直接雇用しました。しかし、わずか5ヵ月余の雇用で解雇しました。
大阪高裁は、これに断を下しました(ことし4月25日)。松下は職業安定法44条(労働者供給事業の禁止)と労働基準法6条(中間搾取の排除)に違反しているとのべ、解雇は無効としました。
つまり、人材派遣会社は、松下に労働者を供給しているにすぎず、松下から受け取った請負料から中間搾取をしていると認定したのです。
吉岡さんが語ります。
「僕の体験と『蟹工船』はいくつもの点でダブります。『蟹工船』の労働者は立ちあがり、軍隊に鎮圧されます。しかし最後に、『そして、彼らは、立ちあがった。──もう一度!』とあります。感動的です。いま多くの労働者が、『蟹工船』の労働者のように立ち上がっているのですから」
(「赤旗 日曜版」20080629)
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◎「……労働者が立ちあがっていく場面では、泣きました」と。