学習通信080627
◎ナメクジウオから、「なんばんめ」……

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【産経抄】

 「おかあさんは/なんばんめに生まれたの?」。『こどもの詩』(花神社)で見つけた、小学1年生、熊田亘君の作品『なんばんめ』は、こんな問いかけで始まる。

 ▼亘君が知りたいのは、おかあさんが長女か次女か、なんてことではない。もっともっと、スケールの大きいことを聞いている。「にんげんが海から生まれてから/おかあさんは/なんばんめ?」。

 ▼これが、ヒトの祖先といわれてもなあ。数日前新聞で、「ナメクジウオ」の写真を見ての感想だ。脊椎(せきつい)動物の進化の源流が、従来考えられてきたホヤの仲間ではなく、ナメクジウオの仲間であることが、遺伝子解析によって証明されたというニュースだった。

 ▼もっともナメクジウオから、「なんばんめ」に今の自分があるのか。そんなふうに想像してみると、ミミズの親戚(しんせき)のような形の生き物にも、親しみがわいてくる。私たちの由来をもっと遡(さかのぼ)れば、約40億年前の地球にすでに存在していた海にたどりつく。そこでできた「有機物のスープ」から、最初の生命が誕生した。

 ▼そこから数えたら、「なんばんめ」になるのか。とここまで書いて、窓の外の雨を眺めた。梅雨前線は、日本列島にべったり張り付いたままだ。テレビは、各地の土砂崩れの被害を伝えている。あらためて、「水の惑星」地球の、なかんずく「水の国」日本で暮らしていることを実感する。

 ▼ただ水自体は、宇宙では珍しい物質ではないらしい。米航空宇宙局(NASA)によると、火星探査機「フェニックス」が、氷とみられる白い塊を掘り出した。火星も大昔は、水に恵まれていたようだ。さらに有機化合物が見つかれば、「なんばんめ」かまでの生命が、かつて存在していた可能性が強まってくる。
(「産経」20080623)

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《潮流》

魚でもナメクジでもない。しかし、名前はナメクジウオ。オタマジャクシのしっぽのようなこの生き物が、ヒトなど脊椎動物の祖先だとはっきりしてきました

▼長さ五a足らず。心臓も、脳といえるほどの器官もない。浅い海にすむナメクジウオの体を支えるのは、筋肉のような棒状の脊索(せきさく)です。実は、ヒトの赤ちゃんも脊索をもって生まれます。しかし成長とともに退化し、脊椎に置きかわっていきます

▼脊椎動物の祖先をめぐっては、説が分かれていました。先に現れたのはナメクジウオの類か、ホヤの類か。国際共同研究グループがナメクジウオのゲノム(全遺伝子情報)を解読したところ、ナメクジウオが古いと分かりました

▼ナメクジウオは、五億数千万年前に地球に登場したとみられます。そして、はるかな時をへて似ても似つかぬヒトヘと進化した、というわけです。しかし、進化論を唱えたダーウィンが考えた通りです。つまり、人間は高貴な資質を備えているが、体には下等な起源を物語る消し去りがたいあとかたが残っている

▼ヒトの祖先も、わが日本では絶滅が心配されています。海が汚れ、すみかの砂地も埋め立てや砂採りで滅ってしまいました。本紙の〇六年五月二十一日付「科学のひろば」は、広島大学の安井金也教授たちが研究に欠かせないナメクジウオの飼育に世界で初めて成功した、と報じています

▼さて、ヒトは今後どう進化していくのでしょう。日本のナメクジウオのような危ういめに陥りませんように。
(「赤旗」20080621)

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第13回現代の進化論

ミクロの細菌から、数十兆個の細胞で体が形づくられる哺乳動物まで、生物の進化は地球上に数百万種もの生物の種類を出現させました。現存する生物の陰には恐竜をはじめとして滅びていった数々の生物たちも。その進化のメカニズムは何か。現代の進化論をめぐって、対談相手は宇佐美正一郎さんです。

北海道大学名誉教授
宇佐美正一郎さん
 一九一三年、東京生まれ。東京帝国大学理学部植物学科卒。北海道帝国大学助手などをへて五三年から七六年まで北大理学部生物学科教授。植物生理学、生化学が専門。細菌や植物の物質の代謝や調節および適応を研究するかたわら、進化論の動向に注目し研究をすすめる。「生命の起源と進化学会」会員、北大名誉教授。

進化のしくみはどこまでわかつたか

現代の生物学とダーウィン進化論

不破……宇佐美さんのご専門は?

宇佐美……植物生理学、生化学です。バクテリアや植物の物質代謝を調べてきました。生化学の実験では、現在の生物の体の中の瞬間的な物質変化をみるのが主なんですね。でも、いまの生物には祖先があるわけですから、代謝のしくみも、祖先のやり方がいろいろ進化しながら、いまの生物に担われてきているはずなんです。

不破……進化論も、そういう立場から追ってこられたわけですね。

宇佐美……進化論をどうとらえるかは、生物をどう理解するかの根本と深くつながっていますから。生物学にとって、歴史的な見方は切り離せないんです。

不破……進化論というとまずダーウィン(英)ですが、ことし(一九八九年)は『種の起源』が出版されて百三十年になります。ダーウィンの画期的な功績は、@生物の進化の事実を確認したこと、A進化のしくみを解明したことに大きく分けられると思います。まず進化の事実という方面では、この百三十年の間に、地球四十六億年の歴史のなかで、最初の生命の誕生から現在まで、実に豊富な内容で確認、実証されてきたといえますね。

宇佐美……ダーウィン自身はビーグル号で世界をまわり、たくさんの標本を集めて、進化の事実を確定したわけです。けれど、当時は、その結論は、「すべての生き物はいまの形のまま神が創造した」とするキリスト教の常識と真っ向から対立した。いまでは、生物の進化は、生物学だけでなく、一般の常識になっていて、隔世の感があります。

不破……進化のしくみについてのダーウィンの考えは?

宇佐美……ダーウィンの説明は、生物は多産でしかもさまざまな方向に変異する、こうして変異した生物が「自然のふるい」にかけられ(自然淘汰)、環境によりよく適応できたものが生き残り、それが遺伝で蓄積されて、生物の進化が起こるというものでした。

遺伝の機構が解明されて

不破……遺伝のしくみはまだわかっていないということを、ダーウィンは何度も強調していますね。

宇佐美……それがダーウィン以後、遺伝学の発展によって解明されたのです。生物の変異というのは、遺伝子の突然変異によって起こることがはっきりし、その突然変異と自然淘汰によって進化を説明できるようになりました。この遺伝学でダーウィン以前のラマルクの説が否定されたのです。

不破……ラマルクといえば、私が子どものとき、最初に読んだ進化論の本は、キリンは高い
所の葉を食べようと首をのばしているうちに、あんなに長い首になったという説明でしたよ。

宇佐美……よく使う器官は発達するというラマルク説ですね。この説が成り立つためには、親が努力を重ねて得た機能や形質が子どもに受け継がれなくてはならないんです。これを「獲得形質の遺伝」といいますが、現在の遺伝学は獲得形質の遺伝はありえないという立場をとっています。

分子レベルの進化と生物の進化

不破……その自然淘汰説にも、いろいろ問題が出てきていると聞きますが。

宇佐美……一番大きな間題は、生物の進化をすべて自然淘汰だけで説明できるか、という点ですね。

 遺伝子の本体がDNA(デオキシリボ核酸)とよばれる分子だということがわかり、その構造や遺伝情報の担い手としての役割や働きがわかってきて、遺伝を分子のレベルから研究する分子遺伝学や、これを統計的に扱う集団遺伝学という分野が進んできました。

 生物が進化するときには、当然、その生物の遺伝子も構造が進化しているわけですが、これを研究してゆくと、DNAの分子やその遺伝情報によってきまるタンパク質の分子が分子レベルで起こす変異の大部分は、生物の形態や機能の変化にはまったく現れない、だから自然淘汰という「自然のふるい」にはかからないということがわかったんです。生物にとって有利でも不利でもないという意味で「中立的」な変異と呼ばれます。こうした「中立的」な変異が、偶然によって、種の全体にひろがり、少なくとも分子レベルの進化をひきおこすという説が「中立説」で、日本の木村資生さんが唱えました。

物質の法則でしくみに迫る

不破……この「中立説」と自然淘汰の関係については、だいぶ論争的な議論があったようですが、最近の文章を見ると、何かおたがいに落ち着いて論じあっているような気がしますね。

 これまで生物の進化というと、その生物の形態や機能が変わってくる、いわゆる「表現型」の進化のことでしたが、ここでは当然、自然淘汰が働くわけで、このことは「中立説」の方たちも否定しないわけでしょう。間題の分子レベルの遺伝子の変化というのは、そのずっと基礎にあたる部分での進化の間題で、それが「表現型」のレベルで生物のからだの変化や機能の変化として現れるまでには、まだまだ解明されていないいろいろな中間段階があると思うんですね。

宇佐美……木村さんも「表現型」のレベルの進化と分子のレベルの進化の間には「橋渡し」が必要だと書いています。現在の研究では、分子のレベルと生物としてのレベルとのギャップが大きいし、そこを埋め切れていないことを見ておく必要があると思います。

不破……いずれにしても、ダーウインが未解明だとした進化のしくみと法則が、分子のレベ ルで明らかにされ、進化のしくみを遺伝子、DNAを通じて、物質世界の法則としてとらえる努力が始まったということは、進化論の発展にとって大事な土台になりますね。

生物自身の発展性も進化の土台に

宇佐美……自然淘汰万能という考え方には、もう一つの問題もあります。

 たとえば昨年(一九八八年)秋、イギリスの科学誌『ネーチャー』に大腸菌についての論文が載ったんです。大腸菌は本来は乳糖を栄養源として使わないのに、乳糖に接触させておくと、新しい適応力ができて、乳糖を分解する酵素ができたのです。同じようなことは薬の抗生剤を使っていると、細菌に耐性ができてその薬が効かなくなるという例でも見られます。細菌がこの抗生剤に抵抗する新しい性質をもったわけですね。

不破……細菌が新しい性質を獲得したということですか。

淘汰だけでなく能動的に

宇佐美……いまの遺伝学の定説では、大腸菌の中にそういう変異種がもともといて、乳糖や抗生剤と接触することでその変異種が生育したと説明するんです。しかしそのような変異種のほかに、まったく新しい酵素タンパクができたと考えなければ説明できないデータが出されたわけです。これが事実だとすると、これまでの定説はあてはまらなくなる。生物が環境の「ふるい」にかけられるという受け身の淘汰だけでなく、環境にたいして生物自身が能動的に適応していく点も、進化のうえで考える必要があると思うのです。

不破……生命の歴史を振り返っても、地球の大気に酸素を生み出したのは生命だったし、その新しい環境に適応して生命は新しい進化をとげ、陸上に本格的に進出して大発展をとげてきましたからね。与えられた同じ環境のもとで、増殖による「生存闘争」を繰り返してきたわけではなかった。新しい未開拓の環境、空間を得るたびに、それを大規模な進化の条件にしてきたのが、進化の歴史の実際でしょう。

宇佐美……酸素をつくる光合成生物の登場にしても、クロロフィルという分子(葉緑素)ができなければ不可能でした。それ以前にはこんな分子はなかった。こう考えると、まったく新しい形質を環境に適応して生物自身が獲得し、受け継いでいく可能性も見なくてはいけない。

 つまり「獲得形質の遺伝」といわれたこれまでの現象は、遺伝子の突然変異と自然淘汰によって説明できるというのがいまの生物学の定説でして、「獲得形質の遺伝」ということばもいまはタブーなんです。しかし実験事実で完全に否定されたわけではない。私はこの点はもう少し柔軟に考えた方がいいと思います。

不破……「獲得形質の遺伝」ということは、後の遺伝学では否定されましたが、ダーウィン自身は否定しなかったし、エンゲルスはむしろ積極的に主張していました。だから、本来的に進化論と矛盾するものではないわけで、タブーを設けず、自然を自然の事実そのもので解き明かしてゆくということが、大事ではないでしょうか。

宇佐美……そう思います。

エンゲルスの予見と現代生物学

不破……『種の起源』はマルクスとエンゲルスもたいへん熱心に読んだようで、十九世紀の「自然科学の三大発見」の一つにあげると同時に、間題点もいろいろ指摘していますね。

宇佐美……エンゲルスが進化論を大局で高く評価しながら、この学説が「これからも個々の点で多くの変更を受けることになる」ことを指摘しているのは、本当に卓見ですね。また、猿から人間への進化の解明は、とくにすごいと思います(『自然の弁証法』)。それまでは漠然と、脳が特別に発達したものがヒトの祖先になったと考えられていた。ところがエンゲルスは、まず直立歩行するサルが現れ、手が自由になった、その自由になった手で労働を始めたことが、脳を発達させた、とのべたのです。

 一九五〇年代になって、アフリカで発見されたアウストラロピテクス(猿人)が人類の祖先であることが確認されて、エングルスの主張が証明されました。この猿人は、およそ二百万年前に生息していたのですが、脳の容積は現在のゴリラくらいしかない。これで、まず二足歩行をしたことがヒトヘの進化の第一歩で、それから脳が発達したことが確かめられました。

不破……生物学に限りませんが、エンゲルスが現代の自然科学の飛躍的な発展を目の前にしたら、それこそ興奮するでしょうね。

宇佐美……宇宙の中で化学進化で有機物が作られ、これが生命の材料になってゆく。有機物は生物がいなくても作られることもエンゲルスがいったことですが、これも確かめられました。

不破……地球と生命の歴史、人類の歴史の時間的なスケールは、ダーウインやエンゲルスが予想したよりもはるかに長かったわけですね。

宇佐美……よく学生に話したんですが、四十六億年の地球の歴史を一日二十四時間におきかえて考えると、最初の生命の誕生は午前五時すぎ、それから生命の進化のゆっくりした歩みが続く。哺乳類が出現したのが午後十一時、人類の祖先の登場となると、午後十一時五十九分二十三秒ということになるんです。(笑い)

部門をこえた総合的研究で

不破……これからの進化論の進み方では?

宇佐美……古生物学、分子遺伝学、集団遺伝学、動物行動学、こういう各分野の研究者がもっと互いの見地を交流しあうことですね。これまでも「生命の起源と進化学会」で天文・地球科学者も含めた討論をすすめてきましたが、進化論は歴史科学であると同時に総合科学ですから、こういう努力が大事だと思います。

 進化というのは数万年から数億年という時間のスケールで現れますから、実験室の中で目撃するわけにゆかない。この点では、物理学のように、実験とあわせて理論のレベルが先行してゆく努力も大事だと思います。

不破……部門を超えた科学者の総合的な研究で、進化という巨大で精密なしくみを解き明かしてゆく努力を、大いに楽しみに見守りたいと思います。(「赤旗」日曜版一九八九年四月二十三日号)
(不破哲三対談集「自然の秘密をさぐる」新日本出版社 175-187)

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◎「人間は高貴な資質を備えているが、体には下等な起源を物語る消し去りがたいあとかたが残っている=vと。