学習通信080612
◎ミミズの顔をみて……

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名作をたのしむ
チャールズ・ダーウィン『ミミズと土』

ダーウィンに支えられて、一筋の道を
中央大学名誉教授
 中村 方子

 生き物が大好きで、真っ白なアブラゼミが羽化する様子を飽かすながめていた女の子は、戦後の新制大学一期生になり、迷わす動物学を専攻しました。大学三年のときに読んだその本に刺激されて、ミミズの研究を生涯の仕事とすることに……。七十八歳のいまも、その本の「続き」を研究しています。

 ビーグル号をおりてから

中村…… チャールズ・ダーウィンといえば、進化論の古典『種の起源』を思い浮かべる方が多いと思いますが、私は『ミミズと土』をおすすめしたいですね。意外と知られていないことですが、ダーウィンは四十年間ミミズを観察し、研究しつづけたのです。

 私が最初に読んだのは、おそらく初版の原書のようでした。ミミズが穴に物をひきずりこむのをじーっと観察している。ミミズにピアノの音を聞かせて、振動に反応する様子も克明に書いている。あの偉大なダーウィン先生が……とおもしろくて夢中で読んだのです。

 ダーウィンは一八三一年から足掛け五年、イギリス海軍のビーグル号に乗り込んで南半球の地質やさまざまな動植物を観察・研究したのですが、下船してからは、旅の途中で感染したシャガス病の影響で不定愁訴を訴え、ぶらぶらした生活を送りました。療養もかねて郊外のダウン村に移り住み、そこで『種の起源』を書くわけですが、同時に、広い庭や近くの防風林で植物や昆虫を毎日観察しました。その観察記録が『ミミズと土』です。

 それまで退治するもの≠ニ思われていたミミズが、ダーウィンの研究によって、土を耕す、役に立つ生き物だと認識されました。腐った植物もミミズの腸管を通ってすばらしい団粒構造をもった土壌に代わり、栄養たっぶりの糞を土の中に排出しているのです。

 ダーウィンは平坦な美しい芝の丘を見たときに、「すべてのでこぼこがミミズによって、ゆっくりと水平にさせられたのだということを想い起さなければならない」と書いています。鋤は人類が発明したもののなかで最も古い道具の一つだが、人類が出現するはるか以前から、土地はミミズによって耕され続けてきたのだ、とも。この本を読むと、そうしたダーウィンの着眼点の素晴らしさに感動するのです。

ミミズ追って世界ヘ

 都立大学理学部助手を経て、一九七九年に中央大学経済学部に転職、八二年に教授に。ミミズの研究のためにポーランド、ギアナ高地、ガラパゴス諸島、ハワイ、パプア・ニューギニア、オーストラリア、チベット、モンゴル、コスタリカなどを訪れています。

中村…… ダーウィンはガラパゴス諸島でさまざまな生物の観察をしたのですが、島独自のミミズがいるとは想像もしなかったようで、ミミズの研究はしていません。ミミズは塩水に弱いので、ガラパゴスのように大陸から千キロも離れた海洋島では、独自の種として繁殖しないと考えられていたのです。

 噴火によってできた島で植物や生物が繁殖するには、近くの島や大陸から鳥や風によって運ばれてくることが必要です。そうして島独自の種として繁殖します。でも、塩水に弱い生物は海を越えてこられないのです。

 ところが、私はふとしたことから、ガラパゴスの古老が「かつてスカレシア(キク科の植物)の林に糸くずのようなミミズがいた」と書いたものに出合ったのです。「ガラパゴスにも独自のミミズいた!?」と驚いて、すぐに現地調査に向かいました。二度目の訪問でやっと三千四百メートルの火山の頂上付近で、古老が言ったミミズと同じものを見つけたのです。

「わからない」ことも率直に

 実はそうした発見の助けになったのも、『ミミズと土』なのです。そこでダーウィンは、亜南極の島になぜ塩水に弱いミミズがいるのかわかっていない。不思議だ≠ニ書いています。そこがダーウィンの素晴らしいところで、「ここがわかった」「新しい発見だ」というだけでなく、「わからない」ということもきちんと書いていた。最初に読んだときにはすっと読んでいたけれど、「ガラパゴスに独自のミミズがいる」と聞いたときに、「そういえば、ダーウィンが書いていた」と思い出しました。

 ダーウィンが指摘したミミズも、私がガラパゴスで見つけたミミズも、おそらく塩水に強い種類のミミズではないかといまは考えていますが、研究途上です。

 学問というのは、いま真理だと思われていることが永遠ではなく、新しいことが証拠をもって明らかにされていく過程です。ダーウィンはそういう立場をつらぬいているのです。

出産後も働きつづけて

 女性研究者の草分け。女性が出産しても働き続けることが困難だった時代に、差別やいやがらせも受けながら、一人息子を育てながらの研究生活でした。中央大学では、「経済を学ぶ女子学生のために」と私費で奨学金制度をつくりました。

中村…… 当時の研究者の給料はほんとうに少なかったんですよ。子どもをあずける施設もない時代でしたし、いま振り返ると、よく死ななかったわ、と。(笑い)

 精神的にも肉体的にももう限界だとくじけそうになったことが何度もありました。でも、いま何をやりたいかを自問すると、結局ミミズの研究だろうと思い、それなら現職に踏みとどまってもう少しがんばってみようと思って半世紀を過ごしてきたんですね。

 ダーウィンが長い年月をミミズとつきあったように、私もミミズとのつきあいがあったからこそ、一筋の道を歩んでこられたのだと思います。
(「女性のひろば 08年5月号」日本共産党中央委員会 p52-55)

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ミミズと地球と経済学
 藤岡 惇

 二〇〇七年のノーベル平和賞は、地球温暖化問題に警鐘を鳴らしたアル・ゴアさんたちに与えられた。〇六年度はグラミン銀行を創設したモハメド・ユヌスさん、〇四年にはケニアの農村女性とともに植林作業に取り組んだワンガリ・マターイさんが受賞された。

 崩れぬ平和を築いていくには、軍事や外交だけを重視しても限界がある、もっと深部に注目し、平和の経済的ないしエコロジー的基盤を築く営みを重視すべきだ、というメッセージを選者委員会は送ろうとしたのだろう。

森を造ると雲が浮かび、
土壌を肥やすと平和が築ける

 第一次大戦前夜にキリスト者の内村鑑三が、『デンマルク国の話』(岩波文庫)という本のなかで紹介した「もみの木の植林」の話をご存知だろうか。

 一八六四年にプロシアとの戦争に敗北したことを契機に、デンマーク国民は覇権戦争に走ることの愚を悟り、「外に広がるのではなく、内を開拓しよう」という道を選び、ユーラン半島(ユトラント半島)北部の不毛の地に植林しようとした。大変な労苦のすえ一〇〇万エイカーの荒地は豊かな森林に変わっていった。荒地や砂漠のばあい、たまに雨が降っても水分はすぐに地域外に流出していく。

これにたいして森林のばあい、雨水は葉っぱや下草に長く留まるので、森の上にぽっこりと雲が浮かぶ。

そうすると雨がよく降るようになるので、気候は温和となり、土壌が肥沃になる。その結果、デンマークは屈指の豊かな酪農国に変貌したのだと内村は説き、満州に進出しようとしていた当時の日本の帝国主義的な風潮に警告を発したのだ。

 肥沃な土壌のばあい、一つかみの土のなかに六〇億を超える微生物が生息している。わずか数十グラムの土壌のなかに、人類の総数に等しい数の微生物が織りなす世界が展開しているのだ。土壌のなかの微生物を栄養源にして大小多様なミミズが生息するようになると、大量の糞を生み出し、土壌を肥やしてくれる。かつてチャールズ・ダーウィンは、ミミズを「地球の偉大な大腸」と形容したことがあるが、ミミズが大量にいるところでは畑を耕す必要さえ減るという。ミミズが無数のトンネルを掘り、土を団粒化し、土壌をふっくらとさせてくれるからだ。

 健康な微生物が分解した化合物を栄養源とすることで植物が健康となる。この植物を栄養源にすることで健康な動物が生まれ、これら動植物の「いのちをいただく」ことで、心身ともに健康な人間が育まれる。また人間の生存のために不可欠な「人権財」(たとえば水・食物・エネルギー)だけでも自給できるようになると、生存への不安感は減り、国際関係はもっと穏やかで、協調的なものとなるに相違ない。したがって土壌のなかで大量のミミズが幸せに暮らしている国ほど、住民の健康度、社会関係の平和度が高くなっていくのは当然だ。

地球温暖化を
防止するために必要なこと

 地球圏のなかで炭素はどこに分布しているのだろうか。海洋の炭素固定化作用(二酸化炭素を石灰岩に変える作用)をひとまず措くとすると、いま世界では、固体の炭素が毎年七二億dほど燃やされ、二酸化炭素に姿を変えて大気中に排出されている。

 その結果、第一に炭素は七五〇〇億dの二酸化炭素という姿をとって大気中に存在するようになり、大気熱の地球外への放散を妨げ、大気圏の温暖化をもたらしてきた。

 第二に、炭素は化石燃料(石炭・石油・天然ガス)という姿をとって、地中のなかに四兆d存在している。

 第三に、五五〇〇億dの炭素が、地上(一部は海中)の植物(樹木や野菜、海草)という姿をとって固定化されている。第四に、土壌有機物という姿をとって一・五兆dの炭素が土壌のなかに留まっている。

 なお注釈を加えると、土壌とは、微生物が大量に生育している地層をいい、地球の表層をごく薄くおおっているにすぎない。地表から一b以上の深さに漂するケースはごく稀だという。

 地上の植物群が蓄える炭素の三倍という膨大な炭素が土壌内に存在しているのだ。土壌のなかで炭素の一部は酸素と化合して二酸化炭素、泥土のなかの発酵を介してメタンガスとなっているが、地中に閉じ込められている限り、温暖化を促進することはない。地上の植物のばあいは、平均すると一〇年後に炭素は二酸化炭素となって放出されるが、炭素が土壌の中に入りこむと、地上よりもはるかに安定的となり、平均すると五〇年は地中に留まるという。

炭素を大地に戻すための計画

 豊かな土壌をつくるにはどうしたらよいのだろうか。まずは落ち葉・稲わら・生ゴミ・糞尿の堆肥化を進め土に戻す。その上で荒地や遊休地に木を植えていく。住宅を建てるばあいは、材木の地産地消を奨励し、近隣の成木を伐採し、百年は住める良質な住宅をつくるという運動を展開したいと思う。木造住宅・ログハウスからなる街を造ることは、炭素の固定化という観点からみると大規模な造林事業を行っているのと同じこと。樹齢百年をめざす「都市の森」創生計画だと言い換えてもまちがいではない。

 百年後に家を取り壊したとしよう。その際に大量の廃材が出てくるだろう。廃材は炭にし、細く砕いたうえで、土壌のなかに埋めもどしていこうというのが私の提案だ。炭化しておくと酸化されにくくなるので、炭素の土壌中の滞留期間は五〇年より長くなるだろう。炭の表面には無数の穴が開いているので、徹生物の格好の棲み家となり、土壌も肥えていくだろう。多様な炭素化合物=腐植土を豊富に含む土は黒くなる。この作業をとおして、日本の大地を肥沃な黒土地帯に変えていきたいものだ。

 私は、もう一つの構想も温めている。廃材などを土壌圏より深い地層に埋め込み貯蔵していこうという計画である。数百年たつと泥炭になるだろう。数万年たつと立派な炭田、数百万年たつと立派な油田が復活してくるかもしれない。エネルギー不足に見舞われたときには掘り出して使うことができるので、「エネルギーの安全保障」にも役立つだろう。

 炭鉱の坑遺跡や油田の底に二酸化炭素をポンプで送りこみ、長期間封じ込めようという計画が進められているやに聞く。この種の計画のばあい、実現するには莫大なコストがかかるだけでなく、周辺の生態系に悪影響を及ぼす危険があるし、土壌を肥やす役割もはたさない。このような高価で危険な計画よりも、堆肥づくりを進めたり廃材を土壌に戻していくほうが優れており、夢があるように思うのだが、いかがであろうか。すでに日本の関西電力は、インドネシアの現地植林会社と協同して、廃材を炭化して、できた炭を土壌改良剤として土地に戻す計画をもっているという。

動物が幸せになると
人間も幸せとなり、
経済も繁栄する

 動物が野生のなかで本来の幸せを実現しているシーンを見るとき、人間も幸せな気分になっていくものだ。その証拠が北海道旭川市立の旭山動物園の事例であり、兵庫県豊岡のコウノトリの郷文化公園ではないだろうか。渡り鳥のコウノトリが再び飛来してくれるよう、有機農業に徹し、農薬を使わない農村づくりをしようと豊岡盆地の農民たちは決意した。コウノトリが幸せになる地域づくりに励むことで、人間も幸せになれる。そうすると観光客の心の琴線に触れるので、経済的にもペイするという好循環が、豊岡の地に生まれ始めたように思われる。

 むかし「労農同盟」(労働者と農民の同盟)ということが言われた。二一世紀という時代は、この「労農同盟」という言葉の皮袋に新しい内容を盛り込む時代になるのではないだろうか。「生き物と死に物」「農村と都市」の同盟を介して、自暴体の体をとりもどし、心身をエコロジーと文化のなかに埋め込んでいき、大地と宇宙に根を下ろしていく生き方を実践する時代になるであろう。

 漫談家の綾小路きみまろさんは、富士山麓で始めた家庭菜園づくりの体験について、つぎのように語っている。「東京では、人の顔色をみながら、『どうやって生きようか』ってなるけど、田舎では、ミミズの顔をみて、『おれは生かされているんだ』、『どうやって死のうかな』って考えられる」と。

 「都会の銀行に預金がある安心感とは質の違う、大地に生かされているという根源的な安心感」(きくち・ゆみ)を培っていけるタイプの経済学、「自然を崇敬する唯物論」の立場にたった経済学こそが求められているのであろう。

自然・生命を崇敬する
唯物論の大切さ

 二〇五〇年までに二酸化炭素の排出量の半減を実現するためのもっとも実り豊かな方策の一つは、炭素を土壌のなかに固定化していくことだと述べてきた。日本の土壌のなかの炭素含有比率を大幅に引き上げていく「国土の黒土化」年次計画を策定することがまず必要だろう。そのための国民的キャンペーンを先導し、持続可能で平和な社会経済を築いていくためには、どのような質の哲学と経済学が必要なのであろうか。

 自然・宇宙の壮大な進化発展の姿をつかめず、生き物と死に物との区別さえつかない「機械的唯物論」では、到底その任には耐えられないであろう。

 他方、近代の経済学は、人間をエコロジー的な土台や社会・歴史の枠組みから切り離し、類(人類・生物)と累(祖先と子孫)から孤立した「近代個人モデル」という枠組みのなかで捉えようとした。そのため大地・自然が人間を生み出し、「いのち」(身体)が精神(脳・自我)を生み出し、「いのち」が「私」を生きているにもかかわらず、あたかも人間のほうが大地・自然を所有・支配し、精神(脳・自我)のほうが「いのち」(身体)を所有・支配しているかのように考えてきた。

 また人間(自己)とは、「正しいから行動する」という倫理的動機と「得するから行動する」という経済的動機の二本柱で行動するものであり、そのばあいの「自己」の範囲も、人間的発達のレベルに応じて、大きくも小さくもなる。人間的発達のレベルが高くなると、「自己」の範囲は、「孤独な脳」から身体、家族、一族郎党、地域社会、民族、国民、人類、生物界、地球といったレベルに拡張し、「自我」は「小我」から「大我」へと発展していくものだ。しかるに近代の経済学は、自我の発展を「小我」というレベルに固定し、「自分だけ、今だけ、お金だけ」というレベルで行勣する「経済人モデル」が実際に成立するかのように仮定して、経済理論を組み立ててしまった。

 自分の脳を主軸として世界は回っているかのように考えるこのような天動説的な観念論を克服していくことが、持続可能な経済社会を築いていくために不可欠だと、私は考える。言い換えると私(自我・脳)が、いのちをもっているという観念論的観点から、いのち(客観的な自然のなかのいのちの流れ)が私として存在している(いのちが私を生きている)という唯物論的観点に転換することが・必要なのだ。

 弁証法的唯物論を「自然・生命を崇敬する唯物論」に鍛え上げ、そのような宇宙観・人間観に立脚した経済学を構築していくために、微力を尽くしたいと考える。(ふじおか あっし・立命館大学教授)
(「経済 08年7月号」新日本出版社 p156-159

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◎「 学問というのは、いま真理だと思われていることが永遠ではなく、新しいことが証拠をもって明らかにされていく過程」と。