学習通信080609
◎ホンモノだけである……
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おはようニュース問答
若者の間で『蟹工船』大ブーム、なぜ
のぼる 小林多喜二の『蟹工船』が売れているんだってね。
陽子 若者にすごいらしいね。
のぼる 新潮文庫の『蟹工船』は今週あらたに五万部増刷を決めたそうだ。この二カ月で合計二十四万部だよ。
「それって蟹工」
陽子 戦前のプロレタリア文学全盛時代に発表されて大評判を呼んだ。その時に売れた単行本は弾圧の目をくぐりぬけて半年で三万五千部も売れた。
のぼる 今の広がりも、国家権力の妨害がないとはいえ、驚きだ。おそらく『蟹工船』の歴史の上でも最大のブームだね。
陽子 蟹工船は北洋でカニを捕って船上で缶詰にした船。四百人近くが乗って、一度漁に出ると半年近く戻らなかった。小説は、船上での過酷な労働と虐待から、労働者がついにストライキに立ちあがるまでを描いているわ。それがいまの若者に受けるなんて想定外ね。
のぼる いまの派遣やフリーターの若者が『蟹工船』と同様の劣悪な労働条件におかれているということだよ。日雇い派遣で働く若者が悲惨な待遇を「それって蟹工じゃん」と言い合っているそうだ。
陽子 今年あった『蟹工船』青年読書エッセーコンテストも予想を上回る百通を超す応募があったそうよ。「『蟹工船』で登場する労働者たちは、私の兄弟のようにすら感じる身近な存在だ」と書いた人もいる。
多喜二作品の力
のぼる テレビで派遣社員の青年が『蟹工船』を読んで「共感を持てた」と言っていた。「自分で行動を起こすことが正しいことだと学んだ」と言っていたけど、そんなことを訴える小説はなかなかないよ。
陽子 小林多喜二は悲惨な貧困を描くことから出発して、貧困を生み出す社会のあり方を根本的に変えるたたかいを描く方向にすすんだの。自分も当時非合法の日本共産党に入党し、二十九歳で特高警察の拷問で虐殺された。だけど、多喜二の作品は不滅ね。
のぼる 今年は没後七十五周年だった。戦前ともに活動した手塚英孝さんの書いた伝記『小林多喜二』もあるし、もっと多喜二の生涯も知りたくなったよ。
(「赤旗」20080604)
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特集
「蟹工船」ブームの小林多喜二は
「エリート銀行員」だった
プロレタリア文学。もはや死語と思われていた分野の代表作『蟹工船』(新潮文庫)が、売れに売れている。そこに描かれた労働者たちが今日のワーキングプアそのものだ、というのだが、作者の小林多喜ニは、実はエリート銀行員だったのだから、びっくり──。
歴史の教科書にも出てくるので、小林多喜二の『蟹工船』がプロレタリア文学の代表作なのは、大方がご存じと思うが、そのわりには読んだ人は少なかったのではなかろうか。だが、それも過去の話。先日までアナクロ扱いされていたこの小説がいま、脚光を浴びているのである。それも静かなブーム≠ナはなく、「爆発的な勢いです」
と、新制文庫の担当者も驚きを隠さない。
「2月14日の朝日新聞朝刊が、『蟹工船』の過酷な労働と現代のワーキングプアの類似性を指摘してから、都内で売上げが伸び始めました。そこで3月中旬に7000部の増刷を決め、大型書店でどんどん売れ出したので、2万部追加することに。続いて日経、読売など主要紙が相次いで記事にして予想以上の反響があったので、さらに3万、5万と増刷を決めました。96〜07年の増刷数の合計が4万8000部なのに、すでに5月だけで10万部です」
今夏は「新潮文庫の100冊」にも、28年ぶりに復活する。書店に聞いても、「2ヵ月前までは月に2、3冊売れればいい方でしたが、5月半ばからは1階のオープン台に300冊積み、週に50冊は売れました。5月18日の丸善全店の文庫売上げで第2位です」
と、丸善・日本橋店が答えれば、三省堂有楽町店も、
「5月半ばの週は、三省堂全店で売れた文庫本の第2位でした。この店だけで週100冊売れています」
活字だけではない。たとえば、昨年9月には『蟹工船(まんがで読破)』も刊行され、図らずもブームに遭遇したという。版元のイースト・プレスによれば、
「ここ1、2ヵ月は目に見えて注文が増え、来週2万部増刷することを決めました。このシリーズはこれまで17冊出し、平均して3万〜4万部ですが、『蟹工船』はすでに7万部で、頭ひとつ抜けている感じです」
ところで、粗筋をあらためて記してみろと──オホーツクの蟹工船上で蟹の缶詰加工に従事している出稼ぎ労働者たちは、不潔で劣悪な環境下、低賃金で酷使され、ついに団結して暴力的な監督に立ち向かう……。
なにやら左翼のプロパガンダのようで、実際、
「革命のための文学だったのです。多喜二は1931年、非合法だった日本共産党に入党し、実践家でもありました。それどころか、日本プロレタリア作家同盟という共産党の息がかかった組織の書記長兼中央委員で、実質的に党の文学運動のトップでした」
と、多喜二の故郷にある小樽文学館の玉川薫副館長。前出の新潮文庫の担当者によれば、ただでさえ、
「一度売れ行きが落ち着いた古典が再びブームになるケースは極めて珍しい」
というのに、こんなに党派性むき出しの作家の作品が平成の御世に大ブームとは、どんなわけだろうか。
社会の蟹工船化
「若者の間で蟹工船ブームが起きると思っていた」
とあっさり言うのは、作家の高橋源一郎氏である。
「昨年夏ごろ、明治学院大のゼミで学生に『蟹工船』を読ませたら、違和感なく面白いですね≠ニ言うんです。フリーター生活を当り前に感じている学生たちは『蟹工船』を、自分たちの問題を映し出したドキュメンタリーとして理解しているようでした。70〜80年代には、プロレタリア文学はこういう読まれ方をされず、貧困≠ヘ古びたテーマになり、抽象的でお洒落な小説が増えました。しかし、若い人の話を聞くうちに、ある種の貧困が限度を超えて進んでいることがわかってきた。社会の蟹工船化≠ェ否応なしに進み、文学史の1ページだったプロレタリア文学が若い人に再発見されたのです」
だからだろうか、今年2月に表彰式が行なわれた「『蟹工船』読書エッセーコンテスト」も、
「予想を大きく上回る117通の応募がありました」
と、選考委員を務めた女子美術大学の島村輝教授は驚きつつ、分折する。
「バブル崩壊直後の失われた10年≠ノ就職活動した世代は今、20代半ば〜30代終り。就職活動に失敗して、今もアルバイト生活の人も多く、『蟹工船』に書かれた貧困に実感を持ち、共感を寄せているのです」
コンテストで大賞を受賞した山口さなえさん(26)も、共感を覚えたクチだろう。大阪の会社をクビになって上京し、偶然、
「漫画版を見つけ、エッセーコンテストもあるというので応募するため買いました。でも、漫画じゃあまり感動しなくて小説も読むと、最後のそして、彼等は、立ち上った。──もう一度!≠チて1行に感動して、これならエッセーを書けると思いました。現代だったら、最後は主人公が犯罪に手を染めるか、自殺しちゃう気がする。1回ストライキを失敗して、もう1度立ち上がるっていう結末を読んだとき、私の中の希望の選択肢が増えました。生きる意味を提示された気がしたのです」
前出の三省堂有楽町店に聞いても、やはり、
「買うのは20〜30代のサラリーマンが多い」
と言う。が、そもそも『蟹工船』とは、昔から普遍的な小説だったと、再び島村教授が強調する。
「『蟹工船』は1929年に日本で出版された直後に各国語に翻訳され、世界中の様々な国で読まれ、国際的な評価を受けました。今、村上春樹さんの小説が世界中で読まれていますが、その前に国際的に認められた作家は多喜二ですよ」
が、そこには、社会主義思想の席巻という当時の世界情勢も絡んでいる。もっと意外なのは、
「多喜二はああいう作品を書きつつも、食うに事欠くことはありませんでした」
と、島村教授が明かす事実である。
「1903年に秋田県大館で生まれ、4歳のときに北海道に一家で移住し、伯父のパン屋を手伝っていました。小樽商科大の前身、小樽高等商業に進んだだけで超エリートです。当時の北海道では理系は北大、実業界に進むなら高等商業が一番でした。卒業後、北海道拓殖銀行に就職、一種の知識人として十分に豊かな暮らしをしていたのです」
前出の、小樽文学館の玉川副館長によれば、
「初任給は80円。当時としてはかなりの高給で、銀行員としても優秀でした」
それが、なにゆえに貧困≠描くことになったのか。白樺文学館多喜ニライブラリーの佐藤三郎学芸員が説明する。
「実は多喜二は貧農の生まれで、小樽に渡ったのも夜逃げ同然でした。さらに小樽の家の近所には、全国から労働者が低賃金で集められた、いわゆるタコ部屋があり、過酷な労働を目の当たりにします。また料理屋の酌婦として身を売っていた田ロタキという女性と付き合い、貧しさゆえに身体を売って生活せざるをえない彼女の境遇に、心を痛めたのだと思います」
それだけではない。
「銀行員だったからこそ、労働運動に転じたのです。経済の裏の裏を見せられて、銀行や地主が弱者を搾取する実態に憤慨し、社会で虐げられている人の気持を、文学によって代弁するようになったのです」
こうして5年で拓銀を退職する。真相は『不在地主』という中篇で拓銀を批判的に描いたため、解雇されたのだが、ともかく、以後労働運動に邁進し、33年、特高警察によって拷問死させられるのである。
生への道筋
しかし、貧困を描いた作品は多いのに、なぜ『蟹工船』ばかりが脚光を浴びるのか。前出のエッセーコンテストで奨励賞を受賞した神村和美さん(31)は、
「読むたびに新鮮な驚きがある。文学作品として自立しているのです」
と、こう続ける。
「とにかく表現が過激。性欲も露骨に描き、弱者が弱者を踏みつける描写にも迷いがない。そこにウソを一切感じません。糞壺≠ノ押し込められた労働者が人権に気づき、れ(けが)れていたはずの存在が正義≠ノ気づくことで反転していく仕掛けも面白い。比喩もモダニズム的で納豆の糸のような雨∞南部センベイよりも薄くされた≠ネど、ユニークです。労働者の視線に合わせた生活感のある言葉遣いですね」
だから意外な人の共感も呼ぶのだろう。例のエッセーコンテストを共催した白樺文学館の佐野力館長(67)は、ソフトウエア大手、日本オラクルの元会長。99年、の納税者番付では全国46位に入った富豪だが、
「私の母校、小樽商大の大先輩である多喜二の『蟹工船』は、現在の若者にぜひ読んでもらいたい」
と訴えるのである。
「のめり込んだのはビジネスを引退後で、崇拝する志賀直哉が誉めるのを読んだのがきっかけでした。私は経営者として効率化やITに取り組んできましたが、それを極めると、本当にそれでいいのかという気になる。一方、大先輩の多喜二はエリートの道を捨て、最後は命を捨てて人のためになろうとした。いち早く資本主義の矛盾に気づき実践した。今の日本はすさまじい搾取の世界で、多喜二のような弱者に対するやさしい眼差しがありません」
もちろん、多喜二の時代は労働基準法もなく、命の重さが虫けらのように軽いそれに比べれば、現代の若者はマシな気もするが、
「『蟹工船』の乗組員は自らの意志で乗船しており、理論的には自分で降りることも可能ですが、実際は難しい。一度船に乗ると死しか待っていないような状況に追い込まれてしまう。今はそこまで酷い状況は考えられませんが、ネットカフェで暮らす人に決意すれば出られるでしょ≠ニ言っても、そういう場所でその日暮らしを続けながら新しい生活を始める基盤を作るのは、ほとんど不可能です」
前出の島村教授は、『蟹工船』と今をこう結びつけて、さらに結論づける。
「蟹工船の乗組員は、絶望的な状況にあるのに諦めません。なんとか脱却しようと、一縷(いちる)の望みを残す形で終っています。それがどんな厳しい状況でも投げ出してはいけない≠ニ、多くの人を励ましてくれたのだと思う。生きる希望を見つけられない若者に、多喜二の小説が生への道筋を与えたのだと思います」
いちど忘れられながら、再び力を吹き返すのは、ホンモノだけである。
(「週刊 新潮5月20日号」新潮社 p151-153)
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◎「小林多喜二は悲惨な貧困を描くことから出発して、貧困を生み出す社会のあり方を根本的に変えるたたかいを描く方向にすすんだ」と。