学習通信080314
◎戦争中に感覚が……
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この人
ベトナム戦争ソンミ村虐殺生存者で記念館長を務める
ファム・ダイン・コンさん
イラクでも繰り返した。米国は歴史から教訓を学んでいない
「あの日が近づいてくると、恐ろしい出来事の一つ一つが夢の中でビデオのように正確に再現される」。ベトナム戦争中に米軍が南ベトナム(当時)の中部クアンガイ省で民間人五百四人を殺害したソンミ村虐殺事件から一六日で四十年。村で奇跡的に虐殺を免れた生存者二十人の一人だ。
現場で事件を伝える記念館の館長を務めて一六年。「一体、あの日、何が起きたのか?」。来訪者に聞かれる同じ質問にも丁寧に答える。「私の仕事は何か起こったのかを話すことだから」
のどかな田園地帯の惨劇は早朝の米軍ヘリ九機の飛来から始まった。犬、猫、牛など動く物が片っ端から射殺される。当時、十歳。「最初は食料調達と思った」が予測は裏切られ、女性も子供も村人は農業水路に集められて機銃掃射を浴びた。
あの日、米兵から母や姉、妹、弟らとともに防空壕(ごう)に入るよう命じられた。その直後、手榴(リゆう)弾が壕内に投じられ、一番奥にいた自分以外の家族五人全員が爆死。意識を失う中、家族の遺体の下から助け出されたのは、夕方の米軍撤収後だった。
「虐殺に加担した兵士は好きになれないが、戦争中に感覚がまひし、狂ってしまったことには同情する」と話す一方、イラク戦争で繰り返された米軍の住民虐殺には「米国は歴史から何の教訓も学んでいない」と憤る。
過去に旧ソ連など七ヵ国に招かれ経験を語ってきた。「いつか原爆が投下された広島、長崎の今を見てみたい」。生まれ育ったこの村で妻、二女と暮らす。五十歳。
(「京都」20080313)
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米陸軍、脱走兵が急増
80年以来最大
【ワシントン=山崎伸治】イラク駐留の主力となっている米陸軍で、脱走兵の割合が一九八〇年以降最大になっていることが分かりました。戦争の長期化で派遣回数、期間も増えており、軍隊生活に嫌気が差した兵土が急増していることを示しています。
米軍の基準では、無許可で三十日以上持ち場を離れると「脱走兵」となります。米陸軍の集計で、二〇〇七会計年度(〇六年十月〜〇七年九月)は兵士千人当たり約九人が脱走兵。これは約七人だった前年度を上回っています。
陸軍の脱走兵の割合は、徴兵制が敷かれていたベトナム戦争当時は兵士千人当たり五十人にのぼり、一九七〇年代には十〜三十人で推移。その後八〇年代から九〇年代には二〜三人にまで減っていました。
イラク開戦後の二〇〇三、〇四年も減っていました。ところが今年はこれまでに四千六百九十八人が脱走兵となっており、これは三千三百一人だった昨年をすでにはるかに上回っています。これは〇三年と比較して80%もの増加となっています。
一方で海軍、空軍、海兵隊では脱走兵の数は減っています。ところが米軍全体では増えており、陸軍の脱走兵の急増がきわだっています。
こうした急増について米軍事専門紙アーミー・タイムズ(電子版)は、イラク増派との関連を指摘。「多くの連中は(イラクに)戻りたくなかったのだろう」という軍事専門家の分析を紹介、イラク戦争の長期化が直接の要因であることを強調しています。
(「赤旗」20071118)
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◎「イラク駐留の主力となっている米陸軍で、脱走兵の割合が一九八〇年以降最大……戦争の長期化で派遣回数、期間も増えており、軍隊生活に嫌気が差した兵土が急増している」と。