学習通信080218
◎モノとは違うのですから……

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私論公論
相次ぐ若者の過労死
龍谷大法学部教授
   脇田 滋氏

規制強化で雇用と健康守れ

 一九九〇年代以降、若者の雇用・労働事情が急激に悪化してきた。パブル経済崩壊後のリストラを背景に、九四年から約十年も「就職氷河期」が続いた。以前なら正社員になるのが一般的であった男性を含めて、フルタイムの非正規雇用が急増している。とくに九九年の派違法改正によって、単純業務や製造業務の派遣や偽装請負で就労する若い労働者が一挙に増大した。最近になって、こうした非正規雇用の若い労働者が健康を害し、生命を失う事例が増えてきた。

 偽装請負会社から派遣されて精密機器検査業務を担当していた二十三歳の男性が、十日以上の深夜連続勤務などが重なってうつ病を発症し自殺した事例(ニコン熊谷製作所事件)。大量販売店へ二重派遣(違法)された携帯電話販売担当の青年(二十六歳)が、サービス早出命令に遅刻したことを理由に派還元上司から、母親の目前で暴力を振るわれて重傷を負った事例(ヨドバシカメラ事件)。いずれも裁判所が派還元と派遣先の責任を認め、損害賠償を命じている。

 派遣や偽装請負では、企業は必要がなくなったり面倒なことがあれば、簡単に労働者の受け入れを打ち切ってしまう。受け入れ側にとっては便利この上ない働かせ方である。その半面、労働者にとっては、いつ職場を失うか分からない不安定雇用である。

 派遣労働者にも労働基準法で半年継続勤務で十日の年休権が発生する。しかし、一カ月など短期更新が多い登録型派遣では、法律が定める最低の権利も、それを主張すれば契約更新を拒否される可能性が大きく、実際に行使することは至難である。

 多くの悩みを聞けば聞くほど、彼らが雇用不安、低賃金、差別、無権刹などに苦しめられ、過酷極まりない状況の下で安全や健康を危険にさらしながら、「労働法氷点下の職場」で働いていることを痛感させられている。

 正社員も厳しい職場環境のなかにいる。サービス残業を含め、信じられないほどの長時間労働が一般化している。月百時間を超える残業(過労死認定基準以上)をしていても「管理職」とされ残業代不払いがあった事例(日本マクドナルド事件)、最高水準の高度医療機関で働いていた若い看護師(当時二十五歳)が人手不足の過酷な交代勤務のなかで過労死した事例(国立循環器病センター事件)。

 こうした裁判例によって、正社員を含めた若い労働者に健康や生活を壊すほどに過酷な働き方が広がっていることが明らかになってきた。

 以前には「ニート」「パラサイト」などと、「自立しない」若者を非難する論調があった。しかし、若者の多くが、劣悪な雇用環境の下で報われることなく働き、三十歳代になっても自立できない状況にある。

 そして、こうした状況は特に九〇年代以降の「市場原理主義」に基づく雇用・労働分野での規制緩和政策の結果であることを指摘しなければならない。一部の企業には莫大な利益がもたらされたが、その半面、多くの若者が貧困と過酷な労働のなかで、将来の希望を失い、健康を損なっている。

 これらの深刻極まりない弊害をもたらした政府と企業は、規制緩和政策の誤りを認め、現行労働法を遵守(じゅんしゅ)するとともに、長期的視点で、若い労働者の生命・健康と雇用・生活を尊重するための規制強化へ舵を大きく切リかえるべきである。
(「京都」20080218)

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座談会
本格的転換の年に
労働運動の課題を語る
五十嵐 仁
坂内 三夫
大門実紀史

新自由主義的「改革」は何をもたらしたか
 五十嵐 仁

 私は昨年後半、『労働政策』(日本経済評論社、近刊予定)という本の原稿を書きましたので、色々と調べる機会がありました。すると、この二年間くらいで労働問題や貧困問題の新書や単行本がたくさん出ている。フオローしきれないくらいです。この問題をマスコミなどが取り上げるようになって社会的関心が高まり、「反貧困」や非正規問題での新しい運動が拡大していることを痛感しました。

●生活の土台を崩した
 労働政策の変化

 まず、新自由主義的政策が労働環境や労働現場をどう変えたか、その特徴を五点にわたってまとめてみましょう。

 一つは、雇用の不安定化、劣悪化です。非正規雇用者の雇用者全体に占める割合は、〇七年一〜二月期の平均で三三・七%となって過去最高です。女性では五四・一%と過半数を超え、いつ雇い止めになるか分からない不安定な雇用が広がっています。フリーター、日雇い派遣、ワンコール・ワーカー、偽装請負など、新しい形態による雇用の劣悪化が進んでいます。

 二つ目は、賃金の下落、ワーキング・プア、貧困化という問題です。二〇〇六年の「民間給与実態統計調査」(国税庁)によると、給与所得者のうち年収二〇〇万円以下の人が一〇二二万八〇〇〇人、前年比四・二%増となっています。給与所得者の四・四人に一人が年収二〇〇万円以下なのです。

 日本では七〇年代から八〇年代にかけて、もう絶対的貧困はなくなり、相対的貧困化が問題だと言われました。ところが今日、働いても生活できない、果ては餓死者も出るという絶対的貧困に逆戻りしているのです。モノの豊かさは達成された≠ニ言う「生活大国五か年計画」(一九九二年)は、遠い昔の話のようです。

 しかも、こうした貧困化が社会的な分断・排除、犯罪の多発など社会問題の背景になっている。これらは経済的にだけでなく、政治的にも解決されなければならない間題です。

 三つ目は、格差の拡大です。所得格差の拡大は高齢化が進んだからだという反論があり、「格差論争」が起きました。しかし、今あげた「民間給与実態統計調査」では、年収二〇〇万円以下層とともに、年収一〇〇〇万円以上の高所得層も二二四万二〇〇〇人増えました(前年比四・四%増)。これは明らかに所得格差が拡大しているということです。

 そればかりではありません。都市と地方の格差も拡大し、人口減や高齢化で地域の存続が危ぶまれる「限界集落」が増え、「医療格差」も深刻です。また、教育や就職の機会喪失によって格差が固定化して希望が失われる「希望格差」、その格差の「遺伝」「相続」さえも言われるようになってきています。

 四つ目に、労働現場の困難や劣悪化がすすみ、メンタルヘルス不全、精神疾患の問題が深刻になり、大規模労災も頻発しています。その結果、過労死・過労自殺がなくならないだけでなく、九年連続で自殺者が三万人以上になっています。一人の自殺者が出ると一〇人が悲しむと言われますが、単純計算でも二七〇万人以上に深刻な影響を与えている。そこまで日本社会は生きるのが難しい社会、生きるに価しない社会になってしまったということでしょうか。

 職場の安全問題では、昨年末にも三菱化成の工場火災で四人が死亡する事故がありました。労災全体では減少傾向ですが、一度に三人以上が死傷する重大災害が増大しています。コスト削減で安全対策がおろそかになっている、非正規雇用の増大で技術・技能が継承されないなどの問題が影響しているのではないでしょうか。

 五つ目は、公共性の衰退という間題です。これは労働分野だけでなく社会全体の問題ですが、公的責任を回避し、「自己責任論」を押しつけるという風潮が一般化しました。政府・政治家の責任回避に始まり、社会的なルールの軽視、遵法精神の弱体化にまで及んでいます。

 とくに企業社会では、政策面での規制緩和どころか、規制無視が横行し、経営者における企業の社会的責任(CSR)や「コンプライアンス」(遵法義務)の軽視が非常に強まりました。企業不祥事や「偽装」が頻発するのも当然でしょう。

●国鉄分割・民営化は
規制緩和路線の象徴

 このように、新自由主義的改革がもたらした間題点が、労働と生活の両面で非常にはっきりしてきたというのが、今日の特徴だと思います。この規制緩和路線は「官から民へ」という掛け声の下で進められてきましたが、およそ三つの段階を経てきたと、私は見ています。

 その第一段階が八〇年代で、国際的にはレーガノミクスやサッチャーリズム、日本で言えば中曽根内閣時代の臨調・行革路線がその始まりです。しかし、日本ではまだ端緒的で部分的なものでした。

 そして、八〇年代末から九〇年代にかけて、アメリカによって「ワシントン・コンセンサス」と言われる新自由主義的路線を国際的に強要する動きが強まりました。これを受けて、日本でも規制緩和路線がバージョンアッブされ、全面的なものになっていきます。これが第二段階です。橋本「六大改革」の登場はその一つの到達点でした。

 しかし、橋本首相は消費税アッブなど「九兆円の負担増」によって参院選で負けてしまいます。その後の小渕・森内閣で一旦足踏み状態になったのを、ネジを巻き直して激しい攻勢をかけてきたのが小泉「構造改革」でした。これが第三の段階です。

 この規制緩和路線の三つの段階を振り返って、重要なポイントとなるのが国鉄の分割・民営化間題ではなかったかと思います。そこに、問題の性格がよく現れているからです。

 つまり、臨調・行革の中で国鉄の分割・民営化が提起され、一九八七年にJRが発足して「官から民へ」の先駆けとなりました。規制緩和を進める上では抵抗を排除する必要がありましたが、国鉄労働組合(国労)や全動労などの戦闘的組合員を選別して採用を拒否するという国家的な不当労働行為によって、国労や総評の弱体化を図ります。

 また、国鉄分割・民営化は、その後の「民営化による成功例」として受容する国民意識を生み出すうえで、最大限に利用されました。これは、地方の赤字路線を切り捨て、都市部の「成功」だけを宣伝したからです。民営化で運賃値上げはなくなったではないかと言われますが、赤字を切り離して最終的には税金で解決するようにしただけの話です。上手くいった点だけが宣伝され、都市部の住民の多くが「成功」したと誤解してしまいました。

 では、この国鉄分割・民営化が国民にもたらした結果はどうだったのか。とりわけ重要なのは、地方の住民の「足」であるローカル路線が切り捨てられたことです。地方の駅がなくなり、地域コミュニティにとっての「臍(へそ)」=中心点も失われました。民営化は、地方の「足」と「臍」を奪ったのです。

 それに、「効率化」「合理化」「コスト重視」などによる安全の軽視です。その間題点は、一〇七人が亡くなったJR西日本福知山線の大事故によって劇的、というよりも「悲劇的」に示されました。また運動面では、一〇四七人のJR不採用・解雇撤回闘争が粘り強く続けられています。昨年一一月三〇日には全国大集会が東京で聞かれましたけれども、ナショナルセンターの違いを超えた大同団結の動きが生まれています。

 つまり、国鉄分割・民営化問題は、攻撃としては最も早く始まり、地方の切り捨てや大事故という形でその問題点が明確に示され、運動の大同団結という形での反撃が始まっている。そういう点で、この国鉄分割・民営化は新自由主義的な規制緩和路線をめぐる象徴的な問題だと思います。

●モノと人間の違いをみない
労働法制改悪

 この間の労働法制改革の間題について、詳しくは後に回しますが、一言だけ先に述べておきたい間題があります。

 政府の経済財政諮問会議や規制改革会議などでの議論で、労働の間題は商法で対応すればいいので、労働法は不要だという極めて乱暴な議論があることについてです。八代尚宏さん(国際基督教大学教授、経済財政諮問会議議員)や奥谷綾子さん(人材派遣会社社長、厚生労働省労働審議会労働条件分科会委員)などがそんなことを言っています。

 しかし、商法が対象とするのは商品であり、保存できるモノです。労働力商品は「生身の人間」に宿る力であって、保存できません。モノとは違うのですから、同じように扱うわけにはいかない。違った法律が必要なのです。この単純な原理が理解されていない。困ったことです。「今は景気が悪いから我慢してくれ」と言われても、「仕事がないから働かなくていい」と言われても、「その間の生活はどうするんだ」という間題が残ります。どんな状況であっても、働いて賃金をもらって食っていかなければならないのが労働者なのです。

 このような「労働力商品の特殊性」に対応した特別な法律が必要なのであり、そこに労働法の意義があるわけです。これが要らないというのは無知というほかありません。この労動力商品の性格について、政府審議会の委員の方々は本当に理解しているのか、もう一度ちやんと勉強する必要があるのではないかと言いたいですね。
(「経済 08年3月号」新日本出版社 p41-44)

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◎以前には「ニート」「パラサイト」などと、「自立しない」若者を非難する論調……しかし、若者の多くが、劣悪な雇用環境の下で報われることなく働き、三十歳代になっても自立できない状況にある」と。