学習通信071017
◎生活の根源的なレベルで……
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これまでのすべての社会は、われわれが見てきたように、抑圧する階級と抑圧される階級との対立にもとづいていた。
しかし、一つの階級を抑圧しうるためには、その内部でこの階級に少なくともその奴隷的存在を維持することができる諸条件が保障されなければならない。
農奴は農奴制のなかでコミューンの成員に成りあがったが、小ブルジョアは封建制的絶対主義のくびきのもとでブルジョアに成りあがった。
これに反して、近代的労働者は、産業の発展とともに向上する代わりに、自分自身の階級の諸条件よりも下にますます深く沈んでゆく。
労働者は受救貧民となり、受救貧民層は人口および富よりもいっそう急速に発展する。
これとともに、ブルジョアジーには、いっそう長く社会の支配的階級であることを続けて、自分の階級の生活諸条件を規制的な法則として社会に押しつける力がないということが明らかになる。
ブルジョアジーに支配する力がないのは、ブルジョアジーには自分の奴隷制度の内部においてさえも自分の奴隷に生存を保障する力がないからであり、ブルジョアジーが奴隷によって養われる代わりに奴隷を養わなければならない状態に奴隷を沈ませざるをえないからである。
社会は、もはやブルジョアジーのもとで生活することはできない、すなわちブルジョアジーの生活はもはや社会と両立することができないのである。
(マルクス、エンゲルス著「共産党宣言」新日本出版社 p69-70)
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●今、米騒動が起きているのに……
雨宮……会社員の方からの質問で、「正直に言って、赤木氏の意見には幼稚な部分がかなり含まれていると思うのですが、雨宮さんはかなり評価されているご様子。本音のところはどうなんでしょうか」……(笑)。嫌な質問っていうか、まあどうなんでしょうね。さっき杉田さんが言ったことで本当に納得したのは、すごく赤木さん、いい人なんですよね。
杉田……いや、今日ご本人に会って、本当はもっと批判しようかと思っていたんですけど、人柄にひかれてしまったので(笑)。強く反論できなくさせる何かがありますよねえ。
雨宮……私は最初に「希望は、戦争。」を読んだときに、これだけ揺さぶられる文章を読んだのはもう何年ぶりだろうと。しかも、自分の実情と社会との関連だとか、今問題とされていることが全部書かれているなと思って。プラス、自分が右翼時代だったときの気持ちをすべて代弁されたような気持ちになったんですね。
これで、白己責任論に縛られているたくさんの人たちとか、この状況が何なのかわからない人が、「気付く」と思ったんですよ。それに気付くのは、もちろん当事者もそうなんですけど、「(左は)救ってくれなかったじゃん」という恨みってやっぱりあるんですね、私にも。
今はやっぱりいろいろな人とうまくやっていこうと思っている部分もあるので、あえて私は赤木さんのように左派への攻撃というのはしませんけど。私が一緒にやっているのは、当事者の左の人たちというか、プレカリアート運動の人たちなんかで、上の世代の人いないですからね。
でも、その上の世代の左派の人たちが、フリーターを一番助けてくれなかった。そういう人たちが逆に、後藤和智さん言うところの、俗流若者バッシングをしていましたよね。だから、「おかしいな」と思っていたんですよ。
「今どきの若者は」、「フリーターなんかで、だらしない」みたいなことを言っていると、左翼が嫌う「モラル」だとか「公共心」だとかを問うことになる。それは憲法改正にいってしまう道筋なのに、「何で若者バッシングするのかな」という思いがすごくあって、そこのジレンマがあるにもかかわらず、結局フリーター間題というのは放置されてきた。
今、フリーター当事者が、もう生きていけないということで運動を始めているのに、やっぱり上の世代の左翼のおじさんなんかは、「生活レベルの運動をしている」、「ちっちゃいことをやっている」みたいな認識があるような感じがして。「憲法の問題をやれ」という圧力も感じたり。でもそれどころではない(笑)。
赤木……うん。
雨宮……やっぱり上の世代の人たちは、頭でやってきましたよね、運動を。今、起こっている運動は米騒動ですよね。
杉田……明治期には自由民権運動から米騒動や焼き打ちがあって、大逆事件に至る流れがあって、今はそういう感じなんですよ、たぶん。今は「楽しいサヨク」でやれるけど、今後ますます殺伐としてくるのは間違いない。きれいごとじゃなく、今以上に露骨な暴力の領域の中に入っていくと思う。冤罪で左翼が処刑されたらどうなるのか。そのときになお貫き通す心があるかどうか。この水準から考えないと。
雨宮……そうですね。でも私は楽観的なところもあります。反貧困ネットワークも「これは,米騒動だ」って弁護士さんが言いますからね(笑)。高円寺一揆も、ホントに「一揆」ですし。本当に食えないっていうところから、「もう何かやんなきや生きていけない」ということで始まっちゃっているところが、私はすごく魅力的だと思うんですね。もう原始的なので。
赤木……私に対して「幼稚だ」というわけですけれども、その質問を聞いて思ったのは、それは自分も自覚しているんですよ。例えば大学出て、大学院出て、そういうところで社会活動や運動やっているような人たちに対して、自分は知識もないし、ものを論じるときの論理性だとか、そうした実力もないですよ。はっきり言えば素人ですもん。ただ、その素人が何でこうしてこっち(ゲスト側)にいなきやいけないのかっていうことですよね。
だって自分としては普通の生活をしているわけですから、絶対そちら(客席)のほうにいるほうが自然だと思うんです。自分としては、こういうことを語って外に出たくないんですよね。だから、ネットで例えばずっとハンドルネームで論じていて、その後本名に直して、「仕事くれ」みたいな話を書くわけですけれども、そのときに、自分が本名を出さなきやいけないところに追い込んだのは、じゃあ誰なのかということですよね。すると、やっぱりその幼稚でない人たちなんですよ、自分をここにいさせてしまったのは。そういう人たちが本当はやらなきやいけないことをまったくやらなくて、だから、自分みたいな素人がこうやってこっちに出なきやいけなくなってきた。それがすごい腹立たしいんですよね。
杉田……その場合、貧困に対する現在の対抗運動を、過去の歴史の文脈に位置付けるのも重要ではないか。例えぱ70年代には障害当事者の運動、あるいはウーマンリブがありましたよね。「青い芝の会」という、ものすごいラジカルな脳性マヒ当事者の運動があって、自分たちの生存権を守るために必死に闘うわけですけど、同時に「自分たちが何でこんなことしなきやいけないのか」ともはっきり述べる。
つまり、ただでさえ社会的に排除されている自分たちが、なんでさらに声を張り上げなきやいけないのか。二重におかしいと。にもかかわらず、声を上げれば「障害者のくせに偉そうなこと言うな」と叩かれる。そういう構造があって、障害者とフリーターの問題は、どうつながるのか微妙なポイントはいろいろあるけど、構造的には似ている面もあると思います。
雨宮……それは若松孝二さんの反論「フリーターでつらいんだったら運動しろ」みたいな?
杉田……ああ、誰か言っていましたね。
赤木……そうですね。全体的にみんな文句言っているからね、何かね(笑)。
雨宮……全体的にそうですけど(笑)。だから、「運動したくない」っていう文脈も認められていいわけじやないですか。
赤木……そうなんですよ。
雨宮……いっぱいいっぱいなんだから。本当に貧乏で大変だと、労力はないし、時間ないし、金ないし、運動できないですよ。会議するっていったって電車賃がないわけですからね。
●おれたちは飲み会の費用が出せない
赤木……だから、そういう運動とかに行って、話が終わって、その後、「ちょっとみんなで飲みに行きましょう」みたいな話になるわけじやないですか。すると、そうしたところで2000円か3000円かかるわけですけど、それが払える人と払えない人が実はいるんですよ、そこに。今までの労働運動をやっている人たちは、そこに気を使わない。
雨宮……フリーター労組とかプレカリアートメーデーの飲み会って、公園なんですよ(笑)。高円寺一揆はそもそも最初から路上だし。
赤木……うん、そうですね。
雨宮……飲み会に左翼のおやじとかと行くと、1人3000円ぐらい取るんです、あいつら。私は今は払えますよ、フリーターのときはキツかったけど。でも、払えない人がいっぱいいるじゃん、フリーターとか無職なんだから。若い人たちでやってるプレカリアート運動の打ち上げなんかではみんなで公園に行って、コンビニに買い出し行って、100円でソフトドリンクもらったり、ビール飲むんだったら500円ぐらいとかカンパして、そうやって超原始共産主義みたいな感じなんですよ。そういうところから作法が違うっていうかね。
杉田……そういうところに現れてしまうのもありますよね。無意識の何かが。
雨宮……やっぱり団塊の世代は金持っているんですよ。3000円の飲み代に困るっていう、そういう世界があるっていうことをまず知らないもん。
赤木……うん。やっぱり彼らは、当然のように給料を得てきたと思うんですね。年上の人が「お金が欲しい」と言うとき、そのお金というのは、自分の生活以上のものを欲しい。車だったら、軽自動車よりも普通車、普通車よりも3ナンバーっていうような。家だったら、遠いところよりももうちょっと利便性のいいところっていうふうな意味で「お金が欲しい」。けれども、われわれの場合は「お金が欲しい」というのは、本当に生活の根源的なレベルで「お金が欲しい」ということを言っているわけでして……。
雨宮……電気・電話・ガスが止まったから金が欲しいって、そういうことですよね。
赤木……その辺の違いが単純に「何かよこせ」というようなことを言うときでも、すごく隔たっている気はしますよね。
雨宮……私も右翼に入る前後、おじさん方の左翼のそういう運動に関わったりしたこともあるんですけど、フリーターだと本当にお金も時間もないから、呼ばれても会議とか集会とかに行けないんですよね。そうしたら怒られる。私は週に6日ぐらい働いていて1日しか休みがなかったから、せっかくの休みにおじさん左翼の訳のわからない会議なんか行きたくないんですよ。でも「その日休みならその日に会議」とかって、すごい強引だし、それで飲み会に行ったら3000円ぐらい取られるし、月収10万ぐらいのフリーターに。
そういうので、かなり苦労した。そこの断絶はもう10年前に経験している。今のプレカリアートの運動、当事者から始まってすごくいいと思うんですけど、それ以外の左系の上の世代の人だちとは、やっぱりどうしても断絶がある。理解されない部分はありますね。
(「雨宮処凜のオールニートニッポン」祥伝社 p172-179)
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[インタビュー]
「人間らしい生活の条件」とは
暉峻 淑子さんに聞く
──略──
◎人権や福祉を切り捨てる競争万能主義の哲学
──昔の貧乏とちがって、今の貧乏は「負け組」の貧乏ですから、みじめだし希望がもてないのです。一億総中流社会と言われた 時代とは明らかに違ってきていますね。
◆「貧乏は自己責任」という社会哲学
そうですね。小泉さんは、格差はいつの時代でもあると言いました。昔も貧困者はいましたが、今のワーキングプアとはまったく違います。昔の貧困は社会全体の産業が未発達なためで、経済が繁栄すればいずれよくなっていくだろうという希望があった。
親の代には台所の流しはセメントだったけれども、息子の代にはステンレスになった。戦前は小学校を出れば奉公に出されたが、息子の代は中学までは必ず卒業するようになり、その次の世代は高校全入に近いというように具体的に希望があった。社会保障も戦後は徐々に広げられていき、多少ともまともな政治家ならば、福祉の面でも先進国にみならおうとしたものです。
今のように社会保障や福祉が情け容赦なく切り捨てられているのとは逆です。今は、格差があって何が悪い、貧乏は自己責任だ、金持ちはがんばったから報われるのは当然だという哲学です。
戦後、新憲法ができて、人権と福祉の国家に向かって行くという社会哲学が日本の本流としてあったときの貧困と、現代のように貧しい者は自己責任という時代の貧困は大きく違います。福祉は本来、貧富の差を緩和する緩衝地帯としての役割を果たします。金持ちも貧乏人も病気になれば同じように手術を受けられ、貧富の差が命の差にならないように格差を緩和すべき社会保障が、今はどんどん切り込まれていっています。
国民健康保険証の取り上げがいま大問題になっていますね。滞納者には保険証のかわりに資格証明書が発行されて、窓口ではいったん一〇割全額を自腹で払わなければいけないから、病気になっても病院にも行けない。お金がないから保険料を滞納している人に、窓口で全額払えといっても無理な話です。昔は滞納があっても保険証を取り上げることまではしなかったものです。政府の施策として産み出される貧困でも、昔の貧困と今の貧困はまったく違うと思います。
◆消えた連帯や助け合いの精神
──隣近所の味噌、醤油の貸し借りもして、貧しいもの同士が助け合ったものですが、それも出来なくなっていますね。
助け合う精神的な余裕がなくなっています。生活保護の建前としては、まず兄弟に頼れということにはなっていますが、核家族化し、音信不通の仲ではなかなかそうはいかない。社会全般として、人のことなどかまっていられないという風潮もあるでしょう。これは社会思潮が競争万能主義、自己責任主義になったからだと思います。
一九六〇、七〇年代は、もちろん資本主義社会だから競争はありましたけれども、競争ですべてを解決するという哲学はなかった。それは国会の中にも、まがりなりにも保守・革新が半々あり、マスコミにも保守の言い分も新聞に載るけれども、革新の言い分も載ったでしょう。労働組合の力も強かったから、競争がすべての一元的な価値になるという時代ではなかった。「競争」に対立する思潮は「連帯」や「助け合い」でしょう。社会主義はそもそも連帯や助け合いを元にしているわけですね。
◎いつから、だれがそんな日本にしてきたのか
──いつからそんな日本になってきたのか。バブルのときからではないか、と思ったりするのですが、暉峻さんの「豊かさとは何か」(岩波新書、一九八九年)が出たのはバブルの真っ只中ですね。ベストセラーになりました。
◆バブル経済と「過労死」
『豊かさとは何か』は、ほんとうにたくさんの方に読まれました。ちょうどバブル崩壊の直前でした。なぜあの時点でバブル崩壊が予測できたのかとよく聞かれますが、普通の人の目で見たらあんな異常なことは長く続かないのは誰でもわかることですね。みんな、こんな状況は続くわけがない、足許から崩れ落ちる恐怖心を抱えて浮かれていた。
あのバブル景気を支えていた生活の基盤や労働者の条件は、まったく永続性の無いものばかりでした。労働者は長時間過密労働を強いられていたし、下請けは元請企業からいじめられていたし、家庭では教育費が高くて親の負担が大変だし、土地や住宅にしても賃金の上昇の数倍の暴騰で、労働者はウサギ小屋同然で、きちんとした住居も持てない状況でした。そういう状況のなかで、バブル景気がいつまでも続くと考えるほうがおかしいですよ。
◆戦後日本のゼニ・カネ主義
──バブル景気で浮かれる一方、労働者は「過労死」するという日本社会、これはどうみても異常な姿ですよね。
戦後の、一九六〇年代まで、日本人は本当に貧乏でした。ですから高度経済成長が始まって、国民みんながお金、お金とあこがれ、労働組合も賃上げを要求したのはもっともなことだったと思います。
戦前、国を統一した天皇制や「神の国」思想は、少なくともゼニ・カネとは離れた哲学でしたが、その哲学によって戦争に突き進んで、私たち国民は大変な目にあったわけです。だから国民は、支配者がさんざんふりまいた大和魂や神の国という思想は、いかさまだと知ったのです。
戦後、天皇制や「神の国」思想にかわる社会思想として、憲法で人権や平和、民主主義、平等の精神を決めたはずなのです。けれど国民は、人権や相互扶助と言われても、哲学的、形而上学的なものは信用できない、こりごりだと感じていたと私は思います。そうなると、今度は頼りになるのはゼニ・カネです。もちろん憲法二五条にいう「健康にして文化的な最低限度の生活」もお金が土台にあればこそ実現できるわけで、当時はゼニ・カネと言っても憲法とあまり乖離していなかったのです。
ところが一九五六年に『経済白書』が「もはや戦後ではない」と言い、高度経済成長に入って、飢え死にすることからは何とか卒業できた頃から、ゼニ・カネだけが優先して憲法から乖離し始めたのです。
ヨーロッパでは、政権が社会民主党や労働党の手にかわって以後、たとえばドイツではアデナウアー政権から社民党政権にかわって以後、社会的市場経済の枠内においてですが、キリスト教民主党と社会民主党が交互に政権についてきましたから、社会的な思想や価値観は決してひとつではありませんでした。
ところが日本は、飢え死にから解放された後も、なお保守単独政権が長く続いたことによって、今度は生活のためでないゼニ・カネ主義がはびこってきたのです。国民は、ゼニ・カネ主義だけでなく連帯や福祉、環境を追求する政権の下での生活を経験しないで、今日まできているわけです。フランスやドイツ、イギリスなどの国民は、政権交代に不安や恐怖心はあまりありません。二つの相反する価値に依拠する政党が交互に政権をとって、行き過ぎを是正できるからですね。日本にはその経験がないわけです。
──日本の場合、六〇年代後半から七〇年代前半に生まれた革新自治体の経験は、貴重だったと思いますが、その後が続いていないですね。
◆バブルの責任も不問に
バブルも日本が一番ひどかった。他の国もバブルになったけれども、日本のような狂乱バブルにはならなかったのです。バブルの責任について、アメリカでさえ何十人も起訴されて、そのうちの何人かは刑務所に放り込まれましたが、日本ではそういうことがない。大企業の経営者と政治家がなれあって、やりたい放題です。企業の経営権に労働者は日出しできず、せいぜい賃上げ要求ぐらいしかできない。バブルの全責任は経営者や政権党にあるわけですから、失敗の責任は当然追及されていいはずです。
金融破綻のときアメリカでも銀行に公的資金が注入されましたけれども、経営者は刑務所に放り込まれました。日本では頭取が替わったぐらいで、経営者が社会的に責任を取らされることはありませんでした。貧乏人には自己責任と言いながら、バブルをあおり立てた人たちの責任がまったく問われていない。バブルをあおった大蔵省の役人も平気で生き残り、事務次官になったり、政治家になったりしている。日本は、強い者は責任を追及されず、弱い者は責任がなくても責任をとらされる、そんなお国柄なのです。
◆小泉前首相のワンフレーズの中身
──ゼニ・カネ主義の行き着いた先がバブルで、その責任を誰もとらなかった。こうした社会の思想潮流は、「九〇年代不況」を経て小泉「構造改革」にいたるこの間に、少しは変わったのでしょうか。
日本では、ゼニ・カネがすべてを解決するということで、力をもっている人たちの中には、バブル時代にもうまく株や土地を売り抜けて、自分のふところに入れた人がいっぱいいます。あのときのお金は、結局どこへ行ったか分からないですね。
小泉さんはゼニ・カネ主義を、ワンフレーズの言葉で表現することによって促進しただけで、変わったとは思いません。小泉さんは「族議員をつぶす」と言いました。たしかに族議員は、国の財政を使って自分の選挙区の票田を養うわけだから、いいことではない。けれど地方出身の族議員が、地方の人たちの生活を切り捨てられなかったことは事実です。ただ、それをいつも公共事業でやったことが問題なのです。
私は、バブルの頃、地方に行くたびに町長さんに聞いたことがあります。道路や公園、ゴルフ場をこんなにたくさん造って町の財政は大丈夫ですか、財政が続かなくなったらこの町をどうやって維持していくのですか、と。それに対する答えはまったくなく、とにかく公共事業は続けてもらわなければ困るというようなことでした。今の夕張をみていると、そのことをつくづく思います。
自動車・機械などの輸出の見返りに、外国から輸入農産物を入れざるを得なくなって農村をつぶしてきた。公共事業一辺倒は正しくないにしても、地方の族議員が、そこに住んでいる住民たちの生活を切り捨てることはできなかった。小泉さんが族議員をやっつけるなら、過疎地をどうやって支えていくかという施策を同時に出さなければいけなかったわけですが、足手まといになるからと、ただ切り捨てていくだけでした。
経済繁栄の利益になるものだけにテコ入れするという保守路線。教育も、できない子がいる学校は見捨てて偏差値の高い学校だけに補助金を出すという格差をすすめる路線。こういう哲学で、小泉さんは「構造改革」をすすめたのです。これは保守路線をさらに露骨にした一つのバリエーションですね。ホームレスが公園にビニールシートを張って生活しているのを、政治家は、昔なら少しは後ろめたく思ったものです。だけど小泉さんは、まったく後ろめたく思わなかったですね。
(月刊「経済」07年6月号 p15-19)
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◎「昔も貧困者はいましたが、今のワーキングプアとはまったく違(う)……昔の貧困は社会全体の産業が未発達なためで、経済が繁栄すればいずれよくなっていくだろうという希望があった……今は、格差があって何が悪い、貧乏は自己責任だ、金持ちはがんばったから報われるのは当然だ」と。
「社会は、もはやブルジョアジーのもとで生活することはできない、すなわちブルジョアジーの生活はもはや社会と両立することができないのである。」