学習通信071005
◎所有(領有すること)……
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所有について。
すべての生産は、ある一定の社会形態のなかで、またそれに媒介されて、個人の側から働きかけて自然をわがものにすること〔領有〕である。
この意味では、所有(領有すること)が生産の一条件であるというのは、同義反復である。
しかし、ここからただちにある一定の所有の形態、たとえば私的所有に飛躍することは、笑うべきことである。
(しかもそのうえ、それの対立的形態である非所有をも、所有と同じやり方で、条件として想定してしまうことになる。)歴史はむしろ、(たとえば、インド人、スラヴ人、古代ケルト人などの場合のような)共同所有を本源的な形態として示しているのであって、この形態は、共同体所有という姿で、いまもなお長いあいだ重要な役割を演じている。
(マルクス著「『経済学批判』への序言・序説」新日本出版社 p32)
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そもそも私的所有というものは、歴史のなかで、けっして強奪と強力との結果として登場してくるのではない。
反対である。
或る種の物に限られてはいても、すでにすべての文化民族の太古の自然生的な共同体のうちに存在している。
早くもこの共同体の内部で、はじめは外部の人間との交換において、発展して商品の形をとる。
共同体の生産物が商品形態をとることが多くなればなるほど、すなわち、生産物のうちで生産者自身の使用のために生産される部分が少なくなればなるほど、生産物がますます交換を目的として生産されるようになればなるほど、共同体の内部でも交換が原初の自然生的な分業を駆逐していけばいくほど、共同体の個々の成員の財産状態がますます不平等になり、古くからの土地の共同所有がますます深く掘りくずされていき、共同体はますます急速にその分解に向かって進み、分割地農民の村落に変わっていく。
オリエントの専制政治と、征服者である遊牧諸民族のつぎつぎに代わる支配とは、こうした古い共同体に数千年にわたってなにも影響を及ぼすことができなかった。
〔ところが、〕共同体の自然生的な家内工業が大工業の生産物との競争でしだいに破壊されていくにつれて、共同体はますます分解していく。
この場合に強力が問題にならないのは、モーゼル川流域とホーホヴァルト山地との「農民共同体」でいまでも行なわれている共有耕地の分割のさいに強力が問題にならないのと同様である。
農民たちは、耕地の私的所有が共同所有に取って代わることが自分たちの利益になる、とわかってこそ、そうしているのである。
ケルト人・ゲルマン人のもとで、また、インドの五河地方〔インド半島北西部、インダス川流域の地方で、現在、東部はインドに、西部はパキスタンに、それぞれ属する〕で、土地の共同所有にもとづいて行なわれた自然生的な貴族の形成でさえ、はじめは、けっして強力にもとづいたものではなくて、自由意志と慣習とにもとづいている。
私的所有が形成されてくるところではどこででも、これは、生産および交換の関係が変わった結果として、生産の増大と交易の促進とをはかるために、──つまり、経済的原因がもとで、起こるのである。
強カはそのさいまったく役割を演じない。
なぜと言って、強奪者が他人の財貨をわがものとすることができるためには、その前にすでに私的所有の制度が存在していなければならない、ということ、つまり、強力は、所有状態を変化させることはできても、私的所有そのものを生み出すことはできない、ということ、これは明らかではないか。
しかし、「人間を圧服して奴僕的奉仕をさせること」の最も現代的な形態である賃労働を説明するのにも、われわれは、強力を使うこともできなければ力ずくで手に入れた所有を使うこともできない。
古代の共同体が分解するさいに、したがって、私的所有が直接また間接に一般化するさいに、労働生産物の商品への転化が、自家消費のためではなく交換のための労働生産物の生産が、どのような役割を演じたか、ということについては、すでに述べた。
ところでしかしマルクスが『資本論』のなかで明々白々に立証しているように──そして、デューリング氏は、用心して、これにはただのひとことも触れないようにしている──、商品生産は、或る発展段階で資本主義的生産に転化するのであって、この段階では、「商品生産と商品流通とにもとづく取得の法則または私的所有の法則は、この法則自身の内的で避けることのできない弁証法のせいで、その反対物に〔『資本論』では「直接の反対物に」〕急転するのである。
すなわち、最初の操作として現われた等価物どうしの交換は、一転して、ただ外見のうえで交換が行なわれるだけのことになるのである。
と言うのも、労働力と交換される資本部分そのものが、第一には、等価なしに取得された他人の労働生産物の一部分にすぎないからであり、第二には、その生産者である労働者の手でただ補填されなければならないだけでなく、新しい剰余」(超過分)「をともなって補填されなければならないからである。
……最初には、所有〔『資本論』では「所有権」〕は、自分の労働にもとづくものとして現われた。
……所有は、いまでは」(マルクスの展開の終わりでは)「資本家の側では、他人の不払労働を〔『資本論』では「他人の不払労働またはその生産物を」〕取得する権利として現われ、労働者の側では、自分自身の生産物を取得できないこととして現われる。所有と労働との分離が、外見上は両者の同一性から生じた一法則の必然的帰結となる」。
言いかえれば、強奪と力ずくの行為と詐欺との可能性がまったくないとしてさえ、〈すべての私的所有は、はじめは所有者自身の労働にもとづいている〉、と仮定してさえ、〈その後の全経過を通じて、ただ等しい価値が等しい価値とだけ交換される〉、と仮定してさえ、それでもやはりわれわれは、生産と交換との進展につれて必然的に、現在の資本主義的生産様式にいきつく。
すなわち、生産手段と生活手段とが一つの少数者の階級の手中に独占されることに、ものすごい多数者でつくる別の階級が無産のプロレタリアに押し下げられることに、思惑的な生産と商業恐慌との周期的な交代に、生産におけるこんにちの無政府状態全体に、いきつくのである。
この経過全体は、純経済的な原因をもとに説明されており、強奪や強力や国家や或るなにかの政治的介入をただの一度も必要としなかった。
「力ずくで手に入れた所有」は、ここでも、事物の現実の経過についての無理解を隠すためのほら吹き文句にすぎないことがわかる。
(エンゲルス著「反デューリング論 上」新日本出版社 p228-229)
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だが、搾取がなく、平等だといっても、原始共同体をすばらしい社会とみるのはまちがいである。生産力が低かったから、人びとの生活はみじめであった。この時代の人間にとって食人の習慣は普通であった。
生産手段の共有、生産物の平等分配というこの時代の経済制度は、じつは、この社会の生産力の低さからきたことであった。この時代の生産用具は、粗末な石器、木や骨の道具、植物のセンイをもんでこしらえたアミ、竹のカゴなど、ひじょうに幼稚で貧弱なものばかりであった。だから、狩りをするにも、栽培をするにも、共同体の人間が総がかりで、力をあわせてしなければならなかった。そこで生産手段は共同体全体の共有物となったのである。
また生産物はきわめて少なく、共同体メンバーを養うのに、せいいっぱいであった。だからだれかが余分にとることができなかったのである。つまり、労働手段の貧弱だったことが、集団労働を必然的なものとし、このことが生産手段の共同体的所有と平等分配の制度を生みだしたのであった。
ところが、労働手段が進歩し生産力が発達してくると、もはや共同体が総がかりで生産にとりくまなくても、数人単位で生産することができるようになった。そこでいちばん近い血縁の集まりである家族という小集団が共同体のなかに出現した。家族は、歴史のはじめからあったのではなく、生産力があるていどすすんだ段階に生まれたものである。
いまや家族が生産の単位となった。そこで生産手段もだんだん個々の家族の私有物にかわっていった。このばあい、わりあい早く私有に移ったのは労働用具であって、土地や山林はずっとおそくまで共有物であった。こうして血縁的な「氏族共同体」は私有をはらんだ「村落共同体」へと変わった。生産物の余剰ができるようになり、富んだ家族と貧しい家族とへの分化があらわれた。こうして原始的共産主義経済はしだいに崩れていったのである。
(林直道著「経済学入門」青木書店 p187-188)
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◎「私的所有が形成されてくるところではどこででも、これは、生産および交換の関係が変わった結果として、生産の増大と交易の促進とをはかるために、──つまり、経済的原因がもとで、起こるのである」と。