学習通信071001
◎日本の影の権力のありか……

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《春秋》

 きのう本紙1面で報じた世論調査によると、福田内閣の支持率は59%だった。まずまずの船出だろうか。が、福田さん、安心はできない。去年のきょうの1面の見出しは「安倍内閣支持71% 小泉内閣に次ぐ高水準 発足時」だった。

▼わずか1年の急激な変化の原因は何だったのだろう。冷戦時の米中央情報局(CIA)陰謀説ではないが、底流でじわりと効いたのは日米関係の変化ではなかったか。米国の北朝鮮政策の転換によって日米関係は求心力を失った。鈴木善幸、宮沢喜一、細川護熙各氏が政権を離れた時も日米間のすきま風を感じた。

▼逆に、小泉純一郎氏が5年以上も政権を維持できたのは、ブッシュ大統領との蜜月が追い風に働いたのだろう。福田・ブッシュ関係はどうか。肌合いは違うが、共通点はある。首相と大統領を父に持ち、ともにビジネスマンを経験した。ブッシュ氏が最初の選挙で掲げた「優しい保守主義」は福田氏の路線に近い。

▼60年前のきょうサンフランシスコ→東京直行便が羽田空港に着いた。日本航空第1便はいまもサンフランシスコ→成田であり、全日空第1便はワシントン→成田だ。戦後日本の国際化が日米交流で始まった歴史が見える。日米関係は長く広く深い。折々の強弱が日本の政権の強度に響く。それが現実だったのか。
(「日経」20070928)

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《潮流》

記者たちの視線をさえぎるように顔をそむけ、足早に去っていく。「なぜ辞める?」の疑問を残したまま、安倍首相の突然の会見は終わりました

▼会見中、時折みせるうつろなまなざし、無念の表情。二日前に国会で所信を表明しておきながら、国民の代表である議員の代表質問を拒んで辞める、前代未聞の政権なげだしです。しかし、その無責任、非常識を国民にわびる言葉は、ついにありませんでした

▼首相の交代で「新しいエネルギーを」、と繰り返す首相。政権をになうエネルギーが失速し、燃えつきた感はいなめません。政治はたしかに非情でもありますが、首相みずからが招いた結末です

▼平和憲法を葬り去る日をめざし、教育基本法や改憲手続き法を、数の力にまかせて強引に改悪・成立させる。内閣の身内から不祥事があいつぐと、かばい続ける。参院選で大敗しても、「逃げてはならない」と居座りをきめこむ……

▼首相の辞任が証明しています。いま、首相が率いた与党勢力のエネルギーより平和とくらしの安定を求める人々のエネルギーの方がまさっている、と。首相が会見で「新しいエネルギー」に期待したのは、インド洋での米軍などにたいする、自衛隊の支援の続行です

▼首相は、「テロとのたたかいを継続させるため、私はどうすべきか」を考え決断した、といいます。アメリカの政権に迷惑をかけるようでは日本の首相はつとまらないー。とすれば、日本の影の権力のありかをまざまざと示した一日でもありました。
(「赤旗」20070913)

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学問 文化
 石川 康宏

「靖国」「慰安婦」摩擦で追い詰められた安倍政権
 今回の政変と日米関係

 九月十二日の午後一時すぎ、私は安倍首相辞任のニュースを、ゼミの学生たちと一緒にソウルの食堂で知りました。学生のケータイ画面に映った、たった二行の記事が最初です。

 「一体何があったんだろう」。たくさんの疑問が浮かびましたが、それでもそのわずかの文字は、十六名の学生たちに歓喜の声をあげさせるのに十分でした。直前の昼休みに日本大使館前で行われた「水曜集会」で、学生たちは日本軍「慰安婦」問題の解決に向け、日本の政治を変えることの決意と意欲を語ったばかりだったのです。

 その後、慌ただしく福田新総裁が決まっていきますが九月二十四日の朝日新聞には、福田氏は靖国や「慰安婦」問題と結びついておらず「日本の近隣外交に柔軟性が出れば、米国にも良いことだ」というアメリカ上院外交委員会スタッフの発言が紹介されていました。私は、この問題を今回の政権交代がはらむ重要なポイントの一つだと考えています。関連する経過を振り返ることから始めてみましょう。

「慰安婦」決議
原動力は何か

 小泉内閣から安倍内閣への政権交代が行われた二〇〇六年、ブッシュ大統領は小泉首相やポスト小泉に対して靖国参拝を強くけん制するようになります。米下院の外交委員会が、日本政府を批判する「慰安婦」決議を初めて可決したのもこの年のことです。小泉首相の靖国参拝は〇一年から続いており、また「慰安婦」決議もそれまで何度も提出されていましたが、〇六年になって初めて日米関係の大きな焦点とされたのです。

 ポスト小泉には、靖国派の「期待の星」である安倍晋三氏が就きました。その後、安倍氏は自身の歴史認識や政治信条と、これに抗する内外の圧力とのあいだで揺れ動きました。公然たる靖国参拝を回避して中国・韓国への謝罪訪問を行う一方で、「慰安婦」問題では謝罪の必要がないと述べて、世界各国を驚かせます。その発言の直後、ブッシユ大統領は今年四月の日米首脳会談で「河野談話」からの後退は許さないと安倍氏に直接くぎをさし、また米下院は「慰安婦」決議を初めて本会議で可決します。安倍首相はこうしたアメリカとの軋轢(あつれき)によっても、靖国派としての進路をふさがれていきました。

 では、このようなアメリカの動きの原動力は何だったでしょう。根本には、イラク戦争を推進するアメリカ政府にとってさえ、侵略や「慰安婦」問題に対する日本政府の態度は異常に見えるという問題があります。しかし同時に、そこには、アメリカの国益をかけた外交戦略上の明白な意図もありました。

あくまで対米
従属のなかで

 一つは、中国など東アジアヘのはたらきかけをすすめる上で、歴史問題で孤立した日本政府は役に立たないという判断です。もう一つは、日米戦争の開戦責任をアメリカに押しつける靖国派の台頭は、日米同盟に新たなきしみをもたらすのではないかという懸念です。これが〇六年以降、急速にアメリカが動く原動力となりました。その動きが日本の外交をあくまで「アメリカいいなり」の枠内に押しとどめようとするものであったことは、「慰安婦」決議を可決させた同じ下院が、「対テロ戦争」での対日感謝決議を満場一致で採択したことにも表れています。

 こうして考えると、辞任した安倍首相の胸には、靖国派としての信念の実現が、アメリカという「主人」に阻まれたことへのある種の絶望感もあったかもしれません。また自民党総裁選で、より柔軟な東アジア政策をもつ福田氏ヘの支持がただちに集められたところにも、アメリカの力が少なからずはたらいただろうと思えてきます。

 戦後日本の支配層は、本来アメリカを敵視する靖国派であると同時に対米従属派でもあるという政治イデオロギー上の矛盾をもってきました。安倍政権の破綻(はたん)と福田新政権の誕生は、あくまで対米従属が優先されねばならないという日米関係の現実をあらためて強く示すものとなりました。福田内閣の前には、一層純化された対米従属の道が開かれているということです。
(「赤旗」20070926)

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◎「自民党総裁選で、より柔軟な東アジア政策をもつ福田氏ヘの支持がただちに集められたところにも、アメリカの力が少なからずはたらいただろう」と。