学習通信070419
◎先達の警句……

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《凡語》

日本の国の大きな転換

 「昭和八年から十年ごろにかけて、日本の国の大きな転換があった。国柄がどんどん戦時体制になった。今の時代も何となくそのころと似てますね」

▼昭和史をめぐる数々の著作で知られる作家の半藤一利さんが、先週、東京の共同通信社で行われた講演で、こんなことを話していた。半藤さんが、その根拠として示したのは−

▼まず、「教育が国家統制になった」ことと「情報の国家統制が強まった」こと。八年には小学校の教科書が変わり、出版法や新聞紙法改悪も続いた。昨今の教育基本法改正や個人情報保護法などは大丈夫か、というわけだ

▼「弾圧の兆候が出てきた」ことや「テロ」も気になる点という。七年には政治家の井上準之助や実業家の団啄磨が暗殺された。翌年は作家の小林多喜二が特高警察に虐殺された

▼最近の共謀罪などは弾圧の兆候では、と半藤さんは心配する。加藤紘一衆院議員の実家が放火されたり、ノンフィクション作家の溝口敦さんの家族が暴力団に襲われた事件にも、テロとの関連を見る

▼盧溝橋事件を皮切りに日中戦争が始まったのは昭和十二(一九三七)年。それに先立つ言論統制や暴力的風潮に戦争への伏線を見る点は、一昨日亡くなった城山三郎さんにも通じよう。「よくよくしっかり事象を見つめ、同じ過ちを繰り返さぬよう期待しています」−先達の警句をかみしめたい。
(「京都新聞」20070324)

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テロ許さぬ政治の責任を

 伊藤一長長崎市長に対する凶行は、選挙期間中に政治家を銃弾で倒すという、わが国の戦後政治史に例がない凶悪事件です。それだけに、社会全体が、自由と民主主義に対する凶暴な挑戦として、これを許さない決意を示すべきですし、とりわけ政党・政治家がその先頭に立つ必要があります。

 ところが、事件当日の十七日に安倍晋三首相が出した談話は、「捜査当局で厳正に捜査が行われ、真相が究明されることを望む」というだけ。テロや暴力に対する批判、憤りの言葉はいっさいありませんでした。

 首相は十八日になって「選挙期間中の凶行というのは、民主主義への挑戦であり、断じて許すわけにはいかない」と軌道修正しました。しかし、事件発生直後に日本共産党の志位和夫委員長がテロ行為を厳しく糾弾したのをはじめ、与野党幹部らがあいついで暴力やテロ行為を非難するコメントを出している中、首相の対応はあまりに異様でした。

 ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は、十八日朝の民放番組で「選挙期間中に政治家が銃弾に倒れるというときに、一国の総理が出すコメントではない。少なくとも民主社会に対する挑戦だ、絶対に許すことはできないと厳然としていわなければならない」と批判しました。

 政界からも批判の声が相次いだことから、塩崎恭久官房長官は同日朝の記者会見で首相談話について「やや簡単なコメントになった。思いは同じだ」と弁明しました。しかし、テロ行為を許さないという毅然(きぜん)とした姿勢を示すという点で、首相の当初の談話が重大な禍根を残したことは否定できません。

 安倍氏には問われるべき前例もあります。

 昨年八月に、当時の小泉純一郎首相の靖国参拝に反対した自民党の加藤紘一元幹事長の実家が右翼団体幹部によって放火された際、小泉首相とともに官房長官だった安倍氏は事件から二週間も沈黙。党内からも「危機意識が薄い」などの批判の声があがるなかで、小泉首相はようやく「暴力で言論を封ずることは決して許せることではない」と発言しました。安倍氏も「捜査を見守りたい」としたうえで「仮に加藤議員の言論を弾圧し、影響を与えようという行為であれば許されない」とのべました。

 二〇〇三年には当時、北朝鮮との国交交渉にあたっていた外務省の田中均審議官の自宅に「爆弾を仕掛けた」との電話があり、不審物が発見された際、石原慎太郎都知事が「そんなのは当たり前だ」とテロ行為を容認する発言をしたこともありました。

 こうしたテロ容認の風潮がある限り、無法なテロ行為や暴力を一掃することはできません。しかも、加藤元幹事長宅の放火事件のように、首相の靖国神社参拝批判が「気に食わない」として犯行に及んだ例や、本島等前長崎市長が「天皇の戦争責任」を発言したことに対して銃撃を受けた事件(一九九〇年)にみられるように、日本の侵略戦争を正当化する逆流の強まりのなかで、テロが相次いでいることは見過ごせません。

 それだけに、民主主義の根幹をなす言論の自由、政治活動の自由を守るために、テロ容認の風潮をいまこそ一掃する必要があります。政界が先頭にたって、テロ行為を許さないという強い決意を示すべきときです。(藤田健)
(「赤旗」2007419)

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◎「日本の侵略戦争を正当化する逆流の強まりのなかで、テロが相次いでいることは見過ごせ」ないと。