学習通信070412
◎夢想する情熱にささえられないとすれば……

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──大多数の革命家が訓練を欠いていたことはまったく当然な現象であったから、なにも特別の懸念をおこさせるものではありえなかった。

任務が正しく提起されさえすれば、またこの任務の実現を繰りかえし試みるだけの精力がありさえすれば、一時の失敗はなかばの不幸でしかなかった。

革命的練達と組織者としての手腕は、おいおいに獲得できるものである。

ただ、必要な資質を自分のうちにやしなおうという意欲がありさえすればよいのだ! 欠陥が意識されていさえすればよいのだ! 革命の事業では、欠陥を意識することは、それをなかば以上訂正したにひとしいのである。
(レーニン「なにをなすべきか?」レニン八巻選集A p36-37)

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愛情と執念と夢
 ──困難の解決と情熱の問題──

 私たちは、よく「困難だ」「たいへんだ」という。だが、困難とはなんだろうか。

 困難とは、一般に、解決を要する課題があり、しかもその解決のメドがたたない、そこで先へ進めない、ということであろう。

 ところで、マルクスはつぎのようにいっている。
 「人間はつねに自分が解決しうる課題だけを提起する。なぜなら、いっそうくわしく考察するならば、問題そのものは、その解決の物質的条件がすでに現存しているか、あるいはすくなくとも成立しつつあるかのばあいにだけはじめて発生することがつねにわかるであろうから」(『経済学批判』序言)。

 マルクスのこの文章は、直接には、社会全体の大きな課題──変革の課題──について述べたものであるが、私たちはこのマルクスのことばを、私たちが運動のなかで直面するあれこれの課題──困難な課題一般に拡張してうけとることができよう。というのは、困難な課題や問題がそこにあるということは、解決を要する現実の矛盾がそこにあるということであるが、矛盾とはつねに対立物の統一であって、その対立物の闘争によってその解決にむかう途上にあるものにほかならない。つまり、解決の条件は問題そのもののなかにそなわっているのである。解決の条件がないところには、問題そのものもそもそもなりたちはしないのだ。

 一般的に右のようにいえるとすれば、かんじんなことは、現実に存在するはずのその条件を──見る目さえあれば見えるはずのその条件を、どうつかむか、いかに見いだすか、ということであろう。

 ここに、おもしろいマルクスのことばがある。

 「かれらが革命のカジをとったのは、人民がかれらのうしろに従ったためではなく、人民がうしろからかれらをおしだしたためであった。かれらが先頭にたったのは、新しい社会的時代の創意を代表していたからではなく……地震で新しい国家の地表にはじきだされたからであった。

自分自身を信頼せず、人民を信頼せず、上にむかってはブツブツいい、下にむかってはおじおそれ、どちらにむかっても利己的で、しかも自分の利己主義を承知しており、保守派にたいしては革命的で、革命脈にたいしては保守的で、自分のスローガンを自分で信ぜず、思想のかわりにきまり文句でまにあわせ、世界の嵐におびえ、世界の嵐をダシにつかい──どの方面でも無気力で、あらゆる方面でヒョーセツし、独創を欠くゆえに下劣であり、下劣さにかけて独創的であり──自分の願望を自分で値ぎり、創意なく、自分自身を信頼せず、人民を信頼せず、世界史的使命をもたず──強健な人民のういういしい青春の流れを自分自身の老衰した利益におうじてわきみちにそらし導くことを自分の宿業と観じている──目もなく、耳もなく、歯もなく、なにもない、いまわしい老いぼれ」
(『ブルジヨアジーと反革命』全集、第六巻、)。

 マルクスはなかなかの芸術家だ。いったい、これはだれのことをいっているのか。ある種の活動家にあてつけた皮肉であろうか。これは、じつは、ドイツ・プロイセンのブルジョアジーについて述べたものだ。マルクスはここで、現実が提起している歴史的課題を解決する能力のない連中の特徴づけをやっているのである。

 なぜそれを解決することができないのか。解決の条件、手段がそなわっていないからではない。それらはちゃんとそなわっているのである。しかし、目なく耳なく歯さえないかれらには、それは見えず、きこえず、こなせない。

かれらは運動のカジをとる立湯にあるかもしれない。しかしそれは、たまたま「地震で地表にはじきだされ」た結果そうなっているだけであって「新しい社会的時代の創意」などというものとはそもそも縁がない。こういった人たちは大衆の力をふまえているのではないから、てんで自信がない。

自分も信頼できず、大衆も信頼できない。上にむかってはブツブツいい、下にむかってはビクビクし、けっきょくはケチくさい利己的な感情につきまとわれ、自分でもそれはひそかに知っている。

「保守派にたいしては革命的で、革命派にたいしては保守的」で、いろんなていさいのいいスローガンをかかげはするが、じつはそのスローガンを自分でも信じていはせず、ほんとうのところは無思想──自分の思想なんてものはもたず、ただなんかの新聞やパンフレットやそんなものからキマリ文句を借りてきてまにあわせ、世界の嵐をつかってホラを吹き、そのじつは世界の嵐におびえ、情熱もなければ独創性もない。

クダラナサにかけてだけ独創的──つまり、わけのわからない、くだらないことを思いもよらぬしかたで「独創的」にゴチヤゴチヤごてくりまわす不思議な才能だけはもちあわせている。だから、運動をすすめる点でもまるきし創意がなく、じつに欲がない。

こんなこと考えていいんだろうか、とおよび腰になって、まあやめとこう、と、いい思いつきも、ほんとはやりたいこともひっこめ──「自分の願望を自分で値ぎり」とは、そういうことだ──世界史的使命なんていっても、それは口先だけのアクセサリー、じっさいにかれがしがみついているのは、ケチくさい、わけのわからない、当人にもよくわからない、カッコつき「使命」にすぎず、仲間のういういしい新しい動きをせきとめ、それを自分自身の老衰した利益におうじてわき道にそらし導くことばかりやって、おれってそんな人間なのさ、と諦観している──もし私たちがそういう「活動家」であるとすれば、とうてい、解決できるはずの困難も解決できはしない、ということにもなるだろう、マルクスがいっていることは。

 だが、私たちは、やせたりといえどもプロレタリアだ。おいぼれたブルジヨアではない。世界史的使命をになうプロレタリアである。私たちは「新しい社会的時代の創意」を代表して、困難を解決する能力をもたなければならないし、また、そのような困難を解決しうる資質をもっているはずだ。

 このような資質──困難解決のための主体的条件──とは、あのおいぼれブルジョアのそれと正反対のものである。

カリーニンは、こうした人間的資質について「第一に愛、仲間の人びとへの愛、勤労大衆への愛。第二に正直。第三に勇気。第四に同志的団体精神。第五に仕事への愛情」というふうに語っている(『共産主義教育について』)。

あじわうべきことばではなかろうか。つけくわえられているカリーニンの説明がまた、じつに生気あふれて独創的だ。

たとえば、第一の「愛」については──「人は仲間を愛さなければならない。そうすれば、その人の人生はもっとよくなり、もっとたのしくなる。人間をにくむ人ぎらいほど、不幸な生活をおくるものはいない。」──これはどういうことであろうか。

私たちの問題にひきよせていえば、私たちのなかに、もし、困難さのなかで人ぎらいになり、しょっちゅうしかめっ面をし、人にヅケヅケものをいい、人への愛をうしなって、人生がわるく、たのしくなくなっている人があるとすれば、その人は、たとえ主観的にはどんなに深刻、真剣に問題にぶつかっているようであっても、問題解決の資格、能力を喪失しているということだ。

また、第三の「勇気」については──「社会主義の人間──労働の人間──は世界をかえようとする。それも、地球上にある世界だけでなく、宇宙を拡大することに頭をつかおうとするのである。」──カリーニンがこれをかたったのは、一九三八年である。なんという壮大な夢であろう。こ
れがカリーニンのいう勇気である。

 ここで、カリーニンのことばへの傍注として、私たちの状況にひきあわせながら、困難解決のための主体的条件として、執念と空想力、ということをあげておきたい。

 執念とはなにか。執念とは執念である。ぜがひでも、なにがなんでもやりぬくという執念である。きらわれてもきらわれても、好きな異性をおっかけまわすあの執念である。マージャンにかける執念、競馬競輪にかける執念──あの執念である。おおくの科学・技術上の発明発見は、科学者のこうした執念の産物にほかならない。打倒されても打倒されても、しょうこりもなく反革命の機をうかがう反動階級の執念──これは没落する階級の執念であるが、私たちに必要なものは、未来をになうものとしての不屈の執念である。こうして執念についてレーニンはつぎのように述べている。

 「もし日本の一学者が、人びとが梅毒を克服するのをたすけるために、一定の要求をみたす六〇六番目の薬品をつくりだすまでに、六〇五種の薬品を試験する忍耐をもっていたとすれば、資本主義を征服するという、より困難な任務を解決しようとのぞむものは、もっとも適当な闘争のやりかた、方法、手段をつくりだすために、何百回、何千回となく、あたらしい闘争のやりかた、方法、手段をためす根気づよさをもっていなければならない」(『偉大な創意』全集、第二九巻)。

 「日本の一学者」というのはサルバルサンを発見した秦佐八郎のことである。注釈のまた注釈は不要であろう。

 つぎに空想力について。空想などというと、唯物論に反するようにきこえる。しかし、レーニンはいっている。

 「もっとも厳密な科学においてさえ、空想のやくわりを否定するのは馬鹿げている。ピーサレフが仕事への刺激としての有益な夢と空虚な夢想とについて述べているのを見よ」(『哲学ノート』)。

 「有益な夢」は実現される。実現される有益な夢というものがある、というのである。

 「観念的なものが実在的なものに転化するという思想は、深い。歴史にとって非常に重要。 また、人間の個人生活においても、そこにおおくの真理のあることはあきらかだ。これは俗流唯物論には反する」(『哲学ノート』)。

 俗流唯物論には反するが、弁証法的唯物論には反しない、ということである。弁証法的唯物論はそれを要求する、ということである。

 ピーサレフというのは、ロシアの文学者だ。右にかいた『哲学ノート』の一節はレーニンがロシア革命の前夜に書きつづったものであるが、その十三年まえの著書『なにをなすべきか』のなかでも、かれはピーサレフのことばを引用して、空想のやくわりについて語っている。これはたいへんおもしろい書きかたになっていて、「空想」とか「夢想」とかいうとそれはマルクス主義に反するといっていきりたつ連中がいるが、かれらがおそろしい顔をしてくってかかる様子が目に見えるようだ、といっておいて、それではピーサレフのことばのかげにかくれることにしよう、とこういって、つぎのように書いている。

 「ピーサレフは、夢想と現実の不一致という問題について、つぎのように書いている。

『一概に不一致といってもいろいろだ。私の夢想が諸事件の自然の歩みを追いこすこともありうるし……まったくのわき道にはいりこむこともありうる。前のばあいには、夢想はどのような弊害ももたらさない。それは、勤労する人の精力を維持し強めることさえできる。

……もし人間がこういう夢想する能力をまったく奪われていたとしたら、もし人間がときどきは先走って、自分の手中でようやく形をなしかけた創作品を、かれの想像によって完全な、完成した姿で眺めることができないとしたら、そのときには、どういう動機が人間を剌激して、芸術、科学、実際生活の各分野で、広大な、精根をすりへらす仕事をくわだてさせ、また最後までそれをやりとげさせるであろうか、私にはまったく考えることができない。

……夢想する人物が生活を注意ぶかく熟視しつつも、真剣に自分の夢想を信じ、自分の観察と自分の空中廊閣とをひきくらべ、総じて自分の空想の実現のために誠実に働きさえするなら、夢想と現実との不一致は、どのような弊害ももたらすものではない。夢想と生活のあいだになにかの接触があれば、万事は順調におこなわれる。』」

 このようにピーサレフのことばを引用したうえで、レーニンはつぎのように書いている。

 「不幸なことに、われわれの運動には、まさにこういう種類の夢想があまりにもすくなすぎる。そして、これについてだれよりも責任があるのは、自分たちのシラフなことや具体的な事柄≠ノ近い≠アとをハナにかける合法的批判と非合法的追随主義≠ニの代表者たちなのである」(『なにをなすべきか』全集、第五巻)。

 「不幸なことにわれわれの運動には、まさにこういう種類の夢想があまりにもすくなすぎる」とレーニンがいっている「われわれ」のなかには、いまの日本の私たちはふくまれないといいきれるだろうか。

われわれのなかに、われわれ一人一人のなかに「夢を見てはならん、現実を見ろ、具体的に考えろ」ということを抽象的にくりかえすことしか知らないカッコつき「現実主義者」つまり俗流唯物論者はいないだろうか。いるとすれば、それではしかし、困難な、精根をすりへらす仕事をさいごまでやりおおすという情熱がどこからでてくるか「私にはまったく考えることもできない」とピーサレフは、またレーニンはいうのである。夢想する情熱にささえられないとすれば、運動をささえるものは惰性くらいしかない。これでは困難の解決が不可能なのは当然である。

 執念といい、空想力といい、それはすべて情熱のあらわれである。「世界のなかでおよそ偉大なことはなに一つとして情熱なしになしとげられたことはない」とヘーゲルはいった。

 この情熱はどこからでてくるか。それは、自信であろう。自分の仕事への自信である。

 そして、私たちほど、自分たちの事業への自信をもちうる確実な理由をもったものはないはずだ。

 マルクスは、目も耳も歯もないおいぼれたブルジョアの描写のなかで、二度もくりかえして「自分自身を信頼せず、人民を──大衆を信頼せず」といった。かれらにはそれができなかった。それがかれらの歴史的な宿命であった。かれらの無気力、無能力はそこからきていたのであった。しかし、私たちはその反対のはずである。とすれば、あふれんばかりの情熱が、徹底的な執念が、壮大な夢が、おのずからわきおこってくるはずではなかろうか。

 レーニンはつねにそういう夢をえがき、それをはげましとして精根すりへらして活動をつづけ、そしてその夢を現実にかえていったのである。「観念的なものを実在的なものに転化」させていったのである。

 あふれる情熱があれば、執念があれば、えがくなといっても夢をえがかずにはおれぬはずではなかろうか。馬券を買うとき、だれが夢をえがかないだろうか。「おれも資本家ユメに見て、今日も朝から馬券買い」と歌にもいうではないか。

そして、馬券買いのばあいはいざ知らず、歴史の発展法則にのっとった私たちの運動にあっては、夢を見ずにはおれぬ情熱はかならずや、さまざまな困難を一つ一つ解決していって、その夢を実現させずにはおかぬはずだ。
(森住和弘・高田求著「実践のための哲学」青木新書 p92-103)

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秦佐八郎

(1873―1938)微生物学者。明治6年3月23日島根県美濃(みの)郡都茂(つも)村(現美都(みと)町)に生まれ、秦徳太の養子となった(1887)。1891年(明治24)、当時岡山にあった第三高等学校医学部へ入学、95年同校卒業。軍務に服したのち、岡山県立病院勤務(1897)、東京へ出て北里柴三郎(きたさとしばさぶろう)の門下となり伝染病研究所助手(1898)、ドイツへ留学(1907)してワッセルマンに学び、ついでエールリヒ、さらにヤコビーのもとで研究し帰国(1910)、北里研究所新設の際北里に従って官を辞し(1914)、慶応大学教授(1920)、北里研究所副所長(1931)。帝国学士院会員(1933)。おもな研究は、エールリヒと共同でサルバルサン(俗称606号)が化学療法剤として回帰熱、梅毒、マラリアに卓効があることを発見したことであり(1910)、晩年には深達性消毒薬の研究で浅川賞(1934)を受けた。昭和13年11月22日没。

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◎「夢を見ずにはおれぬ情熱はかならずや、さまざまな困難を一つ一つ解決していって、その夢を実現させずにはおかぬはずだ」と。