学習通信070316
◎おかしいよ。誰がなんてったって、……
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それにしても、現に労資協調主義の組合が存在しており、それがすぐにもつぶれてしまわないのはなぜだろうか? ひとくちにいえば、労働者をたがいに分裂させて支配し搾取するという資本家階級の策略と攻撃、それにつけこまれる労働者の側にある経験のたりなさ、思想的な弱さなどの弱点に原因がある。
資本家が労働者の団結を破壊するために、政治的弾圧や切崩し、買収工作などをしつように巧妙におこなうことはすでにのべたとおりである。ここでは、こうした敵の攻撃を許す労働者階級内部の弱点について考えてみよう。
労働者が高い階級意識を自覚するまでには、社会生活や労働組合運動の経験をつみかさねながら、物の見かたや考えかたについてのさまざまな段階をたどるものである。私などは、高等小学校を卒業したときには、東京へ出て一心に勉強して、りっぱな技術者になって、母に孝行しようという夢と希望をもっていた。社会の矛盾とか階級闘争ということはまったく知らなかった。努力さえすればかならず出世の道がひらけると思いこんでいた。十四歳から十七歳まで貯金局で働いた三年間、私はそうした考えでひたむきに働き、夜学にかよって電気を勉強した。このころには団結などということはまったく知らなかった。賃金の引上げを要求するなど考えてもみなかった。
夜学を卒業して芝浦製作所の絶縁工に就職したときにも早く技術をおぼえ、電気技術者の検定試験をとって一日も早く技師にでもなりたいと考えていた。まじめに働きさえすればそれができると思いこんでいた。だからこの工場には労働組合があって、就職と同時に組合に加入したけれど、私は組合の活動にほとんど関心をもたなかった。朝の就業前にも、昼の休みにも、電気関係の本ばかり読んでいた。搾取とか賃上げというようなことは考えてもみなかった。ただまじめに働き勉強さえすれば昇給もされるし出世もできると信じ切っていた。このころにはいまの社会と労資の関係をあるがままに受けとって、少しの矛盾も感じなかった。
三ヵ月ほどして、はじめて請負仕事をさせられた。私たち若い仲間は、自分の腕も見せたかったし、割増金もできるだけ多くとりたかったので、一生懸命に働いた。すると古い指導工から叱られた。君たちのような新参がそんなに早く仕事をあげると請負の単価を引下げられる。この職場では古い者でも五五%以上の割増金はとらないように協定している。君達は新参だから四五%にとどめてくれ、というのである。私たちの割増金は一〇〇%以上になる計算であった。
ここではじめて私は労資関係について一つの疑問をもった。仕事の能率をあげれば労働者も収入がふえるし、会社も利益がふえる。日本中の労働者が仕事の能率をあげれば、国家のためにもなるし、国民の生活も高まる。こういうふうにして、社会はどこまでも繁栄していくものと考えていた。つまり、資本家や労資協調論者の主張と同じ考えを持っていた。
それが、能率をあげれば単価を引下げて労働者の賃金を一定の水準以上にあげないというのである。これでは労働者も損だし、会社も損ではないか? という疑問である。その後まもなく、請負単価引上げの集団交渉がおこなわれた。私は消極的ではあったがこれに参加した。
一時間あまり仕事をとめての現場交渉で要求は貫徹した。これで私は労働組合の闘争の必要を理解した。団結して要求すればとれるものだとわかった。だが、この時期の私は資本家のやりかたが悪いから、それを改めさせるために闘争するのだと考えていた。だから、資本家は親であり、労働者は子である。労資協力して生産を高めることが、労働者の生活を高める道であるという労資協調の思想から抜け出ることはできなかった。
大正十四年に組合幹部一八名の首切りがあった。その首の切りかたが惨酷なものであったので、労働者は子であり、資本家は親であるという主張には賛成できなくなった。このとき一〇日ほどストライキをやった。またこのとき警官の弾圧をまのあたりに経験した。また多くの労働組合が応援にきてくれた。そしてさまざまな立場から激励演説がおこなわれた。私ははじめて、芝浦製作所だけでなく、どの会社の資本家も同じように労働者をこきつかい、労働者はどこの会社でも私たちと同じような状態にあることを知った。そして、他の工場の労働者と力をあわせて資本家とたたかわなければならないことを知った。ここではじめて、階級対立ということ、労働者の階級的団結ということを知った。
その後、労働組合の再建運動に参加し、組合運動の先輩たちから、資本主義のからくり、搾取ということ、階級闘争、革命、社会主義などについて教えられ、私のこれまでの経験をうらづけとして、労働者階級の階級的な立場というものを私なりに確信するようになった。このことはまえにもふれた。
こういう階級的自覚のみちすじは、すべての労働者が、そのおいたちと生活環境のちがいに応じた形で、誰でもとおるものである。だから一経営についてみても、日本の労働者階級全体をとってみても、そこには、階級的自覚の程度のちがう労働者が集まっている。
(春日正一著「労働運動入門」新日本出版社 p73-76)
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「誰がなんていったって、僕はいやだ。」
こう北見君がいったら、もう手がつけられません。この「誰がなんてったって……」というのが、北見君の口癖でした。頑固で手に負えないことが、ときどきあるものですから、誰いうとなく、北見君のことをガッチンと呼ぶようになりました。コペル君も、北見君があんまりガッチンなので、はじめ、どうも親しくなれなかったのです。
しかし、頑固なところはあっても、ガッチンは、なかなか愉快な少年です。──あるとき、学校からの帰り道に、コペル君やほかの友だちと、ガッチンが議論したことがあります。問題は、電流とは何かということでした。北見君の考えでは、電線のような、あんな金属の固体の中を、何かある物質が流れるなんて、信じられないというのでした。そして、多分、光や音などのように、ある一種の振動が伝わるんだろうと言いました。しかし、コペル君は、原子よりももっと小さい電子が電線の中を流れてゆくのが電流だ、ということを知っていました。それで、北見君の考えはまちがいだと言いましたが、北見君はどうしても信じません。
「そりゃあ、君の読みちがいじゃないのかい。だって、第一、銅の針金の中には、何か物が通るような隙間がないじゃないか。おかしいよ。誰がなんてったって、そんなこと、考えられないや。」
そこで、コペル君は、科学雑誌や課外の物理学の本や、『世界の謎』で仕込んだ知識を吐きだして、北見君に、物質の構造を説明しなければなりませんでした。すべての物質が、顕微鏡でも見えないような小さな原子から出来ていること、──その原子が、また、もっと小さな電子の集りであること、──こういう小さなものを考えると、普通われわれが隙問もないと思っている物質が、実は隙間だらけのものであること、──だからこそ、X線のような小さな波が普通の光線の通れない物質を突きぬけてゆけるのだということ。
「そうかなあ。」
と、ガッチンはまだ不審に思っている様子でした。それで、コペル君は立ちどまって、カバンの中から、ちょうど持ちあわせていた『電気の話』という本を出し、電流についての説明を北見君に見せてやりました。これは理学博士の書いたものです。
「フーン。」
といって、北見君は、コペル君の示したところを読んでいました。みんなも足をとめて、これにはガッチンも恐れいったろうと、北見君がどう返事するか待っていました。すると、やがて北見君は顔をあげて、
「ウン、そうだ。誰がなんていったって……」
と、言いだしました。またはじまったと、みんながあきれて北見君の顔を見守ると、北見君は平気な顔で、そのあとをつづけました。
「僕の方が、──断然まちがいだ。」
これには、みんな噴きだしてしまいました。コペル君も、急にガッチンが好きになりました。
(吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」岩波文庫 p30-32)
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労働者教育の原則
われわれの教育では、無自覚なあるがままの大衆がすべて教育の対象になります。
その点、改良主義あるいは協調主義の組合の教育の方針は、すべての組合員を教育することはとうていできないんだということが前提になっていて、上から一定の考え方をおしつけていくことが特徴だということを考えなければなりません。
そういう意味で、われわれは労働組合員の教育について語るという場合、大衆のすべてを自覚させていくような教育を考えなければならない。協会は、ある場合は労働組合からしめだされているために、そういう教育を自由にやれるわけです。
同時に労働組合運動は、どうしても敵の攻撃に対して思想的・組織的・戦術的にもきたえられたかなりの数の幹部を必要とします。
そこでイロハと高等教育をどうやって統一的に関連して教えていくのかという大へん難しい問題いわば大衆性と原則性という問題をどう結びつけていくのかにぶつかります。
非常に原則的なものを教えなければならない。と同時に、労働組合運動というのは、ある社会の抽象的な一般的な状態をつかむだけでは実際の闘争には充分に結びつくことができないので、具体的な情勢の中でどんな状態なのかをつかまなければならない。つまり原則論をやりながら、同時にそれの最も論理的に高い段階、非常に具体的なものまでつかまなければならない。
それを、それほど勉強がすきだとは限っていない労働組合の幹部や大衆にどうやって教えていくかが実際問題としてあるが、どうやってそれらに接近していったらよいかについて少し話してみたい。
煽動とは一つのことで労働者階級をたちあがらせる、宣伝どはもっとたくさんのことでたちあがることであり、教育はもっと組織的体系的にやることと考えられます。
もっと乱暴ないい方でいえば、煽動とは口でやるものだ、宣伝とは字を使ってやるこで、教育は本でやると考えればわかりやすい。労働者教育協会のやろうとしていることは宣伝ということも無論あるが、教育にかかる比重がかなり多いと見てよいように思う。この点に協会の特徴がある。そのことはいまの社会は人間を深く考えさせていくことがむつかしいところがあるだけになおさらそうである。
友情とか恋愛とか結婚の問題について、いまよく問題になっています。またそういう話しを聞きたいということも労働者階級の仲間たちの間には少なくありません。それは確かに興味あることですから、若者たちに受け入れられます。
そこで、それをとりあげることは、いっこうにさしつかえないことだと思います。しかし、そこで、私たちが考えなければならないのは、一体、真の教育とは何なのかということです。
私はここで述べたいのは、要するに「労働者は昼間の労働で疲れているから、もうかたいものはイヤになる。論理的なものをきびしく追求するというのはムリである。そういう能力はない。労働環境や生活環境からいって、そういうものをとらえられる状況ではない」という考え方は、労働者の本来もっている能力を過少にみていることになりはしないかということです。
そういう意味では、労働者階級のもっている問題を理論的に把握する能力というものは、私は、小ブルジョア階級の息子たちの、将来の自分の地位のためにイヤイヤ勉強している状況とはちがうということです。
(堀江正則著「労働者教育の現状と問題点」『学習運動』誌 NO.151 70年1月号)
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◎「煽動とは口でやるものだ、宣伝とは字を使ってやるこで、教育は本でやる」と。