学習通信070309
◎実際の行動の中で自分を変え……
■━━━━━
あしながおじさんへ、ジュディーより
でも、自分が一体何ものなのかをほんとうによく知るためには、これだけでは十分でありません。「正しく強く生きる」には、いまの社会のなかで自分がどのような位置におかれているのか、その「いまの社会」は人類社会の歴史のなかでどういう位置を占めているのかを問い、その答をさぐらなければなりません。それには、社会科学の力が必要です。
そのような意味において「さあ、きみの いま いる ところは どこですか?」と問われたら──あなたはどう答えますか?
答の一つのサンプルを『あしながおじさん』のなかに──あしながおじさんに宛てたジュディーの手紙のなかに──見つけました。「あのね、わたしも社会主義者になりそうです。かまわない? おじさま。無政府主義者とはぜんぜんちがうのよ。爆弾でだれかをふっとばすなんて主義じゃないわ。たぶん、わたしはとうぜん社会主義になるべき人間です。プロレタリアートのひとりですから。」 (谷川俊太郎訳、フォア文庫)というのです。
ところで、ジュディーのこの手紙が、もし勤労者通信大学のレポートとして提出されたもので、その評価・添削を私が求められているとすれば、「申し分ありません」とだけ書いてすませたくはありません。いろんな「申し分」を赤インクで書きこむだろうと思います。たとえば──
@「わたしも社会主義者に……」とある、この「も」の意味は? ──こんなところから私の書きこみははじまるでしょう。これが「申し分」の第一です(※)。
A「プロレタリアート」という言葉をあなたはどのような意味で使っているのでしょうか? 勤通大の教科書では、もっぱら「資本主義社会における賃労働者の階級」という意味にこの言葉を使っていますが……。「自分はプロレタリアートのひとりだ」とあなたが自分についていう意味は?(※) そしてその根拠は? ──これが「申し分」の第ニです。
B「プロレタリア一トのひとり」であれば、なぜ「とうぜん社会主義になるべき」なのか、その理由は? それをきかせてほしい、というのが「申し分」の第三です(※)。
※
@(略)ジュディーの大学での同級生にジューリアという子がいて、裕福な名門ペンドルトン家の一族なのですが、ジュディーは、このペンドルトン家の雰囲気が大きらい、ただ一人例外はジューリアのおじさんにあたるジャーヴィスという男性ですが、「気ちがいじみた社会改革事業」にのめりこんでいて、一族から社会主義者呼ばわりされ、異端視されています。──こうしたことをジュディーはあしながおじさん(じつは、このジャーヴィス・ペンドルトンこそあしながおじさんの正体なのですが、ジュディーはそのことをまだ知りません。)にむかって報告した上で、「あのね、わたしも社会主義者に……」と書いているのです。その前段をはぶいて、いきなり「あのね、わたしも……」とはじめたのは私がやったことで、彼女の責任ではありません。
Aプロレタリアとは、がんらい「子(proles)を生むもの」という意味で、古代ローマにおける最下層の市民をさすものでした。財産でもって国家に役立つことができず、労働力を提供する(つまり子どもを生む)ことによってだけ、国家に役立つもの、という意味でこのように呼ばれたのだということです。今日の社会科学用語としては、資本主義社会において、生産手段をもたず、自分の労働力を資本家に売って生活する賃労働者、ないしその階級のことをいいます。
プロレタリアートといっても同じですが、階級をさす場合はプロレタリアート、個々人をさす場合はプロレタリア、
というぐあいにつかいわけるのがふつうです。──それから、賃労働者にかぎらず、「無産者」という日本語と同様、貧乏な人びとを漠然とさす場合もあります。ジュディーが自分を「プロレタリアートのひとり」といっているのは、やかましいことをいえば、この最後の意味でのみ正しい、ということになります。このような添削、あまり気がすすまないのですが。
B「ジューリアは、ペンドルトン家の一員でありさえしたら、ただそれだけでどんな資格審査もうけずに天国へゆけると思いこんでいるんです。ジューリアと私は生まれながらかたきどうし。」というジュディーの手紙の一節も参考に。そのジューリアとルーム・メイトになったとき、ジュディーは次のように書いています。「呉越同舟。ジョン・グリーア孤児院の申し子たりしジルーシャ・アボット、ベンドルトン家の一員と同室せんとす。ここは民主主義の国なんです。」(谷川訳)ここで、民主主義と資本主義と社会主義の区別と関連について──あるいは、民主主義を軸として、資本主義とは何か、社会主義とは何かということを改めて──考えてみたくなります。
「社会主義とは何か。それは資本主義から資本主義への(あるいは封建制から資本主義への)最も苦しい道程である」というジョークがそれなりのリアリティをもってひびいてくるようにも感じられる今日この頃、皆さんはどう考えますか?
----------
ところで、ジュディーのこの〈レポート〉には、なお「追って書き」(追伸)のようなものがあって、「まだどんな社会主義者になるかはきめてないの。日曜日によく研究したうえで、つぎの手紙でわたしの主義を宣言するわ」と記されていました。その「つぎの手紙」はつぎのとおり──
「親愛なる同志、
ばんざい! わたしはフェビアン。
これは待つことを知ってる社会主義者のこと。あしたの朝、社会革命がおこるなんてことはのぞみません。それじゃ混乱してしまいます。あるていど未来に、わたしたちみんなの心がまえができて、ショックにたえられるようになってから、きわめてじょじょに革命がくることをのぞんでいるのです。
それまでのあいだ、われわれは産業、教育、孤児院などの改革に着手しつつ、用意をととのえていかなければなりません。
同志愛をこめて ジュディー」 (谷川俊太郎訳)
念頭におくべきこと、いくつか。
その一──『あしながおじさん』が世に送り出されたのは一九一二年、前半分は明治四五年、後半分は大正元年と呼ばれる年だったということ。つまり、いまから八十年も前のことです。同志社英学校が同志社大学になったのがこの年、友愛会が発足したのもこの年でした。ロシア十月社会主義革命はまだ五年先のことです。
その二──ジュディーのこの手紙は、彼女が大学三年生の夏、二十歳の時のものとされていること。彼女の人生にはまだ先があるはずで、とすれば彼女の思想の発展にもまだ先があるはず、彼女の人生はむしろこれからで、彼女の思想も、そのこれからの発展こそが期待されていいということです。彼女自身、次のように書いています。
「去年の夏お話したケロッグさんのこと、おぼえておいでですか?四つ角の、小さな白い教会の牧師さんです。お気の毒に、あのお年寄り、去年の冬、肺炎でなくなりました。五、六べんもお説教を聞きに通いましたから、私、あの方の神学とはすっかりおなじみになってしまったんです。あの方は、はじめに信じこんだことを最後まで、そっくりそのまま信じこんでいらっしゃいました。何から何までその考えに一点の変化もなく、ワンパターンの一本調子で四十七年間もやってける人なんて、珍しいこっとう品として、ガラス箱にいれて保存しておくべきじゃないかしら。いまごろ竪琴を手に、金色の後光を頭のまわりに、天国生活をたのしんでいらっしゃればいいけど。あの方、天国はそんなところと一〇〇パーセント信じこんでらっしゃったんです。」
その三──いま述べたことと別のことではないかもしれませんが、次のような哲学とそれは結びついているということ。
「大きなすばらしい喜びなんかじゃない、いちばんたいせつなのは。ささやかな喜びからうんとたくさん喜びをつくってしまうことこそたいせつ──幸福のほんとうの秘密をわたしは発見したのよ、おじさま。それは現在≠ノ生きること。過去をくよくよなやんだり、未来のとりこし苦労をしたりしないで、いまのこのしゅんかんからえられるかぎりの最高のものをつかむことです。農業みたいなの。粗放農業と集約農業とあるでしょう、わたしはこんご、集約生活をします。」
「わたしは一秒一秒をたのしみます。たのしんでるあいだは、たのしんでることを意識します。たいていの人たちは、生きているんじやなく、競争しているだけ。はるかかなたの地平線にある決勝点にたどりつこうとけんめいです。そしてそこにゆくことに熱中するあまり、息がきれ、あえぎ、とちゅうの美しいしずかな風景も目にはいらないんです。そしてあげくのはてに知ることは、自分たちが年をとり、つかれはて、決勝点につこうがつくまいがけっきょくなんのちがいもなかったということ。わたしはたとえ大作家になれなくとも、道草をして、小さなしあわせをいっぱいつむことにきめました。こんな女哲学者にあったことある?」(谷川訳)
「こんな男哲学者」でありたいと私も思っているのですが……。
谷川訳とはまた別の味わいがあるように思いますので、坪井郁美さんの訳をもここにあわせかかげておきます。
「わたし、大きな喜びを得ることが、何よりもすばらしいとは思いません。そういうものは、小さな喜びがかさなって、生まれてくるものじゃないかしら。わたしね、おじさん、幸福の本当の秘訣を見つけたんです。それはいま≠ノ生きること。過ぎてしまったことにいつまでもくよくよしない。未来のことをあれこれ心配しない。そのかわり、いまのこの瞬間から、吸いとれるだけ吸いとるんです。農業と同じです。粗放農業と集約農業とあるでしょう。そこで、わたしは、集約生活をはじめることに決めたんです。これからは、一瞬一瞬を楽しんでいきます。
楽しんでいる間も、自分は楽しんでいるんだということを意識しながら楽しむんです。この世で、ほんとうに生きてる人なんて、ほとんどいないんじゃないかしら。みんな、ひた走りに走っているみたい。はるか地平線上のゴールにたどり着こうと必死になって、もがいたり、あえいだりしているものだから、途中の美しい、のどかな田園風景もなにも目にはいらないんです。あげくのはては、老いぼれて、けっきょく、ゴールに着こうが着くまいが、たいして変わりなかったのだと気づくのがおちなんです。わたしは、とちゅうで腰をおろして、小さなしあわせをいっぱい積み上げながらいくことに決めました。たとえ、大作家になれなかろうが、なんのそのです。
どうです、わたしの哲学! こんなすばらしい女哲学者、見たことないでしょう!」
(高田求著「哲学再入門」学習の友社 p22-31)
■━━━━━
それならば話をもっと進めて、マルクス・レーニン主義(科学的社会主義)──共産主義のモラルの規準はどこにあるかという間題であります。
ブルジョア的な倫理観の基調は、最初申しましたように社会および階級を超越した普遍的な善とか悪とかいう概念でありますが、共産主義ではそういうふうなものは認めない。
人間が何を善とし、何を悪とするかは、それぞれの社会の生産関係──階級関係が決定する。この資本主義社会は、好むと好まざるとにかかわらず、けっきょく多数の働く人間が資本主義的矛盾に目ざめてこの資本主義を否定し、その方法と過程はその国の条件によって違うけれども、資本主義的生産関係を止揚し社会主義の建設へいかざるをえない。その社会発展の必然性にめざめてそれを促進するために働きかけて行動する。その行動にこそ人間の本当の自由があるし、またそれによって社会の発展が開けてくるのであります。
社会の発展法則に即した行動をとること──具体的には、資本主義を揚棄する歴史的使命をもつ労働者階級の解放と勝利の方向に進むことが、とりもなおさず新しい善の根本であり、新しいモラルの立場であります。
ある人は、唯物論は対象に対する認識であって、どう働きかけるかという実感はどこから出てくるかと問います。
だがある物を認識するとは決して写真のように機械的に反映することではなく、人間が、この社会に働いている動いているものとして対象を認識するのです。つまり対象を能動的に把握する。この能動的に把握するということは、とにかく対象に働きかけることになるのであります。
したがって今日、日本でも世界でも、二つの勢力が対立して、一方は資本主義を維持しようと努力してあらゆる妨害や宣伝の手段によって新しい勢力が人民民主主義、社会主義、共産主義へ行こうとするのを阻止しようとしている。これに対抗して、社会主義や人民民主主義国を先頭として何億という人民大衆がこの資本主義は破産し、けっきょく社会主義へ行かざるをえない、そのための具体的障害を排除するために立ちあがっている。
これが日本だけでなく、世界の二つの陣営として存するのであります。資本主義を排除して新しい社会を建設しようとする運動、それに役だつもの、その方向に正しく促進させるもの、これが共産主義の立場からいえば善であり、モラルの基調であります。
具体的に言いますと、それならば自分を生かすという問題はどうなるか、社会の発展に役立つということに行動の規定や善の基調があるならば、自分自身の問題、自分の欲望の問題ほどうなるがということであります。これを若い高等学校の共産党員の人たちからきかれたのです。たとえば献身ということがいわれる。これは日本の天皇制のもとで、大和魂のために、東亜のために生命をささげることだといわれた。
共産主義運動の場合にも献身ということがいわれるが、これがなんとなく、昔のものに似た感じで受け取ることがある、と若い人が言うのであります。軍国主義時代に強要された「献身」は、何ら科学的な基礎の上に立っているものではない。これは全く人権破壊の要求であります。
それに反して、今日社会発展の法則にマッチして社会生活してこそ、自分の才能も自分の生活も開花することが出来るのであります。
事実、日本の多数の人民は、いろいろな経済的な負担で食うものもろくに食えず、住む家にしても非常に困っている。学生生活の困難は皆さんが百もご承知でありますが、こういう状態の根元を打開するためには、一人一人では、この制度を排除して根本的に解決することは、自分一人だけが特殊の因果関係でその状態を免れることでできるものではない。
ある会社に就職して、そこで社長の機嫌をとりながら、いろいろな好遇をうけるとしても、むしろそれは例外的のことであって、それはごくごくの少数者にすぎない。その解決では本当の解決ではない。現象的に、なりあがるということは、大多数の人民には約束されてはいない。大多数の人民はそういう、なりあがる立場にないわけであります。
けっきょく自分たちの生活を守るために現状を打開するにも、社会の発展を一日も速やかに促進することなしにはありえないのです。したがって、それは同時に自分を生かす道にもなり、したがって、自分か他人か、自分か民衆かという、二律背反は実際にはないわけであります。
「近代文学」のなかのある人たちは、この自分か他人かという問題を長く固執していたわけであります。そうして自分の問題から出発しなければ、ほんとうの実感はない。人間の自己変革をと強調したのであります。自分と社会、主体と客体というものは統一的に発展出来るもので、あれかこれかではないのであります。そういうような社会実践の中で、人間は自分の考え方、自分の感情を変えていくことが出来るわけであります。
たとえば、転向の問題があります。すなわちあの戦争が始まる前に、プロレタリア運動などにおいて多数の転向者が出た。転向者が出たということは、皮肉な小ブルジョア観察者に、けっきょく人間というものは自我が基調であって、いろいろ思想をもっておっても、弾圧をうけ迫害を蒙(こうむ)れば、そんなものは借りものじゃないか、という見方を発生させたわけであります。
そこから自身の自我を確立することが根本問題であって、人民の中へとか、あるいは社会主義運動の中へとかいってもそう簡単に解決できるものではない。まず自我の確立だという主張が出るわけであります。しかし、この転向の間題を考えてみても、当時のプロレタリア陣営の人びとがすべて転向したのではない。
それは、あるいは監獄とか、警察とか、あるいは強制の前に、いや応なしに心ならずも転向しますといった人もいる。実際に、まったく「日本主義者」に転向してしまって、林房雄、浅野晃とかのように、積極的に軍国主義の手先になった人たちもいます。また小林多喜二のように、文学運動から出たが転向しないだけでなく、死をもって党を守った人もある。他の分野でも非転向の人がいたわけであります。
世界を通じて見ても、言語に絶する困難の中で共産主義の信念にたたかい抜いた人は多いのであります。すべての人間が、困難に面すると思想を変えたり、心にもないことを言うとはいえない。
日本ではプロレタリア文学は日も浅く、そこに参加した人の多数のものがいろいろなことのために、頑張ることができなかったけれども、独ソ戦を見ても、あるいは中国の人民解放の戦いを見ても、勇敢に新しい世界のためにたたかう無数の人びとが見られるのです。独ソ戦では、ソビエトの一少女がパルチザン戦で捕えられ、ソビエト軍の陣地の所在を言えば許してやる、でなければ殺すと言われても、彼女は雄々しく銃殺をうけているのであります。こういうような英雄主義が世界各国にあったわけであります。
個個の現象をとらえて、それで人間は、いかに革命的に見えても、逆境にあえば思想を変えるとは一般的にいえないのであります。
福田恆存(つねあり)は、プロレタリア文学運動を裏切るものが出たが、それは裏切るものが人間性に忠実だったからだとまでいっています。一つの主義主張を頑張るよりも何とか早く自由になりたい、何とか早く家庭に帰りたい、そういった感情が「自然」なのだから、こういうことこそ人間性に忠実なのだ、といって積極的に裏切りこそ人間の本性だといって、こういう立場からプロレタリア文学を批評しているわけであります。
それが決してすべてのプロレタリア運動者の道ではなくして、世界的に見ても何も圧倒的多数のものではない。今日の社会において、一つの民主的運動の中においても個人主義的要素はいろいろ残っています。あるものは抵抗に強く、あるものは抵抗に弱いという現象はある。しかし、それは人間のすべての、あるいは民主主義運動をやっているものすべての宿命でも何でもないのであります。
転向の問題にしましても、自分が過去において転向したそのことをまず強く自己批判して、この自己批判から出発しなければ嘘だということを「近代文学」の人は言ったのであります。もちろんそれは大事なことです。だが、自己批判は紙の上だけでやっても、本当の自己変革はできない。その自己批判と同時に感情も、理論も、実践の中で変革させていかなければならないのです。
十分の自己批判を紙の上でやっているかどうかというだけでなく、実際の行動の中で自分を変えようとしているか、過去のあやまりを克服して新しい建設の中へ自分を投げているかということが、人間評価の規準となるわけであります。この生活感情の変化というものは、やはりいろんな変革のための実践の中でそれぞれきたえられ、発展していくのであります。
(宮本顕治著「宮本顕治青春論 ─共産主義とモラル」新日本新書 p151-156)
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎「わたし、大きな喜びを得ることが、何よりもすばらしいとは思いません。そういうものは、小さな喜びがかさなって、生まれてくるものじゃないかしら」と。