学習通信070129
◎「おきざり景気」……

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 経済 時評
“上げ潮”派の「成長理論」

 NHKテレビの新春インタビューで、自民党の中川秀直幹事長は、「安倍内閣の経済政策は“上げ潮”の成長戦略だ」とのべました。

 中川氏は、その著書『上げ潮の時代』(講談社)のなかで、「経済成長戦略については、……二〇〇六年一月末のダボス会議において、『上げ潮政策』と名づけて、その推進の決意を表明した」(六十二ページ、以下引用は同書から)などと書いています。

 そこで、この“上げ潮”派の「成長戦略」の理論的特徴を検討してみましょう。

「高度成長」政策の「成長理論」
 “上げ潮”派の「成長理論」をみる前に、かつての「高度成長」時代の「成長理論」の特徴を少し振り返っておきましょう。「高度成長」政策の核心は、次のようなものでした。

 「高度成長政策は、……産業構造を(1)所得弾力性基準(将来にわたって需要の伸びのはやい“成長産業”を選択する)、(2)生産性上昇基準(生産性上昇で国際競争力強化の見込まれる産業を選択する)の二つで『高度化』させようということだった」(日本共産党『日本経済への提言』一九七七年六月)。

 つまり簡単にいえば、世界市場で売れる製品、しかも低コストで生産できる産業を選別して、そこに資源、資金、労働力を徹底的に集中する。具体的にいえば、鉄鋼、化学、自動車、電機など重化学工業・機械工業を保護・育成して、逆に農業、石炭、繊維などは徹底的に切り捨てるという政策です。

 「高度成長」時代には、こうした「成長理論」のもとで、列島各地で山を削り、海を埋め立て、工場を建設し、新幹線や高速道路をはりめぐらしました。環境が破壊され、公害や過密・過疎、住宅難などの「新しい貧困」が広がりました。

 しかし、ともかく「高度成長」時代の「成長理論」は、モノづくりの生産性を上げて、新たな剰余価値を生産することに核心がありました。国内総生産(GDP)は、一九五五年の八兆三千億円から、七五年には百四十七兆八千億円へと実に約十八倍に膨張しました。

情報革命でホワイトカラーのコスト削減
 中川氏は先の著作で、「毎年四%程度の名目成長率が維持できれば、GDPは雪だるま式に膨らんでいく」(六ページ)として、現在の約五百兆円のGDPが十八年後には一千兆円になるなどと述べています。しかし、どの産業の生産性を、どうやって伸ばすつもりなのか。

 “上げ潮”派は、技術革新(イノベーション)で高付加価値製品を開発し、生産性を上げるといいます。ICT(情報通信技術)、ナノテク、バイオ、新素材などなどの技術革新、とりわけ「日本も、情報革命の波にうまく乗ることができれば、再び生産性を引き上げられる」(九十二ページ)といいます。

 科学技術の発展は、いうまでもなく、経済成長の重要な要因です。しかし、技術革新だけで企業の経営が成り立つわけではありません。企業が利益をあげるには、製品を製造し、販売しなければなりません。それは、どんな高付加価値製品であっても同じです。

 そこで、“上げ潮”派は、「サービス産業の生産性向上を図り、製造業とともにわが国経済成長の『もうひとつのエンジン』にする」(巻末の参考資料)ともいいます。

 “上げ潮”派のねらいは、こういうことです。これまで製造業の生産現場では、派遣、契約などの非正規雇用を活用して、徹底的に労働コスト削減をやって生産性を上げてきたが、そろそろ限界だ。そこでこれからは、情報革命によって、サービス産業の生産性向上でコスト引き下げをはかり、事務・管理部門や技術・開発部門の労働者(ホワイトカラー)の労働コストを徹底的に切り下げて生産性を上げようというわけです。

 財界が、いま、ホワイトカラー・エグゼンプション―一定の基準でホワイトカラー労働者を労働時間規制から除外すること―を、なにがなんでも実現したいと熱望している理由は、まさに“上げ潮”派の「成長理論」の核心がここにあるからです。国民の運動で、通常国会への法案提出は断念させました。しかし、たたかいの手をゆるめるわけにはいきません。

大企業の、大企業による、大企業のための「成長理論」
 “上げ潮”派が「高度成長」時代から引き継いでいる「成長理論」もあります。それは、「国民経済の発展」をすべて「大企業の経済成長」まかせにするという考え方です。

 たとえば、いま財界は、法人税の実効税率を現在の40%台から30%に引き下げよと要求しています。“上げ潮”派によると、大企業への減税は、投資を増やし、生産性を上げることになる。つまり、経済成長に役立つから必要だというわけです。

 しかし、資本主義経済であっても、「企業の成長」と「国民経済の発展」とは、おのずと同じというわけではありません。「企業の成長」を扱う経営学と「国民経済の発展」を扱う経済学は、密接に関連はしていますが、その理論的対象も研究の方法も違うのです。“上げ潮”派の理論的な欠陥は、この違いが理解できずに、経済学の課題である「国民経済の発展」の問題を、すべて「大企業の成長」に従属させてしまうことです。

 日本では、「高度成長」時代以来、長い間、「大企業まかせの経済成長」できたために、勤労者の暮らし、雇用、教育、老後などの不安から出生率が落ち込んで、少子化による労働力不足が懸念されています。このことは、「大企業まかせの成長理論」では、もう理論的にも限界に来ていることを示しています。

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 “上げ潮”派の「成長理論」には、そのほかにも、アジア市場論、外国労働者活用論、エリート育成の教育論などなど、検討すべき論点は、いろいろあります。いずれも、さまざまな理論的衣装をまとっていますが、いうならば、《大企業の、大企業による、大企業のための成長理論》です。

 いま日本で必要なのは、国民の、国民による、国民のための経済発展であり、そのための経済理論です。(友寄英隆 論説委員会)
(「赤旗」20070121)

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十字路
個人も企業も「おきざり景気」

 このところ毎回のように、いわば「格差シリーズ」と名付けてもよいようなものを書いてきた。昨年夏あたりから「格差の実態を認識することから」「地方も傷んでいる」「いざなぎ超えの幻」などだ。

 特に前回十二月には、ある放送メディアが行った「景気拡大はいざなぎ景気を確実に超えたと発表されているが、実感しているか」という間いかけに対する結果を紹介した。実感できると回答した肯定派は一二%、否定派が八一%という、おそらく大方の予想を粉砕するような数字だった。かねがね、「マクロ数字が表す数字よりも実態ははるかに厳しい」と唱え続けてきた筆者の想定をも上回るすさまじいレベルであった。

 今回さらに注目したいのは前出の個人アンケートではなく、企業のそれである。ある信用調査会社が発表した「いざなぎ超えに対する企業の意識調査」と題したもので、「八割が実感なし」との見出しが目を引いた。サンプル数も一万社近くと多い。「回復は一部の大手企業だけ」とか「地域格差や企業格差は年々進んでおり、これからまだまだ広がっていく」などのコメントも太字で引用されている。「いざなぎ」ではなく「おきざり景気」との声もあがっているという。見事な指摘だが、笑えない。

 言いたいことは、企業も個人も同様の結果が出ているということである。為政者はこれを軽視することは許されない。いや、軽視してきた結果がこの数字だろう。

 安倍政権は「残業代ゼロ制」「教育再生」「官邸主導」など当面のいろいろな問題を抱え、「失速感」「求心力低下」などと揶揄(やゆ)されて風当たりが強まっているようだ。しかし今、最も期待したいのは、この経済の現場の閉塞(へいそく)感を打破することである。その点で国民が納得するような方向へ進み出せば、道は大きく開かれるだろう。一番大きな問題を見逃さないように。(大阪学院大学教授 国定浩一)
(「日経・夕刊」20070125)

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◎「日本では、「高度成長」時代以来、長い間、「大企業まかせの経済成長」できたために、勤労者の暮らし、雇用、教育、老後などの不安から出生率が落ち込んで、少子化による労働力不足が懸念……このことは、「大企業まかせの成長理論」では、もう理論的にも限界に来ている」と。