学習通信070122
◎「残業代ゼロ法案」……

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大磯 小磯

残業の「定額払い」制度を

 自己の判断で働くことが求められるホワイトカラーについて、深夜も含めた労働時間規制の適用を除外(エグゼンプション)する制度の法制化が頓挫しそうだ。大幅な収入滅を示唆する「残業代ゼロの働き方」という誤解が広まったことが背景にある。

 過去に同様な制度を導入した企業の例では、労使合意の下で、管理職手当のような標準的な残業代の「定額払い」がなされていた。これを明確にルール化することが、今回の制度改革の目的だった。

 そもそもこの制度の対象は、仕事量が単に労働時間に比例するのではなく、「自分で考える」こと自体が仕事の社員である。やる気を失わせる賃金の実質的な引き下げよりも、質の高い仕事で生産性を高める方が、企業にとって大きな利益になるはずだ。

 これまで時間に縛られない働き方は管理職の特権であった。しかし、部下を持たなくとも、創造的な仕事を任される社員には、勤務時間とそれ以外との区別はない。何時間働いたかではなく、その成果に応じた報酬を受け取ることは世界の常識である。

 残業時間に比例した割増賃金がなくなれば、企業は仕事量を増やすという。しかし、逆に残業しても賃金が増えなければ、社員の残業意欲は低下する。どちらの労働時間削減の効果が大きいかは、仕事の質の重要性、社員の企業からの自立性に依存する。

 現行の週休二日制や深夜労働時間規制は、個人が期限のある特定のプロジェクトに責任をもつような働き方を想定していない。長時間労働による健康被害を防ぐには、直接、労働時間の総量を数カ月単位で規制し、強制的な体暇を義務付ける方が有効である。

 新制度を導入すれば、残業なしに効率的に働き、仕事以外の時間を育児や勉学に向けるマルチ社員には有利な一方で、質の低い仕事をダラダラして多くの残業手当を稼いでいた社員には不利になる。

 ホワイトカラーの生産性を高めるためには、個人の仕事範囲があいまいで、長時間労働自体が評価される職場の風土を改めることが必要だ。社員間での仕事の偏りをなくし、時間を効率的に使う意欲を促すことが、働き過ぎを防止する大きなカギとなる。ホワイトカラー・エグゼンプションは、従来の悪平等を是正し、成果に応じた報酬を得るなど、社員の働き方を改革するための第一歩となる。再考を願いたい。(吾妻橋)
(「日経」20070119)

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こちら経済部
ホワイトカラーが自由?

 「ホワイトカラー・エグゼンプション」法案の今国会提出を見送ると、安倍首相が表明しました。わけの分からないカタカナにごまかされず、「残業代ゼロ法案」と通称されるほど、反対世論が広がったことによります。

 財界は、「自律的に働くための制度」などと勝手なことをいっていますが、労働時間規制をなくして、自由に帰れる人がいるものでしょうか。

 実際、残業代が出ないのに、労働時間が際限なく長くなっている人たちがすでにいます。「管理監督者」です。経営者と同様に、自分で仕事時間を管理できるというのが理由ですが、係長や、バイトしかいない店の店長にまで広がっているのが実態です。

 私の身内にも、二十四時間営業の店舗の責任者となり、一日十四時間の拘束勤務をしている者がいます。しかし、他の社員の残業代がうらやましいほどの低賃金だといいます。こうした人たちに残業代を払い、きちんと帰れるようにすることこそ先決でしょう。(吉川)
(「赤旗」20070120)

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序 説

 イギリスの労働者階級の歴史は、前世紀の後半に、蒸気機関と綿花を加工する機械との発明とともにはじまる。

これらの発明から、よく知られているように産業革命へつきすすんでいくことになるのだが、この革命は同時に全ブルジョア社会を変革したのであり、その世界史的意義はいまようやく認識されはじめたばかりである。

イギリスはこの変革の古典的な土地であって、その変革は静かにおこなわれただけに、それはいっそう強力なものであった。

したがってイギリスは、この変革のもっとも重要な結果であるプロレタリアの発展にとっても古典的な国なのである。

プロレタリアートは、イギリスにおいてのみ、その生活状態のすべてにおいて、あらゆる角度から、研究することができる。

 われわれは、ここではさしあたり、この革命の歴史や、それが現在および未来にたいしてもつ絶大な意義については論じない。

これらの叙述は将来の、もっと包括的な著作のために残しておかなければならない。

当面は、以下の諸事実の理解のために、つまり、イギリスのプロレタリアの現状の理解のために、必要な若干のことに限定しなければならない。

 機械の導入以前には、原料を紡いだり織ったりする仕事は労働者の家でおこなわれていた。妻と娘が糸を紡ぎ、夫がこれを織った。あるいはその家の主人が自分で織らないときには糸を売った。これら織布工の家族は、たいてい都市の近くの農村に住み、その賃金で十分に暮らすことができた。

というのは、織物にたいする需要では、まだ国内市場が決定的で、ほとんど唯一の市場であり、外国市場の獲得や商業の拡大とともに、のちになって急激にはいりこんでくる競争の圧倒的な力は、まだ賃金にあまりはっきりとした圧力を加えていなかったからである。

そのうえ、国内市場の需要は、人口の緩慢な増加と歩調をあわせて、継続的に増大しつづけ、すべての労働者に仕事を与えていた。また労働者は農村に分散して住んでいたので、労働者同士のはげしい競争もおこりえなかった。

こうして、織布工はたいていいくらかの貯えをもち、わずかな土地を借りて、ひまなときに──彼は好きなときに、好きなだけ織ることができたので、思いどおりにひまをもつことができた──耕していた。もちろん彼は農民としては劣っていて、その耕作も粗末であり、実際の収益も多くはなかった。

しかし彼は少なくともプロレタリアではなく、イギリス人の表現を借りれば、祖国の土地に杭をうちこんでいたのである。彼は一定の土地に住み、現在のイギリスの労働者よりは一段高い社会的地位にいた。

 このようにして労働者はきわめて快適な生活をのんびりとすごし、たいへん信心深く、まじめに、正直で静かな生活を送っており、その物質的な状態は、彼らのあとをついだ人びとよりもはるかによかった。

彼らは過度に労働する必要はなく、働きたいときだけ働き、それで必要なものは手にいれていた。

彼らは自分の庭や畑で健康的に働くひまがあり、その労働自体が彼にとって気晴らしとなったが、さらにそのうえ隣人との休養や遊びに加わることもできた。

そしてボウリングや球技などの遊びが彼らの健康をたもち、身体を丈夫にするのに役立った。彼らはたいていがっしりとした体格の人びとで、その体格は近所の農夫と、ほとんど、あるいはまったく、違いはなかった。彼らの子どもたちは自由な農村の空気のなかで育ち、両親の仕事を手伝うようになっても、それはたまに手伝うだけで、一日八時間とか一二時間も働くというようなことは、間題にもならなかった。

 この階級の道徳的知的性格がどんなものであったかは、推測できる。

糸や織物は巡回してくる代理商に賃金支払いとひきかえにひきわたされたから、彼らは都会に足をふみいれたこともなく、都会からはなれて暮らしていた。

それは、都会のすぐそばに住んでいた老人でさえ、ついに機械によってその職を奪われ、仕事をもとめて都会へいかざるをえなくなるまで、都会へ足をふみいれたことはなかったほどであった。

したがって彼らは、その小さな小作地をつうじてたいてい直接に結びついていた貧民と、同じ道徳的知的段階にあった。

彼らはスクワイア──その地方のもっとも有力な地主──を自分たちの当然の主人と思い、彼に相談をもちかけたり、ささやかなもめごとを解決してもらったりして、こういう家父長制的な関係につきものなのだが、彼をたいへん尊敬していた。

彼らは「立派な」人びとであり、善良な一家の主人であり、道徳的な生活をしていた。というのも、近所には酒場も売春宿もなかったので不道徳になる機会もなかったし、彼らがたまに飲みにいく宿屋の主人も立派な人物で、たいていは比較的大きな小作農であり、おいしいビールや、きちんとした店のきまりや、店じまいの早いことを守っていたからである。

彼らは子どもたちを一日中、家で自分のそばにおき、従順で神をうやまうように育てていた。家父長制的な家族関係は子どもたちが結婚するまではつづいていた。

若者たちは結婚するまで素朴で純真で、遊び仲間と仲よく暮らして成長していた。結婚前に性的関係をもつことはきわめてふつうのことであったけれども、それは結婚をするという道徳的な義務を双方がみとめていた場合にかぎられ、その後の結婚によってすべてはうまく解決された。

ようするに、当時のイギリスの工業労働者は、精神的な活動も生活状態のはげしい変動もなく、都会からはなれて、ドイツでいまなおあちこちで見られるのと同じようなひっそりとした暮らし方、考え方をしていたのである。

彼らのなかで字の読めるものは少なく、字を書けるものはもっと少なかった。

彼らは規則正しく教会へ通い、政治を語ることも陰謀を企てることもなく、考えるということをせず、身体を動かすことをたのしみ、先祖伝来の信心深さで聖書の朗読に耳を傾け、つつましく謙虚に、社会の名望家階級と仲よく暮らしていた。

しかしその代わりに彼らは精神的には死んでいた。

彼らは自分たちのささやかな個人的な利害と、織機と小庭園のためにだけ生きていて、人類全体におよんで進行していた強力な動きについては、なにも知らなかった。

彼らは自分たちの植物のような生活が気にいっていて、もし産業革命がなければ、こういうきわめてロマンテイックで居心地はよいけれども人間には値しないような生活から、ぬけだすことはなかったであろう。

彼らはまるで人間ではなく、これまで歴史をみちびいてきた少数の貴族に奉仕する働く機械にすぎなかったのである。

産業革命はこういう状態の帰結をさらにいっそうすすめたにすぎないのであって、それは労働者を完全にたんなる機械に変えてしまい、彼らの手中に残されていた自立的な仕事をすっかり奪いとってしまったのだが、しかしそのことによって彼らに、ものを考え、人間的な地位を要求する刺激をあたえたのである。

フランスにおいては政治が、そしてそれと同じようにイギリスでは工業とブルジョア社会の運動全体が、人類の普遍的な利害にたいする無関心のうちに埋没していた最後の階級を、歴史の渦中にまきこんだのである。
(エンゲルス著「イギリスにおける労働者階級 上」新日本出版社 17-25)

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◎「労働時間規制をなくして、自由に帰れる人がいるものでしょうか」と。