学習通信070116
◎地球の生命維持装置を危機に……
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地球は死にかかっている
大宇宙の暗黒の中に青く輝く水の惑星──たったひとつの人類のふるさと。いや人類ばかりではない、恐竜のように巨大な生物からはかないカゲロウ、そしてバクテリアにいたるまで、それはもう奇跡としか言いようのない豊かな生命が満ちあふれた星です。
光と水と緑の大地に育まれて、なんど数知れぬ生き物たちが、この地球上でその生命を輝かせてきたことでしょう。
四十六憶年というとてつもないはるかな時間が、ぼくらの地球の年齢です。しかし、地球上に最初の人類が誕生してからは三百万年しかまだ経っていない。
つまり、人間なんて、地球の歴史上では新参者もいいところということです。それがどういうわけか、いまやわが物顔で、万物の霊長≠ニ自賛しつつ、欲望のおもむくままに自然を破壊し、動物たちを樹影しつづけています。
ぼくが言うまでもなく、それはとっくに大問題になっていることです。しかし、大問題として叫ばれながら、どうにもならない事態が着々と進行してしまっているのはどういうわけなのでしょうか。
自国の民を平気で弾圧している悪らつな権力者、政治家も、問われれば、涼しい顔で緑は大切だ、動物を保護しよう、生命は大切にしよう≠ニ言ってのける。そういっておいて、金儲けのためなら平気で毒物をたれ流して、殺人兵器をどんどん開発し製造していきます。
でも、ぼくがもっと悲しく思うのは、権力者ばかりでなく、ぼくらのような普通の市民が案外こんな状態を支えてしまっているような気がするからなのです。
ぼくらは欲望のままに物質の豊かさを求めて、わき目もふらず突っ走ってきましたがいまがここらで立ち止まって周りを見渡す最後のチャンスではないかと思います。
これからの人類にとって、ほんとうに大切なもの、必要なものは何なのか、じっくり考えてみなければならないギリギリの地点に来てしまっています。
「今日、ただいま」の便利さを求めて、ごく正直に人々は生きてきたはずなのに、それらが時を経て積み重なった現在、ささやかな幸せだったものが一挙に危機の様相を呈してしまったなんて、何かに裏切られたような思いにかられてしまいます。
ついこの間までは、「地球の危機」説は、お題目にすぎなかった。まだそれは、大テーマすぎて、オエラ方やら学者先生に任せておけばいい、と思えるような話題であり、むしろ、ゆとりをもってハッピーエンドで終わらせることができそうな題材でもありえたのです。
けれどもいまは、地球の危機は、個人個人のレベルにまで、何やら得体の知れない「不安」となって、日々のしかかってきてしまいました。まったく、あれよあれよという間でした。
ぼく自身もお隣の同僚や近所のおばさん、そして未来人≠ナあるはずの、何より大切なぼくらの子どもたちにまで、いわく言い難い不安がベッタリとはりついてしまっているのです。
恐竜は一憶数千万年もこの地球上で繁栄した王者だったにもかかわらず、なぜか六千五百万年前に絶滅してしまった。
人類など地球上に現れてから、まだ三百万年でしかないのに、はやくも人類自身ばかりか、地球上の全生命体滅亡か存続かの鍵を握っている。
ぼくら人類はやっと生まれたばかりなのです。このままでは、人類史など大宇宙の営みから見れば、はかない一瞬の夢で終わりそうです。
ひょっとするとこれまでもいまも、人類はまだ野蛮時代なのかもしれないと思うことがあります。
たとえ月着陸を果たし、宇宙ステーション建造がどんなに進もうと、環境汚染や戦争をやめない限り、野蛮人≠ニいうほかないのではないでしょうか。
なんとしてでも、地球を死の惑星にはしたくない。未来に向かって、地球上のすべての生物との共存をめざし、むしろこれからが、人類のほんとうのあけぼの≠ネのかもしれないとも思うのです。
(手塚治虫著「ガラスの地球を救え」知恵の森文庫 p17-21)
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二つの体制の競争の新しい段階
こういう検討の上に立って、私は、現代の時代的テーマについての〔質問2〕に移りました。
質問2 現代の時代的テーマについての認識(一二月六日午前)
二一世紀の時代的テーマと言いますと、私たちは、体制問題の面では、これまで説明してきたように、資本主義体制から社会主義体制への変革・移行ということが、大きなテーマになる、と思っています。ただ、この移行は長期にわたることが予想されますから、社会主義をめざす体制と資本主義の体制、この二つの体制の共存という状態が、長期にわたってこの世紀の時代的特徴となることは、間違いありません。
さきほど、私は、資本主義の「自己調節能力」に関連して、現在、いくつかの人類的課題が提起されている、と言いました。二つの体制が共存する時代には、これらの課題への対応の力が問われるのは、実は、資本主義体制だけではないのです。二つの体制がそれぞれなりに、人類的課題にたいする対応の力を問われる、そこに現代、あるいは二一世紀の大きなテーマがある、と言わなければなりません。
私たちは、二つの体制が共存する世界に生きていますが、日本共産党は、資本主義体制のなかでそこでの社会変革をめざしている立場ですから、人類的課題を問題にする時にも、主としてそれらの課題への資本主義の適応能力のことを提起してきました。しかし、中国との対話にあたって、今度は、社会主義をめざしている国の立場に立って世界を見てみると、同じ問題の新しい角度が浮かび上がってきます。すなわち、これらの人類的課題への対応を通じて、資本主義の「自己調節能力」が問われるだけでなく、新たに登場した社会主義をめざす国ぐにも、その体制が本当に資本主義に代わるべき社会進歩の有効な形態であるかどうかが問われる、という問題です。
さきほどは、経済的な課題だけをあげましたが、世界政治の問題をも含めますと、いま提起されている人類的課題の主要なものとしては、次のような諸課題が問題になります。
──世界の平和秩序の問題。イラク問題でも、いま覇権主義の横行を許すかどうかが、大きく問われ、国連憲章をまもり、覇権主義を許さない平和の国際秩序をきずくことが、全世界的な問題になっています。核兵器の廃絶の問題も、もちろん、平和の国際秩序の不可欠の内容 となっています。
──貧困の一掃と社会的格差の解決。
──南北問題。
──地球環境の問題。あわせて、資源や廃棄物の問題も、地球上での人類の存続を維持する上で、重要な課題です。
いま世界と人類の前に提起されているこれらの課題を解決するのに、どちらの体制が本当の意味で貢献できるのか。それが問われているのが、現代の新しい特徴だと思います。
以前、「二つの体制の競争」が問題になった時、まず問われたのは経済成長力であり、経済規模の大きさでした。鉄鋼などの生産規模で、イギリスに追いつけ、アメリカに追いつけ、ということが、ソ連でしきりに問題になりましたし、中国でも、その種の競争が強調された時期もありました。しかし、現在では、問題は経済成長力の次元にとどまらないのです。
中国は、国民一人当たりのGDPは日本の二十分の一で、国民一人当たりの平均的な経済水準で見れば、発展途上国の段階にあります。しかし、人口十三億を数える国ですから、全体的な経済力は世界的にも有数の水準に達しています。実際、研究者のあいだで、経済規模・GDPで中国がいつ日本を追い抜き、アメリカに追いつくか、その日程表が計算されているのを、よく見かけます。
こういう段階に来ているわけですから、経済成長力だけの競争にとどまらず、その経済力が、人類的課題の解決に本当に役立つのかどうかが問われる、私は、いま「二つの体制」の競争論では、その認識が非常に大事だと思って、その意義を強調しました。
(不破哲三著「二一世紀の世界と社会主義」新日本出版社 62-65)
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ゴア前副大統領に聞く
温暖化 放置なら惨事に
イラク情勢「いい答えない」
ゴア前米副大統領は、日本経済新聞記者と会見し、環境問題やイラク情勢について語った。ゴア氏は環境保護の重要性を訴えた映画「不都合な真実」封切りと著書の刊行を機会に来日した。
──二○○八年の米大統領選挙で環境問題はどう扱われるか。
いまより重要な問題になる。民主、共和両党候補とも重要視するようになる。環境は政治的というよりも道徳的問題だからだ。環境問題はかつては党派を超えた課題だった。超保守的な共和党が環境規制を緩めるように求め、党派問題になった。それは変わる。有権者が怒っているからだ。
──戦争と環境破壊との関係をどう考える。
かつて戦争は環境破壊の大きな要素だった。いまは燃料の使用が、戦争よりも大きな影響を与えるようになった。軍事紛争は三分される。局地的戦闘、地域的対立、戦略的および全世界的な戦争だ。
環境問題も三分される。大部分は局地的だ。大気、水質汚染、有害物質の投棄などだ。地域的な問題もある。米国の酸性雨はそうだし、東京、ソウル、北京まで大気汚染は広がりうる。世界中に影響する戦略的な環境問題もある。地球温暖化がそれだ。二酸化炭素は局地的、地域的には気がつかないが、全地球的に見れば、壊滅的な惨事をもたらす。気候危機は全人類、全文明に影響を与えうる。
──酸性雨問題で中国指導部に勧告すべきことは。
無論ある。環境汚染は中国の経済成長の制約要因になっている、と。
──戦略的環境問題に対処するには日本、米国、中国の協力が要る。
中国はいま貧しくても、その大きさと成長率の高さからいって今世紀のいつかは一位になる。三国は重要な役割がある。日米は新技術の開発にたけている。それに焦点をあてるべきだ。
──地球温暖化を止めるには何が効果的か。
石炭、石油に代わるエネルギーは、環境保全と効率性が重要だ。風力は競争力がある。太陽発電もさらに重要なエネルギー源になってきている。かつては高すぎたが、最近は手ごろになってきている。
──原子力依存の高まりは不可避か。
原子力発電は値段が高いから、限られた役割しか果たさない。太陽熱、風力などの再利用可能なエネルギー源がもっと使えるようになれば、原子力の重要性は減る。
──大統領選挙で環境問題を訴える考えは。
市民に行動的になってほしい。すべての大統領候補者が環境を重視するように説得したい。私自身が候補者になるとは思っていない。一〇〇%その可能性を排除するわけではないが……。
──ブッシュ大統領の新イラク政策については。
イラク侵攻はとんでもない聞違いだったと言ってきた。いまはいい答えがない。米軍は可能な限り、早急に撤退すべきだ。状況を悪化させない形でだ。長くいれば、暴力をさらに誘う。
──早期撤退のための一時的な兵力増強は容認できるか。
私が言っているのは、できる限り早く撤退すべきだが、撤退の方法によって状況が悪化する事態は避けよということだ。いい答えはない。(聞き手は編集委員伊奈久喜)
アル・ゴア氏 テネシー州選出の民主党上院議員。一九九三〜ニ○○一年クリントン政権で第四十五代副大統領を務めた。情報スーパーハイウエー構想を推進し、インターネットの普及を主導。○○年の大統領選に立候補し、単純な得票数では共和党のジョージ・ブッシュ候補を上回りながら、獲得選挙人数で下回り落選。七〇年代から地球温暖化など環境問題に取り組んでいる。四八年ワシントン生まれ。58歳。
(「日経 夕刊」20070116)
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あとは野となれ、山となれ&式の深刻な現われ──地球環境の危機
マルクスの指摘したもう一つの問題──資本主義に固有の無責任性を見てみましょう。恐慌・不況は、一八二五年のイギリス恐慌以来、この百八十年のあいだ、資本主義世界に襲来し続けてきました。この死にいたる病≠ゥら資本主義を救い出そうとして、国家が経済に口も出せば手も出すという経済介入の体制──国家独占資本主義の体制が築かれ、それを理論化したケインズ経済学が、恐慌への特効薬として大宣伝された時期もありました。しかし、一九七〇年代には、その救済力もつきてしまい、恐慌・不況のくりかえしは、ひきつづき資本主義経済の生命にかかわる大問題となっています。
同時に、私が強調したいのは、現代の世界には、いったい資本主義には、われわれの世界──地球を管理する能カがあるのか≠根本から問う大問題が起きている、ということです。それは、地球環境の危機という問題です。
この問題は、二〇〇一年の「赤旗まつり」の講演で、最初にとりあげたのですが、この地球の上で私たち人類が生きてゆくために、絶対に必要な一連の環境条件があります。地球が、五分の一は酸素、五分の四は窒素からなる大気をもっているために、人間が生きてゆくためのほどよい気温や気候を保障していること、大気の外側にオゾン層があって、紫外線の破壊作用から私たちの身体をつくっている分子を守ってくれていること、などは、そういうもっとも重要な条件の一部で、地球がもつ「生命維持装置」と呼んでよいでしょう。
これらの条件は、地球の誕生のときから、もともとあった環境条件ではありません。地球の最初の生命は海のなかで生まれたのですが、その後、生命も参加する形で地球大気の改造活動が三十数億年にもわたっておこなわれました。こういう気の遠くなるような永い努力の結果として、一連の生命維持装置をそなえた地球大気の現状が生まれたのでした。そこではじめて、それまで海のなかでしか生活できなかった生命体に、地上での生活の条件が保障されるようになり、生命が大地に進出したのがいまから四億年前でした。そして、その大地の上で、生命体の進化の歴史が営まれ、その歴史の延長線上に人類の現在があるのです。
ところが、その人類の社会が、資本主義の時代を迎え、生産力の巨大な発展の時代が続くと、とんでもないことが起こってきました。資本主義とは、利潤第一主義を推進力として、生産や経済活動をどこまでも拡大する本性をもっています。そして、その結果がどうなるかについては、あとは野となれ、山となれ≠ェ特徴です。各地の公害被害もその必然の結果として起きてきたものですが、生産と経済の拡大をあとは野となれ、山となれ&式で無制限に積み重ねてきたあげくに、ついに、地球が三十数億年以上の時間をかけてつくりあげてきた生命維持装置を根本からおびやかすところまで来てしまった、ということです。
いま地球大気の温暖化問題とか、オゾン層の破壊問題といって、世界のもっとも熱い大問題になっているのは、そのことです。
現在、地球の経済の大きな部分をにぎっている資本主義の経済体制が、利潤第一主義の経済活動で地球の生命維持装置を危機におとしいれながら、この危機の打開に正面から立ち向かうことができず、それを解決する力を示せないままでいるとしたら、それは、資本主義にはもう私たちの地球を管理する能力がないことを実証した、ということにほかなりません。
その意味でも、二一世紀は、まぎれもなく、資本主義制度の存続の是非が問われる世紀となるであろうことを、私は強調したい、と思います。
(不破哲三著「新・日本共産党綱領を読む」新日本出版社 p35-361)
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◎「ぼくがもっと悲しく思うのは、権力者ばかりでなく、ぼくらのような普通の市民が案外こんな状態を支えてしまっているような気がする」と。