学習通信060927
◎社会からこぼれ落ちて……
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一軒の家は、その大小にかかわらず、それをとりまいている家々が、その家と同様に小さいかぎり、住居にたいするあらゆる社会的な要求を満足させた。ところが、小さな家のそばに大邸宅が建てられると、小さな家は小屋のようにみすぼらしくなる。そうなると、その小さな家は、その居住者がなんの要求もなしえないか、ほんのわずかな要求しかなしえない、ということを証明するようになる。
そして、文明が進むにつれて、小さな家がさらにどんなに高くなろうとも、もし隣の大邸宅が同じ程度か、あるいはいっそう大きな程度にさえ高くなったばあいには、比較的に小さな家の住民は、家にいると、ますます不快、不満、憂鬱(ゆううつ)になるであろう。
労賃のいちじるしい上昇は、生産的資本が急速に増加することを前提にしている。
生産的資本の急速な増加は、富、奢侈、社会的欲望および社会的享楽の、同様に急速な増加をよびおこす。
だから、たとえ労働者の享楽が向上したとしても、それのもたらす社会的満足は、労働者が及びもつかない資本家の享楽の増大とくらべると、また、社会一般の発展状態とくらべると、減少したことになる。
われわれの要求および享楽は、社会に起源をもつものである。
したがって、われわれはそれらを、社会を基準としてはかるのであり、充足の対象物でははからないのである。それらは社会的な性質をもっているから、相対的な性質をもっているのである。
(マルクス著「賃労働と資本」新日本出版社 p58-59)
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健保なし
生活保護
ホームレス
これって
貧困じゃないの
働いても生活保護水準以下の暮らししかできない人々(ワーキングプア)が増えています。日本における貧困の象徴です。ところが日本人は、それらを貧困ととらえていない──。先日、東京で開かれたシンポジウムで、こんな調査研究が報告されました。(四ケ所誠一郎)
中流層の貧困進む
報告したのは、北海道大学大学院教育学研究科の青木紀(おさむ)教授です。題して、「現代日本の貧困観──相対的貧困像の対置」。
日木社会は、急速な貧困化がすすんでいます。OECD(経済協力開発機構)は、日本の相対的貧困率をアメリカについで世界第二位と発表しました。同シンポでも杉村宏法政大学教授は、一般世帯の二割が生活保護水準かそれ以下にあると報告、中流層の貧困化(生活保護周辺層化)を明らかにしました。
ところが、青木教授らのアンケート調査によると、多くの日本人は、この事態を貧困と、とらえていませんでした。
調査は二〇〇五年、東京、北海道の民生委員や児童相談所関係職員、司法書士ら千五百四十七人を対象に実施しました。
病院行けなくても
「貧困」という言葉について思い浮かべる内容を聞くと──。「敗戦直後に見られた生活」(はい72・7%、いいえ20・9%)「途上国や戦災国の生活」(はい84・6%、いいえ9・4%)などの答えが返ってきました。
さらにある状況を設定して「貧困の中にあると考えるか」と質問すると──。
「ホームレス生活」(はい35・4%、いいえ36・7%)「一年以上の失業状態」(はい28・8%、いいえ40・6%)「生活保護を受けている生活」(はい28・5%、いいえ48・2%)「健康保険がない生活」(はい24・5%、いいえ40・3%)などでした。(別項)
日本人の思い浮かべる貧困は、敗戦直後や戦災、発展途上国の生活のことでした。ホームレスや長期失業も、また病気になっても病院にいけない状態に置かれていても貧困とは思わないとの考えが支配的でした。
やめたい下方競争
青木教授はいいます。
「調査結果に、正直驚きました。アンケート対象者に中高年齢層の方が多いとはいえ、日本人の思う貧困とは、生きていければいいという絶対的貧困のことなんですね。考えると無理はないかもしれません。日本のメディアの伝える貧困といえば、イラクやアフガニスタンの戦災国、アフリ力などの発展途上国のこと。これを毎日、見ている日木人は『日本は豊かだよな』と思うわけですよ。メディアの功罪は大きいと思います」
このような見方が深刻な問題を投げかけています。
経済的な困難は日常生活で表面化しています。
小中学校に通う子どもの結食費が払えない家庭が増えています。生活保護よりも賃金が低い派遣やアルバイトで働いている若者が家族を構成できないでいます。親族がなくなっても香典がだせず、葬儀にもいけず肩身の狭い思いで一人生きている高齢者が多くいます。
しかし、これらについても「生きてはいけるだろう」と貧困として語られずにいるからです。
同時に、それは「働いている自分だちより生活保護が高いのは許されるのか」との意識を生み、財界や自民・公明連立政府の「財政難だから生活保護はじめ社会保障を引き下げる必要がある」との主張を許すことにつながっています。
「この事態を放置しておくことは、私たちもまた『貧乏人はさらに貧乏に』との下方競争の組織化の一端を担ぐことになります。『現代日本の貧困』を語るイメージを具体化し、人々が共有できるようにしてこそ、下方競争に連帯して立ち向かっていけます。研究者の立場からもこの仕事を続けなければと思っています」
現代の貧困語ろう
先日、青木教授は、北海道のテレビ局に出演しました。「ワーキングプアってどう考えたらいいのですか」と質問をうけました。
「そういうリポーターのあなたは契約社員では? テレビの番組をつくっているのは下請けのプロダクションでしょう。社会福祉施設で働いている職員の待遇はかろうじて生きていける賃金です。みんな、もし病気になったら一挙に生活が崩れる無防備な状態ではないですか」
青木教授の答えに、テレビ局のスタジオは番組終了後も話が盛り上がりました。「これが現代の貧困なのか」と。
若者が家族を構成できないなどの貧困を放置しておくことは社会的損失です。青木教授はいいます。「日本の貧困を貧困として語る、このことを通じて貧困を打開する方向が見えてきます」
(しんぶん赤旗 2006.9.25)
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ホワイトカラーに急増
ホームレスになる日
増田明利・ルポ・ライター
東京や大阪などの都市部でJRや地下鉄を利用する方は、ごみ箱に手を突っ込んで雑誌拾いをしているホームレスの人たちを目にすることがあるでしょう。そんなとき、あなたはどんな思いを持つでしょう?
大多数の人たちは、「かわいそうに」と思いつつも、怠け者なのか無能な人たち、普通の生活ができない変わり者、といった感情を持つかもしれません。しかし、ここに大きな見落としと誤解があるのです。
大手商社の管理職
彼らは生まれてこのかたずっとホームレス状態だったわけではないのです。そして好きで路上生活をしているわけでもありません。また、彼らが路上生活に至った経緯は、その時々の社会情勢と連動しているということも見逃してはいけないところです。
この数年、元ホワイトカラーの中高年者や富裕層だった人が、あっけなく路上生活へ転落というケースが増えています。
例えば大手商社で財務部の管理職だったAさんは、希望退職に応じ、その後不動産会社に転職したものの二年で解雇。それからは中年フリーターでわずかな収入を得ていましたが生活が苦しく、つい消費者金融に手を出してしまい借金地獄へ。住まいを売却して清算したものの、家庭は崩壊。いまは公園のベンチで暮らしています。
中堅の住宅メーカーで営業所長をしていたBさんは、リストラで余剰人員に。再就職はかなわず、いつしか妻子からも疎まれ、何もかも嫌になって蒸発。雑誌拾いで糊口(ここう)をしのぎ、地下道やシャッターの閉まったアーケード街に段ボールを敷いて夜明かしする毎日です。
やり直す余裕なく
銀座に事務所を構え旅行会社を経営していたCさんは、同時多発テロの影響で経営が悪化。高利の商工金融で資金調達したのが運の尽きで、四千万円もの負債を抱えて倒産。担保にしていた家を取られたうえに、元社員からは未払い賃金、退職金の支払い訴訟を起こされることに……。妻子に類が及ぶのを恐れ離婚し、姿をくらますしかありませんでした。
現在Cさんは裏風俗の看板持ちで日銭を稼ぎ、簡易旅館やカプセルホテルを転々としています。生活を立て直す、人生をやり直す余裕はなく、その日一日を生きていくのが精いっぱいだと言います。
代々の土地持ちで寿司屋を営んでいたDさんは、銀行の甘い誘いに乗ってビルを建てたものの計画通りの収益が上がらず、十年近くも借金を返すためだけに働いてきました。しかしついに力尽き、不動産は差し押さえられて一文無しに。いま妻子がどこでどうしているのか、まったく分からないそうです。
「お前が悪い」のか
このような事例を見てみると、ホームレスの人たちに「お前が悪いからだ」と一方的に言うのはあまりにも酷薄です。バブル崩壊後の長期不況、リストラ、倒産、経済苦、家庭不和といった要因が複雑に絡まって、一般社会からこぼれ落ちてしまったのがホームレスの人たちなのです。
いま日本にはどのくらいのホームレスがいるでしょうか。東京都の例をみると、今年二月に調査した段階で、二十三区内に三千七百七十三人、多摩地域に百四十八人。これに国が管理する河川敷に千百六十二人が確認されており、合計すると五千八十三人という数字が出ています。
全国調査では三年前の統計で約二万五千三百人(女性約七百五十人)、全都道府県で存在が確認されています。彼らの来歴を路上生活以前の就労形態でみると、正社員で働いていた人が約40%、自営業者4%、会社経営・役員が2%。これに対して日雇い労働者は約36%となっています。ホームレスは仕事にあぶれた建設・港湾などの日雇い労働者、というのは昔の話なのです。
ホームレスなんて遠い存在だと思っているあなた。あなたは自分が彼らのようにならないと断言できますか?
(しんぶん赤旗 2006.9.26)
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◎「われわれはそれらを、社会を基準としてはかるのであり、充足の対象物でははからない……それらは社会的な性質をもっているから、相対的な性質をもっている」と。