学習通信060906
◎サッチャリズムの先駆け……ピノチェット
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世界最大の銅山でスト
チリで賃上げ13%を要求
【メキシコ市=松島良尚】チリ北部に位置する世界最大のエスコンディダ銅山で七日、二千人以上の労働者が賃上げなどを要求してストライキに突入しました。労働組合は、銅の国際価格高騰で増大している利益の還元を求めています。
チリは銅の埋蔵量、生産量とも世界一です。エスコンディダ銅山の権益の大半は豪鉱業大手BHPビリトン社が握っており、日本企業も参入しています。同銅山の昨年の生産量は世界全体の約80%を占めました。
ドエスコンディダ銅山の労働協約は二〇〇三年に結ばれましたが、その当時と比べ銅の国際価格は五倍以上になっています。
労働組合側は現在の国際価格が反映する新しい労働協約の締結をめざし、13%の賃上げを要求。八日の組合大会は、3%という会社側の回答を拒否しました。
組合によれば、エスコンディダ銅山の昨年の利益は二十億ドル(約二千三百億円)以上。賃上げ闘争の推移は、チリの銅山全体に影響するといいます。
チリでは、一九七〇年発足のアジェンデ人民連合政府が銅山を国有化しました。七三年の軍事クーデターで政権についたピノチェト軍政と民政移管した九〇年以降の中道左派政権は、採掘権譲渡などの形で徐々に民営化を進めました。現在では民間企業が全生産量の六割以上を管理しているといわれます。
(しんぶん赤旗 2006.08.10)
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サッチャーの明確な人間観 VS 小泉の不明確な人間観
市場原理主義政権の場合、そのトップリーダーが確たる人間観を持っていることが多い。その典型はサッチャーだといっていいだろう。彼女の政治姿勢を支えたのは自助努力や責任への強い信念であり、その際、彼女が理想として思い描いたのはヴィクトリア朝期の中産階級が持つ美徳であった。自己責任や倹約、労働、規律などの価値観がそれであり、彼女の両親もまたヴィクトリア朝期の美徳を体現していた。
あるいは、レーガノミクスやサッチャリズムの先駆けとも言われたチリのピノチェット(軍事)政権の場合、ピノチェット将軍は国家に依存しがちなチリ国民の国民性を変えたいという思いが強かった、といわれる。
それに対して小泉総理の人間観というのはわかりにくい。小泉政権の穏健さを見てもわかるように、総理自身が市場原理主義者のように「社会など存在しない」「自由競争がすべて」「日本人は依存しすぎ」という思想を抱いていたとは思えない。また、総理自身が金銭面のスキャンダルの少ない人だった。さらに、総理はチャールズ・チャプリンが映画「ライムライト」で述べる「人生に必要なのは、勇気と想像力とほんの少しのお金」というフレーズが好きだったということから考えても、拝金主義とはほど遠い。様々な面から考えて、総理自身がグローバル経済が大好きだというイメージが筆者には湧いてこない。
他方で、総理のスポーツ選手や芸術家といったプロフェッショナルヘの惜しみない賛辞を見ていると「努力してがんばる」ことを好んでいることは理解できる。また、施政方針演説からは「危機に臨んでもひるまず・臆せず・挑戦する日本人」「厳しい環境で黙って耐えてがんばる日本人」という理想像のようなものがあることがわかる。
小泉総理には「福祉依存・規制依存の人々を立ち直らせる」といった強硬なところは見あたらない。おそらく、「日本は今変化の中にあるが、日本人なら変化に堪えられる」といった漠然とした考えと「過去の日本人への信頼」しかなかったのだと思われる。そして変化や危機への対応手段として、これまた漠然と市場主義を選んだのではなかろうか。格差が拡大するというような懸念は、当初から持っていなかったのではないか。その意味では、ご彼の人間観はどのような政策とも両立するのかもしれない。
もし小泉が再び格差が目立つ時期に登場すれば、彼は臆面もなく「過去の日本人はみんなで分け合ってきたのだ。金持ちよ、分け合おう」と主張するかもしれない。
(中野雅至著「格差社会の結末」ソフトバンク新書 p77-79)
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米国留学者の二極化−ハゲタカファンド派 VS 国体護持派
今日先進各国において格差拡大を容認する世論が強い理由の一つとして、ドーア(2005)は米国の文化的影響力を指摘している。米国流の弱肉強食市場主義の強い影響を受けたビジネスエリートなどが、各国の世論形成に強い力を持つようになっているために、先進各国で不平等が容認されるようになっているというのである。
その一例としてドーアは「趣味においてはコスモポリタンで、意見においてはアングロ・アメリカン。この人たちはビジネス・スクールの卒業生同士の結婚式に世界中から集まる客、飛行機のビジネスクラスやファーストクラス席を満席にする連中だ。世界的大企業の幹部の大半をなしている。支配階級としては、歴史が始まって以来もっともメリットクラティックな(能力で選別された)支配階級。幅広い社会層の出身であり、不安な案件を多く抱えているにしろ、支配階級であるのは間違いない」というジャーナリストの描写を紹介している。
さて、わが国はどうだろうか。これまで日本と米国は安全保障関係では強い関係があったが、政策的に米国市場主義の強い影響を受けてきたわけではなかった。政府・自民党の中には「競争・市場」「自由貿易主義」を重視する者もいれば「平等」「保護貿易主義」を重視する者もいた。しかし、最近は米国流の市場主義に賛同する政府関係者が増えてきたように思われる。特に小泉政権になってからは、経済政策においても米国政府関係者のお墨付きをわざわざもらっているようなケースが目立つのが気にかかる。
この問題では竹中平蔵総務大臣が米国の手先、外資の手先などと批判されてきた。筆者は、米国が「市場主義的政策がベストだよ」と日本をそそのかし、日本の資産をすべて剥奪するつもりなのだという陰謀説に与する気はないが、不良債権処理問題まで「米国は小泉政権を支持する」という言質をわざわざ米国政府から得るという態度には、首をかしげざるを得なかった。まるで米国の権威に支えられる腐敗した発展途上国の政府のようだからである。日本の内政問題にまで米国の権威を利用するようでは(いくら戦略とはいえ)少し情けない。
では、今後も小泉政権時のように、米国流の市場主義が日本に大きな影響を与え続けるのだろうか。それとも米国流の市場主義の影響は小泉政権だけで終焉(しゅうえん)するのだろうか。日本は欧州諸国ほど米国の市場主義に嫌悪感を示していない一方で、アングロサクソン諸国のように米国の市場主義を素直に受け入れているわけでもない。そのため、米国の市場主義の影響がどう日本に及ぶのかは未知数なところがある。
例えば、米国流市場主義の影響は政府関係者の米国への留学・その時の人脈を通じて及ぼされている、という主張をする人がいる。確かに、米国の留学生制度には国家戦略の側面があり、米国のシンパを世界中に増やそうという意図がある。実際、米国への留学者が国に帰って政府要人になり、米国と親交を保つとともに米国流の市場主義的政策を実行に移すことがある。例えば、チリのピノチェット軍事政権の市場原理主義的政策を支えた「ピノチェットボーイズ」と呼ばれる政策担当者達は(市場原理主義で有名な)シカゴ大学留学者だった。
しかし、日本の政府関係留学者の場合、筆者自身の実感から言っても米国社会の影響力は微妙である。米国への政府留学生が米国社会に強い影響を受けて帰国することは確かだが、米国社会や市場原理主義に感銘を受ける者が半分、米国社会へ嫌悪感を抱くに至る者が半分といった状況だからである。全員が「米国万歳」というような影響を受けないのである。そんなこともあって、竹中大臣のように米国の良さに強い印象を受ける米国生活経験者もいれば、ハゲタカファンド批判のような「国体護持派」の留学経験者も多いめである。
(中野雅至著「格差社会の結末」ソフトバンク新書 p152-155)
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◎「チリのピノチェット軍事政権の市場原理主義的政策を支えた「ピノチェットボーイズ」と呼ばれる政策担当者達は(市場原理主義で有名な)シカゴ大学留学者」
◎「レーガノミクスやサッチャリズムの先駆けとも言われたチリのピノチェット(軍事)政権の場合、ピノチェット将軍は国家に依存しがちなチリ国民の国民性を変えたい」と。
◎「チリ北部に位置する世界最大のエスコンディダ銅山で七日、二千人以上の労働者が賃上げなどを要求してストライキに突入」と。