学習通信060905
◎空前の利益が……

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企業は過去最高のもうけ 05年度
従業員給与は3年連続で減
財務省調べ

 財務省が四日発表した二〇〇五年度の法人企業統計調査によると、全産業(全規模)の経常利益が五十一兆六千九百二十六億円と前年度比15・6%増となりました。一方、一人当たりの従業員給与は、三百五十一万六千円と同0・56%減となりました。

 企業の経常利益は〇二年度以降四年連続で増加。バブル期を上回る過去最高の利益を更新しています。一方、従業員給与は〇三年度から三年連続で減少しています。

 大企業のリストラ・「合理化」を促進する小泉自民・公明内閣のもと、企業のあげる空前の利益が、労働者に還元されていない現状が浮き彫りにされています。
(しんぶん赤旗 2006.09.05)

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生産を高めてゆくためには、資本をどんどん設備投資へまわさなければならないし、原料もたくさん買いいれなければならない。そうすると人件費(賃金支払い)にまわす分は減ってしまう。資本の総額がふえれば人件費もふえるけれども、しかし設備投資のふえ方にくらべれば人件費の伸びは少ない。ところがこの人件費こそが大衆の購買力のもとなのだから、したがって生産力の発展に見合うほど大衆の購買力がふえてゆくということは、資本主義のもとでは絶対に不可能なのだ。

 マルクスはこのことを理論的に証明しようとした。そのためには、資本家が毎年毎年どのように投資するかを考え、社会全体がどういう形で再生産をおこなっているがを考える必要がある。社会全体としてみると、生産物の一部は消費されてなくなってしまうが、一部はつぎの年の生産のためにあらためて投資される。消費されるものを消費財とよぶということは、まえにのべたが、つぎの生産のために使われるものを生産財という。だから、社会全体としては生産物は生産財と消費財とに大きく分かれることになるのだが、このバランスがくずれて、生産財の生産にウエイトがかかりすぎる傾向がでてくるのである。

 どうしてそうなるのか。それは資本家同士がはげしい競争をしていて、ほかの資本家よりも安く生産をしないと競争に負けるからだ。安く生産するためには絶えず生産設備を改良してゆかなければならない。だから、どの資本家も労働者への賃金の支払いはなるべくおさえて、設備投資をふやすことに夢中になるのである。しかしこの設備投資のための資金はどこからでてくるのだろうか。銀行から借金をして設備投資をすることもあるけれども、借金はいずれは返さなければならない。

とすれば、借金をするにせよ、自分で貯めた金を投資するにせよ、いずれにしても結局はいままでの事業でもうけた利潤を資本へくりいれてゆかなければならないのだ。ではその利潤はどこからでてくるのか。この問題についてはいままでも何回かとりあげてきたが、ここでまとめて整理してみよう。

 第一に、利潤は安く買って高く売るという流通商で生ずるのではない。もし流通面で生ずるのだとすれば生産者には利潤がないことになってしまう。生産者は原料その他いっさいの生産のための費用に利潤にあたる分を上積みして出荷する。問題はこの上積み分がどこからでてくるかということなのだが、これは生産するという仕事そのもののなかがらでてくる。つまり、生産ということは新しい価値をつくりだすことなのだ。

 第二に、この新しい価値は「自然の恵み」によって与えられるものではない。

 第三に、利潤は資本家の労働にたいする報酬ではない。

 第四に、アダム・スミスやリカードはすでに、利潤とは労働によってつけ加えられた新しい価値から賃金をさしひいたものだ、ということをあきらかにしていた。

 マルクスはこのような諸点をふまえながら、利潤の本質についての理論を仕上げたのである。とくにマルクスが問題にしたのは、労働者は自分の賃金分以上にどのようにして新しい価値をつくりだすことができるのか、ということだった。これはマルクスにとってもかなり難問だったらしい。

 資本家は労働者にむかって、「お前たちには働いた分だけ給料を払っているじゃないか」という。そうすると労働者の方も、「なるほど、そうか」と思ってしまう。しかし、じつはこの「働いた分だけ」というところが問題なのだ。労働者にはほんとうに「働いた分だけ」給料が支払われているのだろうか。

働くためには労働者は食物や衣服や住宅や、あるいは働くのに必要な知識や技術を身につける費用など、いろいろな経費が必要だ。こういう費用をかけて働く力(労働力)というものができるのだから、こういう費用のことを労働力の価値という。それはちょうど商品の生産費のようなもので、資本家が賃金を払って買いいれるのは、この労働力という商品なのだ。

 ところが、ふつうの商品はどう利用してみてもその価値はふえないし、使っているとむしろ価値は少なくなってしまうのだが(新品より中古の方が安くなる)、労働力という商品は使えば使うほど新しい価値をつくりだすという特別の性質をもっている。「使えば使うほど」というのは、労働者の側からいうと、「労働すればするほど」ということなのだが、こういう労働力という商品の特別の性質に気がついたとき、「働いた分だけ」給料を払っているという資本家のいい分のゴマカシがはっきりしてくる。

「働いた分だけ」給料が支払われているのではなく、働くのに必要な労働力の価値の分だけ給料が支払われ(じっさいにはそれだけさえ支払われないことが多い)、労働者はその分以上に働いて、給料分以上の価値をつくりだしているのである。「自分の給料分しか働かない労働者なら雇う必要はない」というのが資本家の本音なのだ。
(浜林正夫著「社会を科学する」学習の友社 p109-113)

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◎「ではその利潤はどこからでてくるのか」と。