学習通信060810
◎そんなものは犬にくわれてしまえ!……
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自分の大間違い
人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。ぼくは逆に、積みへらすべきだと思う。財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さを失ってしまう。過去の蓄積にこだわると、いつの間にか堆積物に埋もれて身動きができなくなる。
人生に挑み、本当に生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれかわって運命をひらくのだ。それには心身とも無一物、無条件でなければならない。捨てれば捨てるほど、いのちは分厚く、純粋にふくらんでくる。
今までの自分なんか、蹴トバシてやる。そのつもりで、ちょうどいい。 ふつう自分に忠実だなんていう人に限って、自分を大事にして、自分を破ろうとしない。社会的な状況や世間体を考えて自分を守ろうとする。
それでは駄目だ。社会的状況や世間体とも闘う。アンチである、と同時に自分に対しても闘わなければならない。これはむずかしい。きつい。社会では否定されるだろう。だが、そういうほんとうの生き方を生きることが人生の筋だ。
自分に忠実に生きたいなんて考えるのは、むしろいけない。そんな生き方は安易で、甘えがある。ほんとうに生きていくためには自分自身と闘わなければだめだ。
自分らしくある必要はない。むしろ、人間らしく$カきる道を考えてほしい。
忠実≠ニいう言葉の意味を考えたことがあるだろうか。忠実の忠≠ニは〈まめやか、まごころを尽くす〉ということだ。自分に対してまごころを尽くすというのは、自分にきびしく、残酷に挑むことだ。
ところが、とにかく忠君愛国の忠のように、主君はたとえ間違っていても主君である以上それに殉ずるとか、義理だの、仇討ちだの、狭い、盲目的な忠誠心ととられることが多い。
だからぼくは、忠実なんて言葉はあまり使ってもらいたくない。
実≠ノしたって、なにが実であるか、なんてことは抽象的で誰にもわかるもんじゃない。意識する実≠ヘほんとうの意味での実≠カゃない。
実≠ニいうのはそういう型にはめた意識を超えて、運命に己を賭けることなんだ。
自分に忠実と称して狭い枠のなかに自分を守って、カツコよく生きようとするのは自分自身に甘えているにすぎない。
それは人生に甘えることでもある。もしそんなふうにカッコウにとらわれそうになったら、自分を叩きつぶしてやる。そうすれば逆に自分が猛烈にひらけ、モリモリ生きていける。
つまり自分自身の最大の敵は他人ではなく自分自身というわけだ。自分をとりまく状況に甘えて自分をごまかしてしまう、そういう誘惑はしょっちゅうある。だから自分をつっぱなして自分と闘えば、逆にほんとうの意味での生き方ができる。
誰だって、つい周囲の状況に甘えて生きていくほうが楽だから、きびしさを避けて楽なほうの生き方をしようとする。
ほんとうの人生を歩むかどうかの境目はこのときなのだ。
安易な生き方をしたいときは、そんな自分を敵だと思って闘うんだ。
たとえ、結果が思うようにいかなくたっていい。結果が悪くても、自分は筋をつらぬいたんだと思えば、これほど爽やかなことはない。
人生というのはそういうきびしさをもって生きるからこそ面白いんだ。
そうは言っても、人はいつでも迷うものだ。あれか、これか……。こうやったら、駄目になっちゃうんじゃないか。
俗に人生の十字路というが、それは正確ではない。人間は本当は、いつでも二つの道の分岐点に立たされているのだ。この道をとるべきか、あの方か。どちらかを選ばなければならない。迷う。
一方はいわばすでに馴れた、見通しのついた道だ。安全だ。一方は何か危険を感じる。もしその方に行けば、自分はいったいどうなってしまうか。不安なのだ。しかし惹かれる。本当はそちらの方が情熱を覚える本当の道なのだが、迷う。まことに悲劇の岐路。
こんな風にいうと、大げさに思われるかもしれないが、人間本来、自分では気づかずに、毎日ささやかではあってもこの分かれ道のポイントに立たされているはずなんだ。
何でもない一日のうちに、あれかこれかの決定的瞬間は絶え間なく待ちかまえている。朝、目をさましてから、夜寝るまで。瞬間瞬間に。
まったく日常的な些事、たとえば朝、寝床の中で、起き出そうか、いやもう少し寝ていようか。町に出て、バスにしようか電車に乗ろうか。会社に行って上役に会う。頭をどの程度下げようか、それとも知らんふりをして通り過ぎようか。同僚に対しても。また会議の席で、本当に言いたいことを言うべきか、それでは反発もあるだろうし、出る釘は打たれる。黙っていようか。……人によってさまざまだが、ほとんど誰でも、自分で意識するしないにかかわらず、常に迷い、選択を迫られている。
そしてみんな、必ずといってよいほど、安全な、間違いない道をとってしまう。それは保身の道だから。その方がモラルだと思っている。ぼくは、ほんとうにうんざりする。
人々は運命に対して惰性的であることに安心している。これは昔からの慣習でもあるようだ。
無難な道をとり、皆と同じような動作をすること、つまり世間知に従って、この世の中に抵抗なく生きながらえていくことが、あたかも美徳であるように思われているのだ。徳川三百年、封建時代の伝統だろうか。ぼくはこれを「村人根性」といっているが、信念をもって、人とは違った言動をし、あえて筋を通すというような生き方は、その人にとって単に危険というよりも、まるで悪徳であり、また他に対して不作法なものをつきつけるとみなされる。
これは今でも一般的な心情だ。ぼくはいつもあたりを見回して、その煮えきらない、惰性的な人々の生き方に憤りを感じつづけている。
ぼくが危険な道を運命として選び、賭ける決意をはっきり自覚したのは二十五歳のときだった。パリで生活していた頃だ。
それまで、ぼくでもやっぱり迷いつづけていた。自分はいったい何なのか、生きるということはどういうことか。
その時分、成功することが人生の目的であり、メリットであるように誰でもが思っていたし、そう教育された。だがそんなことに少しも価値があるとは思わない。といって失敗は当然また己を失う。
(岡本太郎著「自分の中に毒を持て」青春文庫 p11-17)
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一九五〇年五月
五月五日 山口県大津郡日東村の和子から島根県邑智郡君谷村の光雄ヘ
ずいぶんひさしぶりに筆をとって、こうしてあなたとお話すると、たまらなくなつかしい気持になってまいります。ほんとにひさしぶりですネ。早速お便りしなければならないのに、何だか非常に混乱していて(気分が)、どうにも筆がとれなかったのです。
今でも一体何からお話しようか? と迷うようです。
驚かないで下さい。いま、山口県の姉のところに来ているのです。兄はここの農業高校の教師をしているのですが、遊びに来たのではなくて、鳥取の家にサヨナラして来てしまったのです。このたびのことでは、肉親との別離がどんなに身のさかれるようなつらく悲しいものであるか、このうえもなく思い知りましたが、また思いもかけない力強くうれしい事実を知ることができました。
二十九日の夜、何かの話のはずみに、思想的な事でとうとう義父と衝突してしまいました。おそかれはやかれいずれそうなる事は覚悟していたのですけれど……。何も知らずに、ほんとにアマエッ子で幸福に生活していた私が、実は何年も私の思想問題で母を苦しめてきていたのです。母は「危険思想」を持つ娘のために義父に随分と気苦労をしていたようです。
あなたにこんなこといっても、この時の私の打ちひしがれた気持はおわかりいただけないかもしれませんが。この時ほど父が生きていてほしかった、と思ったことはありません。
思いもかけない話──母との最後の晩、いつまでも寝つかれないままに寝返りをうっていると、やはり眠れずに泣いていた母から思いもかけないことを聞いたのです。というのは、私が二歳のときに他界した私の実の父が、実はとても進歩的な人だったということをはじめて母の口からきいたのです。父が京都の大学に在学中──たぶん一九二八年ころと思います──政治活動のために大学生活を続けられなくなったのだそうですが、その父が結核のために若くして世を去るまでの苦しい生活──母が働いて学資をかせぎましたが──その苦しさを私にくりかえさせたくなかったために、ひたすらにかくしつづけてきた、私にそのわだちをくりかえさせたくない、その一心だった、というのです。
その話をきいたとき、私はほんとうに全身の血が一度に湧きたったようでした。どんなに力強く思ったことか、ご想像ください。
一睡もせずに一夜を明かして三十日の朝の汽車で鳥取を発ちました。就職がきまり次第、ここからまっすぐに京都に行くつもりです。荷物は母がやってくれると思います。ここにはほんとに着がえ一枚だけ持ってきています。
ところで、私のことお父様たちにあまりお話にならないほうがよいと思います。いままでの私とちがって何かとみたされないことばかりでしょうし、結局、あなたがお家の人々に恥ずかしい思いをしなければならないでしょうから……。それに私も、寂しい家庭生活を送っている母をあのままにしておきたくないと思いますので。少し落ちついてきたら、母を「解放」してあげることを真剣に考えるつもりです。
今だに気持が落ちつかず、何を書いているのか、いつかおめにかかれたらその時にゆっくりお話することにいたします。さようなら。
五月十日 光雄から和子ヘ
ずいぶん長いあいだ便りがなかったので、ほんとうに心配していました。こちらからたてつづけにだしても返事はこないし、お誕生日のささやかなプレゼントもなしのつぶて。それでもこんどの便りですっかり諒解しました。たいへんな苦労によくたえ、よくたたかったと思います。
僕は君の便りを、涙をこぼしながら読みました。僕もおそかれはやかれ、なんとなく今日あるを予測してはいました。いつか、僕の下宿の二階で君に言ったこと覚えていますか? 僕はずっと以前から君の家庭の事情はよく知っていました。だからこんどのようなことがあっても、まったくの予想外ということではなかったのです。それにしても君のお父さんが、戦前のあの暗黒の時代に良心の灯をかかげてたたかった人だった、という事実は、現在の僕たちの共通の誇りでもあり、又とても勇気を与えてくれます。
君は、「絶対の支持」ということを知っていますか? これは宮本百合子の作品『風知草』にでてくるとても印象的な言葉でした。
「絶対の支持ということを知っていらっしゃる? どんなに欠点があっても不満があっても許し合うというのが絶対の支持なのよ」と。
僕の今の気持を一言でいえば、この絶対の支持ということにつきます。どうか負けないでがんばって、どんなことがあっても旗を高くかかげてください。そして必死に登ること、いま力を抜いたら車は止まってしまうだけでなく、加速度的に転落する。どんなことがあっても敗者の熔印は絶対にゆるしてはならないのです。
次に僕の近況、あいかわらず家長専制とのたたかいです。毎日、畑仕事で真黒に日焼けしながら、ときどき「仕事の歌」を口ずさんでいます。世間は赤息子の親不孝者と指さしているようです。両親の涙はほんとうにつらいことです。だけど、やがていつの日にか社会進歩と自由のためのたたかいの道にこそほんとうの親孝行がある、ということが誰にもわかるときがくる。これが僕の確信です。
就職のことですが、東京も松江もいずれもだめのようです。そう、赤い十字架は「殉教」の象徴だけどけっしてへこたれない。あらゆる可能性にアタックです。それで、いま一つは、農林省岡山農地事務局に欠員三名あって、これに応募するのと、千葉、大阪などと、まだいろいろやってみるつもりです。
坂はどうしても登りきらなくてはなりません。岸本君もやっぱり、僕たちと同じ、苦しんでいるようです。彼はこう書いてきています。
「ミツオ! ボクだって同じだ。親父がボクの就職のことについて何もいわぬため、そのためにこそより大きな無言の重圧を感じているんだ。このたえられぬペーソスの内肛に心をすりヘらしている。だがどうにもなるものじゃない。そうだ。どうにも! 結論は一つだ。ボク達は階級的良心に生きねばならない……先刻から何が悲しいのか、ポロポロと涙がでてしかたない」と。あの楽天家でさえやっぱり耐えて生きている。僕たちの友人は、かくも清純に、かくも戦闘的に美しいのです。
それから西尾輝夫君から、僕たちの恋愛と結婚の問題について次のように言ってきました。
「君の愛情を疑うのではないが、君たちが何年もはなれて暮らすことはどう考えても面白くない。君たちがいっしょに生活すること、それは現在の君たちにとってやさしいことではないが、それでも努力すべきだ。君はそれをのぞんでいる。だのに、それを為し得ない。これは明らかに環境にたいする愛情の敗北というべきではないか」
僕はいろいろ考えてみました。たしかに結婚や家庭生活にとっての最大の敵は「経済」であるということは真実です。だけど外部的な条件の困難だけ考えているなら恋愛も結婚もできはしない。外部的な条件が絶対なのではなく、真実の恋愛と結婚を求める心が絶対なのだと思います。愛する男女は結びつかなければならない、ということ、それは動かすことのできない真実であり、これこそが絶対なのではないでしょうか。その真実を成就するためにはいっさいの困難を二人の力で打開していかなければならないと強く思います。
そういう点では西尾君の意見はまったく正しいし、うけいれるべきだと思います。だから、そのためにも急いで就職して、経済的自立の達成をはかることが先決。恋愛の困難に直面して安易につくものは、また社会改革の困難に直面しても、かならず妥協の道をとるものだ、というのはおそらく真実だと思います。実際変革へのたたかいにとって障害となるような恋愛であったら、そんなものは犬にくわれてしまえ! です。
それにしても、僕は岸本君とか、西尾君とか、ほんとうによい友人に恵まれて幸せです。
今日もよい天気で、そよ風が吹いています。勇気をだそう。そうして下をむいたり横を見たりしないで、「インターナショナル」か「憎しみのるつぼ」の一つもうたってみよう。そうすると、また新しい勇気がわいてきます。
それでは互いに勝利する幸福を誓って。くれぐれも元気だしてがんばろう。十二日には岡山に行きます。さよなら
(有田光雄・有田和子「わが青春の断章」あゆみ出版 p37-40)
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◎「誰だって、つい周囲の状況に甘えて生きていくほうが楽だから、きびしさを避けて楽なほうの生き方をしようとする。ほんとうの人生を歩むかどうかの境目はこのときなのだ。安易な生き方をしたいときは、そんな自分を敵だと思って闘う」と。