学習通信060807
◎要求で統一していくばあい……
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欲ばりな子
「欲ばる」ということは、自分の領分をこえて、他人の領分のものまでほしがるということでしょう。そして、どんなことでも、子どもは多少は「欲ばり」な感じをおとなにあたえるものです。とくに、自分と相手との立場の違いや、他人の領分、自分の領分の区別のつかない幼い子どものばあい、「欲ばり」な感じは、いっそう強いといえましょう。
自分と他人の区別がつき、友だちと本格的な分業、協業ができはじめるのは、小学二、三年以上とされています。したがって、二、三年以下の子どもたらが、「欲ばり」な行動をとったとしても、それは、おとなの利己主義というか、本格的な欲ばりと区別されなければならないでしょう。つまり、この時期の子どもたちは、目の前にあるものにたいして、素直な気持ちで、ほしがる──自分の要求をだしているといえましょう。自分の要求をだしきれず、たえずジメジメしている子どもと比較したら、自分の要求を行動に現わす子どもの方がはるかに健康的といえましょう。
ただし、健康的といっても、現在の消費生活の影響、他人を傷つけても「立身出世」を願う社会環境を考えると、幼いときから教育的な配慮が必要です。
どのような教育的配慮がなされているかについて、民主的幼稚園、保育園の経験をみますと、つぎのような考え方、方法がとられています。できるだけそれぞれの子どもたちが要求をだせるような雰囲気づくりに努力していますが、子どもたちのなかには極端に友だちのもっているものをほしがったり、友だちと協力できない子どももいます。このような子どもにたいしては、できるだけ友だちといっしょに作業させながら、友だちにも要求のあることを知らせたり、友だちと協力して何かをやることの楽しさを体験させ、ゆがんだ要求を正しい方向に導いています。
欲ばりな子どもをおとなが発見したばあい、とかく「欲ばり」をことばで指摘するにとどまり、いちばん大事な点、つまり、協力することの喜びを具体的な行動で知らせてゆくことが見落されがちです。
集団のなかでこそ要求がぶつかり、その調整や解決の方向をとおして、社会的位置感覚の芽生えが育っていくのです。こうしたみんなでものを分け合い、生活を広げていく楽しさの体験が深まるにつれて、子どもは、自分と友だちとのつながりをふまえて、正しい要求をだす人間へと成長していくことでしょう。
(近藤・好永・橋本・天野「子どものしつけ百話」新日本新書 p122-123)
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要求解決のための三角形
要求をどう解決するかということは、たたかいのなかで、労働者の団結をどう固めるかということに通じます。以下十数点について意見をのべてみます。
そこにあるものを、もっていくことぐらいは犬でもします。労働者の要求を解決するたたかいは、でている要求を経営者側のところへもっていってどう交渉をするか、というようなものではありません。労働者から要求がだされる。だされた要求をみんなで相談する。そして、ぜんたいの意志として経営者につきつける。その結果をまたみんなで討議する。それでも解決しないばあいは、さらに強く労働者の意志をぶっつけていく方法を考える──という、三角形の運動が必要なのではないでしょうか。
まず、経営者側と交渉をすすめたが、その結果あんまりかんばしくなかった。そこでそのまま労働者に報告したら、役員としてのやる気を疑われるのではないだろうか? 少しよくみせるような、思わせぶりな報告をしよう……。こうしたことで思い悩んでいるとしたら、それはとんでもないことです。
なによりもまず、ありのままを報告しましょう。前進したものであれば、労働者の団結の力によるものとして報告しましょう。すこしでも役員の顔でかちとったんだ、というような報告ぶりはしないことです。もし前進していないばあいは、経営者側の不誠意を徹底的に追及しながら報告し、いっそうの団結と奮起を訴える。このように労働者を心から信頼し、労働者の立場に徹するということが正しいのではないでしょうか。
また交渉の相手が逃げてしまってケンカにならないというばあいがよくあります。しかし、そこで弱気をだしてはいけません。彼らは逃げるときでも、職場の労働者の動きは正確につかめるように手はちゃんと打っているものです。「相手がいないことにはケンカにならない」などと考えないで、不誠意と不当労働行為追及の討論や宣伝などの活動を、いっそう強化してたたかいを強めることです。逃げることによって、逆に労働者の団結が強くなるとみれば、経営者はあらわれてくるし、弱くなるとみれば逃げつづけるでしょう。
要求で職場を統一するには
要求で労働者は統一する≠ニよくいわれます。しかし、それは単に要求事項で統一するのではなく、その要求事項のなかに貫かれている要求の正当性を十分話しあい、ぜんたいの確信としていき、考え方で統一をかちとっていく。それがひとりでも多くの仲間や家族の胸の中に燃えひろがっていくこと。それが統一をひろめ、団結をつよめ、そして要求をかくとくしていく力となっていくのではないでしょうか。
要求で統一していくばあい、職場集会、オルグ、新聞などの活動はきわめて大切です。しかし、それだけで十分かといえばそうではありません。職場集会をひらくと、どうしても手のとどかぬところが弱ります。またオルグという方法も、落ちついて話ができないばあいがあります。また新聞を発行しても一方通行になるという不足面が残るばあいが多くあります。それではそのアナ埋めをどうしたらよいでしょうか。
そのために数多くの小集会、懇談会、労働者相互の通信活動など、工夫をこらしてやっていきます。職場にものをいわぬ仲間がいれば、たとえば活動家は直筆でやさしく手紙をだしてあげましょう。彼は、ガリ刷りでなく直筆の活動家からの手紙に接して、きっと心あたたまるものを感じることでしょう。
労働者は、資本家側の宣伝とのたたかいの中でもきたえられます。だから資本家側から思想攻撃や宣伝がかけられてきたからといっておそれてはなりません。「賃上げよりも生産を」といってきたり「刈りとる前にまず耕そう」といってきたら、「耕す前にめしをくわせろ」とやってやろう。分裂の主諜者が、「労資協調路線は時勢の流れだ」と宣伝したら、「それは、資本家側の反撃の一時的な現象だ。労働運動はうよ曲折をへながらも、よどみなく発展し、裏切者は、必ず運動の舞台からひきおろされるものだ」という発展の法則を討論しましょう。
「アカは危険思想だ」といってきたら、「労資協調こそ、労働者にとってもっとも危険なものだ」とやりかえそうではありませんか。資本家は労働者を搾取する側ですから、かならず労働者をいやしむし、見さげたり、軽べつしたり、侮辱したりします。そして労働者の健康を破壊します。それだけではありません。生命をもうばうし、私生活までじゅうりんします。あるいは利己心をあおって、労働者の中に疑心暗鬼をもちこみ、「仲間同士には冷酷に、資本家には忠実に」と要求してくるものです。
とすると、労働者の資本家にたいする要求は、けっして金と物と人員だけというものでないはずです。賃金ドレイからぬけだすための自由と解放への要求を、いつも労働者はもっているのです。これを軽視して、金、物、人員などの要求のみに目をむけると、たたかいはなかなか発展しないし、資本家にナメられてしまいます。ですから、物の要求とあわせて、屈辱的なドレイ状態から解放されるための労働者の要求、怒髪(どはつ)天をつくような資本家側にたいする怒り、労働者をナメるなという感情などを見落さないようにしながら、なぜ労働者はこうなるのか、こうされなくてはならないのかという、苦しみの根源をおたがいにさぐりあい、学習しあってこそ、労働者の団結もつよまり、物の要求そのものをも確実にかくとくする力となるのです。
組合活動をしたらクビになりはしないか。組合に入っていたらニラまれはしないか、という悩みはいつのときでもでるものです。では、組合活動をやらなかったらクビにならない、にらまれない、という保障があるのでしょうか。
労働組合とは、労働者がバラバラでは活動家がクビを切られるから、切らせないためにあるものです。やらねばにらまれるから、にらませないために活動するものです。やるから危険なのではなくて、やらねば危険だからやるのです。「長いものには巻かれろ」なんて、ノンキなことをいって、こっちが巻かれるつもりでも、相手の方が巻いてくれるでしょうか? かりに巻いてくれたとしても、いつまで巻いてくれるでしょうか? 巻かれて払う犠牲と、巻かれないでたたかう利益と、どちらが大きいでしょうか? また「先頭にたつと危い」ともいわれます。では尻についていたら安全でしょうか? かえっていじめられやすく、クビ切られやすいのではないでしょうか。
そこで、職楊では強そうなことをいっても家や郷里に帰ると、「もう少しで主任になれる」などとええカッコ≠キる仲間はいませんか? わたしたちは職場だけでなく、家に帰っても職場での苦しみや、安月給のこと、資本家側のエゲツなさなどを、もっと身内の人に話をするようにしましょう。身内の人は、労働者のことをつねに案じてくれているものです。
もし、そういう話をしないでええカッコ≠フ話ばかりをしていると、そこへ経営者側の切りくずしの手がのびてきて、身内の人の労働者にたいする愛情が、逆に労働者のたたかいを妨げる圧力となり、経営者側を利する力となってしまうでしょう。もし、職場の苦しみについての話がされていれば、それは団結を支える力となるでしょう。
労働者の要求を解決する力は団結の力、その力は、職場、産業別、地域とともに身内の中にもしっかりと根をおろさなくてはなりません。
(「職場活動のすすめ」学習文庫 p96-103)
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◎「集団のなかでこそ要求がぶつかり、その調整や解決の方向をとおして、社会的位置感覚の芽生えが育っていくのです」と。