学習通信060801
◎とてつもなく大きい……

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「景気をよくしてほしい」とは
もっと豊かな生活をしたいという気持ちの現れ

 前作『みんなの経済学』のなかでも述べましたが、二%成長できる経済というのは、なかなかよい経済です。二%成長を続ければ、三五年間で生活水準を二倍にできるのです。ちなみに、二〇世紀のアメリカ経済は年率にしてちょうど二%成長をしてきましたから、二〇世紀のアメリカと同じくらいの発展力を日本経済は持っていると考えればよいと思います。

 この「成長」ということに関してよく出てくる議論として、成長重視・市場主義はおかしいのではないか、というものがあります。経済成長ばかりを考えて市場主義で厳しい競争を強いられるよりも、経済成長はしなくてもよいから厳しい競争などない社会のほうがよいのではないか、という議論です。

 成長を目指すべきか、成長などしなくてもよいのか。これは、国民が決めるべき問題です。そこで考えてみてください。本当に成長などしなくてもよいのでしょうか。

 私は以前、学生に「ゼロ%成長と二%成長どちらがいい?」と質問したことがあります。ゼロ%成長だとすると、三五年後に学生が私の年齢になったときには、いまの私と同じ生活です。二%成長だとすれば、いまの私の生活よりも二倍も豊かな生活をしています。どちらがよいですか、と聞いたところ、一〇〇人が一〇〇人「二%成長したい」といいました。おそらく、みなさんも同じではないかと思います。

 そもそも本当に成長などしなくてよいというのなら、景気をよくしてほしいなどとは誰もいわないのではないでしょうか。私はこれまで、「いまの不景気がずっと続いているのがいいのだから、このまま何もしないでくれ」という言葉は一度も聞いたことがありません。景気をよくしてほしい、という議論がこれだけ出ているということは、人々はごく自然の感情として、生活水準をよくしたい、所得を上げたいと思っているからにほかなりません。その感情が、とりも直さず「景気をよくしたい」という議論になっていると考えます。

改革をすればコストが発生する。何もしなければさらに大きなコストがかかる

 成長を目指すべきか、成長しなくてもよいのかを考えるうえでは、「成長を目指して改革を進めたときのコスト」と「何もしなかったときのコスト」を比べてみることも重要です。

 いうまでもなく、コストが安いほうが得ですから、この比較は合理的な判断には不可欠です。

 まず成長を目指して改革を進めたときのコストについて考えてみます。たとえば、塩漬けになっている不良債権の処理を進めると、一部に企業の整理など摩擦熱が発生するため、それは広い意味で私たちが負担するコストになります。あるいは、構造改革を進めれば、いままで競争せずに比較的のんびり生きてきた人も、グローバルな波に揉まれて競争しなければならなくなる可能性があります。競争に負けない力をつけるためにもう一度勉強しなければならないかもしれません。そうしたコストが、改革のなかで発生します。

 他方、もしこのまま何もせず非効率なまま続けていった場合、一見、何のコストもかからないようですが実は大きなコストがかかります。それがどのくらいになるのかというと、これは二〇〇二年一月に発表された「構造改革と経済財政の中期展望」という中期五か年展望のなかにはっきりと出ています。

 もし改革をした場合、長期的には一・五%から二%程度の成長になると考えられますが、改革をしなければ、日本の成長率は〇・五%、ひょっとしたらゼロ%かもしれません。ゼロ%と二%を考えると、先ほども述べたように、ゼロ%成長ならば三五年後の生活水準は現状と同じ、二%成長では現状の二倍ですから、その差は膨大なものになります。GDPで測れば、約五〇〇兆円です。この差の分が「改革をしなかったコスト」(つまり、改革をすれば得られたであろう所得水準の向上を得られなかったという意味でのコスト)です。

 この「改革をしなかったコスト」は毎年毎年、大きくなっていきます。かたや、改革をしたために発生するコストは、当初はかかるかもしれませんが、それが延々と拡大していくことはありません。むしろ改革によって成長というリターンが得られることで、相対的なコストはだんだん小さくなっていくことが期待できます。

 改革に向かっていくとさまざまな変化が生じることは否定できません。しかし、何もしなかったときの社会全体としてのコストというのは、とてつもなく大きいと考えなければなりません。「明るいあした」を築いていくうえでの大きなポイントは、その両者のコストをどう考えるか、というところにあるともいえるのです。
(竹中平蔵著「あしたの経済学」幻冬舎 p45-48)

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2006年7月26日(水)「しんぶん赤旗」
主張 貧困率不公平を広げた「構造改革」

 日本の格差と貧困の広がりに、改めて国際社会が注目しています。
 世界経済の「先進国クラブ」と呼ばれるOECD(経済協力開発機構)が、二十日に発表した「対日審査報告書」で、初めて一章を割いて日本の格差問題を取り上げました。OECDは加盟国の経済情勢を定期的に分析・審査し、審査報告書として公表しています。

 その中でOECDは日本の所得格差が一九八〇年代半ば以降大きく広がり、相対的貧困率は「今や最も高い部類に属する」とのべています。

アメリカに次ぐ水準
 「構造改革」を推進するOECDの現在の立場と、「構造改革」による深刻な矛盾の解決を図る日本共産党の立場は違います。しかし、貧困と格差の拡大を敏感にとらえる現状認識では共通しています。

 対日審査報告書に掲載された勤労世代の相対的貧困率の国際比較によると、すでに二〇〇〇年時点で、日本は先進諸国の中でアメリカに次いで貧困率が高い国となっています。

 相対的貧困率は、その国の平均的な生活水準の一定割合の所得を下回る人を貧困層と定義して、その貧困層が全体に占める比率で表します。今回報告された数字は、昨年二月にOECDのワーキングペーパーに掲載された分析のうち、勤労世代に焦点を当てたデータの抜粋です。

 小泉内閣は派遣・請負労働や契約社員など雇用の規制緩和を進め、正社員を非正規雇用に置き換えて人件費を減らそうという財界の身勝手な要求に全面的に従ってきました。

 政治が本来やるべき貧困と格差の是正とは正反対の、労働者・若者に痛みを押し付ける弱肉強食の路線です。日本の貧困と格差が、二〇〇〇年時点よりも、いっそう深刻になっていることは明らかです。

 報道によると、対日審査の会合に出席した日本政府の代表は、「格差拡大の主因は高齢化による人口構成の変化」だとする日本政府の公式見解の立場で反論しました。

 OECDはこれを退け、高齢化は「格差拡大の一因」ではあるが、「主な要因は労働市場における二極化の拡大にある」と報告書に明記しました。非正規雇用の割合が十年間で10ポイント以上増えて30%を超えたこと、パートの時給がフルタイムの40%にすぎないことをあげています。

 さらに、景気が回復しても非正規雇用の一部しか解消せず、「労働市場の二極化が固定化するリスクがある」と警鐘を鳴らしています。

 小泉内閣は、「格差の拡大は確認されない」「格差は悪いことではない」と開き直り、景気が良くなればいずれ解決すると言ってきました。これは、国民にも国際社会にも、まったく通用しない議論だということが、ますますはっきりしています。

最悪の消費税増税
 OECDの分析から、もう一つ重要なことが分かります。税や社会保障など所得再分配で貧困率がどれだけ是正されたかを比べると、日本は是正の割合がもっとも低い国になっています。日本が世界でも格差の大きな国になったもう一つの原因が、税や社会保障を通じた所得再分配の弱体化にあるということです。

 この点でも、小泉内閣は大企業・大資産家に減税、庶民には増税・社会保障負担増と、まったく逆立ちした政策を取ってきました。

 小泉「構造改革」路線の抜本的な転換が必要です。小泉内閣と自民・公明両党、民主党が主張する消費税率の引き上げは、貧困と格差を拡大する最悪の庶民増税です。

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 資本の急速な増加は、利潤の急速な増加にひとしい。

利潤は、労働の価格、相対的労賃が急速に減少する場合にのみ、急速に増大することができる。

相対的労賃は、たとえ実質的労賃が名目的労賃、すなわち労働の貨幣価値〔価格〕とともに上昇するとしても、それが利潤と同じ比率で上昇することさえなければ、下落しうる。

たとえば、好況期に、労賃が五%だけ上昇するが、これに反し利潤は三〇%だけ増大するとすれば、比例的な労賃、すなわち相対的労賃は、増加したのではなくて、減少したのである。

 だから、労働者の所得が資本の急速な増大につれて増加するとしても、同時に、労働者を資本家から分かつ社会的な間隙も増大し、労働にたいする資本の支配力、労働の資本への従属が、増大するのである。

 労働者が資本の急速な増大に関心をもつというのは、ただ、労働者が他人の富を急速に増加させればさせるほど、それだけいっそう大きなパンのかけらが彼のところに落ちてくるし、それだけいっそう多くの労働者を就業させ、生みだすことができ、資本に従属した奴隷大衆をそれだけいっそう増加させることができる、ということにすぎないのである。

 こうして、われわれはつぎのことを知った。──
 労働者階級にとってもっとも好都合な状態、すなわち資本の可能なかぎり急速な増大でさえも、労働者の物質的な生活がそれによっていかに改善されても、労働者の利害とブルジョアの利害、すなわち資本家の利害とのあいだの対立を解消するものではない。

利潤と労賃とは、あいかわらず逆の関係にあるのである。

 資本が急速に増大すれば、労賃は上昇するかもしれないが、資本の利潤は、はるかに急速に上昇する。

労働者の物質的状態は改善されたが、それは彼の社会的状態を犠牲にしてである。労働者を資本家から分かつ社会的な間隙はひろがったのである。

 最後に、──
 賃労働にとってもっとも好都合な条件は、生産的資本の可能なかぎり急速な増大であるということは、ただ、つぎのことを言っているにすぎない。
──労働者階級は、彼らに敵対的な支配力、彼らを支配する他人の富を急速に増加させ、増大させればさせるほど、それだけいっそう有利な条件のもとで、新しくブルジョア的富の増加に、資本の支配力の増大に従事し、ブルジョアジーが彼らを引きずるための金の鎖を、みずからよろこんできたえることを許されるのである、と。
(マルクス著「賃労働と資本」新日本出版社 p65-67)

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◎「賃労働にとってもっとも好都合な条件は、生産的資本の可能なかぎり急速な増大であるということは」……。