学習通信060605
◎自転車的なるものに次第に化けていく……
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歩くことの意味
ある保育雑誌に、宮下俊彦先生がつぎのような文を書いています。
子どもにとって歩くことは世界の移動なのです。歩くといろいろのものがわかる。人生とはこんなにすばらしいものだな、と生きているよろこびが出てくるわけです。
イギリスの作家R・L・スチブンスンは、こういっています。『町の通り……それはすばらしい教育の場……ディケンズやバルザックのお気に入りの学校……それはあなたたちのまわりにある。そこには、あたたかい、胸をわくわくさせる人生がある』
ところが現実はどうでしょう。
『町の通り……それは人間が片すみを小さくなって歩くところ……公害や事故や誘かいの場……それはあなたたちのまわりにある。そこには、おそろしい、胸をしめつける人生がある』
大阪のまちの保育園で、三歳児で何か要求があるとドタンと大きな音をたてて後にひっくりかえるくせのある子がいたそうです。調べてみたら、ある家内工業のうちで、その子は作業場のわきの板の間の柱にゆわかれていた。声を出したぐらいでは見むいてもくれない。ドタンと後に倒れるとおどろいてきてくれるところから、このくせがついたものとわかりました。
今日はこんなにも子どもの基本的人権、『歩く』ということさえも、うばわれつつあるのにおどろきます。世があげて、『人間のために経済があるのでなく、経済のために人間がある』ような今日、どうしてこの子の親たちだけをせめられましょう。保育所の普及がどんなに必要かを、あらためて痛感します。
『歩かせる』ことはきわめて重要です。それは『健康のために』などというどころでありません。知的発達、性格形成のためにも絶対大事です。歩くことは、大脳への刺激をもふくんだ全身運動です。上手に指導すると、就学前の幼児でも千メートルぐらいの山は立派に歩いて登ります。それなのに近ごろ、多くの子どもがほんの近くの道さえ歩くのをいやがるふぬけにされかかっている責任は、もちろんおとなにあります。
ルソーは有名な『エミール』の中で、子どもを素朴な自然の中で、野趣ゆたかに育てる重要さを強調しています。
おとなたちが、いわゆる公害(実際には企業の横暴)を追放するため、力をあわせてたたかう姿勢を示すことは、子どものためには、二重にも三重にも教育的効果をあらわす、『天王山』の重要性をもっています。
(近藤・好永・橋本・天野「子どものしつけ百話」新日本新書 p80-81)
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自転車通勤のメリット@
自転車ツーキニスト(通勤人)になって半年も経った頃、私の身体に顕著な影響があらわれてきた。
一番目立った効果が、やはり何と言っても痩せたことだ。一番ひどいときには84sあった体重が、半年で67sまでに激減した。現在は少し戻って70sというところだが、それにしてもこの劇的なダイエット効果には注目せざるを得ない。
同時に健康診断での中性脂肪値、コレステロール値などがすべてC判定からA判定へと覆った。内臓脂肪の大幅な低減がこれを実現させたのだと思う。血圧は上下幅が拡がりながら落ちたし、心肺機能は明らかに向上した。会社の中で階段を上ったりするときに、まったく息が切れなくなった。
要するに、非常に健康になった。第一章でも述べたとおり、これは自転車が非常に有効なエアロビクス(有酸素運動)となっていることを示しているのだと思う。
また、健康関連でいうと、夜、ぐっすりと眠れるようになった。
私はどちらかというと夜に眠れない方で、ベッドに入ってもなかなか眠くならず、一日が28時間程度だとちょうどいいのに、などと考える方だった。翌日に大切な取材(私の本業はTVディレクターなのです)が控えていたりすると、特にそうだ。眠ろうとすればするほど眠れなくなってしまう。
ところが朝晩に自転車で走っていると、ベッドに寝そべった瞬間に、スッと眠りに入ってしまう。朝は朝で決まった時間にすっきりと起きることが出来る。
かなりハードな不眠症を抱えている人でも、きっとこうなると思う。人はやはり身体を動かしていてナンボだ。今の私ははっきりとそう思う。
自転車通勤のメリットA
もう一つ大きかったのが経済的な効果だ。
通勤に自転車を使うわけだから、もちろん定期代が要らなくなる。私が自転車通勤を始めた頃の場合を例にとると、JR山手線の日暮里駅から地下鉄千代田線の赤坂駅までの約12q、この分の定期代が、半年で5万8550円である。1年で11万7100円(97年当時)。
実際には雨などで、月に平均して5日程度は電車を使うことになってしまうから、その分は切符を買うとして、これが往復で640円。
年間で3万8400円となる。
それを差し引いた額が、7万8700円。
これを多いと見るか、それとも、この程度? と思うか、それは人それぞれだと思う。勿論、人によってはそれ以上の人も以下の人もいる筈だ。バス便を使う人には、特にメリットが多いと言えよう。バスの定期は電車に較べてけっこう高価かったりするから。電車ほどきっちり時刻通りに来ない、という点も解消できる。
さて、私の場合、経済効果はこれだけではすまなかった。
自転車ツーキニストになった私は、すぐに通勤に限らず何でもかんでも自転車ですませてしまうようになった。実際に雨の日以外には、都内移動に自転車じゃないものを使う意味が感じられなくなってしまうのだ。あらゆる移動手段が自転車より遅いし。
必然的にクルマを使わなくなる。で、思い悩んだ末に、とうとうクルマを手放してしまった。学生時代から乗っていた思い出深いクルマだったのだけど。
ところが、いったんクルマを手放してみると、その経済効果はすさまじいものだった。
私の場合、都内のマンションに住んでいるので、当然、クルマを維持するためには駐車場を借りなくてはならない。その駐車場代が月に3万円程度。それが全部チャラ。年間に36万円だ。
その他の車検代、税金、ガソリン代、高速代、そうしたものを細かく細かく煮詰めていくと、どうやらそれらの維持費だけでも年間25万程度がクルマのためにかかっている計算になる。
定期代、駐車場代、クルマの維持費。これらすべてをあわせると年間に70万円弱である。これが全部セーブできる。不況の折り、これは大きすぎるほど大きかった。
ふふふ、私の住宅ローンはもうあと残り10年程度であります。
自転車通勤のメリットB
まだあるのだ。
自転車は、点と線だった街を「面」に変えてくれる。この事実が大都会東京をフレンドリーな街に変えてくれた。東京で暮らして20年。だが、この巨大な街は、歩きと電車だけでは、身近というには広すぎてね。ところがその東京と私の隙間を埋めてくれたのが自転車だったというわけだ。これはきっと誰にとってもそうなると思う。
駅とその周辺、そしてそれを結ぶ鉄道路線が、それまでの私にとっての東京だった。その点と線が自転車によって、すべて連結する。このとらえどころのない大都会が、同じ地べたに張り付いている一つの街だということが分かってくる。色々な発見がある。意外に広い公園、神社仏閣、いい感じのカフェ、古本屋、古い味わいを残した小さな商店街、などなど。
例えば、私の場合はそうしたモノの中で「銭湯」を発見した。今なお東京都内に残された1300軒の銭湯(00年当時)。それらはそれぞれの街の中でそれぞれの個性と伝統とを放っている。この銭湯をハシゴするのに、自転車は非常に都合のいいツールだった。それらの発見は決して職場と自宅の周辺を歩いているだけではなされなかったと思う。
さらに、この東京にあっても移り変わる季節が実感できるようになった。
都心を自転車で巡ると、地下鉄の中や、タクシーの冷暖房の中では実感できなかった、風の流れを感じる。その風の匂いが季節によって変わり、意外と多い緑地の色が、目にも季節の訪れを知らせる。
8月末、まだまだ暑い盛りに皇居の前を通る。もう赤トンボが飛んでいるのを発見する。秋はそこまで来ている。雀が多いところ、セミの鳴き声が多いところが都内のどこなのか、そういったことが実感できる。薄暮(うす‐ぐれ=日没から暗くなるまでの間。)になると、都内にもコウモリが飛んでいるところがある。紋白蝶だっている。どこにいるか分かりますか? 教えない。自転車で探してみて下さい。
毎日毎日自転車と親しむ。自転車通勤を続けていると、いつしか自転車がその通勤だけに限らなくなっていく。生活の大きな部分が自転車的なるものに次第に化けていく。
(疋田智著「大人の自転車ライフ」知恵の森文庫 p81-85)
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◎「いわゆる公害(実際には企業の横暴)を追放するため、力をあわせてたたかう姿勢を示すことは、子どものためには、二重にも三重にも教育的効果をあらわす、『天王山』の重要性を」と。