学習通信060512
◎資本蓄積の歴史的過程……
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「ルールなき資本主義」「新自由主義」の害悪が噴き出す
第一は、大会が全面的に告発した「ルールなき資本主義」と「新自由主義」の経済路線の害悪が噴き出していることであります。
とくに格差社会と貧困の広がりは、一大社会問題となりました。マスメディアも深刻な現実を伝えだしました。野党だけでなく与党も、格差問題に言及せざるをえなくなっています。小泉首相は、最初は、「言われているほど格差はない」といいましたが、それが通用しなくなると「格差が出るのは悪いことではない」と開き直り、それが批判されると「経済状況がよくなれば解決する」と責任のがれをはかっています。
しかし一九九〇年代末から急速に拡大した社会的格差と貧困は、自然現象ではありません。首相のいうように、「経済状況がよくなれば解決する」ものでもありません。政府が「景気回復」と喧伝(けんでん)しているのは、ごく一握りの大企業と大資産家が空前のもうけを手にしているということであり、それは圧倒的多数の国民から所得を奪い、膨大な低所得者層をつくりだした結果であります。
政府の統計をみますと、年収別にみて、この十年間で増えている階層が二つあります。年収二百万円以下という低所得層が24%増え、一千万人に達しました。その一方で年収二千万円をこえる高額所得層が30%増えましたが、この層は数では二十万人とごくわずかです。ごく一部の大企業と大資産家が富めば富むほど、貧困層が広がり、格差が深刻になるということが、いまおこっていることがらの真相なのであります。
その原因と責任は、「構造改革」の名でおこなわれてきた異常な大企業中心主義の政治にあります。すなわち、(1)非正規雇用の急増など人間らしい雇用の破壊、(2)年金、介護につづき医療大改悪など社会保障の破壊、(3)「庶民に増税、大企業・大資産家に減税」という逆立ちした税制という三つの政治悪が、その根源にあります。
自民・公明・民主は、格差を問題にしても、この根源には触れられません。派遣労働の自由化など労働法制の規制緩和を競い合い、格差拡大においうちをかける消費税増税を当然視する政党では、この問題を解決できません。
格差社会を生み出した大企業中心主義の政治悪にたいして正面から根源をついた批判をおこない、打開の展望をしめせるのは日本共産党だけであります。党綱領がかかげている「ルールある経済社会」「大企業の民主的規制」「税財政・社会保障の民主的改革」という経済改革の方針が、情勢とこんなにかみあって生命力を発揮しているときはありません。
(「職場問題学習・交流講座への報告 幹部会委員長 志位 和夫」「しんぶん赤旗」2006425)
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──戦後の労働組合運動の発展過程そのものを理論的に一般化する仕事は、他の巻でおこなわれるはずだからである。ここでやらなければならないのは、過程にはたらきかけた基本的な諸力をぬきだしてみること、そして、それによって過程の本質と発展方向を見きわめることである。問題は、明らかに『資本論』の「資本主義的蓄積の歴史的傾向」のなかにあらわれる「労働者階級の運命」にかかわっている。そこで、われわれの理論上のよりどころとして、まず『資本論』のだれでも知っている一節を示しておくことにする。
「この収奪(資本家による資本家の収奪──筆者)は、資本主義的生産そのものの内在的諸法則の作用によって諸資本の集中によって、おこなわれる。いつでもひとりの資本家が多くの資本家を打ち倒す。
この集中、すなわち少数の資本家による多数の資本家の収奪とならんで、ますます大規模になる労働過程の協業的形態、科学の意識的な技術的応用、土地の計画的利用、共同的にしか使用されない労働手段への労働手段の転化、結合された社会的労働の生産手段として使用されることによるすべての生産手段の節約、世界市場の網の中への世界各国民の組みいれ、そしてそれとともに資本主義体制の国際的性格が発展する。
この転化過程のいっさいの利益を横領し独占する大資本家の数がたえず減少するのにつれて、貧困、抑圧、隷属、堕落、搾取はますます増大するが、しかしまた、たえず膨張しながら資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され、結合され、組織される労働者の反抗もまた増大する。
資本独占は、それとともに開花しそれのもとで開花したこの生産様式の桎梏になる。生産手段の集中と労働力の社会化とは、それらが自分の資本主義的な外皮とは調和しえなくなる一点に到達する。
そこで外皮は爆破される。
資本主義的私有の最期をつげる鐘がなる。収奪者が収奪される。」
(『資本論』第一巻)
資本の集中(資本独占の形成)をテコとする資本蓄積の歴史的過程は二つの側面をもっている。
一方では、それは、資本主義的生産の社会化と資本主義体制の国際化によって、社会主義=共産主義に移行するための物質的前提をつくりだす。
他方では、資本独占は労働者と人民大衆を社会的貧困におとしいれるが、同時にそれは、労働者と労働者の反抗をともに増大させる過程であり、資本主義体制を爆破するための主観的条件を成熟させる。
こうして資本主義的蓄積の歴史的傾向は、不可避的に、収奪者としての資本家が収奪される歴史的時点に到達する、というのである。
マルクスが一般的に述べたこの「転化過程」の解明のなかには、資本の有機的構成の高度化が生産の技術的過程におよぼす諸変化(それはまた、他のだれよりも、生産の技術過程のにない手である労働者にたいして、直接的に重大な影響をおよぼさずにはおかない)についての、おどろくほど正確で典型性をもった記述があたえられている。
マルクスがここで指摘したような、資本による生産過程の組織化の諸形態を、現代資本主義の具体的な諸条件にあてはめて展開してみるだけでも、そこから、現代の労働組合運動は、その組織的、戦術的諸形態にとっての基礎的な諸規定をとりだすことができるようになるであろう。
『資本論』と労働運動(労働組合運動)との関係は(むろん、この小節だけに限らず)、こうしていくらでも深めることができるし、またそうする必要がある。
(堀江正規著「現代の資本主義と労働組合運動」労働組合運動の理論@ 大月書店 p67-69)
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──党綱領がかかげている「ルールある経済社会」「大企業の民主的規制」「税財政・社会保障の民主的改革」という経済改革の方針が、情勢とこんなにかみあって生命力を発揮している──。