学習通信060508
◎『豊かな青春、惨めな老後』……

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一八歳をすぎたら

 知りあいのアメリカ人が、長年続けてきた日本での仕事をやめることになった。次の仕事はまだ決まっていない。その相談に乗ってあげている別の友だちが、私に教えてくれた。

 「もう日本に長く住んでこちらの生活にも慣れてるし、かといって永住する決意もできてないし、どうしたらいいかなってすごく迷ってるのよね」

 いつもは元気いっぱいのそのアメリカ人女性が迷ってる、なんてちょっと想像できない。そのとき、私は思い出した。そうだ、彼女はアメリカ南部の美しくてのんびりした町の出身といつも自慢していたじゃないか……。私は、友だちにこう言った。

 「まあ、とりあえずアメリカの実家に帰って、ママのところでしばらくのんびりしながら、次のことを考えればいいんじゃない? 彼女にそう伝えてあげてよ」

 するとアメリカで長く暮らした経験のある友だちは、「ええっ!」と驚いた顔を見せた。

 「なに言ってるの? 彼女、もう三〇歳すぎてるんだよ。今さら実家に帰るなんて、できるわけないよ」

 その友だちの説明によると、アメリカ人は一八歳になったら大学に行っていようと働いていようと、とにかく実家を出るのがあたりまえ。

 もし学校や職場の都合で親の家にとどまる場合は、どんなに裕福な家庭でも、子どもはアルバイトでかせいだお金を「家賃」として親に渡さなければならない。

 そして、一度、家を出た子どもが「またいっしょに暮らそうよ」と両親のもとに戻る、などということは、まずありえないんだそうだ。

 「彼らは、自立できないことほど恥ずかしいことはないって思っているからね。日本で仕事したいと言って、アメリカを飛び出した彼女なんか、とくに故郷の町には帰れないよ。アメリカで働くことになったとしても、どこか別の町に行くだろうね」

 なんだか、すごくきびしい。私だったら、今の病院や大学をやめたら、まず「生まれた町に帰って、実家のひと部屋にとりあえず住みながら、昔の友だちにつとめ先を紹介してもらおう」と考えてしまうだろうに……。

 もちろん、そんなことをしていたら、いつまでも心から甘え≠ェ抜けず、きちんとしたおとなになりきれないのはわかっている。

 「一八歳をすぎたらもう親の世話にはならない」というアメリカ人のほうが、早く自立できるのはたしかだ。

 でも、困ったときにも帰る場所がない、と不安になることもあるんじゃないだろうか。

 みんなは、どう? 「一八歳になったらとにかく親から自立」のアメリカ式に賛成?それとも、「まあ、かたいこと言わずに、いつまでも親の家で世話になってもいいじゃない」の日本式のほうがいい? ちょっと考えてみてほしい。


□ー八歳になったら家を出てください、と親に言われたらどうしますか

□三〇歳でも仲よく親と暮らしている人を見て、なんと言ってあげたいですか

□あなたは三〇歳。親からお年玉をもらう? それともお年玉をあげる?
(香山リカ著「10代のうちのに考えておくこと」岩波ジュニア新書 p30-32)

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 ケイイチローは少しだけ意外な顔で私の方を見つめ、そして黙った。
 「すぐ30になるよ。30になると、後戻りがきかなくなる。フリーターやって、ギター弾いてて、20代ならまだいいけど、30になったら、誰もかっこいいと思わなくなる。後戻りができるうちに、別の仕事考えた方がいいかも知れないんじやないか……」

 ケイイチローは寒さを思い出したように、足を小刻みに揺らし、言った。
「ふうん。ヒキタさん、なんだか月並みなこと言うようになっちやったんすねえ」
「現実なんだ」
 ケイイチローは、またしばらく黙っていたが、やがて紙コップの中に残ってたウイスキー を、ぐっと飲んだ。

 「新曲、作ったんすよ。聞いてもらえます? 『明日への轍』っていうんですけどね。今度の自信あるんすよ。 ガキの頃見てた夢は少しずつ 形を変えたけど 俺はいつでも追いかけている。 世の中の風はあまりに 冷たすぎるけど」
「やめろ」

 ケイイチローは口をつぐんだ。
 「俺が悪かったのかも知れない。音楽のことなんて何も知らなかったのに、テレビなんかに引っぱり出して。すまなかった。でも、たぶん、去年のそのプロダクションの人たちが言ってることの方が正しいんだ。もう、あきらめる時期なんだよ」
 「なあに、あいつら、ただ分かっちゃいないんだよ」

 ケイイチローは立ち上がった。
 「それにね、別にヒキタさんがそんなこと思ってもしようがないよ。俺、別にテレビに出たとか出ないとか関係ないもん。ガキの頃から、俺、ここから下見てたのよ」
 ケイイチローの前には屋上から落ちないように張り巡らされた金網があった。

 「俺、ほら、家に居場所なかったし、学校行っても、ちびだって言われてばっかりだったしね。この金網破って飛び降りちゃおうなんて思ったこともあったのよ。 歌だけがさ、俺の救いだったわけよ。歌に関してだけはませてたんだぜ。小学校でビートルズなんて知ってるの、俺だけだったしね。歌、うまいだろ、俺。ガキの頃から歌だけはうまかったんだ。俺、絶対ミュージシャンになろうって思ってた。半端じゃないんだよ」

 私は黙った。ケイイチローは私のそばにやってくると、再び座った。
 「でもね、ヒキタさんの言うことだって分かってる。そりゃ考えるさ。俺だって。今さ、女の子と一緒に住んでてさ。路上で知り合った子。俺の歌、毎日聴きに来てくれてさ。一緒に住むことになった。半分食わせて貰ってるみたいなもんだ。 で、今、ちょっと腹がでかいのよ」

 凍った焼き鳥も、コロッケもすでに無くなっていた。足の親指がほとんど感覚をなくしてることに今更気づいた。

 「まずいよね、これじゃ」
 私は頷(うなず)いたのか、そうでないのか、分からないだけ首を動かしていた。私たちは並んで滑り台の方を見つめながら、息だけを、吸って吐いた。
 黒い鳥が、円を描きながら、向かいのビルの給水塔の上を飛んでいた。

 「実は俺、今日あたりそろそろヒキタさんが、そういうことを言い出すかも知れないとは思ってたんだ、本当は。 あのさ、ヒキタさん、ずうっと前に自転車で日本一周したって言ってたよね」
 ケイイチローは長い沈黙の末に、唐突に話を始めた。

 「いや、そうじやない。俺なんてただ単に九州に行っただけだよ」
 「それだって、まあまあすげえじやん」
 「それくらいの人は沢山いるよ」
 「うん、結構いるんだってね。俺さ、この間、日本一周している途中だっていう人に会ったんだ」
 「路上でか」

 「そう、路上ライブやってた時。 そいつさ、ヒキタさんよりずっと年上なんだと思うけど、しばらく俺の歌を聴いててさ、変なオヤジだなと思ってたら、俺の歌をやたら褒めてくれるんだよ」

 「ふうん」
 「何かさ、俺の方も何ていうか、体臭が似ているというか、同じ様なものを感じたんだよね」
 「うん」
 「だから路上ライブ、早めに切り上げて、飲みに行ったんだ、その人と。なんだか重そうな鞄のたくさんぶら下がった自転車を押して、近所の居酒屋に行ったよ。」
 「うん」

 「真っ黒けで髪の毛を束ねていてさ、ちょっと見にはレゲエのおじさんに見えるんだよね。でも顔はいいんだぜ。結構もてると思う、あの人。 もう3年も家に帰ってないんだって。だけど、それより前だって、ずっと放浪していたから、20歳くらいの時からずうっと旅の空だって言ってたよ。あ、そう。台湾かどっかにも自転車で行ったって言ってた。 でさ、その人の話がなんか面白えの。 自転車で走りながら小便する方法とか話したりさ。熊が出てきたらどうしたらいいかとか。逃げるしかないって言ってた。実際に熊が出た時は、結構騒ぎになってたんだって。 走りながら眠ることだってできるって言ってたな。左目と右目を片方ずつ瞑(つぶ)るんだって。そうすっと右脳と左脳を交互に休めることができるってさ。本当かなって思うけど」
 「ふうん」

 「何だかそんな話を色々してくれたんだよね。 夏になる度に北海道に行ってバイトするんだって。牧場やペンションで働いたりして1年間の旅費をためるって言ってた。自由ですね、って言ったら、人は誰でも自由になる権利を持ってるんだって言ってた」
 ケイイチローが会ったその人は、恐らく私が中学時代にあこがれたような人そのものだったのだろう。

 「でね、その人が言うわけ。『お前もギターを背負って自転車に乗ってみろ』って。それで行く町ごとに路上ライブをやればいいんだって。ただで『全国キャンペーンができるな』と一瞬思った。だけど心の底でどこかイヤだったんだ。何かが引っかかるんだな」
 「何が?」

 「うーん、何だろ。 その人がさ、会話の端々で言うんだよ。『豊かな青春、惨めな老後』って。 言い得てるよね。俺もそうだから凄くよく分かる。こうやってバイトしながら、ギター弾いてるのって、それでも楽しいから。 俺、自分の青春っつうのかな、それがある意味で豊かだってのを否定しないもん。でもその後がまったく分からない。そういう意味では同じだ。その人、言うんだよ。でも、俺の人生に悔いなんてまったくないぜってね。カッコイイ台詞だよね。俺も言ってみたいな。 『惨めな老後』だって、その時になってみなくちや分からねえじやん」
 「うん」

 「でも何かが引っかかる。 何だろうって考えたんだ。 俺の場合さ、今を楽しんでいるってのもあるのかも知れないけど、やっぱメジャーデビューしようって目標はあるんだよ。メジャーデビューさえすれば、一気にスーパースターになれるかも知れない。それでこんな生活とはおさらばさって。 思うだけは思ってるんだ。もう駄目かも知れないけどさ。 でも、その人はどうなんだろう。 俺さ、例えばその人と一緒に全国を自転車で放浪したとするじやない。それで町に着くと駅前で路上ライブやっちやう。 たぶん、それは楽しいよ。だけどレコード会社への持ち込みだって出来なくなるし、メジャーデビューなんて完全にあきらめてしまう道だよね、それって」

 「彼女もいるし」
 「そう。できるわけないんだ。 俺、ちょっと格好いいこと言わせてもらっていい?」
 「うん」

 「旅ってさ、終えるのが一番難しいんだと思うんだ。 旅の中から何かを発見するとかさ、その旅がその後の人生の中で生きて来るっていうのは絶対にあるけど、旅自体が目的となってしまったらどうなんだろうって。 そういうのを惰性って言わない? 惰性になってしまったら、旅は終えないといけないよね。だけど、自分でそれに気づくのが難しい。本当に難しいと思う。 たぶん俺も旅をしてきたんだなと思うんだ。16歳の時から12年間も。俺なんか家に一度も戻らない旅だぜ。 それを終わらせるのは、CDデビューなんだ、メジャーデビューだってずっと信じてきた。だけど、分かってるさ。もうその可能性はほぼ無いんだなって。 今のレコード会社ってガキみたいな若い連中しか相手にしないんだ。 それは悔しいけど、ヒキタさんの言うように現実だ。 それでも、しょっちゅう思うよ。今、売れてるあの人は30過ぎまで頑張ったんだとか、あの人の最初のヒットは40歳目前の時だったとか。でも、そういう人はすごく少数派だよね。俺もなれるかも知れない。でもその確率はすっごく低い」
 「そうだな……」

 「うん。きざなことを言うと、俺、この都営アパートから旅を始めて、で、今日ここに帰ってきたんだ。 でも、まだ踏ん切りがつかない。12年間もやっていると、当たり前だけどその旅への愛着がある。ここまでやってきて今更やめられるかよって思う。俺も迷ってるんだ」
 「お前の歌の歌詞みたいだな」

 ケイイチローは頷いて笑った。
「そう、俺の歌みたい」
 屋上には相変わらず誰も現れなかった。時折突風が吹き、ブランコが音を立てて揺れた。
 ケイイチローは再び黙った。そして沈黙の後に立ち上がり、大きく伸びをするとこちらを振り返って言った。

 「ねえ、ヒキタさん。賭けない? そのウイスキーの瓶、まだ入ってるかどうか、覚えてないよね。俺も分からない。黒いから中身見えないしね。 その瓶にさ、まだ中身入ってたら、俺、たぶん見込み残ってるよ。もう少し旅を続けてみる権利発生だ。で、もし入ってなかったら、見込みないんだな。俺すっぱりあきらめる。それはそれで男らしいし。ね」

 かつてダルマと呼ばれたその黒い瓶は私の左に置いてあった。ずんぐりした形は、ケイイチローの分身に見えた。
 「ヒキタさん、どうぞ。よし、俺、覚悟したぜ」
 私は左手で瓶を取り上げると、金属のキャップを開けた。中で液体が揺れたような気もした。まったく空のような気もした。
 ケイイチローは紙コップを差し出した。

 私は瓶を傾けた。
かすかな手応えが伝わってきた。
琥珀色の液体が、コップの下に一センチほど溜まった。
私はケイイチローの顔を見た。なぜか私自身ほっとしていた。「あと1年、ってとこかな」
 ケイイチローは照れたように笑った。
(疋田智著「自転車ツーキニスト」知恵の森文庫 p265-274)

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──旅ってさ、終えるのが一番難しいんだと思うんだ。 旅の中から何かを発見するとかさ、その旅がその後の人生の中で生きて来るっていうのは絶対にあるけど、旅自体が目的となってしまったらどうなんだろうって。 そういうのを惰性って言わない? 惰性になってしまったら、旅は終えないといけないよね。──