学習通信060407
◎女らしくないボロの……

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 ロンドンの裁縫女工も全体として同じように残酷に、ただしいくらかもっと間接的に、搾取されている。

コルセットの製造に従事している娘たちは、つらい、苦しい、目を酷使する労働をし、そしてどれだけの賃金をうけとっているのだろうか? 私はそれは知らないけれども、請負人が自分に渡された材料を保証し、一人ひとりの裁縫女工に仕事を分けて、一個あたり一ペニー半、つまりプロイセンの一五ペニヒをうけとっていることは知っている。ここから彼の利益をさしひく。それは少なくとも半ペニーである──だからあわれな娘たちのポケットにはせいぜい一ペニーしかはいらない。ネクタイを縫っている娘たちは一六時間の労働を義務づけられており、週に四シリング半、つまりプロイセンの一ターレル半をうけとる。これはだいたい、ドイツでもっとも物価の高い町なら二〇ジルバーグロッシェンで買えるぐらいのものが買える程度である。

しかしもっとひどい状態にあるのはシャツを縫っている娘たちである。彼女たちはふつうのシャツで一ペニー半をもらう──以前は二ペンスないし三ペンスもらっていたのだが、ブルジョアジー急進派の管理機関が管理しているセント・バンクラス救貧院が、この仕事を一ペニー半でひきうけはじめてから、これらのあわれな娘たちもそうしなければならなくなったのである。飾りのついた上等のシャツは、一日に一八時間働いて仕上げられるのだが、これには六ペンス、つまり五ジルバーグロッシェンが支払われる。

これらの裁縫女工の賃金は、この点から考えても、また女工と請負人たちのさまざまな陳述から考えても、非常にきつい、夜中までつづく仕事であるのに、週ニシリング半か三シリングにしかならないのだ! そしてこの恥ずべき野蛮さをさらに完全なものに仕上げているのは、裁縫女工たちが自分たちにあずけられた材料の保証金の一部を供託しなければならないということである。

もちろん彼女たちは供託のためには──これは材料の所有者も知っていることだが──材料の一部を質にいれ、損をしてこれをうけだすか、あるいは材料を質からうけだすことができないときには、一八四三年一一月にある裁縫女工がしたように、治安判事のところへ出頭しなければならないか、このいずれかの方法しかない。このような不幸な目にあって、どうしたらよいのか分からなくなったあるあわれな娘は、一八四四年八月に運河に投身自殺した。

裁縫女工たちはふつう小さな屋根裏部屋で、きわめて貧しい生活をしている。そこでは一つの部屋につめこめるだけつめこまれたたくさんの娘がいっしょに暮らし、冬になると部屋にいる人の体温がほとんど唯一の暖房手段となる。その部屋で彼女たちは前かがみに座って仕事をし、朝四時か五時から夜中まで縫い、二、三年で健康を害し、必要最低限の必需品さえ手にいれることなく、早死にする(※)のである。

その一方で、彼女たちの窓の下を上流ブルジョアジーのきらびやかな儀装馬車が通過し、またおそらく一〇歩ほど先では、くだらない伊達男が、彼女たちが一年かかって稼ぐ以上の金を、一晩のうちにファロというトランプ賭博ですっているのだ。

※ トマス・フッドは現在のイギリスのすべてのユーモア作家のなかでもっとも才能があり、すべてのユーモア作家と同じように、人間的感情にあふれているが、精神的エネルギーにまったく欠けた人物である。彼は一八四四年のはじめ、裁縫女工の貧しさがあらゆる新聞でとりあげられていたときに、「シャツの歌」という美しい詩を発表した。これはブルジョアジーの娘たちの目から多くの同情の涙をさそったが、しかしそれはなんの役にも立たない涙だった。私はこの詩をここにのせる余裕はない。それはもとは『パンチ』紙に掲載され、それから次つぎと各紙に掲載された。裁縫女工の状態は当時あらゆる新聞で論評されたので、とくに引用する必要はない。

 以上がイギリスの工業プロレタリアートの状態である。どちらをむいても、いたるところで、ずっとつづいている、あるいは一時的な貧困、こういう状態や労働から生ずる病気、道徳的退廃が見られる。いたるところで、破滅や、肉体と精神の両面で人間性がゆっくりと、しかし確実に、くずれていくのが見られる。──こういう状態がいつまでもつづくということがありうるのだろうか?

 こういう状態はつづきえないし、つづかないであろう。国民の大多数を占める労働者がそれを望んでいない。彼らがこの状態についてなんといっているかを、見てみよう。
(エンゲルス著「イギリスにおける労働者階級の状態 下」新日本出版社 p38-41)

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シャツの歌

『パンチ』一八四三年クリスマス号に「シャツの歌」があらわれた。作者はトマス・フッド(一七九九〜一八四五)。夫の事故死にあい、二人の幼児を抱えて、苛酷な針仕事でこき使われるビデルという名の女の身の上に同情して書かれた詩である。フッドはすでに三つの新聞から断わられたあと、これを「採択するも紙くずにするもご随意に」という意味の文面とともに、『パンチ』編集長マーク・レモンのところへ送った。レモンは、スタッフの大多数の反対を押しきってこれを掲載、そのおかげで『パンチ』の売れ行きは三倍に上昇、フッドも不朽の名を残すことになった。以下、全一一連を訳出する。

疲れきって荒れた指先で、
 寝不足の赤いまぶたの
一人の女が坐り、女らしくないボロの身なりで、
 せっせと針を動かし針仕事──
  ひと針! ふた針! またひと針!
貧乏と飢えとよごれのなかで、
 いつも哀しい調子の歌ごえで
女は歌った「シャツの歌!」を

「働いて──働いて──働いて!
遠くで雄どりが鳴くときも、
 働いて──働いて──働いて、
星の光が破れた屋根から見えるまで!
これがキリスト教徒の仕事なら、
 女の魂が救われようのない、
むごいトルコ族とともにいて、
 ああ、奴隷になると同じこと!

「働いて──働いて──働いて
ついには頭がふらつき出し、
 働いて──働いて──働いて
ついには目が重くかすんでくる!
縫い目と、おくみと、細い帯と、
 バンドと、おくみと、縫い目と、
 ついにわたしはボタンのところでねてしまい、
夢でも休まずそれらをとりつける!

「ああ! かわいい姉妹をもつ方たち!
 ああ! 母や妻のある方たち!
あなた方がボロにするのは肌着ではなく、
 人という名の生き物の命です!
  ひと針──ふた針──またひと針、
 貧乏と飢えとよごれのなかで、
二重の糸で縫っているのは、
 シャツであり、また同時に経かたびら。

「でも何故わたしは死を語る!
 あのぞっとする骸骨の死神の
おぞましい姿がこわくはないが、
 それがわたしにそっくりなのは−
 それがわたしにそっくりなのは、
 わたしの飢餓生活のゆえ、
ああ! 神さま! パンがあんなにも高く、
 人の血肉がこんなにも安いとは!

「働いて──働いて──働いて!
 休みなく私の仕事はつづく、
で、実入りのほどは? わらのベッドに、
 ひと固まりのパン──そしてボロ着。
あの破れた屋根と──この裸のゆか、
 一個のテーブルに──こわれた椅子──
壁はまるでむき出し、せめてわたしの影が
 ときどきそこに映るのがありがたい!

「働いて──働いて──働いて!
鐘が鳴り、また次の鐘が鳴るまで、
 働いて──働いて──働いて──
囚人が罪のために働くように!
 バンド、おくみ、それから縫い目、
 縫い目、おくみ、そしてまたバンド、
そのうち胸が苦しく、頭がにぶり、
 疲れた手もにぶくなる。

「働いて──働いて──働いて
十二月にはにぶい明りのなかで、
 また働いて──働いて──働いて、
暖く明るい季節がくれば、
軒下に巣をつくるつばめたち
 巣につきよりそいながら
ぴかぴかの背中を見せびらかせて
 春とともにわたしをあざけるよう。

「ああ! あの高い空の下で
青草を踏みしめながら、
カウスリップやさくら草の甘い香りを
 ほんの一息吸えたなら──
貧困の悲哀を知らず
 食い上げの心配もせず歩きまわれた
あの頃に感じた気持を
 ほんのひととき味わえたら!

「ああ、ほんのひとときの!
 たとえ束(つか)のまの息抜きでも!
恋や希望のための幸せなゆとりではなく、
 ただ悲しむためのひとときが!
少し泣けば心もなごみそう、
 でもまぶたの奥に
涙をせきとめなくては、涙の滴は
 針の運びの邪魔になる!

疲れきって荒れた指先で、
 寝不足の赤いまぶたの
一人の女が坐り、女らしくないボロの身なりで、
 せっせと針を動かし針仕事──
  ひと針! ふた針! またひと針!
貧乏と飢えとよごれのなかで、
 いつも哀しい調子の歌ごえで
 女は歌った「シャツの歌!」を
(「『パンチ』素描集」岩波文庫 p22-29)

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◎「いたるところで、破滅や、肉体と精神の両面で人間性がゆっくりと、しかし確実に、くずれていくのが見られる。──こういう状態がいつまでもつづくということがありうるのだろうか?」と。