学習通信060403
◎ムチ音の代わりに飢餓……
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ブルジョアジーの御婦人たちを飾りたてるためのまさにその商品の製造が、それにたずさわっている労働者の健康にたいして悲惨きわまる結果と結びついているというのは、特徴的なことである。このようなことは、先にレース製造業について見たところだが、いままた、ロンドンの女性装身具店がこの結びつきの事例となる。
これらの店は多くの若い女性──全部で一万五〇〇〇人といわれる──を雇っているが、彼女たちは食事つきで住みこみ、たいてい農村の出身で雇主の完全な奴隷となっている。一年に約四ヵ月つづく流行のシーズンには、一流の商店でさえ、労働時間は一日一五時間で、いそぎの仕事があると一八時間になる。しかし、たいていの店では、こういう期間中はまったく労働時間の定めなく働かされ、そのため、娘たちは二四時間のうち、六時間か、しばしば三、四時間、それどころか、ときにはわずか二時間しか、休息や睡眠にあてる時間はない。
彼女たちは、しょっちゅう徹夜で働かなければならないのだが、そうでないときでも一九時間から一二時間も働かされるのである! 彼女たちの労働の唯一の制限は、これ以上一分間も針をすすめることは絶対に肉体的に不可能になるということである。
これらのまったく頼るものない生きものたちが九日間も服をぬぐこともなく、ときどき、ほんのわずかのあいだマットレスの上で休んだだけという事例や、できるだけ短い時間にのみこめるように、食物をこまかくきざんで食べさせたという事例もある。
つまり、これらの不幸な娘たちは、奴隷用の精神的な鞭──首切りというおどし──によって、頑健な男でも耐えられないような、まして一四歳から二〇歳というかよわい娘にはとても耐えられないような、絶え間なくつづく労働をさせられているのである。
それに加えて、作業室や同じくまた寝室の湿った空気、かがんだ姿勢、しばしばまずくて消化の悪い食事──これらすべてのことが、とくに長時間労働と戸外の空気にふれられないことが、娘たちの健康にきわめて悲惨な結果をもたらしている。
疲労と無気力、虚弱、食欲不振、肩・背中・腰の痛み、とくに頭痛がすぐおこる。さらに脊椎の湾曲、高くつきだした変形した肩、やせおとろえた身体、はれあがり、涙がとまらず、痛みがあってすぐ近眼になってしまう目、咳、呼吸困難と息ぎれおよびあらゆる女性の思春期病が生ずる。
目は多くの場合ひどくいためられ、失明して治療不可能となったり、眼球組織が完全に破壊されたりする。そして仕事をつづけられる程度に視力は残ったとしても、肺結核がこれら装身具製造女工の短いあわれな生涯を終わらせるのがふつうである。
この仕事をかなり早くやめた人の場合でも、身体の健康は永久に破壊されていて、体力は回復しない。彼女たちはいつも、とくに結婚すると、衰弱し病気がちになり、病弱な子どもを生む。(児童雇用委員会の)委員から質問をうけた医師たちは全員、これほど健康を害し、早死にをまねくような生活様式は、ほかには見られないと、一致してのべている。
(エンゲルス著「イギリスにおける労働者階級の状態 下」新日本出版社 p37-38)
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一八六三年六月の最後の週、ロンドンのすべての日刊新聞は「単なる過度労働からの死」という「センセーショナル」な見出しをつけた一文を掲載した。話題になったのは、非常に声望のある宮廷用婦人服仕立所で仕事をしていて、エリーズという感じのよい名前の婦人に搾取されていたメアリー・アン・ウォークリーという二〇歳の婦人服仕立女工の死亡のことであった。
しばしば語られた古い物語が、いままた新たに発見されたのであって、これらの娘たちは平均して一六時間半、しかし社交季節にはしばしば三〇時間も休みなしに労働し「労働力」が思うように動かなくなると、ときおりシェリー酒やポートワインやコーヒーを与えて動くようにしておくというのである。
ところで、時はまさに社交季節の最中であった。新たに輸入されたイギリス皇太子妃〔のちのエドワード七世に一八六三年三月に嫁いだデンマーク王女アレクサンドラ〕の祝賀舞踏会用の貴婦人たちの豪華なドレスをあっと言う間に仕上げるという魔法が必要であった。メアリー・アン・ウォークリーは、他の六〇人の娘たちと一緒に、必要な空気容積のほとんど1/3もない一室で三〇人ずつとなって、二六時間半も休みなく労働し、他方、夜は、一つの寝室をさまざまな板の仕切りで仕切った息詰まる穴の一つのなかで、一つのベッドに二人ずつで寝た。
しかもこれは、ロンドンの婦人服仕立屋のなかでは比較的よい方であった。メアリー・アン・ウォークリーは金曜日に病気になり、エリーズ夫人のおどろいたことには、そのまえに縫いかけの婦人服の最後の仕上げさえもせずに、日曜日に死んだ。あまりにも遅く死の床に呼ばれた医師キーズ氏は、「検屍官審問陪審=vで、率直に証言した──
「メアリー・アン・ウォークリーは過密な作業室における長時間労働と、狭すぎる換気不良の寝室とのために死んだ」と。これにたいして、「検屍官審問陪審=vは、この医師に礼儀作法について教えをたれるために、〔評決のなかで〕次のように言明した──
「死亡者は脳卒中で死んだのであるが、彼女の死が過密な作業場における過度労働などによって早められたものと懸念される理由がある」と。
わが「白人奴隷は」と自由貿易主義者諸公コブデンおよびブライトの機関紙『モーニング・スター』は叫んだ、「わが白人奴隷は墓場に入りゆくまで苦役させられ、音もなくなえ果てて死にゆく」と。
注……
(八九) 衛生局≠ノ勤務している医師レサビー氏は、当時次のように言明している──「成人にとっての最小限の空気は、寝室で三〇〇立方フィート、居室で五〇〇立方フィートでなければならない」と。
ロンドンのある病院の医長リチャードスン博士は次のように述べている──「あらゆる種類の裁縫女工、すなわち婦人服仕立女工、衣服仕立女工、および普通の針子は、三重の不幸に悩まされている──過度労働、空気欠乏、栄養不足または消化不良に。
概してこの種の労働はどんな事情のもとでも男子よりは女子に適している。しかし、この事業の弊害は、とくに首都では、それが二六人ほどの資本家によって独占され、彼らが資本から生ずる権力手段を使って労働から節約をしぼり取ること」(彼の言う意味は、労働力の浪費によって出費を節約するということ)「である。彼らの権力は、この女工たちの階級全体にわたって感じられている。ある衣服仕立女工がわずかな数の顧客の人たちでも獲得できれば、彼女は、競争上、自宅で死ぬほど働いて顧客たちを維持せざるをえないのであり、さらにこの同じ過度労働を、自分の助手たちにもどうしてもやらせなければならなくなる。
彼女が事業に失敗するか、または独立して身を立てることができなければ、彼女は、労働は少なくなりはしないが支払いは確実となる店にたのみ込む。そういう立場に身をおけば、彼女はまったくの女奴隷になり、社会の波浪によってほんろうされる。
あるときは自宅の小さな一室で飢えに苦しめられるか、またはそれに近い状態にあり、次にはふたたび、一日二四時間のうち一五、一六時間、それどころか一八時間も、ほとんどがまんしきれない空気のなかで、しかも新鮮な空気がないために質のよいものでも消化されえない食物をとりながら仕事をする。肺結核とは、これらの犠牲者を食って生きているものであって、それは〔不良〕空気の病気以外のなにものでもない」(リチャードスン博士「労働と過度労働」。所収、『社会科学評論』、一八六三年七月一八日号)。
(90)「モーニング・スター」、一八六三年六月二三日付。『タイムズ』紙は、ブライトらに反対してアメリカの奴隷所有者を弁護するためにこの事件を利用した。それは次のように言う──「われわれのきわめて多くの者の考えでは、われわれ自身の若い婦人たちをぴしりというムチ音の代わりに飢餓という笞で死ぬまで働かせている限り、生まれながらに奴隷所有者であって、自分たちの奴隷を少なくとも立派に養い、ほどほどに働かせている家柄の者たちにたいし、砲火と剣を向けよとそそのかす権利は、われわれにはあまりない」(『タイムズ』、一八六三年七月二日付)。
同じやり方でトーリー党の機関紙『スタンダード』は、ニューマン・ホール師を次のように罵倒している──「彼は奴隷所有者たちを破門しているとのことであるが、ロンドンの御者や乗合馬車の車掌などを犬なみの賃銀で一日一六時間も働かせている立派な人々と一緒にお祈りしているのである」。
最後に、トマス・カーライル氏がご託宜をならべたが、彼については私はすでに一八五〇年に「天才はだめになり、崇拝が残っている」と書いた。彼は、一つの短いたとえ話のなかで、現代史の唯一の大事件であるアメリカの南北戦争が、つまるところは、次のようなことだとしている──すなわち、北部のピーターは南部のポールの頭蓋を全力を込めて打ちくだこうと欲しているのであるが、その理由は、北部のピーターがその労働者を「日ぎめで」雇っているのに、南部のポールがそれを「一生涯雇っている」からだというのである(「クルミの殼のなかのアメリカのイリアス」、『マクミランズ・マガジン』、一八六三年八月号〔三〇一ページ〕)。こうして、都市の──農村のでは断じてない──賃労働者にたいするトーリー党の同情の気泡はついにはじけ散ってしまった。この同情の核心は──すなわち奴隷制である!
(マルクス著「資本論A」新日本新書 p435-438)
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◎「ブルジョアジーの御婦人たちを飾りたてるためのまさにその商品の製造が、それにたずさわっている労働者の健康にたいして悲惨きわまる結果と結びついているというのは、特徴的なこと」と。