学習通信060222
◎社会秩序が敵意にみちたもの……

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明治二十年にひらかれた鉄工の集会

 日本の資本主義が本格的にスタートを切ったのは、約一〇〇年前の明治維新(一八六八年)からだ。したがって、日本の労働者階級もすでに一世紀の歴史をもっている。資本主義が発展するにつれて、労働者は、頭数が多いという特徴をよりどころに、団結して賃金、労働時間その他の労働条件を改善し、生活と権利をまもるためにたたかう必要に気づきはじめた。こうして労働組合運動がはじまった。

 一八八七(明治二十)年二月二十四日という日付まであきらかにされているが、東京両国の井生(いぶ)村楼に会場を借りて、鉄工(機械金属労働者)の集会がひらかれた。徳川時代末期からの親方的な熟練工小沢弁蔵、その弟の国太郎、相田吉五郎などが中心になって、組合結成の準備会を招集したのである。

はじめは、もの知りの新聞記者の講演を聞いて、まじめに討論していたが、そのうちに会場でバクチがはじまり、相談どころではなくなった。そして散会後、一同つれだって遊郭にくりこんだ。なかには三日も四日も居つづけして家に帰らなかった者も少なくなかったらしい。小沢たちが第二回の準備会を呼びかけたところが、おかみさんたちが妨害して流会してしまったという。労働組合は家庭の平和をみだすものだ、と反対したわけである。

 つくり話のように聞こえるかもしれないが、この話は片山潜・西川光二郎共著『日本の労働運動』というまじめな本に書かれていることだから信用していいだろう(明治三十四年刊、現在岩波文庫にもおさめられている)。このエピソードからわかることは、当時、まだ労働者は飲む、打つ、買う≠フ三拍子そろった職人かたぎからぬけ出していなくて、階級的自覚をもつ近代的労働者にまで成長していなかったということだ。日本で今日のような労働組合運動がはじまったのは、一八九七(明治三十)年からである。

 日清戦争(一八九四─九五年)とその勝利は、資本主義の発展に強い刺激をあたえ、この時期に日本は本格的な資本主義国になった。それにともなって労働者の数がふえ、ストライキも各地でおこるようになった。このような新しい情勢をふまえて、労働組合の組織活動がはじまった。最初のオルグとなったのは、高野房太郎(英字新聞記者)、片山潜、沢田半之助(洋服仕立工)、城常太郎(靴工)などであった。彼らはいずれも、アメリカで労働したり、アルバイト学生として苦学したりするうちに、労働組合運動に関心をもち、帰国して、いまこそ日本でも労働組合が必要な時期だ、と立ちあがったのである。彼らは、一八九七年四月に「職工諸君に寄す」と題するくわしいアピールを発表して、組合の結成を呼びかけた。

 この年七月五日に、会員三十余名で労働組合期成会が結成され、それが母体になって、鉄工組合(はじめは組合員一、一八四名、最盛時には五、四〇〇名)や鉄道機関士の日本鉄道矯正会、さらに印刷労者の活版工組合などがつぎつぎに結成された。また片山潜が主筆(編集長)になって、わが国最初の労働運動の機関紙『労働世界』が、「労働は神聖なり」「団結は勢力なり」のスローガンをかかげて創刊された。
(塩田庄兵衛著「歴史の道しるべ」新日本出版社 p111-113)

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 これらのことや、のちにのべるつもりだが、そこから生ずる労働者の社会的活動は、この階級の性格のよい面である。悪い面も同じようにすぐまとめられるし、これまでのべてきた原因から当然生じてくるものである。

飲酒癖、無規律な性交、粗暴さ、財産にたいする尊重の気持が欠けていることが、ブルジョアが労働者を非難するおもな点である。労働者が深酒をするというのはそのとおりである。

──略────

イギリスの労働者のあいだにひろがっている飲酒癖を自分自身で見た人なら、この階級が毎年二五〇〇万ポンド・スターリングをアルコール飲料のために支出しているというアシュリ卿の主張を、そのとおりだと思うだろう。

そしてそのために、どれほど境遇が悪化し、精神的肉体的健康がどんなに恐ろしく害され、家庭環境がすべてどんなに破壊されているかは、誰でも容易に想像できることである。──略──

 アルコール飲料を楽しむという点でしまりがないのとならんで、性交においても無秩序なことが、多くのイギリスの労働者のおもな悪習となっている。

これもまた、労働者階級がまったく放任されていながら、この自由を適切に利用する手段を持っていないという状態にあるために、不可避的に生じる結果であり、絶対的に必然的に生ずるのである。

ブルジョアジーは労働者に多くの苦労と悩みをおしつけながら、この二つの楽しみしかゆるさなかった。そしてその結果、労働者は、生活のなかからやはりなにかをえようとしてこの二つの楽しみにすべての情熱を集中し、無茶苦茶に、無秩序にこれにふけるのである。

もし人が動物的な状態におかれるなら、これに反抗するか、あるいはけだもののようになってしまう以外に道はない。

さらにブルジョアジー自身が売春を直接に奨励するうえでそれなりの役割をはたしているとすれば──毎晩ロンドンの街路にあふれている四万人の売春婦のうち、品行方正なブルジョアジーに頼って暮らしているものが、どんなにたくさんいることだろうか?──ブルジョアの誘惑にひっかかったために、生きるためにその肉体を通行人に売らなければならなくなったものが、彼女たちのうちに、どんなにたくさんいることだろうか?──だからブルジョアジーには、労働者の性行為がけだもののように乱れていることを非難する権利は、まったくないのである。

 労働者の欠点は、一般にすべて享楽欲に自制心がなく、先見の明に欠け、社会秩序に服しようとしないこと、一般に、将来の利益のために目先の享楽を犠牲にするということができない点にある。

しかし、どうしてこれが不思議なことだろうか?

きびしい労働にたいして、わずかな、きわめて官能的な享楽しか買うことのできない階級が、こういう享楽にふけってはならないのだろうか?

だれも自分たちの教育の面倒を見てくれず、まったく偶然のままに左右され、生活状態の安定など全然知らない階級が、どういうわけで、またなんのために、先見の明をはたらかせ、「堅実な」生活を送り、目先の幸運を生かして利益をうる代わりに、彼らにとって、また絶えず動揺し変動している彼らの地位にとって、きわめて不確実な、遠い将来の享楽のことを考えなければならないのだろうか?

社会秩序の利益をうけることなく、その欠陥をすべて負わされている階級、この社会秩序が敵意にみちたものとしか思えない階級にたいして、それでもなお、社会秩序を尊重せよと要求するのか。

それはまことに過大な要求である。しかし労働者階級はこの社会秩序が存在するかぎり、そこからのがれることはできない。そして労働者が個人でそれに反抗するならば、最大の損害が彼にふりかかる。社会秩序は労働者の家庭生活をほとんど不可能にしている。
(エンゲルス著「イギリスにおける労働者階級の状態 上」新日本出版社 p192-196)

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労働者階級はこの社会秩序が存在するかぎり、そこからのがれることはできない。そして労働者が個人でそれに反抗するならば、最大の損害が彼にふりかかる。社会秩序は労働者の家庭生活をほとんど不可能にしている。