学習通信060214
◎大きな不都合で……
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言語と思考の関係
子どもがその年齢なりに、自分の頭で考えることのできる子となるためには、子どもの言語に生活経験の裏づけが必要です。あの大きな白いイヌ、この小さな茶色のイヌ、その毛むくじゃらの黒いのもイヌと多くのイヌを見てこそ共通点(共通点とは抽象的なものです)を知ります。そしてオオカミとイヌとの相違点をとらえた子どもだけが、『イヌとオオカミとどっちがつよいか』と考えることができます。
数でもそうです。現実にあるのは五本の指、三個のつみ木、二枚の紙という具体物です。またおやつのときには、『この小さい、まるいアメは五つずつ。このギザギザのあるビスケットは二枚ずつね』と毎日いろいろの具体物にふれます。そういう経験ののちに、数というものは形とは関係ない、ゾウでもアリでも、大きさとも関係ないということをつかみ、5、4、3……を抽象思考しうるようになります。具体的な色や形(感覚や知覚)にひっかからないで5十3は……と計算できるようになる基礎ができるのです。
よく親はあせって、これらの基礎をぬきにして暗記だけさせます。子どもの頭脳はよくそれに適応し、一時期でみれば頭も成績もよいように見えます。しかしそういう子は先へすすむにつれて基礎的な力のあるものに追い抜かれてしまいます。
子どもにとっては、自然や具体物の世界にふれることがしだいに困難になってきている時代にあっては、これを補うためにも、社会的な(みんなの力でつくった)保育施設、つまり幼稚園や保育園に入園させる意義がいっそう大きくなってきます。だから園や学校の低学年ほどつめこみ教育でなく、生活経験を大事にする方針をとらなければならないのです。
さらに子どもは集団の中では、自分の角度から思考したものが、友だちの角度からでは異ることを知っていきます。つまり思考の分化と高度化が促されていきます。
四歳児の会話
ひろし……ことしもサンタクロースくる?
保母……ええ 来るわよ。
ひろし……サンタクロースってさ どろぼうみたいよな だって ひとのうちへ だまって はいってきてさ
はまお……でも ちょっとちがうよ どろぼうは もっていくし サンタクロースは おいていってくれるもんね
(近藤、好永、橋本、天野「子どものしつけ百話」新日本新書 p72-73)
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時期が来ないのに、子どもにいそいで話をさせようとすることから生じるもっとも大きな弊害は、子どもにしてやる最初の話や子どもが語る最初のことばが、子どもにとってなんの意味もないものになるということではなく、わたしたちの意味とはちがった意味をそのことばがもつことになり、しかもわたしたちがそれに気がつかないでいるということだ。
そこで、たいへん正確な返事をしてるようにみえながら、子どもはわたしたちを理解せず、わたしたちも子どもを理解しないで話をしていることになる。
一般的にいって、こういうあいまいさからわたしたちはときどき子どもの言うことに驚かされるのだ。
そのことばにわたしたちがあたえている観念を子どもはそれに結びつけていないのだ。
子どもにとってことばがもっているほんとうの意味にわたしたちが注意をはらわないこと、これが子どもの最初のまちがいの原因になるものと思われる。
そしてこういうまちがいは、子どもがそれを改めてからも、一生のあいだかれらの考えかたに影響をおよぼす。わたしは今後も一度ならず、例をあげてこのことを説明する機会をもつだろう。
したがって、子どもの語彙はできるだけ少なくするがいい。観念よりも多くのことばを知っているというのは、考えられることよりも多くのことがしゃべれるというのは、ひじょうに大きな不都合である。
都会の人にくらべて一般に農民がいっそう正しい精神の持ち主である理由の一つは、かれらの語彙がかぎられていることにあると思う。かれらはそれほど多くの観念をもってはいないが、それらの観念をひじょうによく比較することができる。
(ルソー著「エミール 上」岩波文庫 p95)
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◎「自分の頭で考えることのできる子となるためには、子どもの言語に生活経験の裏づけが必要」と。