学習通信060201
◎自分と相手の問に橋を架ける……
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組合員の心をとらえるために
組合員の心をどうとらえるかについて、問題提起をします。組合員の心をとらえないで、いくら教条的な話をしても、わかってくれません。
選別せず、日常的に組合員との接点を広く
組合員のなかには、虫の好かない人、嫌いな人もいるでしょうが、幹部はそれを選別して接してはいけません。指導部の立場として、虫の好く好かないで選別せず、平等につき合っていくなかで、日常的に組合員との接点をひろげていただきたいと思います。
〈あいさつ〉
みなさんもいろいろ考えているでしょうが、私はこういうことをやっています。
朝、会社にいくと、会う人に「おはようございます」とか「おはよう」と声をかけ、目を見てあいさつをします。最近では、私と会うと、向こうからあいさつをする人もたくさんいます。毎日その人の目を見てあいさつしていると、その人の態度が変わるとすぐわかります。
先ほどものべた組織問題が起きたとき、私と意見を異にする人が何人かいましたが、やはり気まずそうな顔をしています。私はいつも通りやっていました。毎日毎日やっていると、この人は今日、職場で何かあったな、とか、家で何かあったのかな、とかがだいたい見当つきます。顔色が悪いと、「どうした、どこか悪いのか」とか、「何か心配ごとがあるのか」と話しかけます。ですから、あいさつをまずすることです。
労働組合の幹部にとって、全組合員に目を注ぐあいさつというのは有効で、組合員との接点をひろげる一つです。
〈会社のサークル〉
もう一つ私が重要だなと思うことは、趣味と実益を兼ねた会社のサークルです。
私は三年前にゴルフを始めました。ゴルフをやりたくてはじめたというわけではなく、近所のおじいさんが「これでやりなさい」とわざわざクラブを買ってきてくれて、それでやらざるをえなくなり、網のところでクラブを振ったら面白かったんで会社のサークルに入りました。
リオンは七五〇人位社員がいて、そのうち約六〇〇人位の男の従業員のうち、半分以上がゴルフをやっています。ゴルフ部員だけで一〇〇人です。
どういうわけか、私がゴルフをやるとはみんな思っていなかったらしく、私がゴルフ部に入ったときはみんな驚いたようです。最初は、「お前、ゴルフは反対じゃないのか」とか、「なぜお前がやるんだ」などといっていたのですが、やっているうちに、委員長がゴルフをやるということで、えらく歓迎してくれました。ゴルフをやれば、当然そういう趣味をもった人たちとの接点もできます。
それから、写真部にも入っています。部員は五〇人位です。八九年の暮、私は社内のコンテストで総合優勝しました。朝、会社にいくとばらばらと集まってきて、「委員長、すごいなあ、いつ撮ったんだよ」とか、「あれはどこだよ」などと、話題になりました。「委員長は忙しいのに、どこで撮るのか」とか、「ゴルフはどこで練習しているのか」というような話題もひろがり接点が強まったりします。
私は、サークルに入っているのは、組合活動の一環として入っている気持ちはまったくありませんが、結果として、このことを通じて組合員との接点もひろがり、強まりました。やはり組合の幹部はサークルでも「のみ屋」でも、進んで組合員との接点をひろげ、強める努力が必要です。そうしたなかで、より深く組合員の心をとらえることができるのではないでしょうか。
相手の立場(生いたち、生活環境)を大切に
組合員の心をとらえるという点で、私は、労働運動は浪花節だと、一面そういう位置づけをしています。浪花節というのは、浪曲師がベンベンベンとやって、お涙頂戴というイメージがありますが、涙を流して説得しろというのではなく、その中身の問題です。
組合員を組合に結集させるためには、まず、その組合員の心をつかむことが大事だということです。
浪花節で、たとえば「旅行けばー」とまず情景などの説明から入り、知らずしらずのうちにその物語りの中にひきこまれていって感動するわけです。
いいかえれば、私たちの心を揺り動かし感動を与えるのではないでしょうか。心をとらえるということは、いかに相手の心を揺り動かすかということが重要なのです。
そういう意味から、私たちが組合員と接するとき、相手の生い立ちをよく聞いたり、生活環境や労働環境をよく聞くことも重要です。話し上手は聞き上手といいますが、相手の話をよく聞きながら、相手の立場を尊重して、揺り動かすような話と接し方が組合員の心をとらえるうえで大切なことです。
説得=共感と納得
説得をする、とよくいいますが、私は、説得は共感と納得なんだ、と思っています。納得のなかに共感が入るのではないかとも思ったのですが、あえて共感を強調したいのです。自然科学では「一たす一は二だ」ということは誰にもわかりますが、しかし人間関係では「お前のいうことはわかるけどいやだよ、まだ行動に参加しないよ」ということがあります。
一たす一は二だ、そして、同時にお前のその態度や、お前のいっている熱意や情熱、人柄に、非常に共感して、「そうか、じやあ」ということになると思います。理屈だけではありません。そういうわけで、私は説得は心をつかまえることであり、納得と共感を得ることだと思います。
心をつかんで組合員を高めていくことだと思います。
〈情勢分析をして聞かせる〉
それから、結論だけをいうのではなく、情勢分析をよくして、世の中はこうこうこうなっているし、会社はこうなんだよ、そして、自分たちの生活はこうなんだ、という話をして、「だからこうなんだよ」というふうにもっていく必要があります。
これは、私たちが職場集会で話をするときも同じです。同じ環境にいるのだから組合員も、状況はわかっているだろう、などと考えてはぶいたりせずに、幹部は情勢分析をしてみせることです。
〈思考の経過を話す〉
それから、思考の経過を話してから、結論を出すことです。こういうふうに考えて、こういうふうになって、こういう結論になるんだよ。こうこうこうだろう。こういうことでこうなるだろう。相手はこう考えるので、こういくんだよ。というふうに、思考の経過を大事にしていくことだと思います。
〈誠心誠意と情熱〉
また、誠心誠意情熱をもって、話さなくてはなりません。職場集会でも個人を説得するときでも、そのことが重要です。下を向いてぼそぼそやっていては、相手の心はつかめません。
〈百聞は一見に如かず〉
「百聞は一見に如(し)かず」ということがありますが、順番制でも何でもいいですから、「デモに一回出てくれ」ということで誘うことです。実際に出てみると、労働者の大きな団結の力を肌で感じて、感動し意識が変わってきます。また、順番でも何でもいいですから「学習会にいってくれ」と誘い、いって話を聞いてきた人たちは、何かをつかんできます。そのことが重要です。
もちろん、説得して、納得したうえでいってもらうのが一番いいのですが、私は、説得できなくても、百聞は一見に如かずで、順番などでも参加するということを重視したいと思います。
青年の心をどうとらえればよいか
若い人がつかめない、という点ですが、こういうことをいう人がいます。
「戦後日本の生活環境で一番大きな変化は何かというと、子供たちが個室を持ったことである。昔は両親と一緒に食事し、寝たり、部屋の隅で勉強した」というものです。
そういう変化のなかで、タテ線の系列を嫌う──先生と生徒、親と子、上司と郡下というふうで、組合もつかめないが会社もなかなかつかめないということです。それも一理あるなと思います。
彼らは、横の関係を非常に重視しています。それは会社でいうと同期生です。一緒に帰るので、早く仲よくなります。同期会や同好会では、彼らは非常に活発です。そういう点も見ておく必要があります。
もう一つは、委員長が若い人たちと話してみたことがあるか、どうかです。どこでつまずいているか、もしかすると、お前ああしろ、こうしろと、タテの線でつめているのではないか、ということです。
だから、先ほど、向こうの影響ということがありましたが、若い人たちにたいして、組合の委員長や書記長が、幹部と組合員との関係ではなく、日常的な話をアダ名で呼ばれながらやっていくことが、もっと大事ではないでしょうか。要するに、若い人たちの心を、もっともっとつかむことだと思います。
例えばリオンの組合執行部は現在定員一一人のうち、二〇代が四人、三〇代が四人、四〇代が三人という構成になっています。
二〇代の若い人たちも、生活のことは真剣に考えています。私は、そこのところに確信を持つべきだと思います。
生いたちを話したりしながら共通の基盤にたって仲間として話を聞いてやること、その努力を積み重ねていくことが、非常に重要だと思います。
いろいろなケースがあって、いちがいにはいえないでしょうが、自分で創意をこらして、一八歳の心をつかもうということで努力することが、大事だと思います。
組合員の教育、学習、宣伝活動の重要性
組合の機関として、学習をする、教育をする、宜伝をするということは、労働者の意識を高めるうえで、重要な活動です。
最近の「夕刊フジ」とか「日刊ゲンダイ」は、見出しで勝負になっています。四行位の見出しが並んでいて、それで勝負しているわけです。「フォーカス」も写真と見出しで勝負です。写真と見出しで、中身は大体わかります。
そういう点で、私たちも絶えず研究する必要があると思っています。
組合が門前でまく朝ビラも、更衣室にいくまでが勝負だといわれています。そこにいくまでに見出しをさっと見て、本人が読みたくなれば、ポケットにしまってあとから読もうということになります。だから、そういう気になるようなビラをつくる必要があります。
(JMIU編「労働組合を強く大きくするために」学習の友社 p65-70)
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7つの用件で想いは伝わる!
いきなりですが、「字宙人発見」のニュース、あなたは何で見たら信じますか?
1 東スポ
2 インターネット
3 フジテレビ「笑っていいとも!」を見ていたら、字幕のニュース速報が出た。
4 NHK7時のニュース
5 朝日新聞が号外を出した。
いかがですか? おかしくはありませんか?
言っていることは「宇宙人発見」の5文字、どれもまったく同じ。ところが、どのメディアが言うかによってヽあなたに与える印象はガラリと変わります。
人間も同じ、「何を言うかより、だれが言うか」です。
相手から自分はどう見られていますか?
同じことを言っても、あなたが言うのと、他の人が言うのとでは、印象がまるで違います。人間もメッセージを伝えるメディア(=媒介)だとすれば、ものを伝える最初の要件はこれではないでしょうか。
伝わる要件@ 自分のメディア力を高める
「自分のメディアカ」とは、他人から見たときの、自分の信頼性や影響力です。
あなたはふだん、人からどんな人間だと思われていますか?
あなたのことを、「いつも信頼できる、役立つ話をしてくれる人だ」と思っている相手なら、あなたが口を開いたとたん、「あ、何かいいことを言うぞ!」と聞き耳を立ててくれるでしょう。そういう状況なら、あなたの想いも、よく伝わります。
逆に、あなたのことを「口を開けば小言ばかり」と思っている相手なら、あなたがせっかくいいことを言おうとしても、マイナスのフィルターをかけて聞かれるかもしれません。もしも、相手から疑われているとしたら、何を言っても、どう言ってもダメ。信頼回復が先です。
自分の想いを誤解なく伝えるためには、日ごろから、人との関わりを通して、自分という人間の信頼性をコツコツと築いていくことが有効です。自分のフィールドで、聞いてもらいたいことを聞いてもらえるだけのメディア力がついてくれば、あなたの想いははやく、広く、ずっと自由に届くはずです。
この「想いが通じる! コミュニケーションレッスン」では、4回にわたって、あなたの想いを伝え、望む状況を切り拓いていくためのコミュニケーション技術をつかんでいきます。
一回目の今日は、想いが伝わる「7つの要件」を押さえていきたいと思います。7つの要件は、ものを伝えるときに、あるいは、日々のコミュニケーションでつまずいたときに、突破口になるものばかりです。
たとえば、1つ目の要件「メディア力」。伝える前に、相手から見たとき、自分の信頼性や影響力はどれくらいかをチェックしてみる。そこで、「自分はまだメディア力がない」というときでも大丈夫。それを知っていればなんとかなります。説得材料を多く準備したり、冒頭の自己紹介やあいさつを工夫して、まず自分という人問への信頼や共感を高め、それから話しはじめれば、言葉はずっとスムーズに届きます。
どうしても自分ではダメだと思うとき、「では、だれが言えば伝わるか?」と考えて、相手が信頼している人に語らせるという奥の手だってあります。
コミニュケーションは、自分と相手の問に橋を架けるような行為です。
(「NHK日本語なるほど塾 〇五年4/5月」日本放送出版協会 p8-11)
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──君が僕を愛してくれるなら、僕も君を愛してもよい、これでは恋愛はなりたたないのと同じように、君たちが僕を信頼してくれるなら僕も信頼しようでは、仲間の信頼を得ることはできません。まず仲間を信頼するという立場にたつ、これが基本です。ところが仲間を信頼するということは、何もイワシの頭も信心などという非科学的なことではありません。
私たちの信頼という言葉の中身には、次の三つのことが含まれていなければなりません。
まず第一に、私たちが仲間を信頼するというのは、要求をもたない人間は一人もいないということを理解することです。資本主義社会で生活し、そしてたたかっているすべての人びと、資本によるあくどい搾取と抑圧にさらされている労働者であれば、要求をもたない人間など一人もいないはずです。
ただ日常会話のなかで自分は要求なんかないという人もいますが、ほんとうはその人自身がまだその要求に気づいていないか、もしくはあきらめているだけで、どんな人でももっと賃金がほしいとか、もっと労働時間が短ければよいというような要求からはじまって、社会保障とか、子どもの教育とか、生活環境など生きているかぎり大きな要求、小さな要求、目に見える要求、見えない要求さまざまな要求をもっているはずです。
要求をもたない人間はいない。これはけっして主観的な判断ではなく、客観的な事実なんです。認めるとか、認めないとかの問題でなくて、現実の客観的な事実なんです。いくら現象的には反動的な言動をするような仲間であっても、彼が労働者階級の一員であり、搾取され支配されながら生きている以上、要求をもたないなどということはありえないことなのです。ここに共通の土台があるのであって、仲間と仲間の共通のふれあいの基盤というものを確認することが、決定的に重要です。これが出発点です。
仲間を信頼するということの二つ目は、階級的な利害が一致している、立場がいっしょだということを理解することです。
仲間は労働者階級の場合もあれば、農民、勤労市民の場合もあり、いずれにしても日本の独占資本とアメリカ帝国主義によって搾取され支配されているという点では、まったく共通の立場におかれています。
たとえ現在の瞬間にどんなに意見がするどく対立し食い違っていようとも、階級的な立場は同じなんです。意見が食い違うというのは避けがたい。それぞれがおかれている環境の違いや階級意識の発展段階の違いなどさまざまな違いがある以上、意見がまったくはじめから終わりまで一致している人間なんてあるはずがありません。
マルクスの「その時代の支配的な思想は支配階級のイデオロギーである」という有名な言葉があります。物質的な生産手段をにぎっている階級がイデオロギー、つまり社会的な思想や意識まで支配するというわけです。
それは広範な勤労者のおかれている生活の実際の姿を考えただけでも明らかです。きつい労働、きびしい生活環境のなかでは、なかなか学習することはできません。勉強は学校だけで十分だ、これからはのびのびやろう、ということで競馬場に通っている仲間もいれば競輪場に通っている仲間もいるなどと、いろいろあるでしょう。
しかし、その仲間たちを見る場合、「ああおくれたやつだ」「はしにも棒にもかからんやつだ」というふうに仲間を見ると、活動の意欲も何もなくなってしまうでしょう。これでは、自分自身の側にかこいをつくることになるわけです。そういう考えを克服する、そうして彼と私とは深いところでは階級的な立場が一致している、基盤が共通しているんだということを確認する、そうするとよしやって見ようという勇気がわいてくるはずです。
さて仲間を信頼するということの三つ目は、歴史をつくるのは誰かという問題を正しく理解することです。歴史をつくるのはすぐれた軍事科学者や英雄ではなくて、幾百千万の勤労大衆、「名もなく貧しく美しい」民衆だということです。もちろんこういうふうにいったからといっても、指導者の役割をないがしろにしてよいというわけではありません。指導者は時代の流れのなかから民衆自身が生みだしてきて、そして民衆を導くという重要な役割りを担うものです。
指導者が誤りをおかすかおかさないか、それによって歴史が大きく影響されるということは、世界の歴史が物語っているところです。ですから指導者の役割は非常に重要であります。しかし結局のところ、それをのりこえて時代の発展を導くのは、働く勤労人民大衆であるということは疑いようのない歴史の真実です。
つまり民衆自身が歴史をつくる、いいかえると、本来仲間というものは自分の力で自分の問題を解決する力をそなえているということ、その能力の発揮がいま妨げられているだけなのであって、どんなに中途半端な仲間であっても、ある条件のもとに導かれるならば、決然と立って、そして歴史の主人公として立派にふるまうものなのだというこの観点を理解することは非常に重要であります。
以上の三つのこと、これが大衆への無限の信頼とはなにか、その中身だといってもさしつかえないと思います。大衆を信頼するとか仲間を信頼するとかいうときの信頼というのは、このように科学的社会主義の理論によってきちんと裏づけられた科学的な考え方なのです。ですから、仲間づくりをめざすものは、理論と実践の両面からこの基本点を理解することが必要です。
(有田光雄、有田和子「わが青春の断章」あゆみ出版社 p250-253)
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◎「大衆を信頼するとか仲間を信頼するとかいうときの信頼というのは、このように科学的社会主義の理論によってきちんと裏づけられた科学的な考え方……仲間づくりをめざすものは、理論と実践の両面からこの基本点を理解すること」と。