学習通信05122425 合併号
◎血から黄金を……

■━━━━━

──最後に、エ場制度にたいする労働者自身の見解をあらわしている詩の二、三節を引用しておこう。これはバーミンガムのエドワード・P・ミードの作品で、労働者のあいだにひろくいきわたっている見解を正しくいいあらわしている。

一人の王がいる、怒り狂った一人の君主が。詩人の夢見た姿の王ではなく、
白人奴隷が知っている暴君だ。
そして蒸気こそこの野蛮な王。

彼は一本の腕を、鉄の腕をもつ。
彼は一本しか腕をもたないが、
腕のなかには魔力がこもり、
何百万人でもうちのめす。

昔、ヒモンの谷に住んでいた
こいつの先祖の残忍なモレクのように
その腹わたはあかあかと燃える火、
子どもはその餌。

彼に仕える聖職者団は人間性を欠き、
血に飢え、おごり高ぶり、怒り狂う。
こいつらが──おお、なんたる恥辱──巨大な腕をあやつり、
血から黄金を魔法でつくりだす。

やつらは人権をふみにじる、
けがらわしい黄金、やつらの神のために、
女の苦しみはやつらのひやかしの種、
男の涙はやつらの物笑いの種。

やつらの耳にはまるで音楽
貧しい人びとの断末魔の叫びも。
若い娘や少年たちの骸骨が
蒸気王の地獄にあふれている。

この世の地獄! それは死をひろめる、
蒸気が支配していらい、王国中に。
人間の身体も心も
同時に地獄で殺されるのだから。

蒸気を倒せ、野蛮なモレクを倒せ、
働く何千もの人びと、みんなで。
こいつの手をしばれ、そうでないとこの国は
一夜のうちに滅ぼされてしまう!

やつの残忍な代官、高慢な工場の殿様、
黄金でふくれ、血にまみれ。
人民の怒りで倒さねばならぬ、
この化けものの神様といっしょに。

(エンゲルスの注)
 一二年このかた、工場主にむけられてきた非難にたいする工場主の反論を、十分に論ずる時間も紙幅も私にはない。これらの人びとは自分たちの利益と思いこんだら、ほかのことには盲目になってしまうので、どうにも教えようがない。いずれにせよ、いままでのべたところで、彼らの異論はそのときどきに片づけてきたので、私に残されているのは、次のことだけである。
 諸君がマンチェスターヘ来て、イギリスの状態を知りたがっているとしよう。もちろん諸君は「尊敬すべき」人びとにあてた立派な紹介状をもっている。諸君は労働者の状態について若干の意見をのべる。諸君は一流の自由主義的工場主たち、たとえばロバート・ハイド・グレッグ、エドマンド・アシュワース、トマス・アシュトンなどというような人びとに紹介される。諸君は訪問の目的をのべる。工場主はそれを了解する。工場主はどうすべきかを心得ている。彼は諸君を農村にある自分の工場へつれていく──グレッグ氏はチェシアのクォーリ・バンクヘ、アシュワース氏はボールトン近郊のタートンヘ、アシュトン氏はハイドヘ。

工場主は堂々とした、設備のととのった、おそらく換気装置のついた建物をとおって諸君を案内し、天井の高い、風とおしのよい作業室や、立派な機械や、あちこちにいる健康そうな労働者に、諸君の注意をむける。工場主は諸君においしい朝食をだし、労働者の住宅を訪間するようにともちかける──彼は諸君を、新しく清潔でこざっぱりした小屋へ案内し、あちこちの家へはいっていく。もちろん、それは監督や技師などのところだけで、そこで「まったく工場だけで生活している家族」を諸君に見せる。

ほかの家へいけば、女性と子どもだけが働き、男は靴下をつくろっているのを諸君は見るかもしれない。工場主が目の前にいるので、諸君は無遠慮な質問をするわけにはいかない。人びとはみんな良い給料をもらい、快適に暮らし、農村の空気のせいで比較的健康であることに諸君は気づき、貧困と飢餓についての自分たちの大げさな考え方をあらためはじめる。

しかし、小屋制度が労働者を奴隷化すること、おそらく現物給与店が近くにあることを、諸君は聞かされていないし、人びとが工場主を憎んでいることを諸君には教えてくれない。というのは工場主がそこにいるからである。

工場主はまた、学校や教会や読書室などをおそらくつくっている。彼が子どもたちに服従のくせをつけるために学校を使っていることや、読書室ではブルジョアジーの利益を代弁しているようなものしかゆるしていないことや、もし人びとがチャーティストや社会主義の新聞や書物を読むと解雇されること──こういうことはすべて諸君にはかくされている。諸君はなごやかな家父長的な関係を見る。諸君は監督の生活を見る。諸君は、労働者が精神的にもブルジョアの奴隷になろうとすれば、ブルジョアは何を約束してくれるかを見る。

こういう「農村の工場」は昔から工場主のお得意のところであった。というのは、ここでは工場制度の欠点、とくに衛生上の欠点が、戸外の空気と環境とによっていくらかとりのぞかれており、またここでは労働者の家父長劇的な従属がもっとも長く維持されているからである。ユーア博士はこの点について熱狂的な賛歌を歌っている。

しかし、もし労働者が自分でものを考え、チャーティストになろうなどと思いついたら、たいへんだ──そのとき工場主の父親のような愛情は一瞬のうちに消える──。さらに、もし諸君がマンチェスターの労働者地区へつれていってほしいというなら、また諸君が工場都市における工場制度の発達を見たいと望むなら──そうすると、この裕福なブルジョアが諸君に便宜をはかってくれるまでには、長い時間持たされることになるだろう!
 紳士方は彼らのところの労働者が何を望んでいるのか、どんな状態にいるのかを、知らないし、知らなくてもすむようにと思っている。なぜなら彼らは、彼らが心の痛みを感じたり、あるいは自分の利益に反する行動さえとらなければならなくなるようなことを見聞するのを、つねに恐れているに違いないからである。それはまた、まったくどうでもよいことだ──労働者はやらなければならないことは、自力で必ずやりとげるのである。

(エンゲルス著「イギリスにおける労働者階級の状態 上」新日本出版社 p269-273)

■━━━━━

労働者階級の資質

 さて、労働者がこのように団結し、たたかうことができるのはなぜでしょう。それはなによりも労働者自身が仲間と団結できるもっとも人間らしい資質と、歴史を発展させる能力をもっているからにほかなりません。

 労働者は、資本主義の発展とともに急激に数≠ふやし、いまや社会の人口の圧倒的な部分となっています。しかしこの労働者は、資本家によって軍隊のような祖織と規則で働かされ、しかも工業地帯や都市に、数万、数十万、数百万と結集させられています。さらに、最近の科学技術をとり入れた職場で働かせるために、教育され、さまざまな社会問題をぶっつけられて啓蒙されています。

 かつて、古代や中世の社会をささえた働く人びと──奴隷や農奴──は多くの場合、分散して労働させられ、科学的知識をもつことができず、階級として大きく団結し、搾取者・支配者とたたかう方法を知ることはできませんでした。しかし現代の技支配者である労働者は資本主義のもとで、もっとも科学的で賢い階級として鍛えられ育てられているのです。

 そして、労働者が目覚めて自らの要求でたたかいに立ちあがると、資本家はさまざまな攻撃や弾圧をおこないます。そこで労働者はいやおうなしに鍛えられ、どのような困難にも打ちかって要求をかちとり、社会を進歩させる不屈の能力を身につけてきたのです。

 このような労働者は、農民をはじめ他の働く人びととも統一し、やがて人類の歴史を、「人間が人間を支配することのない」、もっとも合理的な社会へと発展させる偉大な役割を果たすことができるのです。私たちの周囲の仲間たちが、なかなかそんな労働者に見えないのは、私たちみんなが労働者的でないさまざまな考え方を植えつけられてきたからです。

 いまの世の中では、新聞もテレビもラジオも週刊誌も月刊誌も、思想や文化を伝える手段のほとんどすべては独占資本が握っています。だから労働者的ではないさまざまな考え方は、いっときも絶える間もなく私たちに注ぎこまれています。

 はじめに紹介したように、なかまと遊んで、これからネグラヘ帰ろうとしたときの若ものが、こんな生き方でよいのかと考えたとき、その答をみつけだせずにどうどうめぐりをくりかえしたのは、考える上で必要な材料が労働者的でないものしか提供されていなかったからです。こんな暮らしでよいのか、と自問したとき、消費は美徳、保険をかけておけばモノをこわしてもいいのですヨと毎日毎日テレビで語りかけているのですから、これでしょうがないのだという判断しかでてこないのはいわば当たりまえなのです。

 これからは、しっかりした答をみつけだして生きていかなければなりません。

 そのカギは、ものごとを認識していくうえでの科学的な方法(弁証法的唯物論)、社会や自分の生き方をきめていくうえでの科学的な見かた(史的唯物論)を身につけておくことがどうしても必要です。そのためには必ず学習をしなくてはなりません。

 労働者が学習し、科学的なものの見方を身につけ、身のまわりでおこるさまざまなできごとを正しく理解し、自分が生きていくうえで有利にそれを処理していくことができるようになりますと、不断に注ぎこまれる労働者らしくない考えが、実は自分自身から自由な考えを奪い、自分をしばっているいまの世の中を肯定させようとしているものであることがよーく見えてき、労働者が自分を発展させ、開花させていくために、どのように生きていくべきかを自分で判断し、きめていくことができるようになります。

 この本がとり扱う労働組合についての基礎知識は、そういう生き方の一つの側面である労働を中心に、いま、私たちがどうしなければならないかを考える、一つの基本的、基礎的な社会的知識を身につけようということです。
(労働者教育協会篇「労働組合の基礎知識」学習の友社 p10-11)

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎「それはまた、まったくどうでもよいことだ──労働者はやらなければならないことは、自力で必ずやりとげるのである」と。