学習通信051102
◎あえてかかげようとする旗……

■━━━━━

一九四四年三月六日
 巣鴨拘置所の顕治から駒込林町の百合子宛

 二日出の手紙拝見「ドン・キホーテ」は新しくさがしてくれと言うのではなく、全集本で全部かどうかしらべて貰い度いと言うだけで、街のどの図書館ででも直ぐ分るだろうし、渡辺町なんかにも現在もあろうから大体分ろう。(前の古本の件については又別に。)そのしらべ位は筒単に出来るのではあるまいか。宅下してあるタオル寝巻は修理して早速入れて貰い度い。目下寝巻の着換えなしだから。母からは病院から手紙が来た。一二度の検使でみえなくても居ることがあるそうだからいそがず充分駆除するようそちらからも書いておくといいね。島田行のこと。

先日、僕が余り心配してないと言って不思議そうに僕が「安心して居ることだけ分った」云々には苦笑した。大体何事があろうと、男の子が動顛なんかすべきものではあるまい。僕は、希望、非希望いずれの主観にも影響されないで現実の堆積をなるべく客観的に観ようとして居るに過ぎない。そして、話の空気として、余りロバ君の眼玉が上の空のようになってみえるとき、対症療法的に、「余り心配するな」と自然強調する形となったにすぎない。

そして根本的には人間はどんな場合でも、たとい焦熱地獄が現出したときでも、人間的義務と誠実から行動すべきで、公私に拘らず義務感から沈着に生きてこそ人間たる美しさがあると言うことが改めて納得せらるべきだと思った。

生活に無駄な負荷、犠牲を減少するために、技術的によく配慮することは聡明で又大切なことでもあるが、その際、義務を打忘れ、ただ安全感から日和見暮しすることになれば、もうそれは賢明の反対、誠勇の欠如となるものと云えよう。

そして、二坪を天地として何年も過す生活もあるがそれに、広いところでくらして居る人間が、「そっちは心配もあるまいが」と言う論法は、掘立小屋かあばら屋に住む者に対して宏壮な邸宅居住者が「そっちは焼けようとなくなろうと大した心配もあるまいが」と表現するのと同じ論理となろう。

落着いた夕にはこれらはよく分って居ることで云うまでもあるまいが、たまには改めて刻み直しておくのも有益のことだろう。
(宮本顕治・宮本百合子「十二年の手紙 下」筑摩書房 p71)

■━━━━━

まえがき

 個人的な話題からはじめて恐縮だが、私の職場は大学とクリニック、ふたつある。

 何年か前、大学教員との兼業を始める前は、朝から晩までを病院で働いていた。週のうちの数日を大学で若い人たち相手にすごす生活は新鮮で、毎週、大学に出勤する日が待ち遠しかった。

 それなのに最近は、大学に行くのが気が重い。事務室で出勤簿に判を押し、自分用のメールボックスを開けると、必ずと言ってよいほど、私の原稿を新聞や雑誌で読んだ人だちからの手紙が届いているからだ。そして、そのほとんどは抗議や批判の手紙なのだ。

 研究室に着くまで待ちきれずエレベーターの中で封を切ると、そこにはこんなことばが並んでいる。

「平和」「平等」などときれいごとを言うな。
この厳しい世界の現実が目に入らないのか。
自虐的なことを言って国を売るのがそんなに楽しいか。
日本人を侮辱するつもりなら、さっさとこの国から出て行け。

 エレベーターの中で、私は考える。
 ──この人たちは、とても怒っているようだ。日本という国だけではなく、自分個人までが侮辱され、傷つけられたような気持ちになっているのだろう。私は、一応は精神科医だ。精神科医が人の心をこれほど不快にしてよいわけはない。私は間違っているのだろうか。

 しかし、一方でこうも考える。
 ──待てよ。私は、この人たちにこれほど罵られなければならないようなことを言っただろうか。私はたしかに「平和は何より大切だ」、「病んでいる人、弱い人、失敗してしまった人の身になって考えよう」、「他人を非難する前にまず自分の胸にきいてみよう」といったことは言っているが、日本や日本の国民を侮辱しよう、笑いものにしようなどと思っているわけではない。弱い人≠ヨの配慮が欠けている人、理屈や分析よりも感情が優先されているように見える人に対して批判的なコメントをすることもあるが、それがなぜ「自虐的」「国を売ること」になるのだろうか。

 そして、エレベーターを降りる頃にはさらにこう思う。
 ──「ひとにはやさしく」「誰もが平等」「他の国とも仲良く」という発想や発言は、本当に「きれいごと」なのだろうか。いや、そもそも「きれいごと」ってそんなに悪いものなのだろうか。そうだ、私は子どもの頃から「理想は高く持ちなさい」と親や教師から言われて育った。「やっぱり世の中、こうあるべきじゃないか」と理想を口にすることが、誰かを侮辱することになるなんて、おかしいじゃないか……。

 エレベーターが研究室のある階で止まり、ドアが開く頃には、すっかり私は「そうだ、理想を語り続けることが大切なのだ」と高揚した気分になっている。

 しかし、そこから廊下を歩いて研究室のドアを開け、もう一度、ゆっくり手紙を読み直すと、再び自信は失われ、「私のちょっとした発言で、こんなにもイヤな気分になる人がいる、ということは、やっばり間違っているのは私のほうなのだろうか。精神科医が人を傷つけるなんて、理由はどうあれ、許されないことではないか……」と暗い気持ちになるのだ。

 たしかに最近の雑誌や書籍に書かれていることばだけを眺めていると、「ひとにはやさしく」「人はみな平等なのだ」といったことばがいかにも。のんきで非現実的に見えてくる。

凛として。
未来志向で前向きに。
毅然とした態度を。
自虐的にならずに誇りを持て。
堂々とカードを切れ。
競争力を高めよ。

 こういった発言をする人たちはこうも言う。これまでの日本には、敗戦のショックから恨みごとを言い続ける人や反動で自虐的になって近隣諸国へ謝罪を繰り返す人など、とにかく過去を引きずり続けるメランコリックな人で占められていた。これから先を生きる世代は、そういった過去から切り離されて未来や世界を見なければいけない。そのためにも必要なのは、日本に蔓延している自虐的な歴史観を一度、リセットすることだ……。

 しかし、考えてみよう。「誇りを持とう」という声がいよいよ高まってきたのは、九〇年代以降、バブル崩壊のあとだ。これ以降、日本は長引く不況にあえぎ、天災や社会を揺るがす大事件が相次ぎ、治安の悪化も繰り返し報道されるようになる。世界的にも民族紛争やテロがあちこちで勃発した。つまり、「現実がそれほど良い状況ではない」という事実がまず、あるのだ。

 その中で叫ばれる「さあ、もっと前向きに、強気になって」などのメッセージには、自分や社会に消してもわき起こる不安や恐怖を、無理やり打ち消すためという目的が含まれてはいないだろうか。「ひとにはやさしく」と思ってはいても、「やさしくしていたらこっちがどうなるかわからない」という状況なので、「他人のことより、まず自分が競争に勝て」と言い聞かせて「やさしさ」を否定している可能性はないだろうか。自分ではそう自覚することなしに。

 もちろん、「いや、そうではない。世の中の状況がどうなのかには関係なく、私は心からこう思っているのだ」と言う人もいるだろう。また、日本の外交や防衛のことはさておき、グローバル化し、ひとつの巨大市場となりつつある世界で、抽象的な理想などまったりと′黷チている暇などない、と言う人もいるだろう。

 そして、「テレビゲームの中では万人は平等だから」といった、きわめてお気軽≠ネ経験や根拠に基づいて、自由や平和を語る私のような人間のところにまで、「国を貶めるな」、「きれいごとを言うな」といったシリアスな手紙が毎週、届くという現実を見ると、日本はすでに「強い国、勝てる国」という目的地を目指して発進しているのかもしれない。

 しかし、私はもう一度だけ、問いたいのだ。
 あなたが目指している社会、弱い人や危険な人はいっさいおらず、誰もが「私たちの国や国民は優れているのだ」と諸外国に対して毅然と胸を張り、「お先にどうぞ」、「負けるが勝ち」などといった腰砕けな態度は改め、簡単に「軍」と名のつく集団を備えて「万が一のときは自分の国は自分で守る」と宣言できる社会になれば、あなたやあなたの大切な人は本当に幸福になれるのか、と。

 「きれいごと」は、本当に何の役にも立たないものなのか、と。

 本書には、いま世間でよく耳にしたり、雑誌で目にしたりするフレーズが三〇ほど並んでいる。「私自身はこうは思っていない」と抵抗を感じるものもあれば、「まあ、たしかにそうだろうな」とすんなり受け入れられるものもあるだろう。しかし、読む人がどう感じようと、いずれも実際にはすでに「常識」として、新しい社会のルールになりつつあるものばかりだ。

 それが現実なのだから仕方ないだろう、と言われればそれまでだ。「この新しい「常識」に従えない人は、この社会から出て行ってもらいましょう」と言われれば、自分の身の振り方を考えなければならない。

 それでも、まだ考え直してみる時間はゼロではないはずだ。
 こういう「常識」が完璧に実現する社会を、あなたは本当に望んでいるのか。

 これが「常識」となったとき、幸福になるのは誰なのか。たとえあなたは幸福になれたとしても、他の多くの人が幸福になれなかったとしたら、その社会ではいずれはあなた自身の幸福も失われるのではないか。

 いや、そんなことはない、私はやっぱりこれが新しい「常識」だと思う、こうしないと日本も自分も生き残れないのだ……。そう言う人もいるかもしれないし、私はそれに対して「いや、それでも違う」と反論するためのことばを持たない。ただ、マックス・ヴェーバーが第一次大戦に敗北した直後のドイツで行った講演「職業としての政治」にある次のことばを、書き写しておきたい。一〇〇年近くをこえて投げかけられるこのことばに、私たちはどう答えればよいのだろうか。

 現在どのグループが表面上勝利を得ていようと、いまわれわれの前にあるのは花咲き乱れる夏の初めではなく、さし当たっては凍てついた暗く厳しい極北の夜である。(中略)やがてこの夜が次第に明けそめていく時、いまわが世の春を謳歌しているかに見える人々のうち、誰が生きながらえているだろうか。また、諸君の一人一人はその時どうなっているだろうか。 (『職業としての政治』脇圭平訳、岩波文庫)
(香山リカ著「いまどきの「常識」」岩波新書 p1-9)

■━━━━━

二〇〇〇年の秋に

生まれたのは一九三〇年・昭和五年秋。
不景気のどん底で生を受けた。
前途の見えなかった社会は、
いつか満州事変、日中戦争へと
方向を定めてゆき、
一九四一年十二月八日をむかえる。
その日、十一歳。
子供の領域に属して
無知なるまま、
聖戦を信じ、みずからが
生きのこることは許さないと
ひそかに思っていた子供。
一九四五年八月、敗戦の日十四歳。
あの日をさかいに、
それまで頭上をおおっていた
国家と軍隊、それにつらなるいっさいが、
きれいに消えていった。
難民の一人となり、同胞の辛酸のかたわらでなにも力になれず、
わが身とわが一家の
生きのびる道を探した一年問。
子供がおとな以上の責任を負い、
試練にさらされた日をどうして忘れようか。政治に対するわたしの初心は
難民としての体験から芽ばえた。
それから五十五年。
かわらず、かわりたくない
かたくななわたしがいる。
「自衛隊は憲法に違反し、
新世紀に日米安保条約は見直されるべき」
この、ごく常識的な発言をするのに、
勇気を試される時代がついにきた。
信ずるままを、飽くことなく言う。
それ以外、わたしのような人間には
生きてゆく道はない。
投げつけられる非難の言葉が、
「バカ」であったり「アカ」であっても、それにたじろぐまい。
無視され疎外されようとも、
わたしはわたしの道をゆこう。
すべては「個」から、
「一人」からはじまり、
いかなる「一人」になるかを決めるのは、己れ自身である。
いま、あえてかかげようとする旗は、
ささやかで小さい。
小さいけれど、誰にも蹂躙されることを
許さないわたしの旗である。
かかげつづけることにわたしの志があり、
わたしの生きる理由はある。
  二〇〇〇年九月三日

(澤地久枝著「私のかかげる小さな旗」講談社文庫 p4-7)

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎「根本的には人間はどんな場合でも、たとい焦熱地獄が現出したときでも、人間的義務と誠実から行動すべきで、公私に拘らず義務感から沈着に生きてこそ人間たる美しさがあると言うことが改めて納得せらるべきだ」と。