学習通信050910
◎魅力的な幹部になろう……@

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 わたしたちは、よく「あそこの組合はつよい」「ここの組合はよわい」ということばをききます。ところで、つよい、よわいの判断はなにを基準にしていうのでしょうか。基準もなしに、つよい、よわい、というのでは、その言葉は適切だとはいえないし、そういわれた組合としても迷惑なことだと思います。

 労働組合のつよい、よわいの別れ道は、組合幹部・活動家の量と質にあります。質のたかい幹部・活動家がたくさんおれば、その組合はつよくなるし、その反対の場合は、組合はつよくなることができません。なぜか?
 労働組合は労働者ならだれでも加入することができる大衆組織ですから、思想的にはまちまちの仲間が加盟しています。とくに、わが国のように労働組合の大部分が、企業別組合であるところでは、なおさらです。

 その組織に、質のたかい幹部・活動家が多ければ多いほど、個々の組合員にたいする影響力がつよまります。影響力がつよまれば、組合員の階級的自覚が高まり、組合の団結は自覚的につよまります。たとえば、二百人の労働者がいる職場で、十人の幹部・活動家がいるばあいと、二十人の幹部・活動家がいるばあいとでは、どちらが組合員にたいする影響かつよいか。それはいうまでもなく、二十人の幹部・活動家がいる方が影響力はつよいにきまっています。ここに、労働組合をつよくする別れ道は、幹部・活動家の量と質にある、というわけがあります。

 そして、大切なことは、組合員の階級的自覚をたかめ、組合をつよくするには、組合幹部活動家が、一人ひとりの仲間とよく接触し、影響力をつよめることからはじめなければならないということです。漁師が網をかけて大量の魚をとるように、多くの労働者をあつめ、とおりいっぺんの演説をしたくらいで、労働者の思想はかわるものではありません。ことに米日独占資本の思想攻撃は、日をおってきびしくなっており、マスコミの発達しているわが国では、日常、目にふれ、耳にきくものの大部分は、米日支配層の支配のための思想宣伝であり、反共思想の宣伝です。また、学校教育の内容も、ますます反動化しています。こういう状況のもとでは、労働者は動揺しやすく、資本家階級の思想を受けいれてしまう可能性がつよいといえるでしょう。

 職場の仲間たちが多面的な、切実な要求をもちながらも、なかなか一つに団結しにくい理由はここにあるわけですから、組合幹部・活動家が、組合員一人ひとりに接触することがとりわけ大切なのです。

 しかもこの幹部・活動家は、さまざまな思想的傾向にある労働者にふさわしい対処の仕方をしなければならないのですから、理論水準、思想水準の高い幹部・活動家でなければならないことになります。

1 大衆性を身につけよう

 組合幹部も職場の仲間と同じ労働者の一人です。ところが、職場には、「彼らはオレたちとちがう」という感情を、幹部たちに抱いている仲間がたくさんいます。もし労働組合幹部が、職場の仲間たちからそのように見られているとしたら、幹部と組合員のあいだに「断絶」があるあらわれであり、資本からの楔を打ちこまれやすい危険な状態にあるといえます。

 労働組合の幹部になるためには、そなえなければならないいくつかの条件がありますが、そのなかでも大切な条件の一つは、大衆性を身につけるということです。大衆性とは、職場の労働者から「彼はオレたちと同じ仲間だ」と思われることであり、組合幹部は「オレは職場の労働者からかけ雌れた存在ではない」ことを日常的に意識することによって、身につけることができるものです。

 組合幹部の大衆性とは、けっして先天的なものでなく、努力すれば身につけることができるものです。大衆性を身につけるためには、労働者の生活と労働のなかに深くはいりこみ、そこに生まれている気分、感情、不満、欲求を敏感にとらえ、そのなかに自分もとけこめるようになることです。仲問たちのよろこびと悲しみを自分のものとすることができるようになって、はじめて、労働者は「あの人なら話してみようか」という気分になるのです。

 このためには、「存在は意識を決定する」といいますが、幹部の生活水準と職場労働者の生活水準とが、あまりかけ離れたものでないことが必要です。日本の場合、企業別組合ですから、幹部の賃金は職場からの延長が多いわけですが、それ以外の収入を関連団体の役員手当とか、政府委員手当などの名目でもらっていたりして、しだいに生活水準や生活感覚が職場の労働者から遊離していく場合があります。フランスでは、組合幹部の賃金は「熟練労働者の中位の上」のレベルと決められています。

 組合幹部の大衆性とは、職場労働者からみて「わけへだてを感じさせない」ことですから幹部は大衆と同じ生活をし、同じ言葉でしゃべり、同じ着物を着ることにつとめ、ことさらに、大衆よりも低い生活をしたり、劣る着物を着る必要もないしまた、むつかしい用語を乱発することもつつしまなければなりません。

 かつてわたしは、横浜の音楽堂へ講演に行ったとき、ジャンパーを着て行ったのですが、講演が終わって帰ろうとしたとき、一人の見ず知らずの労働者がやってきて、わたしに、
「あなたは背広をもっていないのですか」というんです。わたしは「もっていますが」というと、「人の前に出るときは、背広を着た方がいいですよ」といってくれました。わたしは人の前に出る機会が多い仕事をしているので、それ以来、できるだけ背広を着るようにしています。ところがよく「今目は何があるの?」と仲間からきかれました。それまでのわたしには不自然さがあったのだと思います。

 組合幹部は大衆性をもたなければならないということから、もう一つ大切なことは、自分の個性までころし、ことさら仲間にペコペコしたり、愛嬌をふりまいたりする必要はないということです。仲間に不快を感じさせるような個性はなおさればなりませんが、個性のない人間は蒸溜水のようなもので、味がありません。大切なことは仲間の気分・感情・不満・欲求を、幹部が自分のものにすることができるか、その姿勢と決意をもっているかどうかということなのです。
(細井宗一著「労働組合幹部論」学習の友社 p20-24)

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子どもと仲良くなる

 親や教師は、子どもの人生の先輩として、指導者として、子どもにたいするはっきりした要求と責任をもたなければ教育などはありえないことをのべました。

 それと同時に、その目的を達成するためにも、親や教師は子どもたちと同じ高さのゆかにたち、彼らの要求に敏感な友だちのような側面をももたなければなりません。子どもの思考と行動の世界から学び、冗談をかわし、ユーモアをもって交流できる仲間であることが必要です。

A……うちの子は、ちょっと仕事をたのむとすぐ『いくらくれる?』とききます。それがだんだん現金になってきて、『あそこのおつかいは遠いから、いくらでなければいやだ』などといいだします。労働と報酬の関係を理解させるうえで、それもよかろうかと思ってきいてやってきたんですけど。

B……おかあさんもそうしたらどうですか。あれをつくってくれ、これを手伝ってくれ、といろいろ頼まれるでしょ。そのとき、『あんたに頼んだ例のしごとがいくらだったでしょ。そしたらこれは当然いくら……。』

A……だんだん値段のせりあいにならないかしら?

B……どうしてそう気まじめに、かたく考えるのでしょう。もちろん子どもには『おこづかいがよけいほしい』という気持ちもあります。しかし一方、値だんをつけて要求する楽しみも味わっているのです。『お店やさん』ごっこ遊びも大好きです。

A……で、親はどうすればいいのでしょう?

B……子どもの年齢、兄妹関係、その他家庭の雰囲気によっていろいろあるでしょう。

 例えば──
 『わーっひどい! それじゃおかあさんもあんたに頼まれたとき、いくらにするわ』
 『わーっひどい! そういうの不当な物価値上げというのよ。この間物価値上げ反対の大会があってうーんと大勢のおかあさんたちが集まったんだから。あんたつれていかなくてよかった。つれていったら袋叩きにあうところだったよ』
 『よしよし、あんたとおかあさんとの間の値段表をノートにつけておいて、あとで研究しようね』

 そういう親子関係があれば『いいえ、今おかあさんこういう仕事があるからあなたに頼んでいるんでしょう。いってきてちょうだい』と命令しても素直にきいてくれます。
(近藤・好永・橋本・天野「子どもしつけ百話」新日本新書 p42-43)

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◎「その組織に、質のたかい幹部・活動家が多ければ多いほど、……影響力がつよまれば、組合員の階級的自覚が高まり、組合の団結は自覚的につよまり……労働組合をつよくする別れ道は、幹部・活動家の量と質にある」と。

◎「仲間の気分・感情・不満・欲求を、幹部が自分のものにすることができるか、その姿勢と決意をもっているかどうか」と。

◎「その目的を達成するためにも、親や教師は子どもたちと同じ高さのゆかにたち、彼らの要求に敏感な友だちのような側面をももたなければなりません」と。