学習通信050909
◎決まっちゃったことは……
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一見「前向きな考え方」のワナ
こういった事態が予想されるため、より上の世代は、「近ごろの若いもん」に「よく思われたい」といった気分すら抱かなくなりつつある。「若いもんとは関わり合いになりたくない」というのが、より上の世代の本音のように思える。
他方、「近ごろの若いもん」もまた、より上の世代から叱咤されることを恐れるあまりに、結局は、「関わり合いになりたくない」と感じている。つまり、「近ごろの若いもん」は、より上の世代に「反発」する気さえないのである。
両者の間に流れる空気がこうであり、そして、世の中のシステムを実際に動かしていったり、変えていったりするのは、より上の世代であり、「近ごろの若いもん」はそのことに関心を持つことさえしようとはしない……。
それらの結果が、最終的に行き着く先はこうである。
「決まっちゃったことはしょうがない、その枠の中でなんとか暮らすことができればそれでいい」
自身にとって不本意な決定がなされた時、「なおもしがみついてがんばる」なんて潔くない、「さっさと切り替えて新しい道を進む」ことこそ、前向きで素晴らしい生き方である。
これこそ、「近ごろの若いもん」が信奉している価値観なのだ。
なるほど、字面だけを見ていれば、実にもっともであり、否定する余地などなさそうな考え方である。
しかし、この一見「前向きな考え方」は、「決まっちゃったことはしょうがない、その枠の中でなんとか暮らすことができればそれでいい」という受動的な考え方に通じる価値観でもある。こういった価値観の持ち主は、その枠組み自体に誤りがあるのではないのか、場合によってはその枠組みを壊すべきではないのか、といった発想を持つことがない。つまり、第一章で述べたように、「自身にとって不本意な決定がなされた時、さっさと切り替えて新しい道を進む人たち」=「決まっちゃったことはしょうがない、その枠の中でなんとか暮らすことができればそれでいいと考える人たち」=「『信用できないやつら』=『無意味・無謀な戦争を実行したやつら』にとって最も御しやすい人たち」である、と言えるのである。
こういった人たちを養成する価値観である、という意味で、「決まっちゃったことはしょうがない」という考え方は「危険」なのであり、その「危険さ」について、「近ごろの若いもん」も、そして、彼らとこれからも付き合っていかなければならないより上の世代も、もっともっと自覚しておくべきなのである。
(荷宮和子著「若者はなぜ怒らなくなったのか」中公新書ラクレ p72-73)
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耐用年数
「何でも一生ものってわけにはゆかないんだよ」
私が不審そうな顔をするたびに、家人はそう言って笑う。このあいだ、茶の間のテレビを修理したときもそうだった。
きれいにうつる、と自慢していた画面がこのごろなんとなくボンヤリとにじむようになってきた。老眼のせいか、とちょっと寂しかったが、ブラウン管を取りかえたトタンに、若い女優さんの笑顔がクッキリと鮮やかにうつったので、うれしかった。
ところか、修理をしてくれた人に
「これで五、六年はもちますよ」
と言われて、
「ヘエー、機械の耐用年数って、そんなに短いものなんですか?」
と、つい眉をひそめてしまった。
一生もの──私の頭の中には、いつもその言葉かある。昔の人は、これぞと思うものを買うとき、かならずそう言ったものだった。
「大切に使えば、一生もつんだからね」
たしかに娘のころ、母が巾着をはたいて買ってくれた紺と茶の縞の唐糸織は、今の私にちょうど似合うし、ときどき髪にさしているバラフの櫛や小さい珊瑚の玉かんざしは、母が姑から譲られたものだそうだから、一生ものどころか、三生ものというわけである。
毎日のように使っている針箱と箪笥は、かれこれ四十五年──戦火の下をあちこち疎開の憂きめにあったが、いまだにかくしやくとしている。職人さんが丹誠こめてこしらえたとみえて、昔の品物はもちがいい。
そういう目で見るから、ついテレビや洗濯機、冷蔵庫などのこわれかたが早い、と文句を言うようなことになる。若い電気屋さんがそれを説明してくれた。
「こういう便利な機械はとても複雑に出来ていますからね、耐用年数が短いのは当然ですよ。下手に修理するより新しいものとお取りかえになったほうがお得ですよ」
なるほど……そうかもしれない。
ところで、そのデリケートな文明の利器をつかう人間の耐用年数は、どうなのかしら。
昔は(人間わずか五十年)といわれていたが、現代の平均寿命は、男七十二歳、女七十八歳だそうである。サラリーマンの定年を五十五歳から六十歳にのばさなければならないほど、長生きをするようになった。なぜだろうか。人間の頭や身体はチャチな機械よりデリケートに出来ていると思うけれど……どうして耐用年数がのびてきたのかしら?
テレビや新聞雑誌に、毎日のように老人問題が論じられている。
「子供がすくなくなって、年寄りばかりが多くなったって、あんまり言われると、なんだか肩身がせまくなるわ。なにしろ私は、もうすぐ古希ですからね」
夫を戦災でなくしてから、女手一つで三人の息子を育てあげたしっかりものの友達だが、その日は珍しく元気がなかった。
「アラ、幾つになったって遠慮することないわ。せっかくいろんな荒波をくぐってここまで来たんですもの。私たちには長い経験から身につけた知恵があるわ。それを生かして、残りの人生を楽しく生きましょうよ」
「……そうね、明治女は鍛えられてるからもちがいいのよね」
「そうよ、なにしろレッキとした一生ものですからね」
彼女は、これから手芸を教えにゆく、とすっかり元気になって帰っていった。
本当のところ、自分の耐用年数があとどのくらいあるのか──それは、誰も知らない。
でも、とにかく、その日一日一日を大切に──どうしても納得できないことはいやと言って──手ぬきのまずい食物は口にいれず──他人に愚痴を押しつけず──明るく陽気に、たくましく生きてゆきましょうよ。経験の深い老人がいないと……世の中、ヤミですよ。
世界中のとしより万歳!
(沢村貞子著「わたしの茶の間」光文社 p25-27)
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現在の自分の生活をみつめなおす
それでは、子どもと心を通わせるためには、親は、どんな心の働きを自らのうちにひきおこさねばならないであろうか。
子どもと心を通わせるためには、まず、私たちは、私たち自身の現在の生活と生活意識を見つめ直すことが必要であると思う。
この一〇年ばかり私は自分の住む地域の住人たちと「子育てと生き方」を考える会を続けてきたが、この会の八〇年初頭の集まりで一人の主婦がつぎのようなことを語っていた。
「七〇年代には、私は、占いに凝っていた。それは、自分の生活がひょっとすればよくなるかもしれないという期待があったからだ。けれども、今は、もう占ってみようという気にもならない。物価は上がる、夫は疲れてくる、子どもは育てにくい、新聞を読んでいるとまた戦争になって耐乏生活を強いられるかもしれないという気さえする。八○年代に生活がよくなるなどとはまるで思えない。なんとかしたいとは思うが、何をしてよいかわからず、イライラしている。」
この主婦の実感的発言にみられるように、今日、私たち多くの国民は、生活に暮しにくさを覚え、それをなんとかしたいと思いながら、簡単には動かない現実を前にして、「閉塞感」と「いらだち」をつのらせているといえる。
そして、子どもたちの「荒れ」や「いらだち」の根底には、こうしたおとなの「いらだち」があり、それが日常生活を通じて子どもたちに伝わり、子どもたちのなかで再生産されていると考えないわけにいかない。
一九八〇年あたりから、「暗い道、ばあさん捨てるいいチャンス」や「かわいい子には旅をさせ、ブスな子には首つらせ」(ツービート『ワッ毒ガスだ』、KKベストセラーズ)などといった、ある意味での「弱者」を徹底的にこきおろすギャグを連発する漫才が流行し、おとながそれを聞いて笑っているという大衆文化現象が出現した。この現象は、国民生活のなかでの「いらだち」の蓄積と無関係ではない。そして、それと時を同じくして、子どもたちのあいだでは、ささいな欠陥をとりあげて一人の子どもを集団でいじめる陰湿な遊びが流行しはじめた。この二つの現象が時を同じくして広がったことには象徴的な意味があるように思われる。
親が、自分はしっかりと生きているが子どもがダメになっている、だから子どもをなんとかしなければという発想で子どもたちにむかっていたのでは、子どもたちと心を通わせることはできない。親自身が、自らの生活をみつめ、自分のなかにも、人間らしく生きたいと思いながら生ききれていないところがある、そしてイライラしているところがあることを直視し、子どもも、この同じ困難な時代に生き、同じような重い問題をかかえ、しっかりしたいと思いながらそうしきれないでいるのではないかというふうに、子どもの問題がみえた時、子どもと共感をもって接することができるのではないか。
(田中孝彦著「子育ての思想」新日本新書 p27-29)
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◎「親自身が、自らの生活をみつめ、自分のなかにも、人間らしく生きたいと思いながら生ききれていないところがある」「それが日常生活を通じて子どもたちに伝わり、子どもたちのなかで再生産されている」と。