学習通信050907
◎力の発揮が一番弱い……

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 労働者階級の政治運動は、もちろん労働者階級のための政治権力の奪取を最終日的としてもっており、そのためにはもちろん、ある程度まで発達した、労働者階級の事前の組織が必要で、そしてその組織は彼らの経済闘争のなかからおのずと生い育ってきます。

 しかし他方、労働者階級が階級として支配階級に対抗し、そとからの圧力によってこれに強制を加えようとする運動は、すべて政治運動です。

たとえば、個々の工場なり個々の組合でストライキ等によって、個々の資本家から労働時間の制限をかちとろうとする試みは、純粋に経済的な運動です。

これにたいし、八時間労働法等の法律をかちとるための運動は政治運動です。

そしてこのようにして、いたるところで労働者の個々ばらばらな経済的な運動のなかからひとつの政治運動、すなわち、彼らの要求を一般的な形で、つまり、一般的で、社会的に強制力をもつ形で貫徹するための階級の運動が生まれてくるのです。これらの運動がある一定の事前の組織を前提とするにせよ、それはまたそれで、この組織発展の手段でもあるのです。

 労働者階級がその組織の点でまだ十分に発達していないために、支配階級の集団権力、すなわち政治権力にたいして決定的な戦闘をおこなう〔まで〕にいたっていないところでは、ともかく労働者階級は支配階級の政治(および政治にたいし敵対的な態度)にたいするたゆみない宣伝によって、そのための訓練を受けなければなりません。

そうでない場合には、労働者階級はいつまでも支配階級の手中でもてあそばれる手玉でありつづけるのです、これはフランスの九月革命が証明したところであるし、またある程度まではグラッドストン氏とその一党が現在の瞬間までイギリスで首尾よく続けている策略が証明するところでもあります。
(「マルクスからフリードリッヒ・ボルテ(在ニューヨーク)へ」M・E八巻選集D 大月書店 p314-315)

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人間らしい労働と生活の回復をめざして
──「提案」の内容と趣旨の説明
  日本共産党幹部会委員長 不破哲三

 不破でございます。今日はお忙しいところ、私どもの呼びかけに応え、「労働基準法の抜本的改正についての日本共産党の提案」の説明会にたくさんの方がたがお集まりいただきまして、有り難うございます。まず最初に、心からお礼を申しあげます。

なぜ労働基準法の抜本的改正を提案したか

「過労死」をうみだす極限的な状態

 最初に、この提案の全体的な趣旨についてご説明いたします。私たちが、労働基準法の抜本的改正についての提案を発表したのは、二月二十八日でした。この発表にいたった考え方を申しますと、なによりも、日本の労働者の労働と生活の条件の問題が、いま非常に深刻な、二重の意味で重要な段階を迎えているからです。

 一つは、日本の国内的な事情ですが、「過労死」という言葉が、日本の労働苦をあらわす言葉として、いま世界に有名になっています。多くの部門で、多数の労働者が、働きすぎで死ぬことを現実に心配しながら毎日の仕事についている。これは、世界でもほとんど他に例をみない異常な事態です。

 日本の職場の事情としても、いろいろな産業部門で、過去にはそれなりの労働慣行というものが、一定の形でありました。ところが、戦後、今日にいたる経済発展のなかで、経営者側が、あらゆる手段で生産の効率化、コストの引き下げを追求し、その要求にすべてを合わせてゆくというやり方を、激しく強行的におしすすめてきました。そのためにさまざまな手段が使われ、過去の慣行もどんどん投げ捨てられて、労働時間の面でも、労働の密度の面でも、極限的な状態が進行してきました。これが「過労死」問題の根本にあると思います。

 この問題の解決のためには、どうしても、労働基準法の抜本的な改正にとりくむ必要があります。労働基準法は、若干の部分的な改定がおこなわれたことはありますが、その大枠は、戦後間もなく制定された状態から、基本的には変わっていません。ですから、そういう資本の側の激しい要求と攻撃から日本の労働者の生活と権利、健康と生命を守るうえで有効なものとするためには、その内容を、今日の実態に相応しいものに変えなければなりません。

 もう一つは、日本のこうした労働事情には、同じ資本主義国でも、とくにヨーロッパやアメリカの状況と比べて大変な格差が生まれていることです。十数年前、ヨーロッパの政党の代表を日本にむかえた時、その人が造船労働者出身で、日本の造船所の様子を聞きたいというので、造船企業の党の委員会に案内しました。「職場の状態はまさに十九世紀的だ」というのが、その時、彼が語った第一の印象でした。

実際、ヨーロッパの人たちにとっては、まるで「違った文明世界ではないか」と思われるような格差が、ヨーロッパやアメリカの職場の状態と日本の職場の状態、労働者のおかれた状態の間に現実に生まれています。「十九世紀的」という言葉が出るほど、ともかく、現代の工業社会にはありえないような異常な状態の進行と見えるわけで、ここにいま、世界的な市場競争や貿易摩擦の激化とも結びついて、国際的な注目の一つが集まっていると思います。

トヨタイズムは「労働組合への挑戦」

 労働条件の格差の間題では、労働時間のことがよく問題になります。日本の労働者がドイツやフランスの労働者に比べて年間五百時間以上も余計に働いているという数字は、広く知られています。これは非常に重要な問題ですが、私たちは、同時に、労働条件の格差という問題が、もっと広く、とくに職場での権利の問題や労働の過密の問題など、すべてにわたっていることを重視する必要があります。

 この点で、問題の切実さを強く思い知らされることが昨年ありました。実は、昨年の十一月下旬に東京とドイツのフランクフルトで、二つの労働組合の会議がありました。東京の会議は、全労連の国際シンポジウム「日本的労使関係と労働組合の権利」(十一月二十六日〜一十七日)、ドイツでの会議は、「連合」の関係の会議で、ドイツと日本の金属関係の労働組合の第一回定期協議(十一月二十五日〜二十六日)でした。その二つの会議で、束京の全労連のシンポジウムではスペインの代表から、ヨーロッパのフランクフルトの会議ではドイツ側の代表から、「トヨタイズム」との闘争という問題が、ヨーロッパの労働組合が当面している非常に切実な問題として、一致して提起されたのです。

 スペインの代表が全労連の国際シンポジウムで、「トヨタイズム」の分析を七項目の特徴をあげておこなっているのを読んで、感心しました。ああいう搾取形態がヨーロッパに出てゆくと、ヨーロッパの労働者や労働組合運動の常識的な見方からいって、その異常さがそれだけくっきりと際立つのだと思いました。

 スペイン代表の報告は、効率的な生産の要求にすべてを合わせて、いかなる「ゆとり」をも残さない搾取のしかた、そのために労働者をチームに組織するとか提案制度とかを使って労働者の知的能力まで吸いつくす、労働者の頭脳の全面支配をめざすために、自主的な労働組合の存在を許さない、それから脅迫をもって労働者に対処する、こういう点を含めて、「トヨタイズム」の支配がヨーロッパの労働者と労働組合運動にとって、いかに重大な挑戦であるかを詳しく分析し、これがいま、日本の企業のヨーロッパ進出のなかでまさに大間題になっている、という報告でした。

 ヨーロッパの経営者陣営は、日本の企業の搾取のやり方を積極的に取り入れつつあり、進出した日本企業の職場だけでなく、他の企業にまでこの危険な形態が広がっています。スペイン代表は、そのことを、「奇妙なことに日本企業の最大の輸出者は製品ではなく、新しい経営の手段なのです。それはここ数年来、ヨーロッパの企業、とりわけ自動車業界の中で急速に取り入れられている新しい形態、主として日本で発展させられてきた『日本的労使関係』と呼ばれるもの」ですと、報告しました。日本企業がヨーロッパに広く輸出しつつあるこの搾取形態が、ヨーロッパでは、「トヨタイズム」と呼ばれているのです。

 同じころ、東京のシンポジウムより一日早く始まったドイツでの会議──国際金属労連の日本支部(IMF・JC)とドイツ側の金属関係労組IGメタルとの定期協議では、「IGメタルから見た、日本の海外投資とECにおけるマネージメント戦略」が、主題の一つとなり、ドイツ側からの報告がおこなわれました。そこで、「トヨタイズム」の分析とそれへの対応が、報告の中心にすえられたのです。ドイツの金属労組の目からみても、「トヨタイズム」とは、自分たちの労働組合にたいする挑戦≠ニして受けとめられているわけで、あとで日本側の参加者が、「日本の自動車産業にたいするヨーロッパ側の激しい怒りに驚いた」との感想をもらしたほど、言葉は婉曲でも、内容的には痛烈な批判がおこなわれました。

 こうして、ヨーロッパの労働組合運動で「トヨタイズム」との闘争が語られるときには、長時間労働の問題にとどまらず、日本の職場で支配的になっている労働者の無権利状態やそれを前提にした搾取のやり方など、これらのすべてが問題にされているわけです。ここに非常に重要な問題があります。

 私たちは、日本で「過労死」を生みだすとともに、その遅れた状態が国際的にも大問題になっている職場の現状にたって、これは、資本の側からいえば、きわめて攻撃的な搾取の形態の現れですが、日本の労働者の労働と生活の条件の根本的な改善をはかるために、労働基準法の抜本的な改正が必要だと考えたのです。

なぜ労働基準法の改正か

 なぜ労働基準法の改正か、ということですが、外国では、現実の労働条件の改善を、法の改正によらないで、労働協約その他で実行している国ぐにがかなり多いことは、私たちもよく知っています。たとえば、労働時間や有給休暇に関するILO条約などでも、これは批准していないが、労働組合のたたかいのなかで生まれた労働協約によって、ILO条約以上の内容が全国的に実施されているという国ぐには、多くあります。

 この点で、日本の場合には事情が非常に違っています。だいたい労働組合が、産業別ではなく、企業単位で組織されていますから、労働協約といっても、その企業の労資間で効力をもつだけです。これにたいし、ヨーロッパなどでは、その産業の労働組合と経営者の間で結ばれて、その産業全体を全国的に拘束する産業別の労働協約などが普通のことになっています。だから、労働協約でも、事実上、その産業あるいはその国の労働者全体の労働条件を規制する全国的な意義をもちうるのです。日本では、こうした、産業別的あるいは全国的な拘束力をもつ労働協約はほとんど存在しません。ですから、政府が、労働時間の短縮間題などについて、「労使間の自主努力」に期待するなどと言っても、労資間の交渉では、日本の職場全休を拘束するような前進的な成果は、もともと実現しえないしくみになっているのです。

 また、労働組合の側の事情でも、これは労働組合のみなさんがお集まりのところで恐縮ですが、職場の具体的な労働条件の問題は、日本の労働組合の力の発揮が一番弱い分野となってきました。民間大経営の場合にはとりわけそう言えると思います。

 ですから、今日の内外の事情に相応しいかたちで労働者の生活と権利を守るためには、労働基準法の抜本的改正というかたちで問題を提起する必要がある、これが私たちの考えであります。

 そのうえにたって、六つの項目を中心として、具体的な改正内容を提案しました。そのなかには、いままでの労働基準法にはまったく含まれていないが、今日の段階では、労働者の生活と権利のために絶対に必要になっている項目も、おりこまれています。
 以下、各論的に六つの項目にそって考え方をご説明します。
(「人間らしい労働と生活を」日本共産党ブックレット p24-29)

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◎「彼らの要求を一般的な形で、つまり、一般的で、社会的に強制力をもつ形で貫徹するための階級の運動が生まれてくる」と。