学習通信050831
◎そればかりではない……
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競争は終わった
人間とほかの動物との競争は終わった。人間はいちばん大きなマンモスにも勝ってゴールインした。
しかし、これは走る競走ではなくて、食べ物の競争である。つまり、食うか、食われるか、である。人間は、何でも食べるが、だれにも食べられないものになったのである。
人間は、ほかのどんな動物にもできないことができるようになった。
たとえば、ウサギは、人間のようにこんなに多く繁殖できるだろうか。
もちろん、できない。ウサギが二十億にもなったら、食べ物が足りなくなるから。それに、ウサギがふえれば、オオカミもふえるだろう。そして、オオカミはウサギを減らすために精を出すにちがいない。
つまり、動物は無限にふえることはできない。何を食べるか、何に食べられるかという、越えられない限界があるのである。たとえば、ウサギがふえすぎて、人間がひどく困ったという実例がある。オーストラリアではヨーロパからウサギを輸入していたが、それがふえすぎて、畑がめちゃめちゃに荒らされるようになった。
そこで、今度は、ウサギを減らすために、急いでヨーロパヘキツネが注文され、ようやく失われたバランスがとりもどされた。このように、人間は自分で自然の秩序をこわしたり、建て直したりできるのである。
人間は、ずっと前から、自然が動物をしばりつけている限界のすべてを破り、それを自分の力で押し広げていた。道具を作ることをおぼえ、変わった食べ物を食べるようになり、必要なものは何でも自然からもらってくるようにした。前には人聞の一つの集団しかくらせなかった場所で、二つも三つもの集団がくらせるようになった。
その後、大きなけものまで狩猟でとれるようになると、ますます自然に占める自分の場所を広げた。
人間はもう、植物の採集に歩き回らなくてもよくなり、人間の代わりに、野牛や馬やマンモスが草を食べて歩いた。こういう動物の群れは歩き回って山ほど草を食べた。一日二日、一年一年とたつうちに、動物たちは、何トンという草を何キログラムという自分の肉に変えて、肥った。だから、人間は、野牛やマンモスを殺して食べれば、長年かかってつくられた多量の物質やエネルギーを、いっぺんに自分のものにできたのである。
食糧の貯蔵は非常に大事なことだった。あらしやふぶきやひどい寒さのときには、食べ物捜しどころではなかった。もう冬でも夏でも温暖な幸福な時代ではなかったのだから。
ところで、変化はすぐ次の変化を呼び起こす。
食べ物の貯蔵を始めると、気軽に転居できなくなり、定住地をもつ必要が生じた。いつもマンモスの死体を引きずって歩くわけにはいかないではないか。
ほかにも理由ができて、人間は、住所不定の放浪者ではいられなくなった。前には、草か木があれば、猛獣を避ける一夜の寝ぐらになった。今は、さほど猛獣はこわくないが、もう一つの敵──寒さという敵があらわれた。
寒さやふぶきから身を守るために、人間にはもっとしっかりした隠れ処が必要になったのである。
人間は第二の自然をつくる
ついに、広大な、寒い世界の一角に、人間が自分のために、小さいが暖かい、自分の世界をつくるときが来た。洞窟の入りロや、ひさしのような大岩の下に、けものの皮や木の枝で、雨も雪も降らず風も吹かない人工の空を作ったのである。人間は、その小さい世界の中で、夜は明るく照らし、冬は暖かくしてくれる太陽を燃やした。
現在でも、古代の狩猟のための野営地跡には、「空のドーム」──小屋の屋根の支柱を埋めた穴が残っている。支柱と支柱の間には、炉──人エの太陽を囲んだ石が炭化して残っている。
壁はとっくに落ちて腐ってしまったが、あった所ははっきりわかる。この小さな世界にある土はすべて、人間──この小世界の創設者について物語っている。
石の小刀や石べら、火打ち石のかけら、動物の割れた骨、炉の炭や灰などが、砂や粘土に混じって残っている。その混じり方は不自然で、人間がわざとそうしたように見える。
しかし、ずっと前になくなったこの住みかの外ヘ──もう目に見えない壁の外へ、ちょっとでも出れば、そこには、人間の労働を思い起こさせるようなものは何一つ見当たらない。土の中には道具もないし、たき火の炭や灰もないし、動物の骨も見当たらない。
このように、人間がつくった第二の自然は、見えない線でも引かれているように、周囲のすべてのものから切り離されている。
人間の手の働きのあとを残す土を掘って穴にはいり、石の小刀や石べらや、ずっと前に消えた炉をもう一度よく調べてみると、世界の終わりも人間の終わりにはならなかったことがわかる。それは、人間が自分のために自分の小さい世界を創造することができたからである。
(イリン著「人間の歴史」角川文庫 p92-95)
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人間は、食べられるものはなんでも食べることをおぼえたように、どんな気侯のもとにも生活することをおぼえた。人間は、住むことのできる土地にだったらどんな土地にでも進出した。すなわち彼、人間こそは、そのための十全の力をその身にそなえた唯一の動物だったのである。
人間以外の動物でどんな気候にも慣れているというような動物は、その慣れるということを自分でおぼえたわけではなく、人間のお供をするということでならいおぼえたにすぎない。家畜や害虫がそれである。
そして人間が一年中をとおして暑いその発祥の地から、一年が夏と冬とに分かれているより寒冷の地に移動したことは、新しい要求──寒冷と湿気を防ぐための住居と衣服──と新しい労働の分野、またしたがって新しい活動形態を生みだし、それらは人間をいよいよ動物から引きはなしていった。
手と発声器官と脳との協働──それは各個人においてだけではなく、社会においてもおこなわれた──によって、人間は、ますます複雑な作業を遂行し、ますます高度の目標を設定してこれを達成するという能力をかちえていった。
労働そのものが世代を重ねることによって別のものに変わり、いっそう完全に、いっそう多面的になっていった。
狩猟と牧畜にくわえて農耕が現われ、またその農耕にくわえて紡織、金属加工、製陶、航行が登場した。商工業とならんで最後に芸術と科学とが現われた。種族からは民族と国家とができあがっていった。法と政治とが起こり、またそれらとともに、人間的事物の人間頭脳における空想的映像である宗教が起こった。
こうした創作物はすべてまずなによりも頭脳の所産として現われ、しかも人間社会を支配するものと映じたので、そうしたものをまえにしては労働する手の生みだすそれよりは地味な生産物は背景にしりぞいた。
しかも労働を計画する頭脳は、すでに社会のごく初期の発展段階においてさえ(たとえばたんなる家族のなかにおいてさえ)、計画した労働を自分以外のものの手で遂行させることができただけに、それはなおのことそうだった。文明の急速な進展をもたらしたという功績はすべて頭脳に、頭脳の発達と活動とにあるとされた。
人間は自分たちの行動を自分たちの思考という点から説明するのに慣れてゆき、自分たちの要求(それらはもちろんそのさい頭脳に反映し、意識にのぼりはする)から説明しなくなっていった。まさにこのようにしてあの観念論的な世界観が時とともに生まれ、とくに古代世界の没落以降人々の頭を支配しつづけることになった。
この世界観はいまでもきわめて大きな勢力をもち、そのためダーウィン学派の最も唯物論的な自然科学者でさえ、このイデオロギーに影響されて、人間ができあがってゆくさいに労働が果たした役割を認識しないため、いまだに人間の起源について明晰な観念をもちえないでいる。
すでにふれておいたとおり、動物もまた、人間ほどではないにしても、やはりその活動によって外部の自然を変化させ、またそれらの活動によって引きおこされた彼らの環境の変化は、すでに見たように、こんどはそうした変化の当の推進者の上に反作用してこれを変化させる。自然のなかではなにごともそれだけで孤立して生ずることはないからである。
すべてのものが他のものの上に作用し、また逆に他のものからの作用を受け、そしてたいていはこのような全面的な運動と交互作用を忘れることから、わが自然科学者たちは最も簡単なものごとの洞察をさえ妨げられるのである。
さきに見たとおり、山羊はギリシアの森林の復活を妨げている。またセント・ヘレナでは、最初の渡航者たちが陸揚げした山羊と豚とはこの島のもとからの草木をほとんど全部根だやしにして、あとからくる水夫や入植者たちのもちこむ植物が拡がりうるための土地を準備した。
しかし動物が自分たちの環境に持続的な影響を及ぼすとしても、それはそれと意図することなしに生じたことであって、これらの動物たち自身にとっては多少とも偶然的なことなのである。
ところが人間が動物から遠ざかれば遠ざかるほど、自然にたいするその影響は、あらかじめわかっている特定の目標にむけられた、まえもって考えぬかれた、計画的な行動という性格をますますもっておびるようになる。
動物がある地域の草木を根だやしにしても、自分がなにをしているのかは自分ではわかっていない。人間が草木を根だやしにすれば、それはあとの空地に穀類を蒔くか樹木やブドウを植えつけるためであって、やがてそれらがその何倍もの収穫をもたらしてくれるだろうということは承知のうえでのことである。
彼は有用植物や家畜をある土地から他の土地に移し、またそうすることで諸大陸全体の植生や動物生活を変化させている。そればかりではない。人為的な育種をつうじて、動植物は人間の手でそれとわからぬまでに変化させられている。
現在の穀物の品種の先祖にあたる野性の植物を、人々はいまだに探しあぐねているありさまだし、仲間どうしのあいだでさえあれほどの相違をもつ現在の犬や、あるいは同じくらい種類の多い今日の馬が、どんな野生動物から由来したかは、いまだに論争中の問題なのである。
とはいえ、動物にあらかじめ考えぬかれた計画的な行動の仕方をする能力があることを否定することが、われわれの意図するところではないことはいうまでもない。
逆に、原形質つまひ生きている蛋白が現に存在し、かつ反応している──言いかえれば、たとえどんな簡単な運動にもせよ特定の運動を特定の外からの刺激の結果としておこなっている──ところではどこでも、計画的な行動の仕方はいたるところですでに萌芽的には存在している。
このような反応は、神経細胞はおろか、細胞が一つもできあがっていない場合でさえ起こっている。食虫植物が獲物をとらえるやり方も、まったく無意識的であるとはいえ、ある点ではやはり計画的なものとして現われている。
動物の場合には、意識的・計画的な行動の能力は、神経系の発達に比例して発達しており、哺乳類ではきわめ高度の段階にまで達している。イギリスの狐狩りのさいには、追手を逃がれるために狐が自分の豊かな現場の知識をどんなに正確に利用することができるか、自分の足跡をくらますためのあらゆる地の利をどんなによくわきまえ利用するかを、われわれは毎日でも観察することができる。
人間と交渉をもつことによってもっと高度の進化をとげた今日の家畜には、故意のいたずらが毎日のように観察できるが、それらはまったく人間の子どものいたずらと同じ水準にある。
それというのも、母胎内での人間胚の発生史が、ぜん虫から始まるわれわれの祖先動物の数百万年におよぶ身体上の進化史を短縮して繰リかえしたものをあらわしているにすぎないように、人間の子どもの精神的発達も、同じこれらの祖先たちの知性の発達──すくなくとも比較的後期のそれ──をなおいっそう短縮して繰りかえしたものをあらわしているにすぎないからである。
しかしながら、どんな動物のどんな計画的行為も、ついに彼らの意志の刻印を大地にしるすまでにはいたらなかった。そうするためには人間が必要だったのである。
要するに、動物は外部の自然を利用するだけであって、たんに彼がそこにいあわせることで自然のなかに変化を生じさせているだけなのである。人間は自分がおこす変化によって自然を自分の目的に奉仕させ、自然を支配する。そしてこれが人間を人間以外の動物から分かつ最後の本質的な区別であって、この区別を生みだすものはまたもや労働なのである。
(エンゲルス著「猿から人間化するにあたっての労働の役割」M・E八巻選集D 大月書店 p302-305)
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◎「人間は自分がおこす変化によって自然を自分の目的に奉仕させ、自然を支配する」「そしてこれが人間を人間以外の動物から分かつ最後の本質的な区別であって、この区別を生みだすものはまたもや労働なのである」と。