学習通信050829
◎赤ちゃんのときには連携して……
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はじめに労働、その後に、そしてこんどは労働とともに言語──このニつが最も本質的な推進力となって、猿の脳はその影響のもとに、猿のものと瓜二つではあってもそれよりはずっと大きく、ずっと完全な人間の脳へとしだいに移行していった。
ところが脳の持続的発達と手をたずさえて、こんどは脳の最も直接的な道具である感覚諸器官の持続的な発達が生じた。
ちょうど言語の漸進的発達には必然的にその発達に見合うだけの聴覚器官の改良がともなうように、脳全般の発達には感覚器官全部のそれがともなう。
ワシは人間よりもずっと遠くが見えるが、しかし人間の眼は同じ事物を見てもワシの眠よりもずっと多くのことを見ている。
犬には人間のものよりもずっと鋭敏な鼻がある。しかし匂いは人間にとってはさまざまの物のきまった標識となっているのに、それらの匂いの百分の一をも犬はかぎわけてはいない。
そして触覚についていえば、それはごく未発達の、できはじめの形のものとしてでも猿にはないのであって、ただ人間の手そのものをまってはじめて、労働をつうじてはじめて、形成されたものなのである。
脳とそれに隷属している諸感覚の発達、ますます明晰さを増していった意識と抽象および推理の能力の発達は、労働と言語とにこんどは反作用して、この両者にたえず新しい刺激をあたえてそれらのよりいっそうの発達をうながした。
そしてこの場合の両者の発達は、人間が最終的に猿から分かれてしまえば、それで終りを告げるといったたぐいのものではなかった。
その発達はその後も、民族や時代の違いによってその度合や方向は違っていたにしても、またときには局地的、一時的な退行によって中断されたことさえあったが、全体としては力づよくすすんでいった。
そしてこの発達を一方では強力に推進し、他方では特定の方向に方向づけていったものは、できあがった人間の登場とともに新たにくわわってきた一要素──社会であった。
(エンゲルス著「猿が人間化するにあたっての労働の役割」M・E8巻選集 大月書店 p300)
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赤ちゃんのすぐれた認知能力
さて次に、このような脳をもって生まれてきた赤ちゃんが外からの刺激を感じ、理解し、判別する力、「認知能力」についてみてみましょう。
人と話をしていて、その人を見ながら言葉を理解し、その内容について考え、自分の言葉を返すといった過程は、私たちの脳がスムーズに機能して初めてできることです。これが認知能力です。
「言葉」という刺激を、耳や目という器官が受け取ることができても、刺激を伝達する神経や、意味のある情報として処理する脳に何らかの障害があれば、「聞く」「話す」といった行為は成立しません。もちろん私たちは、その一つひとつのプロセスを意識的に行っているわけではなく、意識する必要がないほど、自然に高速処理しているのです。
赤ちゃんに関する研究がそれほど盛んでなかったころ、赤ちゃんにはたいした能力がないと思われていました。ところが近年、胎児や新生児といえども、感覚能力を超える、より高次な機能──外からの刺激をとらえて判別する「認知」などいくつかの能カーをすでに獲得していることが証明されるようになりました。これは、発達心理学者のJ・ピアジエ(一八九六──一九八〇)が、「赤ちゃんは無力である」と唱えたことをくつがえすほどの大発見となりました。
たとえば、生後間もない赤ちゃんに、モニター上に映った円を見せると、赤ちゃんはしばらく円を見ていますが、そのうちだんだん慣れてきて、見なくなります。モニターの円を動かすとまた円を見ますが、動きを止めるとすぐに見るのをやめてしまいます。これを「馴化(じゅんか)」といいます。
次に円を三角に替えると、赤ちゃんはまた長く見るようになります。これを「脱馴化」と言います。脱馴化が起これば、円と三角を区別したことになります。
この方法は、赤ちゃんの認知能力を知る方法としてよく使われています。右の実験は、新生児でも視覚が発達し、円と三角の形の違いを判別する能力がすでに備わっていることを示しているのです。
「刷り込み」と赤ちゃん
もう一つ、有名な赤ちゃんの認知機能を紹介しましょう。
長年、私は小児科医として育児外来を受け持ってきましたが、新生児集中治療室(NICU)でケアを必要とする未熟児や超未熟児の治療中に、こんな出来事がありました。
いつも看護師と一緒にいる未熟児が、面会に来た母親を見たとたん、泣き出してしまったのです。赤ちゃんに会うことを心から楽しみにしていた母親はショックを受けました。そこで私は、看護師と同じように、母親にもマスクをつけてもらうことにしました。すると赤ちゃんはピタリと泣きやみました。
ずっと見てきた看護師や医者がマスクをしていたことから、赤ちゃんはそうでない親を「いつもと違う人」と感じてしまったのでしょう。未熟児でもそのような区別ができるのは本当に驚きです。
これは動物学者口ーレンツの実験によって有名になった「刷り込み(インプリンティング)」という現象です。ローレンツは、ガンやカモなどのひな鳥が、孵化直後に出会った対象を親と認識することを実験で証明しました。ひな鳥が生まれて初めて見た相手が人間だった場合、この刷り込みによって人間を親だと思い込んでしまうのです。親から庇護を受けなければ命を落としかねない動物の赤ちゃんにとって、刷り込みは必要不可欠な能力です。
こうしたことから、人間でも「乳幼児期にいったん誤った情報を与えてしまうと、それを引きずったまま成長してしまう」と深刻に考える人がいて、出産直後は母親が赤ちゃんに声をかけるべきだとか、出産後少なくとも三日間は母子同室にしたほうが子どもの将来にいい影響を与える、という議論が起こりました。
しかし、それは飛躍のしすぎです。たとえば未熟児は、生まれてすぐに集中治療室に入るので、親と一緒に過ごすことができませんし、満期出産児でも父親とはしばらく別々に過ごします。それでも、その後の生活の中で赤ちゃんは父親や母親を認知していきます。人間にとっての刷り込みは、その後の生活に影響を与えたり、将来を左右したりするものではありません。
一つの刺激を二つ以上の脳の部位で受け取る「共感覚」
赤ちゃんは、私たち大人と違った情報処理の仕方をする場合もあります。「共感覚」と呼ばれるものです。これは、一つの刺激に対して二つ以土の感覚野が情報を受け取ることをいいます。
たとえば目隠しをした新生児に人工乳首をしゃぶらせ、目隠しを外した後に、形の違ういくつかの人工乳首を目の前に並べると、その新生児は自分がしゃぶったものを選んで見ることができます。本来、舌で知覚したものは脳の中の「体性感覚野」に伝わりますが、赤ちゃんは同時に「視覚野」でも受け取っているのです。
一つの刺激がいくつかの神経回路を通過して、脳の二つ以上の部位とつながります。そのため、複数の認知能力(この例の場合は視覚と触覚)が働くことがあるのです。
実際に、生後一ヶ月の赤ちゃんが母親のお乳を吸っているとき、大脳のどこが活性化しているかを測定した実験では、目をつぶってお乳を飲んでいても、視覚野、前頭葉、体性感覚野、運動野など大脳の多くの部位が活性化していることがわかりました。
なお、大人では体性感覚野と運動野だけが反応します。赤ちゃんのときには連携して働いていた機能単位(モジュール)が、成長とともに分離、独立していくことから、共感覚はしだいに薄れていくのです。たとえば目は視覚野、耳は聴覚野といったように、ある情報に対して個別の機能が働くようになるのです。ただし、大人でも少しこの共感覚が残っていて、赤色を見ると暖かく感じるというように、視覚野と体性感覚野が同時に働くこともあります。
(小西行郎著「赤ちゃんの脳科学」集英社新書 p36-40)
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◎「その発達はその後も、民族や時代の違いによってその度合や方向は違っていたにしても、またときには局地的、一時的な退行によって中断されたことさえあったが、全体としては力づよくすすんでいった。……そしてこの発達を一方では強力に推進し、他方では特定の方向に方向づけていったものは、できあがった人間の登場とともに新たにくわわってきた一要素──社会であった」と。