学習通信050807
◎約八グラムの死の灰を……
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太陽光パネルに使われている素材はシリコン結晶であり(最近は、結晶ではなくアモルファス〈非晶質〉も登場しているがまだ少量である)、それはコンピューターのメモリーと同じ素材である。(そもそも、コンピューター用に作られた単結晶の歩留まり外品(低品質品)が太陽光パネルに利用されているのだ。)そう考えると、数年で買い換えされているコンピューターの廃棄問題の方がもっと深刻であるはずだが、まだ余り表面化していないのはなぜだろうか。
素材からいえば、太陽光パネルは比較的廃棄物問題は小さい。その理由の一つは、シリコンは岩石の主成分で、埋め立てなどで土中に廃棄するのには、そう問題がないことがあげられる。(むろん、海や干潟の埋め立てそのものには、大いなる問題があるが……。)もう一つは、太陽光パネルに使われる化学物質は、反射防止膜や保護シートなどだけで、比較的少ないから処分しやすいこともある。また、今後アモルファスタイプなど、少量のシリコンで同じ電力が生み出されるようになり、廃棄物そのものはずっと少なくなる見込みもある。
とはいえ、必ず廃棄物は出るものだし、大量になれば問題になるのは事実だろう。では、読者の手紙にあったように、わざわざ太陽光発電をすることによって、出さずに済む「余分な」廃棄物を作り出し、環境に「余計な」負荷をかけているのだろうか。
この意見に対して、私は次のように反論している。人間は、生きている限り、エネルギーを使い廃棄物を出す存在である。何もしないことは、何も廃棄物を出していないことを意味するわけではないのだ。火力発電であれ、原発であれ、電気を使っている限り、廃棄物を出している。火力発電なら二酸化炭素、原発なら死の灰である。第四章で示すように、少な目に見積もっても、一人一年で約一トンの二酸化炭素を出し、約八グラムの死の灰を出しているのだ。その廃棄物の処分は、電力会社なり国なりに任せているので、自分で処理する責任は間われない。
しかし、もし使用した電力量に比例して二酸化炭素なり死の灰が配達され、自分で処理しなさいと言われたら、人々はどう反応するだろうか。少なくとも、それは自分には責任がないとは言えないだろう。つかっただけの電気を発生させるために生じた廃棄物には責任があるはず、なのだから。大陽光発電の場合は、その責任を個人で負うことを宣言したようなものであり、決して「余分な」廃棄物を出し、「余計な」負荷をかけているわけではない。むしろ、二酸化炭素や死の灰のような処分が困難な廃棄物より、ずっと質のよい廃棄物なのである、と。
世の中には、完全な技術はあり得ない。人工物である限り、自然に何らかの負荷をかけるのは当然なのである。ならば、なるべく負荷の少ないものを、個人が責任を取れる形で背負っていく覚悟が必要なのではないだろうか。それによって何もしないのが最善の場合もあるし(あえて新技術に手を出さない)、経費がかかっても積極的に実行する場合もあるだろう(太陽光発電はこれにあたる)。その一つ一つを自らきっちり吟味する態度が大事なのではないか、と思う。見えない部分にまで想像力を働かせて。
(池内了著「私のエネルギー論」文春新書 p59-61)
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「アモルファスの太陽電池
エネルギー問題といえば、いまや人類にとって焦眉の問題である。石油、石炭などの天然資源の乏しい日本ではいっそう差し迫っている。原子力発電なども代替エネルギーの有力候補と目されていることは周知のことであるが、安全性、廃棄物等の未解決の難問が山積している。潮汐、風力、火力の利用や、省エネルギーヘの努力など、いわゆるソフト・エネルギー・パスと呼ばれる試みも提唱されているが、原点を問い直すというこの種の運動は実るまで時間のかかるのが相場だし、それなりの限界は当然ある。
こういうなかで、大陽エネルギーの利用は、来るべき世紀の、実現可能な夢なのである。
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太陽エネルギーの利用それ自体は、なにも今に始まったことではない。虫めがねで黒い紙に焔を上げさせた経験は誰もがもっている。同じ原理は、はるかギリシヤ時代の昔にも使われていたという。太陽の光を鏡の反射で集め、海から攻めてきた敵の船に焦点を合わせて炎上させたという、うそのような話が伝わっている。屋根の上に設置した水槽の水を太陽の熱で暖めて、風呂や暖房に使う方法も、使われはじめてからもう何十年となる。
そしていま、太陽の光のエネルギーを電気のエネルギーに変換する大陽電池が脚光を浴び出してからでもすでに十年。アモルファス材料の製造技術の進歩が、夢を手の届くものにしてくれたのである。
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アモルファス材料は結晶とくらべて廉価で、大量生産が容易で、優れた特性をもち──と非の打ちどころがない。しかも、太陽エネルギーの利用であれば、人類の与えられた自然の環境を破壊することもなく、めんどうな廃棄物もない。正真正銘のクリーンエネルギーであるわけで、注目を浴びないほうが不思議である。
二十一世紀の夢の素材と呼んで、多くの研究者が、大学で企業で研究に取り組んでいる。まだわかっていないミクロな機構を解明し、少しでも効率が高くて、長持ちする素材を──というのが共通の目的である。
腕時計に照明に、実用化はすでに始まっている。空を飛び交う人工衛星の多くは、太陽電池をエネルギー源として地球に電波を送り続けている。「遥か彼方から青い地球を眺めるツアー」の添乗員と参加者の乗った宇宙船が地球を飛び立つ時、動力源はもちろん太陽電池である。
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折しも、太陽電池だけを頼りに、太平洋をヨットで乗り切ろうという人が現れたという。冒険家の新たな挑戦として大きく報道されたが、これが昔語りになる日もそう遠くないことであろう。
(米沢富美子著「人生は夢へのチャレンジ」新日本出版社 p29-31)
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◎──「遥か彼方から青い地球を眺めるツアー」の添乗員と参加者の乗った宇宙船が地球を飛び立つ時、動力源はもちろん太陽電池──……。